三
「いたか?」
「いや、どこにも見当たり申さぬ!」
「糞っ! いったい、どこへ消えた?」
ぎりぎりと、玄七郎は奥歯を噛み締めた。悔しさに、全身がかあーっ、と熱くなるのを感じる。
まさか深雪が攫われるとは、一切、予想だにしない事態であった!
外に飛び出した二人は、祭りの群衆に、深雪の姿を捜し求め、町中を走り回った。ところが皆目、さっぱり見当がつかない。
今も玄七郎は、狂気のように歩き回り、視線は一瞬の中断もなく、周囲を見回している。
「やはり黒須五十八の仕業で御座ろうか?」
「判らんっ!」
冬吉の質問にも、玄七郎は最小限の言葉で答えるだけだった。実際、これが五十八の罠かどうか、判断する材料は欠片もない。
もし、五十八の指図として、目的は何だ? なぜ、玄七郎には手を触れない?
最初から、この事件は謎だらけだ。
歩きながら、玄七郎は胸の奥で、一つ一つ、謎を数え上げていた。
最初の謎は、なぜ東照宮を使って江戸仮想現実を混乱に陥れるのか? それが五十八にとって、何か利益があるのか?
次に東照宮の異常を収拾するため、旅立った玄七郎を、むしろ誘い込むように、例幣使に力を揮ったのは?
五十八にとって、東照宮の異常を正常に戻すために旅立った玄七郎は、目障りな存在のはず。江戸仮想現実を掌握できるのなら、真っ先に玄七郎を殺すため、活動するはずだ。
最後に、この一件で、深雪の果たす役割は何か? 同時に、玄七郎が征夷大将軍に指名されたのも、謎である。
ポイントは征夷大将軍と、五十八の間にあるようだ。二人の指し手が、江戸仮想現実という壮大な将棋盤の上で、玄七郎と美雪という駒を動かし合っている。
「黒須五十八の狙いは、そもそも何だ?」
思わず、玄七郎は声を出していた。冬吉は、躊躇いがちに、声を掛けた。
「その、黒須五十八と申す遊客で御座るが……」
口篭った冬吉に、玄七郎はぐいっと、顔を捻じ向けた。
「何だ? 何を言いたい?」
「拙者、判らぬのは、なぜ、貴殿にああも、執拗に係わりあうので御座ろうか? まるで個人的な恨みが籠もっているように、それがしには思えてなりませぬ」
「はあ?」
意外な冬吉の指摘に、玄七郎は立ち止まっていた。
「俺に個人的な恨みだって? まさか! 恨んでいるのは俺であって、五十八が何で俺を恨む! 奴が俺を、まんまと騙して、この江戸仮想現実に立ち往生させたんだからな!」
「それ! それで御座る! そもそも、最初から、玄七郎殿を罠に掛けた動機が、さっぱり判り申さぬ。江戸永久所払いという処置を受けるのは、最初から判りきっておったはず。それなのに、あえて玄七郎殿を罠に掛けた、とは、何があるので御座ろう?」
そうだ、冬吉の指摘はもっともだ。玄七郎は、新たな視点を得て、考え込んだ。
気がつくと、二人は、鹿沼宿の外れまで来ていた。人家も疎らで、街道がくねくねと山間を走り、辺りは畑が広がっている。この辺りは、山間部とあって、畑も山裾に沿って、複雑な形に切り開かれている。
深雪の手懸りは、ここでは掴めない。
玄七郎は、鹿沼宿に戻るため、回れ右をして歩き出した。とぼとぼと、足取りは重く、全身はぐったりと疲れている。
どうしたら良いんだ?
東照宮を目指しても、深雪がいなければ、使命は果たせない。どうしても、深雪を探し出さなければならない!
「これから、どうなさる?」
冬吉の質問に、玄七郎はきっぱりと答えた。
「やはり、あの、雨乞いの祭りだろうな。他に、探す当てもないしな」
「拙者も、同じ考えで御座った。よろしゅう御座る。まずは、どこで祭りが行われているのか? 勧進元はどこか、それらを聞き込みいたそう」
玄七郎の言葉に、冬吉は御庭番らしい態度を取り戻す。きびきびとした物腰になり、両目は鋭く輝き出した。
宿場に戻り、まずは行動の拠点として、宿を探した。宿屋が並んでいる場所へ来ると、見るともなしに、玄七郎は宿屋を眺めた。
さて、今夜の宿は、どこにしよう?
「やあ! 玄七郎! やっと、来たな!」
出し抜けに、空から声が降ってきて、玄七郎は呆然と立ち止まった。
宿屋の二階から、声の主が通りを眺めている。
伊呂波四十八文字を染め抜いた、着流し。やたら長い顔に、幅広の口許。にやにやと笑いながら、相手は気軽に手を振っている。
鞍家二郎三郎。江戸仮想現実を創立した「開闢遊客」の一人である。