一
例幣使街道を、玄七郎、冬吉、深雪の三人が歩いている。
周囲は典型的な農村風景で、田圃が見渡す限り広がり、山にはたっぷりと緑が濃くなっている。時折ちらほら農家が点在し、田畑では、農作業に勤しむ農民の姿が散見された。
しかし、街道を行くのは三人きりで、途中、ただ一人の旅人とも行き逢わなかった。
冬吉は道々、首を傾げていた。
「どうしたというので御座ろう? 例幣使街道には、壬生、日光街道が繋がり、普段ならもっと人の往来が壮んであるはずなのに」
歩きながら、玄七郎は懐を寛げ、ばたばたと仰いで風を入れる。
「何か理由があるんだろうな。それにしても、暑いぜ! まるで真夏じゃねえか!」
天を仰ぎ、汗を拭った。空はぽかんと晴れ上がり、かんかん照りの日盛りに、地面にくっきりと影が落としている。
暦では四月というのに、まるで真夏の気温であった。日差しもまた、真夏を思わせる。
玄七郎の言葉に、冬吉も天を仰いだ。
「左様……。この季節なら、日差しはもう少し、柔らかいはず……。季節が狂って御座るな!」
呟きながら、冬吉の表情は憂慮に曇っている。
玄七郎は、例幣使一行が出発した時に、周囲の景色が、ごちゃ混ぜの季節であったのを思い出した。
深雪に話し掛けようとして、後ろを振り向いた玄七郎は、ちっと舌打ちをした。
ずっと遅れて、深雪が地面に屈み込んでいる。何か、真剣に地面を観察していた。
いつもこうだ。
何か興味を引くものを見つけると、玄七郎たちには、お構いなしで道を逸れ、しゃがみこんだり、ぼーっと突っ立ったままになったりする。しつこく呼びかけようが、知らんぷりだ。
肩を竦め、玄七郎はとぼとぼと街道を戻った。地面に屈み込んでいる深雪の背中越しに、何を見ているのだろうと覗き込む。
蟻だった。
深雪は、蟻の行列に、目を奪われていたのである。蟻ンコが、虫の死骸を引き摺り、巣穴へと運んでいる。運ばれているのは、蟋蟀らしい。
四月に蟋蟀?
こんな程度では、玄七郎は驚かなくなっている。昨日は、満開の桜を目にしたし、遠方の山頂に、雪を見た。もう、毎日、季節も、時刻も、全く当てにならなくなっている。
蟋蟀の死骸が見えなくなって、深雪はやっと顔を挙げ、玄七郎と目を合わせた。
なぜか深雪は、にっこりと微笑み掛けた。
うん、と玄七郎は頷き「行こうか?」と促す。
深雪は素直に立ち上がる。
玄七郎は、深雪に「何をしている? 遅れるぞ!」などと、急かすことの無意味さを悟っていた。
深雪は、三歳の童女と同じに扱わなくてはならない。童女は大人がどんなに焦っても、焦れても、お構いなしだ。
外見は二十歳近くの、立派な大人だが、心の中は幼女といって良い。それなりに扱わないと、すぐ拗ねる。
肩を並べる深雪は、さっと手を伸ばし、玄七郎の手を握ってきた。
意外な行動に、驚いて玄七郎は、深雪の横顔を覗き込んだ。
深雪は何の屈託もなく、楽しそうにしている。玄七郎と目が合うと、尋ね掛けるように首を傾げた。
そうか……。
玄七郎は納得していた。
やはり深雪は、三歳の童女と同じなのだ。玄七郎を、完全に信頼し、庇護者として認めているのだろう。
歩き出した玄七郎に、冬吉が遠慮がちに話し掛けた。
「玄七郎殿。少々、相談が御座る」
「何だ、改まって」
「は」と冬吉は一つ頷くと、躊躇いがちに言葉を続けた。
「食糧が、乏しくなって参った」
「はあ?」
意外な冬吉の告白に、玄七郎は戸惑った。冬吉は、せかせかと話し続ける。
「日光に向かう旅の途中、まさかのことを考えて、拙者、数日分の食糧を用意しておりました。が……、それが底を尽き掛けて参ったので御座る。今日一日を過ごせば、明日はもう、食糧は御座らん」
例幣使一行が壊滅して、玄七郎はどこにも宿泊せず、野宿を重ね、旅を続けた。
宿をとらなかったのは、用心のためである。例幣使が恐らく、黒須五十八の攻撃であろう奇妙な状態になったのを見て、もし、うかうかと宿に泊まったら、どのような新手の攻撃を受けるか心配だったのだ。
途中の飯屋なども一切、どこにも立ち寄らない。冬吉の用心である。何でも、「出された食事に、毒が入っているかもしれない」と冬吉は言うのである。
そこまで用心することもない、と玄七郎は思ったのだが。
当然、食糧は、冬吉が用意した「忍び兵糧」というものを摂る。忍者が携行する食糧だとかで、滋養に富んだものだったが、味はぎりぎり、我慢できなくもない、といった代物である。深雪は平気で、ぱくぱく食べていたが。
冬吉の表情には、目一杯、不安が浮かんでいた。玄七郎は肩を竦めた。
「しかたないだろう。こうなったら、神社仏閣に宿を頼むか、農家に訳を言って泊まらせて貰うか。金はあるから、何とかなるさ!」
「うーむ……」と冬吉は唸った。
玄七郎は冬吉の肩を、思い切り叩いてやった。
「心配すんなって! 当たって砕けろだ! 次の宿場で、飯としようや!」
渋い表情の冬吉を尻目に、玄七郎の足取りは軽い。
正直、冬吉の非常食には、ほとほとうんざりしていたのである。やっと、人間らしい食い物にありつけると、玄七郎は期待が膨らむのを、抑え切れなかったのだ。