五
「玄七郎殿っ!」
冬吉が深雪を抱え、駆け寄って来た。深雪は、今はようやく意識を取り戻し、大きな目を見開いて、玄七郎を見詰めている。
「いかがいたそう? これでは、もはや……」
言い淀み、ぐっと奥歯を噛みしめる。江戸仮想現実の滅びを、言葉にしたくはないのだろう。
玄七郎は深雪を見詰め返す。深雪は真剣な表情で、玄七郎に向かって口を開いた。
「まだ、間に合うわ! 宝塔へ!」
「そうかっ!」
玄七郎は叫び返した。
やはり、江戸仮想現実の要は、宝塔にあったのだ。
「玄七郎……」
啜り泣きが聞こえ、声の方向を見ると、五十八が目に一杯、涙を浮かべている。
「死にたくねえ……死にたくねえよう……」
両手を、哀願するように上げ、よたよたと近づいてくる。
玄七郎の胸に、五十八に対する怒りがまた湧いた。さっきは哀れみを覚えたが、今はまた、五十八の未練たっぷりな様子に、嫌悪感を感じていた。
「寄るなっ! お前とは、口もききたくないっ!」
指差し、玄七郎は五十八に対し、ある〝処理〟を施した。
途端に五十八の顔が、驚愕に弾ける。
たじたじっと後じさりし、顔色を蒼白にさせた。
「ひ……ひええええっ!」
すとんと腰を抜かし、そのままいざりながら、玄七郎から離れてゆく。玄七郎は、五十八に向かって叫んでいた。
「どっかへ行ってしまえ! 二度と、俺の目の前に姿を現すんじゃないぞっ!」
五十八は、玄七郎の声を背中に、必死になって出口へと向かってゆく。どたばた、すたばたと騒がしく足音を立て、一散に逃げて姿を消した。
冬吉は呆れて、玄七郎を見た。
「玄七郎殿……あの御仁は?」
玄七郎は「ふん」と鼻で笑った。
「あいつの遊客としての能力を奪ってやった! もう、あいつは、ただの江戸町人と全く同じだ。俺の遊客の気迫に撃たれて、怖気づいて逃げたのさ!」
玄七郎の言葉に、冬吉は何度も首を振った。
「そのような奇跡をなされるとは、信じられませぬ。玄七郎殿は、神になられたのか?」
「いいや!」と玄七郎は、強く否定の意味で首を振った。
「今、この時限りさ。江戸仮想現実が正常に戻れば、俺も普通の遊客に戻る。今の異常が、俺にこんな業を成し遂げさせている。さあ、早く、江戸を正しい姿に戻そう!」




