一
御庭番の冬吉は、玄七郎の配下になったのだそうだ。だが、それは表向きで、本当の理由は玄七郎の手綱を取る、監視役だろう。
この辺りの身分感覚は、玄七郎には理解しがたい。何しろ十八歳で〝ロスト〟しているから、普通の社会人経験が一切ないのだ。
しかし玄七郎が遊客なので、自動的に冬吉が配下となるらしい。想像するに、玄七郎が若いキャリア官僚で、冬吉は実務経験が豊富な、ノンキャリアかもしれない。
江戸仮想現実において、遊客は、侍の上に立つのが決まりなのだそうだ。
「お頭、これから、いかが致しましょう?」
冬吉は、玄七郎の隣に並んで歩きながら、話し掛けた。玄七郎は忍び装束から、花札の柄を散らした着流し姿である。
花冷えというやつだろうか。そろそろ弥生三月も半ばというのに、朝晩は霜が降りそうな寒さで、玄七郎は襟巻きをして、顎まで半ば隠して歩いていた。
冬吉は筒袖に、伊賀袴という出で立ちで、髷は茶筅に結っている。
本来の江戸では、茶筅髷は風紀を乱すとして、江戸初期に実質上は禁じられているが、こちらの江戸仮想現実では、ごく普通の髷として認知されている。
のしのしと大股で歩く姿は、武者修行の武芸者といった風体である。
「どうする……ったって、俺は隠密なりたて。捜査のイロハは、何にも知らねえからな! あんたは外記の旦那と長いから、何か聞いているんじゃないのか?」
冬吉は、玄七郎の言葉に、僅かに顔を顰めた。片桐外記を呼び捨てにされるのが、面白くないに違いない。
しかし、よくよく言い聞かされているらしく、玄七郎の言動にも、ぐっと感情を堪えて、平然とした表情を保っている。
「左様……。外記様の仰るには、贋金……。おっと! 金の含有量が同じなので、贋金とは申せませぬな。〝溢れ金〟と申しましょうか……。その〝溢れ金〟で御座いますが、関八州のあちこちで、無宿、流れ者などが開く賭場に多く出回っているように思えます。〝溢れ金〟を作っている相手は、まずそういった場所から、出回らせるつもりで御座ろう」
玄七郎は一つ頷いた。
「そうか……。公的な場所に小判を持ち込むと目立つからな。裏金として密かに流通させれば、幕府が気がつく頃には、すでに手遅れになっているという寸法か……」
まるでゴキブリだ、と玄七郎は思った。一匹目にしたら、陰には三十匹が隠れているという。その伝で行くと〝溢れ金〟は、裏社会にどれほど出回っているのか?
玄七郎は、意外な自分の気持ちに戸惑った。いつの間にか、自分は、この仕事を楽しみ始めている。
片岡外記が危惧する、江戸の経済混乱など、知ったことではない。が、今までふらふらと、目標のないまま、当てのない生活を続けていたのが、目当てができた現在は、違っている。
ぎりぎりと引き絞られた矢のように、まっしぐらに突き進みたい衝動が、身の奥から湧き上がってくるのだ。
「ふん。それじゃ、〝溢れ金〟がどれほど出回っているか、確かめてみるか!」
玄七郎の言葉に、冬吉は首を傾げた。
「どう、なさる御つもりで?」
「決まってらあ! 賭場に顔を出してみるのよ! 俺は、賭け事は一切しねえ。だが、流れ者、無宿が集まる場所は知っている。内藤新宿に、小さな賭場が開かれているはずだ」
冬吉は大いに頷いた。
「その賭場なら、知っており申す。確か、胴元は、弁天丸と申す、若い悪党で御座るな。玄七郎殿は、弁天丸の名を御存知で?」
同意しようと玄七郎は頷きかけ、ふと思い返した。
「が……。まずいな……。俺が知っているということは、相手も俺を知っているはずだが……? 何しろ、弁天丸の野郎とは、江戸城に忍び込む前日まで顔を合わせていたんだ」
冬吉は開けっ広げな笑顔になった。
「それなら心配は御座らん! 実は貴殿に、まだ知らせておらぬ、ある秘策が御座る。以前の悪党仲間に出会っても、玄七郎殿は、何の心配も要らぬので、御座るよ!」
玄七郎は立ち止まり、しげしげと冬吉の四角い顔を眺めた。
「俺に変装でもしろ、って言うのか?」
冬吉は肩を竦めた。
「いいや、そのような小細工、長持ちはいたしませぬ。もっと、効果的な方策で御座る。ま、玄七郎殿は、何もする必要はなく、どっしりと構えておればよろしい」
玄七郎は、冬吉の自信ありげな顔つきを眺めているだけだった。いったい、冬吉の自信はどこから来るのか?




