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電脳隠密~漣玄七郎の才能~  作者: 万卜人
第七回 日光東照宮異変の巻
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 奥宮拝殿に続く長い石段を登る。石段は、総て一枚石だ。霜などで浮き上がり、石組みが壊れないための、配慮である。一段、一段、念のために数を数えると、二百七段もあった。

 玄七郎は、東照宮に足を踏み入れたときから、遊客の気配を消している。その代わり遊客としての、爆発的な筋力、底なしの体力は封印される。気配を殺している間は、普通の江戸NPCと変わらない人間となるのだ。

 江戸仮想現実で、最初に出会った電脳オカマ──吉奴──から習った技術だ。吉奴は、自分が本当は男であるのを、他の遊客から隠したいために、気配を殺す技術を編み出したらしい。

 東照宮にもし、五十八がいれば……いるに決まっている! 玄七郎を確実に待ち受けているだろう。

 そんな罠があると判っている所へ、自分の存在を宣伝する馬鹿はいない。

 だから玄七郎は、自分の遊客としての気配を消して行動している。

 その代償は、長い階段を喘ぎつつ、えっちらおっちら、登って行くという辛さである。遊客の能力なら、息も切らさず、鼻唄混じりに、駆け上がっている。

 ようやく、玄七郎は、階段を上りきった。

 上りきった所が、拝殿となる。黒漆が柱や、造作に使われ、屋根は銅板を()いている。

 人気は感じられない。

 玄七郎は「さて、どうするか?」と考え込んだ。

「入らないのか?」

 腕にしがみついている辰蔵が、低く声を掛けて来た。

 玄七郎は、黙って拝殿正面の扉に向かった。正面は唐破風(からはふ)造りになっていて、玄七郎は「銭湯みたいだな」と思った。

 もっとも、玄七郎が現実世界にいた頃の記憶である。江戸仮想現実の銭湯は、もっと簡素な造りになっている。

 そのまま、観察のため、ぐるりと周囲を回った。

 拝殿の先には、鋳抜(いぬき)門があった。確か鋳抜門の先に、家康の霊廟である宝塔があるはずだ。現実世界の江戸では、そこに家康を祀っている。

 しかし、ここは江戸仮想現実である。家康は、本来は存在しない。

 再び、入口へと戻り、今度は思い切って拝殿の階段を駆け上がる。扉を押すと──簡単に開いた。

 軋み音など、一切なく、扉は滑らかな動きで開かれた。

 何があると期待していたのか、玄七郎自身でも判らないが、拝殿の内部にあったのは、完全に予想を裏切るものだった。

 時計だった。

 部屋の中央に、一つだけ、巨大な時計が、でんと置かれている。

 もし、江戸科学技術史に関心がある人間なら、一目見て、即座に「万年時計である!」と看破しただろう。

 正式名称は《万年自鳴鐘》。製作は、後の東芝創立者である田中久重(一七九九~一八八一)である。

 一度でも発条(ばね)を巻けば、一年間ずっと時を刻み続け、不定時法の和時計。月齢、太陽と月の位置、二十四節気、十干十二支、洋式時計、曜日まで表示する。

 玄七郎の見ている万年時計は、大きさは優に、玄七郎の背丈ほどもある。本当の万年時計は、こんな大きさではない。

 万年時計の知識はないが、何か異様なものを感じ、玄七郎はゆっくりと近づいた。

 ふと見ると、辰蔵は身動きもしない。飛び出した二つの目玉は、ひたと万年時計に向けられている。

「おい、どうした?」

「時計が……」

 言い掛け、辰蔵は黙り込んだ。

 玄七郎は今度は、まじまじと観察する。

 笑い出した。

「何だ……。この時計、故障中じゃないか!」

 時計の針が、逆回転していたのである。逆回転だけでなく、総ての盤面を指す針が、急速に回っていたり、あっちこっちにふらふら彷徨(さまよ)ったり、てんでんばらばらの動きをしていた。故障と判断したのも、無理はない。

 辰蔵は笑わない。

 ただ、じっと身動きもせず、時計を見ているだけである。

 玄七郎は再び、声を掛けた。

「なあ、どうしたってんだ? ただの、ぶっ壊れた時計じゃないか!」

「いいや。壊れてなんか、いないぜ」

 いやにゆっくりと、辰蔵は答えた。

「この時計は、ただの時計じゃない! 時を司る時計なんだ……。時計がこんな動きをしているということは、時が狂っている証拠なんだ!」

 玄七郎は、江戸から日光に来るまで、日にちがまるっきり、当てにならなかったのを、思い出していた。

「それじゃ、黒須五十八の仕業なんだな?」

 しかし辰蔵は、頭を振った。

「おいらは、そう思わないな。何か、別の原因があるはずだ。何が原因か判らないけど、ものすごく危険な予感がするよ」

「お前の言葉は、さっぱり理解できねえ! 謎解きは、俺の趣味じゃないしな!」

 玄七郎は苛々して呟いていた。

 と、辰蔵が、ぎくりと身を強張らせた。

「あの音は?」

 玄七郎は身を固くして、耳を澄ませた。

 かちゃり……と、外で微かな物音。

 大急ぎで拝殿から飛び出すと、息を殺して周りの杉並木に飛び込み、身を隠す。

 音は、鋳抜門からしていた。

 銅板の門が開き、一人の人物が姿を現した。

 玄七郎は息を呑んだ。

 姿を現したのは、黒須五十八であった!

 ひょろりとした痩身、役者にしたいほどの二枚目顔。

 玄七郎を〝ロスト〟の罠に掛けた、憎んでも飽き足らない相手である。

 怒りのあまり、即刻さっと飛び出して、五十八の首に両手を巻き付けたい。そんな激烈な衝動を、玄七郎は脂汗を垂らして抑えた。

 今は、その時ではない!

遊客の気配を殺していて、良かった! もし、遊客の気配を発散させたままだったら、完全に気付かれていた。

 五十八は、なぜか苛々しているようだ。

 背後を振り返り、舌打ちして叫ぶ。

「何を愚図愚図してやがる! さっさと、出てこねえか!」

「判ったよう……」

 五十八の叱声に、弱々しい声が答える。

 足音がして、もう一人の人物が、門を潜って五十八に並んだ。

 玄七郎は、目を見開いていた。

 驚愕に、五十八への憎しみも忘れている。

 もう一人の人物とは、何と、玄七郎自身だったのである!

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