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電脳隠密~漣玄七郎の才能~  作者: 万卜人
第一回 漣玄七郎、品川遊郭にて災難に遭う――の巻
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 遊客同士が仮想現実で戦うと、只事では済まない。遊客一人が、途方もない体力、反射神経を備え、しかもたいてい、あらゆる武術をインストールされているから、局地戦が勃発したのと、同じ結果が残る。

 五十八が先手を取り、身構えた玄七郎の胸に、全身を棒のように真っ直ぐにして、頭から激突した。砲弾が玄七郎の胸で炸裂したような、衝撃であった。

 玄七郎は、五十八の突撃を受け止めたまま、背後に吹っ飛んだ。背中が、罅割れた壁に激突する。

 先ほど玄七郎が背中を打ちつけた壁は、二度目の衝撃で、爆発したかのような凄まじい勢いで四散した。

 玄七郎と、五十八は縺れ合ったまま壁を突き抜け、さらに勢いに任せ、次の部屋に飛び込んだ。

 部屋では布団で、遊女と客がくんずほぐれずの一戦中だったが、二人の遊客が闖入して、ぎょっと顔を上げた。

 どかん、どかんと五十八が玄七郎の身体を振り回し、壁に打ち付けている騒ぎに、遊女と客は、素っ裸のまま、大慌てに部屋を飛び出してゆく。着物を(まと)う暇もない。

 うおおおっ! と雄叫びを上げ、五十八は拳を固め、殴り掛かってきた。寸前に玄七郎が顔を背け、五十八の拳は、背後の壁に()り込んだ。

 玄七郎は足を挙げ、爪先で五十八の鳩尾(みぞおち)を蹴り上げた。五十八の身体は、玄七郎の蹴りで宙に飛んだ。何と、天井まで一気に吹き飛び、がらがらと天井板が外れて落下する。

「野郎っ!」

 一声喚き、五十八は床に降り立つと、玄七郎を目掛け体当たりを食らわす。天井まで蹴り飛ばされたのに、まったく効いていない。

 五十八の体当たりに、玄七郎は柱ごと背後に吹き飛んだ。太い柱が折れ、天井の梁が、がたっと斜めに傾いだ。

 ぐわらぐわらっ! と、天井から梁と一緒に、天井板と、屋根板、瓦が雪崩(なだれ)落ちた。

 朦々(もうもう)と埃が舞い、二人は目まぐるしく腕を、足を使って格闘を続ける。お互い、武器を持っていないので、格闘は長引いた。

 遊客の苦痛の上限は高く、少々の打撃では、戦闘力は全く落ちない。さらに、二人は真剣に戦闘を続けているので、ほとんど苦痛を感じないのだ。

 品川遊郭は、二人の戦いによって、廃墟と化していた。

 ぎゃあああ……、ひいいい……! と、遊郭に滞在中の客と、遊女たちが訳も判らず、逃げ惑う。

 がたんっ、と大袈裟な音を立て、行灯(あんどん)が引っくり返った。

 ぼうっ……! と、行灯が燃え上がる。行灯の炎は、すぐさま手近の障子に燃え移り、めらめらっと炎上した。

 (オレンジ)色の炎が、舌舐めずりするように、遊郭中を這い回る。木と紙でできている日本の家屋は、炎にはひとたまりもなく、あっという間に燃え上がった。

 轟っ!

 飢えた獣のように、火炎は付近の酸素を(むさぼ)りつくし、紅蓮の炎が遊郭を包む。

 じゃーん、じゃーん、じゃーん!

 火の見(やぐら)から、すぐさま半鐘が鳴った。

「火事だぞおっ!」

 どこかで大声が上がった。

 玄七郎と五十八は、燃え上がる室内で睨み合っていた。

 お互い、大きく呼吸を繰り返し、全身から大量の汗が噴き出している。汗は噴き出した瞬間に、炎の熱で蒸発し、後に白い塩分が着物に付着した。

 ちりちりと頭髪が熱で焦げるが、二人はまるで頓着していない。お互い、視線で相手を殺してやりたいとばかりに、猛然と睨み合っていた。

 さすがに長時間の格闘は、二人に言い知れぬ疲労を残していた。お互い、実力は五分と五分。全くの互角である。

 五十八はニヤリといつもの笑みを浮かべた。相手を見下す、優越感を交えた笑い。

「へっ! こんな真似、いつまでやったって、(らち)は明かねえ……。俺はさっさと、おさらばするぜ!」

 糞っ、と玄七郎は口の中で吐き捨てた。五十八は現実世界へ帰還するつもりなのだ。玄七郎が決して帰れぬ、現実世界へ。

 大きく深呼吸をすると、五十八は目を閉じる。現実世界へ戻る、手続きを始めているのだ。

 パスワードを心の中で唱え、目を閉じた視界に、選択画面のウインドゥを開いている。

「畜生っ!」

 玄七郎は叫んで、五十八を目掛け、遮二無二さっと飛び掛った。

 このまま黙って行かせて堪るかっ!

 しかし一瞬、遅かった。

 玄七郎の両手は、何もない空間を(まさぐ)っていた。

 五十八は帰還したのだ!

 がっくりと玄七郎は膝を突いた。

 ばらばらと火玉が落下し、轟っ、と炎が巻き上がる。

「あんたっ! 何、ぼうっとしてんだい!」

 甲高い悲鳴と共に、吉奴が顔を突き出した。顔中に汗を浮き出させ、それが付近の炎を、てらてらと照り返している。

「愚図愚図してたら、焼け死んでしまうじゃないかっ! 逃げなっ!」

 玄七郎は聞いていなかった。呆然と膝立ちのまま、虚ろな視線で畳を見詰めている。

 真っ黒な絶望が、玄七郎の胸を塞いでいた。永遠に手が届かない、今まで過ごしていた現実世界の記憶が、玄七郎の胸を突き刺す。

 現実世界は玄七郎にとって、それほど輝かしい場所ではなかった。何をするにも自信がなく、天才的に要領の悪い、ドジな玄七郎にとって、現実世界にはほとんど居場所がないと言っても良かった。

 それでも現実は現実だ。仮想現実ではない。現実世界で生きていれば、色々玄七郎には未来が(ひら)けていたかもしれないのに、今は総てが無である。

 無、無、無! 総て無! 後に残るのは、完全な空虚を抱えた玄七郎のみ。

 今頃は目覚めているに違いない、本体の玄七郎は、何を考えているのだろう。

「ええいっ! 全く、手が掛かるったら、ありゃしないっ!」

 吉奴は、無理矢理むんずと玄七郎の襟首を掴み上げると、ずるずると遊郭内を引き摺り始めた。

 恐るべき、(りょ)力である。もっとも吉奴も、隠してはいたが正体は遊客。玄七郎一人を引き摺るなど、軽い。

 吉奴に引き摺られ、玄七郎は遊郭の外へと逃れていた。

 遊郭の裏手は川原になっている。折からの風に吹き上げられ、遊郭を包む炎は、さらに勢いを増していた。

 どう……、と遊郭は炎に包まれ、崩壊する。玄七郎は崩壊する遊郭に、己の運命を重ね合わせていた。

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