四
東照宮の表口にあたる、石造りの大鳥居が彼方に聳えている偉容を眺めながら、玄七郎と冬吉は、人混みに紛れ込んでいた。
石造りの大鳥居は、元和四年に九州筑前から、黒田長政によって、船便で送られた石材を、組み立てたものである。鳥居を潜ると、参道である。
鳥居の向こう側に聳えている五重塔は、小浜藩主、酒井忠勝の奉納である。文化十二年の火災で焼失したが、文政元年に酒井忠進の手で再建されている。
人々は、ここでは押し合い圧し合い、表門へと歩んでいる。相当な混雑だが、不思議とざわめきは全く聞こえない。全員が無言のまま、黙々と進んでいた。
表門は通称《仁王門》と呼ばれている。仁王像が安置されているからだ。門を潜り、二人は境内に進んだ。
周囲をきょろきょろと見回し、玄七郎は、絵葉書や、観光ポスターなどで見掛けた東照宮を、思い返していた。
江戸仮想現実の東照宮も、全く同じである。
いや、もっと派手派手しい。
柱や、欄間、あらゆる飾は、漆、丹などで塗られ、さらに極彩色の色合いが目に飛び込んでくる。
これほど鮮やかな色彩を、玄七郎が江戸仮想現実で目にしたのは、初めてだった。
どことなく、非日本的な建物に見える。中国大陸なら、いかにもありそうだ。
表門から、さらに陽明門を見ると、玄七郎は、いよいよ思いを強くした。全体にごてごてとして、重ったるく感じる。
あらゆる箇所に金箔が貼られ、玄七郎には、とてもじゃないが、趣味の良い建物とは思われない。一言で表現すれば、成金趣味だ。
何となく、金閣寺に通じる安っぽさが、横溢していた。
いつの間にか、自分は江戸趣味に染まったなと、玄七郎は皮肉な気持ちになっていた。
隣の冬吉は、と見ると、表情には感激が溢れていた。
目が合うと、勝手に喋り出す。
「いや──、日光を見ずして、結構を語るなと申しますが、実に見事な、結構な細工では御座りませぬか!」
「そうだな」
玄七郎は取り合わない。まあ、趣味は各々、違うからいいのだ。
御水舎では、人々が群がり、壮んに手水を使っている。清めの水だ。玄七郎と冬吉も、参拝者に倣って、手を洗った。
洗いながらも、玄七郎の目は抜け目なく、辺りを窺う。
清めが終わると、人々は陽明門を潜り、拝殿へと進んで行く。
拝殿の正面には、神主と巫女が並んで、人々の混雑を整理していた。参拝人は、神主の指示に大人しく従って、拝殿に吸い込まれて行く。
玄七郎と、冬吉の目が合った。
「いかがいたそう?」
冬吉の小声に、玄七郎も唇を動かさず、囁き声で返した。
「俺は、人群れから離れて、潜入するほうが良いと思うが?」
「拙者も、同じ考えで御座る。幸い、参拝者は、一人も我らを気に掛けてはおらぬようで御座る。そっとこの場を離れ、本殿へと潜入いたそう」
お互い、頷き合って、その場を離れる。
素早く、廻廊から坂下門に移動して、本殿建物の裏手へと回った。二人の行動には、誰も注意を払ってはいない。
二人は塀の向こうにある、本殿建物を振り仰いだ。
本殿、拝殿、石の間が合わさり、本殿となっている。重厚な造りで、いかにも日本全国を支配する、徳川家の権力を象徴していそうな建物だ。
本殿建物から北側には、奥の宮と呼ばれる墓所があって、そこには家康の遺骨が納められている。
しかし、ここは仮想現実である。玄七郎は閃いていた。
人々は拝殿に集まっている。いや、集められている。目的は何か判らないが、本当に重要な施設は、奥の宮ではないのか?
江戸仮想現実は、江戸城に籠もっている「征夷大将軍」が創り上げたものである。もしも江戸仮想現実を制御する施設を造るとしたら、それは拝殿ではなく、墓所がふさわしいのでは?
玄七郎が思いついた考えを話すと、冬吉は顔を蒼白にさせた。
「神君の墓所を……で御座るか? 飛んでも御座らぬ! 畏れ多くて、拙者には、とても近寄ることすら、考えられ申さぬ……」
言いながらも、冬吉の顔色は真っ青である。瞳孔は開いて、両目は瞬きもしない。冬吉にとっては相当にショッキングな提案だったらしい。
「そうか……無理には勧めねえ。だが、俺は行くぜ! ともかく、確かめねえとな」
「拙者は、御免蒙る! 後の祟りが恐ろしゅう御座る!」
冬吉の反応は、玄七郎の思いをさらに強めた。
江戸仮想現実の、NPCである冬吉がこれだけ怖れているのだ。何か秘密があるとしても、完璧に守られている可能性があった。
「墓所へ行くのか?」
突然、冬吉の懐から、辰蔵が顔を出した。辰蔵は今まで、冬吉の懐に大人しく収まって、一言も喋らなかった。周囲に人気がなくなったので、しゃしゃり出たのだ。
「そうだ」
玄七郎が短く答えると、辰蔵はピョイと冬吉の懐から飛び出し、玄七郎の腕に掴まった。
「それじゃ、おいらも行くぜ!」
辰蔵の反応に、冬吉は何か言い掛けた。
が、それでも思い直して、俯いた。全身が細かく震え、隠密とは思えないほど、恐怖を剥き出しにしている。
「冬吉。お前は拝殿に向かえ! 参拝者に混じって、何が起きているのか、そのでっかい両目で、じっくりと見てこい!」
玄七郎の命令に、冬吉はありありと安堵の表情を浮かべる。
「承知仕った! では、拙者は、これにて……」
さっと踵を返し、拝殿に向かう参拝者の人群れへと紛れ込む。
玄七郎は辰蔵に話し掛けた。
「お前は怖くはないのか?」
「おいら、縫いぐるみだからね。感情なんて、余計なものは、一切、持ち合わせていないんだ! それより、おいらは深雪がどうなっているか、心配なんだ……」
辰蔵の言葉は、玄七郎の胸を突き刺した。
そうだ、深雪はどうしているのか? やはり、この東照宮へ攫われてきたのだろうか?
玄七郎は、墓所へと向かった。




