二
宙を飛ぶ十字手裏剣を、玄七郎はぎりぎりで躱し、地面を走った。
十字手裏剣では、本来は人体に致命傷は与えられない。回転して飛ばすため、モーメントが変化し、浅い傷をつけるのがせいぜいである。
十字手裏剣の本来の使い方は、忍者が追っ手に対し、注意をよそに逸らすのが目的である。手裏剣の使い方としては、刃先に毒を塗る、あるいは屋敷への潜入時に、工具代わりに、釘を抜く、板戸を外すなどの使われ方などである。
だが遊客並みの力が加わると、話は違ってくる。
ぶーん……と空中を唸りを上げ、飛来する十字手裏剣には、必殺の攻撃力が加わっていた。
ぐさっ、と手裏剣が、立ち木に深々と突き刺さる。もし、これが人間なら、骨を砕き、内臓まで達する致命傷になっていた。
伊賀組、甲賀組、根来組忍者には、絶対に無理な芸当だ。御庭番にしか、できない技である。
ひらひらと、体重が無になったように、忍者たちは屋根から地面に飛び降りた。そのまま、全速力で走る玄七郎の周囲を取り囲む。
お互い、無音のまま、走り続ける。
右手から、忍者が一人、刀を振り被り、斬りかかった。しゅんっ! と、刀身が空気を切り裂く音が聞こえる。
玄七郎も、自分の武器を手に取った。
自分の武器は、ただの棍である。ただし、途中で二箇所、鎖で繋がれていて、三本の棒が一本になっている。
三節棍と呼ばれる武器だ。一本の棒は一尺ほどで、鎖で繋がれているので、折り畳めば小さくなって、携行に便利である。
勢いをつけ振り回せば、長さ三尺の、一本の棒となり、強い打撃力を持つ武器となる。自由に動かしたまま振り回せば、くねくねと動いて、相手の予想もつかない角度から振り下ろせる。
玄七郎は三節棍をぶんぶんと振り回し、取り囲む忍者に向けて攻撃を加える。
恐らく玄七郎の揮う、三節棍についての知識がないに違いない。御庭番たちは、完全に戸惑った様子を見せた。
かん、かん! と闇の中、刀身と棍棒が触れ合い、乾いた音を響かせる。
三節棍は、一本の棒になったり、三本の棒となったり、長さが目まぐるしく変化する。忍者たちは間合いが取れず、明らかに狼狽えていた。
打ち合う音に、ようやく番士たちも、侵入者の存在に気付いたようだ。
「曲者ぞーっ!」「出会え、出会えーっ!」「明かりを持って来よ!」
ばたばたと足音が近づき、闇の中に篝火が焚かれる。提灯に火が入れられ、番士たちが集まってきた。龕灯の筒先が、さっと闇に沈んだ玄七郎に集中した。
それまで暗視モードにしていた玄七郎は、眩しさに通常の視覚に戻した。
糞っ! と玄七郎は歯噛みし、取り囲む追っ手たちを睨み据えた。
怒りの感情が爆発する!
俺は遊客だ!
途端に、取り囲む番士たちは、一斉に怯えの表情を顕わにした。
玄七郎の発する気迫によるものだ。
これが遊客独特の気迫で、遊客ではないNPCには対抗できない。番士たちの持つ明かりが、ぐらぐらと自信喪失したように、一斉に揺らいだ。
しかし御庭番は別だった。遊客の気迫に怯む様子もなく、じりじりと包囲の輪を狭めてきた。
御庭番は、江戸城を守るため特別に存在するNPCで、体力、反射速度ともに遊客に匹敵し、遊客の発する気迫にも耐えられる。
玄七郎は明かりから背を向け、一散に走り出す。番士たちには、玄七郎の素早い動きに従いては行けない。
全速力になった玄七郎を追い掛け、御庭番たちが再び追跡を開始した。
相変わらず、御庭番は無言である。
とーん、と玄七郎は跳躍した。一気に、数丈の高さに飛び上がる。屋根に着地し、玄七郎はそのまま、駈け続ける。
御庭番がいくら特別とはいえ、遊客の筋力には匹敵しない。御庭番の動きが、僅かではあるが、玄七郎から遅れる!
やった!
玄七郎は追跡を振り切ったと確信した。
が、それは一瞬の勝利感であった。
御庭番たちは塀に取り付き、人梯子を作ったのである。人梯子を伝って、一人が駆け上がった。
人梯子の先端に構えた御庭番が、駆け上がった仲間の身体を掴み、協力し合って投げ上げた。空中に飛び上がった御庭番は、ふわりと跳躍して屋根に着地する。
玄七郎は自分の位置を確かめた。何とか相手を振り切りたい。
天守台を背後に見る位置で、目の前には大奥、中奥が連なっている。
大奥、中奥には、騒ぎを聞きつけたのか、あちこちに篝火が焚かれ、人が動いている。
背後を見ると、屋根に登った御庭番が、急速に接近してくる。月明かりに、覆面に覆われていない部分の、目鼻立ちが、はっきりと見える。
ぐわっと見開かれた大きな両目、眉毛は太く、瞬きもせず、玄七郎を睨みつける。
「曲者……大人しく縛につけばよし、手向かえすれば、斬り捨てる!」
覆面のため、くぐもった声が聞こえてきた。
玄七郎は御庭番に向き合い、三節棍を構えた。御庭番の目尻に、笑い皺が浮かぶ。
「若い。若いのう……何故の潜入かな? 目的は物盗とりか? それとも、大樹公の暗殺であるか?」
余裕たっぷりの口調である。どうやら、相手は玄七郎より、十歳ばかり年上らしい。
「うるせえ……っ!」
玄七郎は、かっとなって、武器を構えて飛び掛った。
がきーんっ! と玄七郎の振り上げた三節棍を、相手の刀が受け止めた。受け止めたのは、三節棍の真ん中である。
しめたっ!
三本ある棒のうち、先端部分がくるりと回転し、受け止めた刀を掴む腕を打ち据える。
うわっ! と叫び声を上げ、御庭番は掴んだ柄を離した。がらがらと音を立て、取りこぼした刀が屋根瓦を転がってゆく。
打たれた箇所を押さえ、御庭番は怒りの視線を向けてきた。玄七郎は攻撃の手を緩めない。両手で三節棍を掴んで、ぐるぐると輪を描いて振り回す。
ぶんぶんと唸りを上げ、三節棍を身体の両側に盾のように振り回しながら、玄七郎はじりじりと御庭番に接近した。
御庭番は、懐から何かを取り出した。勢いをつけ、足元の瓦に叩きつける。
ぱっ! と、閃光が目の前に爆発した。
「わあっ!」
玄七郎は、がらんと三節棍を取り落とし、両目を手の平で覆った。出し抜けの閃光に、玄七郎は完全に目が眩んでいた。突然の閃光は、痛みすら伴っている。
バランスを崩した玄七郎の足下が崩れ、足を滑らせる。がらがらっと音を立て、玄七郎の身体は滑ってゆく。
必死に手を弄り、玄七郎は滑降を止めるため手懸りを探る。が、必死の奮闘も虚しく、玄七郎は屋根から落下していった。
空中に身体が浮かび、玄七郎はくるりと回転して、姿勢を整える。足の裏が地面を感じ、膝が柔らかく着地の衝撃を受け止めた。
まるで猫のように、玄七郎は怪我一つなく、着地していた。
逃げようと立ち上がった瞬間、玄七郎は身動きが取れなくなっていた。
全身が何かに絡まっている。
網である。細かい網目が、玄七郎の全身をすっぽりと包んでいた。網の上から、細い縄が打たれるのを感じる。きりきりと縄目は閉まり、玄七郎は縛られてしまっていた。
ひたひたと足音が近づく。足音が止まり、声が聞こえてきた。
「お主は遊客であろう。遊客にして盗賊とは、いったい、何がそうさせた?」
玄七郎は薄目を開けた。網目越しに、こちらを覗き込んでくる、御庭番の顔があった。
厳つい、角ばった顎。ぎょろりと剥き出した両目。いかにも修行を積んだ、歴戦の勇士らしき顔つきだが、表情は柔和である。
「殺せっ!」
玄七郎は捨て鉢に叫んでいた。〝ロスト〟してからというもの、一切の希望を喪失していた玄七郎にとって、いつ殺されても良いという気分になっていた。
御庭番はニッタリと笑いを浮かべた。
「よしよし……。まあ、焦らなくとも良いわ! いずれ、お主には処分が下る。その時に、またお目に掛かろうぞ!」
背を向け、御庭番は去っていった。
「立て! 曲者!」
番士が横柄に命令し、ぐいっと玄七郎の身体を縛り上げた縄を引っ張る。
玄七郎は怒りの視線を番士に向けた。番士の顔が驚愕に歪み、手にした縄がぱらりと落ちた。玄七郎の発した気迫である。
「ああ、遊客を引っ立てるのは、我ら御庭番にしかできぬ道理よ。済まん!」
数人の御庭番が近づき、番士から縄を受け取った。ぐっと引っ張られ、玄七郎はよたよたと歩き出す。
これから、どうなるのか?
不安が玄七郎の胸に込み上げた。




