四
「な、何で……どうして、あんたが……!」
思い掛けない人物の登場に、玄七郎は完全に混乱していた。二階の欄干から身を乗り出していた二郎三郎は、にやっと笑い掛けると、顎をしゃくった。
「まあ、上がれ。話があるんだ」
玄七郎と冬吉は、慌てて宿に駆け込むと、宿の人間が案内しようと申し出るのを断り、づかづかと二階へ踏み込んだ。
途中、玄七郎に、二郎三郎が「開闢遊客」であると聞かされた冬吉は、がらりと態度を変えた。
二階の障子を開けた途端、がばりと廊下に正座して深々と頭を下げる。
「お初に御目に掛かり奉ります。拙者、御公儀御庭番、冬吉と申す不束者で御座いまする。開闢遊客の二郎三郎様には、ご機嫌斜めならず……」
「おいおい!」
呆れて二郎三郎は手を上げた。
「いったい、どんな挨拶だ? そんな鯱張った口上なんぞ、迷惑だ! さ、顔を上げてくんな。まずは、一献」
と、膳部の酒肴を指差す。
ぐっと突き出した二郎三郎の右手には、猪口がある。冬吉は恐縮しながら、二郎三郎から猪口を受け取ると、まるで儀式に臨んだような態度で、恭しく一杯を空ける。
玄七郎は無言で室内に踏み込むと、どっかりと二郎三郎と向かい合わせに座った。ぐい、と挑発的に顎を上げる。
「あんたは、江戸じゃなかったのか? 江戸を根城とする遊客が、遠路はるばる、鹿沼まで旅するとは、どういうわけだい?」
「旅したわけじゃない。こっちの、出現点を利用しただけだ。お前さんを探しにな」
現実世界に戻って、仮想現実接続装置を使い、鹿沼近くの遊客専用出現点を利用したと、二郎三郎は説明した。
遊客が江戸仮想現実に最初に接続するには、幾つもある関所を利用しなければならないが、一度でも登録を済ませれば、次回からは好きな出現点を利用して接続できる。
出現点とは、遊客が江戸仮想現実に姿を表すための、入口である。たいていは、神社仏閣などの一角が巧妙に隠蔽され、普段は人が出入しないような場所に作られている。
人気の多い場所でいきなり出現すると、色々と不都合が起きるので、こういった処置がなされている。
「俺を探しに?」
玄七郎は、ポカンとなった。
二郎三郎は、街道を見下ろし、首を捻った。
「お前さんだけか? 例幣使の一行はどうした。それに、深雪の姿が見えねえが」
「実は……」
冬吉が緊張しながら、例幣使の一行に降り掛かった災難について語り出す。黙って耳を傾けていた二郎三郎の表情が、見る見る険しくなった。
「信じられねえ話だ……。もし、黒須五十八が、全体の黒幕としても、そんな途轍もない真似、金輪際、できるわけがねえ!」
言いながら、何度も首を振った。
玄七郎は二郎三郎の言葉を思い出した。
「それで、俺に話ってのは?」
「それよ、それ!」
二郎三郎は、ぐっと猪口を煽ると、居住まいを正した。
「俺は現実世界で、黒須五十八について、少々調べてきたんだ。それを話そうと思って、ここで待っていたって、わけさ」
玄七郎と冬吉は、黙って顔を見合わせた。二郎三郎に玄七郎は向き直る。
「なぜ、そんな手間を?」
「わけが判らねえからだよ! なぜ、江戸仮想現実を混乱させるのか、狙いは何か、知りたかったからだ。俺は、江戸仮想現実を創立した一人だ。放ってはおけねえ!」
答える二郎三郎の口調には、江戸仮想現実を、何が何でも守り抜く、固い決意が溢れている。
「それで、何か判ったのか」
「うむ」と二郎三郎は重々しく頷いた。ちらっと上目遣いに玄七郎を見て、口を開いた。
「あんた、最初に仮想現実に接続したのは、何歳のときだ?」
「十八歳だ!」
答えながら、玄七郎は、苦い表情になるのを、抑え切れない。最初の仮想現実接続で、五十八の罠に掛かり、〝ロスト〟という、災難に遭ってしまった。
二郎三郎は続けた。
「確か、五十八は、十五歳で仮想現実に接続したんだったな」
「ああ」
遣り取りを続けながら、玄七郎は二郎三郎が、何を言わんとするのか、さっぱり見当がつかない。
「十五歳で接続の許可が下りるなんて、俺も驚いたよ。しかし、本当らしいな。玄七郎さん、あんた、接続許可を貰ったときに、当局から、脳分析の結果を教えて貰っているかね?」
「そりゃ、まあ……。でも、何が書いてあるのか、まるっきり掴めなかったな。何しろ、珍粉漢粉の記号だらけで、俺には暗号としか思えなかった」
「五十八は、あんたの分析の結果を、見せろとは言わなかったかね?」
玄七郎は首を捻った。現実世界での出来事は、遠い記憶の霞に掛かって、よく思い出せない。しかし、仮想現実接続前後のことは、朧にではあるが、思い出せた。
「そう言えば、あいつ、しつっこく、分析表を見せろと言っていたなあ……。しかたないから、見せてやったが……」
「それだ!」
二郎三郎は勢いづいた。
「あんたの分析結果を見て、五十八は嫉妬心が芽生えたんだ。五十八は、自分の持っていないものを、あんたが持っているのを知って、密かに怒りを燃やしたんだろう」
「俺が持っていて、あいつが持っていないもの? そんなもの、あるのか?」
玄七郎には、二郎三郎の言葉が、一言半句も、理解できない。しかし二郎三郎は。大真面目であった。
「ある! お前さんにあって、黒須五十八にないもの。奴がどんなに持ちたいと熱望しても、叶えられない〝あるもの〟が、あんたには存在しているんだ!」
ごくり、と玄七郎は唾を飲み込み、二郎三郎に尋ねる。
「それは、何だ?」
「才能だ。黒須五十八には、ある才能が、完全に欠落している。脳分析表を見れば、一目瞭然だ。五十八は十五歳という、飛び切り若い時期に接続の許可を貰って、とっくりと、問題に向き合う時間があったんだろう。どんなに足掻いても、手が届かない、ある才能が、あんたにたっぷりあることを知って、嫉妬心に妬かれたのさ」
二郎三郎は、説明を始めた。それは、玄七郎にとって、まったく予想だにしない内容であった。