一
日光例幣使とは、神君家康の命日に、日光東照宮で行われる儀式に、京都の公卿が参列するための行列である。京都から東照宮に奉幣を奉納する役目で、当然、幕府の公務であり、格式は高く、行列の前では土下座しなければならない。
従者として雑掌・用人・近習・番士・小頭・板元(料理人)・輿手廻り・跡手廻り(挟箱・長柄・沓持)・下部( 雑掌・用人・近習らに付く小者)。これに加えて、地下人である史生・衛士に付く従者として御幣櫃持・侍分。例幣使・史生・衛士という大所帯で、普通、五十人ほどの構成である。
が、何事も例外というのはあるもので、行列の荷物を運ぶため、例幣使に任命された公卿は、余分の人数を要求し、倍の人数に膨れ上がったこともあるそうだ。増えた人数分、役料として上乗せするためである。
さらに役得は、それだけに留まらない。幕府の公務であるから、通過する宿場から増えた分の人数に応じ、金を要求したり、通行の便宜を図るようにと、金額を上乗せした。
従って、途中の宿場の村々は、金を要求されるのでは戦々恐々としていたという。
途中、例幣使が駕籠をわざと揺すぶって、自ら地面に転げ落ち「無礼者! 例幣使であるぞ!」と村々を脅したことから、強請るという語源ができたという。
道々、冬吉から例幣使の知識を開陳され、玄七郎は憂鬱になった。
「それじゃ、強請り、たかりじゃねえか! よくもまあ、そんな行列、我慢できるな。途中の村の連中は、黙ってお通り下さいと、頭を下げるのか?」
「何しろ、御公儀のお役目で御座るからな。例幣使の一行には、大名でさえ、遠慮すると申します」
玄七郎は首を捻った。
「神君家康公と言ったな。その家康の霊を慰めるための儀式に参列する、と?」
冬吉は「何を当然な?」という顔つきになった。玄七郎は疑問を呈した。
「この江戸に、家康が存在したのか? 今の将軍は、江戸創立以来、ずーっと将軍位に就いているってえ、話じゃねえか。その間、代替わりはしてねえはずだぜ」
冬吉の口が、ポカンと開きっぱなしになった。両目が虚ろになり、玄七郎から視線が逸れる。
「おい、どうした?」
「はあ?」
声を掛けると、夢から覚めたようになり、玄七郎の顔に向き直る。
冬吉の様子を見て、玄七郎は、仮想現実接続装置取扱説明書にあった、注意書きを思い出していた。
世界設定と矛盾した質問をされると、仮想現実のNPCは対応しきれず、思考停止してしまうとあった。今の冬吉は、注意書きにあった、思考停止の状態に陥ったのだろう。
やれやれ……。と玄七郎は肩を竦めた。
やっぱり、ここは仮想現実だ。
妙な確信をしてしまった。
例幣使の一行は、日光例幣使街道という道筋を辿って、日光東照宮へ到る。
現実世界では、群馬県高崎市を起点として、栃木県太田市で壬生街道(日光西街道)と合流する国道二九三号線~一二一号線がそうだ。このルートは、現実世界でも、日光例幣使街道の名前が残っている。
大田宿で、玄七郎たちは、勅使一行と合流する。といっても、実際に勅使に面会して、「是非とも御一行に加わりたい」などと言上するのは不可能だ。身分が違いすぎる。
実際に行列に紛れ込む工作は、従者のそのまた小者と呼ばれる雑用係に、片岡外記から預かった手紙を差し出して可能になった。
手紙だけでなく、賄賂も必要である。
冬吉が差し出した賄賂を、村上嘉門と名乗った四十がらみの侍は、目にも止まらぬ素早さで懐に収める。どこといって特徴のない顔立ちで、肌には奇妙なぬめりがあった。
「冬吉と申すか? そちは中々、武芸巧者のようであるから、行列を守る役目に就くがよかろう。徒の者となるな」
京都の公卿に仕える侍らしく、口許を扇子で隠して小声で話す。言い終わると「ほほほほ!」と甲高い声で笑った。
「じゃが、そちは……」と、玄七郎を見て、思い切り顔を顰めた。
「その格好、何とかならぬのか?」
玄七郎は、いつもの花札を散らした、着流しである。髪の毛は蓬髪で、髷も結っていないので、とんと遊び人にしか見えない。
冬吉が弁護した。
「玄七郎殿は、遊客で御座るので、大目に見ていただきたい」
「遊客じゃと!」
嘉門は大袈裟に仰け反って見せた。
「拙者は、遊客なる者を見たのは、生まれて初めておじゃる!」
侍なのに「おじゃる」などと言うのは、公卿に仕えているからか? じろじろと、不躾に、玄七郎を穴の空くほど観察する。
むっとなった玄七郎は、僅かに遊客の気迫を投げつけてやった。
嘉門はぎくりとなって、慌てて玄七郎から目を逸らす。
「ま、良いでごじゃろう……。それより……」
庄屋屋敷の庭でぶらぶらと歩いている深雪に目をやる。勅使が宿泊するのは、一般の宿屋ではなく、地元の有力者が本陣として指定されている。
「あの女も、同行すると申すか?」
「何か、不都合でも?」
交渉には、冬吉が矢面に立っている。
雑事は完全に冬吉に任せ、相手が面倒なことを押し付けそうになったときにのみ、玄七郎は遊客の気迫で追っ払うという役回りである。
「伽に出すというのなら、別でおじゃるが……勅使様がお気に入られるか、どうか」
言いながら、好色そうな目付きになった。
江戸では美人の条件として、引き目、鉤鼻、瓜実顔となっている。有名なタレントで、似た顔を捜せば、女芸人の光浦靖子が近いか?
深雪は、江戸美人の条件からは、目が大きすぎ、顎が小さすぎ、鼻が低すぎと、大幅に外れている。
しかし遊客の影響から、典型的な江戸美人以外にも、江戸仮想現実の人間たちは、現代的な美人にも目を留めるようになっている。深雪をもし、現実世界に連れて来られれば、充分に美少女として通用する。
冬吉は嘉門の台詞に、明らかにむかっ腹を立てている。
玄七郎は、今度は本気を出して気迫を発してやった。
すぐさま、嘉門の顔から血の気が引き、ぶるぶるがたがたと、瘧のように震え出した。
「そのような呆けた台詞、二度と耳にしたくはありませぬな!」
きっぱりと冬吉が言い放つと、ばたりと嘉門は二人の前で這い蹲った。真っ青になった顔からは、炙られた焼き鳥のように、たらたらと脂汗が流れた。
「わ、判り申した……。二度と、二度と口にはせぬ!」
「では、行列に加わらせて頂き申す。よろしゅう御座るな?」
念を押した冬吉に、嘉門はがくがくと、激しく何度も頷いていた。




