六
「最近、仮想現実を舞台にした、たちの悪い遊びが流行っている。〝仮想現実荒らし〟って、遊びだ!」
急ぎ足で歩きながら、二郎三郎は一息に話した。
玄七郎には〝仮想現実荒らし〟という言葉は、初耳だった。玄七郎の顔を見て、二郎三郎は頷くと、説明を加えた。
「つまり、仮想現実にウィルス・プログラムを仕掛けて、滅茶苦茶にしてしまうって、遊びだよ! この〝荒らし〟の被害に遭った仮想現実は、世界設定が狂って、正常に暮らせなくなる。たいていは、そのまま見捨てられてしまうな」
「何で、それが遊びなんだ? 仮想現実を無茶苦茶にして、何が面白いんだ?」
「そんなの、俺が知るか!」
二郎三郎は吐き捨てた。口調には、怒りが籠もっている。
「〝荒らし〟で荒廃させた仮想現実の数を誇る奴がいる。『俺は、これだけの仮想現実を、ぶっ壊してやった!』とな! 昔、仮想現実が存在しない頃、インターネットというものがあった。ネットには、ホーム・ページとか、ブログとかあったんだが、そこに汚い言葉を書き連ねて、迷惑を掛ける奴らがいた。また、大した証拠もないのに、ユーザーのスキャンダルを捏造する連中もいた。そういった行為をすることで、何か、自分が偉くなったと勘違いしてたんだな」
「その〝荒らし〟という悪戯が、江戸仮想現実に標的を定めた、というわけかね?」
玄七郎の言葉に、二郎三郎は強く頷く。
「そうだ! 江戸仮想現実は、俺たち仮想現実環境デザイナーが多数、加わって、念入りに創り上げた仮想現実だ! 他の仮想現実より、リアルだし、極めて堅牢だ。少々のウィルス・プログラムじゃ、手が出せないほどに、しっかり構築している。それが〝仮想現実荒らし〟をする連中には、もってこいの標的になったんだな。俺たちの江戸仮想現実を荒らせば、仲間内で威張れると……」
「何て話だ……!」
玄七郎は心底、呆れ返っていた。
今まで、なぜ、江戸仮想現実を混乱させるのか、不思議だったのだが、単なる遊びだとは!
冬吉を先頭に、玄七郎は、鹿沼の宿場町を、駆け足に通り抜けて行く。三人の侍姿の男たちが、足音を蹴立てて通り過ぎるので、町の人々は、「何事ぞ?」とばかりに、興味津々に見送る。
三人の侍が急いでいるのが珍しいのもあるが、人々が驚くのは、三人が駆け足になっているからだ。
江戸時代を再現した江戸仮想現実では、町人、百姓は、飛脚を例外として普通、走らない。侍も、日常では走らない(侍が急ぐときは、馬を走らせる。ただし、旗本以上の身分に限る)。
だから玄七郎たちが、血相を変え、足音を蹴立て、一目散に走る姿は、江戸町人にとっては、見たことのない珍しい眺めであった。
「冬吉、まだかっ!」
玄七郎が、前を走る冬吉に叫んだ。冬吉は隠密なので、走る動作は心得ている。冬吉は左手で、刀の抉りを抑え、走っている。
「今しばらくの御猶予をっ!」
三人の辿る道は、宿場町から離れ、山間に繋がっている。前方にこんもりとした小高い森が見え始め、小さめの鳥居が目に入った。鳥居の向こうに、本殿が蹲るように見えている。鳥居も、本殿も、規模は小さい。
熊王子権現である。明治後は、富岡熊野神社と改められている。
冬吉は身を低くして、玄七郎と二郎三郎に止まるよう、合図した。
玄七郎は冬吉の側に近寄り、口を開いた。
「ここか?」
「はっ! 雨乞い祭りの人数は、熊王子権現の氏子で御座る。深雪殿がおられるなら、ここが一番、可能性が高いと思われます」
二郎三郎が、本殿を睨みながら呟いた。
「人気は感じねえな……。誰かいるのか?」
冬吉は首を振った。
「さあ、それは何とも……」
「行くしかないな……」
玄七郎は決意を込めて呟くと、さっさと鳥居を潜り、参道へと足を踏み入れる。
本殿の周りは、ずっしりと木々が濃い影を落としている。本殿そのものは、小屋ほどの大きさである。
背後に、二郎三郎と、冬吉が従ってくるのを感じ、玄七郎は本殿の戸に手を掛けた。
きい……と微かに軋み音をさせ、戸は呆気なく開いた。
内部に、玄七郎は予期しないものを見つけ、呆然となっていた。
「玄七郎殿、何が御座る?」
背後から冬吉が声を掛ける。玄七郎は身を屈め、目にした物を拾い上げた。
「これだ……」
「それは!」
冬吉は大きな目を、さらに大きく見開いた。二郎三郎は「はっ!」と肩を竦めた。
玄七郎の手にしたのは、深雪が肌身離さず手にしていた、蜥蜴の縫いぐるみであった。