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電脳隠密~漣玄七郎の才能~  作者: 万卜人
第四回 電脳大江戸怪異譚の巻
23/54

 深雪と名乗ったきり、少女は玄七郎はおろか、その場の全員から完全に関心をなくしたようだった。

 ぶつぶつと何か口の中で呟きながら、黒書院の凝った造りの装飾や、狩野派の襖絵などを、珍しそうに眺めている。

 玄七郎は無視され、どうして良いか判らず、ただ立ち尽くすだけだった。

「こいつあ……」

 いつの間にか、二郎三郎が隣に立っていた。腕組みをして、深雪をじっと眺めている。

「確か、将軍が修正プログラムを用意した、と言っていたな。とすると、この娘が、修正プログラムなのか?」

 二郎三郎の声に、深雪がくいっと顔を向けた。ぱっと目が輝き、出し抜けに、小走りに二郎三郎に近づいてゆく。

 二郎三郎の身に纏っている、伊呂波四十八文字が染め抜かれた着流しを、まじまじと見詰める。

 さっと腕を上げ、指先を着流しの柄に指差した。

「い! ろ! は! に! ほ! へ! と!」

 大声で読み上げる。

 深雪の奇行に、全員ぽかんと呆気に取られていた。

 読み上げるのに飽きたのか、深雪はくるっと明り取りの障子に向かって歩くと、からっと開け放った。

 黒書院から、江戸城の中庭が広がっている。

 深雪は窓に肘をつき、ぼんやりと外を眺めていた。鼻唄が聞こえている。

 玄七郎は二郎三郎を見やった。

「おい、あれがどうして、修正プログラムなんだ? ただの……いや、とんでもなくブッ跳んだ女の子じゃねえか?」

「いやいや」と二郎三郎は首を振った。

「人の姿を借りた、プログラムなんだろうな。今はただの女の子みたいだが、日光東照宮に行けば、本来の機能が働くのかもしれねえ。だから将軍があんたに、日光東照宮へ行けと命令したんだ。あの娘を連れてゆくのが、おめえさんの、役目なんだろう」

「俺の?」

 玄七郎は自分を指差した。思い切り顔を顰め、何度も首を振った。

「冗談じゃねえ! あんな女、何ができるって言うんだ?」

「何ができるか、それは東照宮に行ってみないと判らんぞ」

 二郎三郎は皮肉な笑みを浮かべた。

「あの娘……」

 深雪に視線をやると、言いかけた言葉が途中で途切れる。

 何だろうと、玄七郎も、二郎三郎の視線を追った。

 深雪が外を眺め、立ち上がっている。

 が、今は全身に緊張が溢れ、先ほどまでの、どこかぼんやりとした態度は、一欠片も存在しない。

 視線は、きりっと空を見上げていた。

「おい、どうした?」

 玄七郎は深雪に近づいた。深雪が見上げている空を見上げる。

 変哲もない、青空が広がっている。春霞というのだろうか、全体に薄い雲が広がり、日差しは柔らかい。

 いつの間にか、釣られたように、他の遊客たちも、深雪の側に集まっていた。深雪が身動きもせず、空を見上げているので、必然的に視線を追った。

 玄七郎は息を呑んだ。

 空の一角に、むくむくと黒雲が湧き上がって、一面を覆ってゆく。

 変化は突然で、早回しを掛けたように、あっという間に、黒雲が江戸城の上空を包んでいた。

 渇っ!

 眩い雷光が空間を切り裂いた。即座に、がらがら、ぴしゃーんっ、と雷鳴が轟く。

 轟──っ、と生暖かい風が、黒書院の中に吹き込んだ。


 ぐわらぐわら……!

 どうどうどう……!


 雷鳴は一瞬の休止もなく、轟いている。

 明らかな異変に、その場にいた全員、言葉もなく佇んでいる。

 一人、深雪だけが、空を見上げ、厳しい表情を保っていた。

「あれは──」

 一人の遊客が空を指差した。

 空に、人影が浮かんだ。

 半裸の姿に、手には両刃の剣を翳している。足下には雲が棚引き、足の裏には車輪のようなものが、激しく回転していた。どうやら、回転する車輪に乗って、空を飛んでいるらしい。

 姿形は童子であるが、どことなく異国風の出で立ちであった。

「護法童子様じゃ……!」

 先ほどの遊客が声を上げた。


 わははははは──。


 護法童子は、空中をすーっ、と斜めに降りてきて、上空に浮かんだまま真っ赤な口を開けて哄笑した。


 ──江戸仮想現実の滅びは近いぞ! 命が惜しくば、とつ、江戸より立ち去るべし!


 わはははは──と哄笑を上げながら、護法童子は自由自在に飛び回る。背後では雷鳴と、稲光が交錯し、おどろおどろしい。

「野郎……。ふざけやがって!」

 二郎三郎が毒づいた。

 くるっと全員に振り向き、叫んだ。

「あいつが、日光東照宮にウイルス・プログラムを感染させた犯人だっ! 俺たちを脅して、立ち退きを迫るつもりだ! 俺たちの江戸に、あんな存在を許すつもりかっ?」

 二郎三郎の言葉に、全員はっと目が覚めたような表情になった。

 玄七郎は深雪を見た。

 総ては深雪が察知したことに始まっている。

 す──、と深雪が細い腕を挙げ、人差し指と、中指をぴん! と揃え、飛翔を続ける護法童子に狙いをつけた。

「怨敵退散っ!」

 凛とした声音で叫ぶ。

「立ち去るのは、お前ぞ!」

 目に見えない何かが、深雪の指先から迸ったかのようだった。

 ぐらっ、と護法童子が高度を下げる。


 ──おのれ!


 見る見る護法童子の顔が怒りに歪んだ。

 剣を構え、指先を揃える深雪に襲い掛かる態勢をとる。

 が、深雪から(ほとばし)る力は、護法童子を押し返していた。

 びゅうびゅうと、護法童子の全身を、突風が迎え撃った。


 ──ぐぐぐぐっ!


 強烈な風圧が、護法童子の全身をがっちりと掴んでいた。精一杯の力で進もうとするのだが、強引に押し戻される。

 いや、それだけではなかった。

 遂に護法童子は、襲い掛かる強風に、ついに吹き飛ばされてしまった。


 ──おのれ──っ!


 護法童子の喚き声が小さく聞こえ、あっという間に姿が掻き消える。

 強風は、江戸城を覆う黒雲も吹き飛ばしていた。まさに、春一番であった。

 どた! と音がして、気がつくと深雪が倒れていた。

「おい……」

 玄七郎は膝まづいて、深雪の様子を確かめる。二郎三郎も反対側に寄ってきた。

「どうだえ?」

 玄七郎は二郎三郎に頷いて見せた。

「大丈夫だ。眠っているだけだ」

「そうかえ?」

 深雪は微かに寝息を立てている。寝顔は、歳相応で、無邪気そのものだ。

 玄七郎と二郎三郎は顔を見合わせ、なぜか「ぷっ」と噴き出していた。

 安堵が全員に行き渡る。

 その中、玄七郎は気懸かりがあった。

 あの護法童子の顔。

 なぜか、見覚えがある。

 怒りに歪んだ顔は──。

 黒須五十八そのものだった。

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