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電脳隠密~漣玄七郎の才能~  作者: 万卜人
第四回 電脳大江戸怪異譚の巻
20/54

「関東取締出役、大黒(おおぐろ)億十郎で御座る」

 名乗った相手は、身長六尺、体重は三十貫はありそうな巨体の男だった。

 年齢は三十前で、まだ若そうだが、ずっしりと座った姿勢は、相当に剣の修行を重ねていそうだ。

「漣玄七郎。よろしく!」

 玄七郎は、気圧されるのを感じ、わざと素っ気無い挨拶を返した。億十郎と名乗った侍は、玄七郎のぶっきら棒な態度にも、まるで動じる気配もなく、微かに頭を下げるだけだった。

 上座に座った片岡外記は、扇子を一本、ひょいと膝に立て、口を開いた。

「玄七郎の報告で、草加方面に何やら怪しい金の流れがありそうで、八州廻りに探索を頼んだのじゃ。億十郎。何やら報告があるそうじゃの?」

 億十郎は頷くと、真剣な表情になった。

「外記様の御依頼による探索は無論で御座るが、もっと気懸かりな報告が御座る」

「ほう」と外記は関心を示した。

 身を乗り出し、話を聞く姿勢を取る。

「何じゃな、気懸かりとは?」

「凶作の予想で御座る」

 短く答えた億十郎の言葉に、外記が凍りついた。同席していた冬吉も顔を挙げ、両目を一杯に見開いている。

「凶……作じゃと……。まことか?」

 それまで余裕たっぷりの態度は、外記から完全に消えていた。今は、為政者としての、厳しい顔が現われている。

 冬吉が眉を顰めた。

「そのような報告、まだ御公儀には届いておらぬ。信じられぬ!」

 冬吉の言葉に、外記も「うむ」と重々しく頷いた。

「凶作となれば、由々しき事態。そういえば、今年は春が遅く、二月になっても霜の降りる日が何日か続いたが……。しかし、関八州はおろか、他の地方からは、まだそのような報告は上がってはおらんぞ!」

 億十郎は懐に手を入れ、紙包みを取り出した。包みを(うやうや)しく、外記の膝元へ滑らせる。

「それを、ご(ろう)じて頂きたい」

 紙包みを取り上げ、開いた外記の顔色が変わった。文字通り、蒼白になったのである。

「これは!」

 開いた紙包みには、笹が一本。しかし、笹には花が咲いていた。

「笹に花が咲き申した。これを、何と解き申すか?」

 外記と冬吉の顔には、たらたらと大量の汗が噴き出していた。特に冬吉は酷く、唇は真一文字に引き結び、眉間には深々と皺が刻まれていた。

 玄七郎は、一人だけ置き去りにされた気分である。

「笹に花が咲いたくらいで、何を驚いているんだ?」

 冬吉は、きっと玄七郎を睨みつけた。

「花が咲いたくらい……と申したな! 冗談ではない! 昔から言われておる。笹に実がなる年は、大飢饉であると……! これは、凶作の予兆なのだ!」

 億十郎も頷いた。

「左様。笹には七十年、百年に一度、花が咲き、実がなる時があると古くから言われておる。その時こそ、未曾有の飢饉があると、これもまた、古くから言い伝えで御座る。拙者は関八州を見回る途中、偶然にこれを見つけ申した。付近の百姓に話を聞いたので御座るが、まだ誰も気付いてはおらぬとの、話であった。が、拙者の見るところ、本当は百姓は、とっくに気付いておるのでは。口に出すのが恐ろしく、知らぬ存ぜぬを通していると見申したが……」

 外記は腕組みをして、考え込んだ。表情が暗くなっている。

「儂もそう思う。百姓どもは、雨が降らぬと言っては心配し、雨が降ったら降ったで、量が多いと、また心配する。毎日の天気にびくびく怯える百姓たちが、このような大事を知らぬはずがあろうか! あまりに恐ろしく、口にするのさえ(はばか)っておるのじゃろう」

 笹に花が咲く現象と凶作とは、因果関係は判然としない。

 考えられるのは、気候の変動に加え、笹に実がなると、実を食らう小動物が増加し、食物連鎖の均衡が崩れる。それが巡り巡って、凶作に繋がる可能性があるのではないか?

 古い言い伝えには、一面の真実が隠されているものである。

「さらに!」と億十郎は声を張り上げた。

 外記は顔を億十郎に向け、眉を持ち上げる。

「まだ、あるのか?」

 億十郎は頷いた。

「浅間山噴火の予兆で御座る」

「えっ?」と、外記と冬吉は、虚を突かれたような表情になる。あまりに意外な報告に、どう対応すべきか、戸惑っている。

「昨年から今年にかけ、浅間山において、時折ちらほら噴煙が見ゆ、との報告が御座る。さらに小さな地震が、頻発して御座る。拙者は調べたので御座るが、天明年間に出来した浅間山噴火の前兆と、似て御座った」

「うーむ」

 外記は唸って、首を傾げた。

「妙じゃ。平仄(ひょうそく)が合いすぎる」

 冬吉は外記の顔を、まじまじと見詰めた。

「平仄が合いすぎるとは、どのような意味で御座いましょう?」

 ちら、と外記は上目遣いになった。

「〝溢れ金〟を調べる話が、思いもかけぬ凶作の予兆。さらには、浅間山の噴火と繋がるとは、いささか妙と思ったのじゃ」

 玄七郎は、億十郎を見やった。億十郎の顔に、薄っすらと赤みが上る。

「拙者が(かた)りをと、仰せで?」

 外記は手を振った。

「違う! 拙者の考えでは、一連の事象には、何やら黒幕がおるように思えるのじゃ。続けざますぎ、却って怪しい」

 冬吉がポカンと口を開けた。

「凶作に、浅間山噴火が、人の計らいと申されるので?」

 外記は頷き、玄七郎に顔を向け、意味ありげな視線になった。

「左様。この世の外から、何かの意思を感じてならぬ……」

 外記の口調に、玄七郎はぐっと奥歯を噛みしめ、大声で叫びたくなるのを堪えていた。

 つまりは、現実世界からの干渉がある、と外記は言いたいのだ。現実世界から江戸仮想現実を制御するプログラムに手を加えれば、凶作や、浅間山噴火を引き起こすのは、可能である。

 外記の推測が正しいとすれば、いったい誰が、何の目的で?

 玄七郎は〝ロスト〟した遊客である。

 他の遊客は、江戸に変事があれば、簡単に現実世界へ逃げ出せる。しかし玄七郎には、絶対不可能だ。何が何でも、江戸仮想現実で生き抜かねばならぬ、定めである。

 糞っ!

 負けて堪るか!

 心中、玄七郎は密かに闘志を燃やしていた。

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