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プレアデスの鎖を解け  作者: 湊波
EP4:SIO2 貴方が残した感情の名前
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# Memory-2

 見え透いた誘いだった。それでもエドナは抵抗できず、カディルに手を引かれるまま歩き出す。


 閑散かんさんとした屋敷の廊下は、場違いなほど明るい陽光に照らされていた。その廊下を抜け、見知らぬ扉をいくつかくぐる。階段はなかったから、地上であるのは間違いない。だというのに、最後の扉を抜けた瞬間、夜を迎えたような闇が押し寄せてきた。


 強烈な寒さと血の臭いに、エドナは思わず身震いする。カディルがエドナから手を離した。黒衣に身を包んだおきなの姿は見えなくなるが、間をおかずして部屋を囲うように燭台しょくだいの炎が灯る。


 床一面には、紅色の魔法陣が描かれていた。


「あぁ、お姉ちゃん!」


 陣の中心に立って、妹が白銀の髪を揺らして微笑んだ。腕の中には安らかに眠る赤子を抱えている。妹は真っ白なワンピースを着ていて、その裾が血で濡れてさえいなければ、幸せそうな母子の姿に見えなくもない。


「嬉しい。お姉ちゃんも来てくれたのね」

「貴女……何しようとしてるの……?」

「もうお姉ちゃんったら。魔術に決まってるじゃない」


 妹は照れくさそうに微笑んだ。


「ほら、私はお姉ちゃんみたいに魔術の力が強くないでしょ? でもね、代償を捧げて悪魔に願えば、強い魔術師になれるのよ。ねぇ、そうでしょう、カディル様?」

「そうだとも」カディルはことさら優しく頷いた。「安心おし、ミカよ。君が悪魔を喚べば、わしがその体に悪魔をつないでみせよう。さすれば君も、良き魔術師になるだろうて」

「待ちなさいよ」


 エドナはたまらず声を上げた。妹とカディル、両方の不思議そうな視線が突き刺さる。


「どうしたの、お姉ちゃん」

「どうしたもこうしたもないでしょう」エドナは震える言葉を吐いた。「あなた達がやろうとしてるのは、悪魔と人間を混ぜる魔術でしょう? それはまだ完成していないはずだわ」

「まぁ、嬉しい! お姉ちゃん、私のことを心配してくれるのね! でも大丈夫よ。今度は絶対に上手くいくって、カディル様が約束してくれたもの」

「約束なんて! 口ではどうとだって言えるのよ?」

「安心したまえ、エドナや」カディルが絡みつくような声で口を挟んだ。「なるほど、たしかにこれまでは失敗してきた。それを成功させたいがために、君に協力を依頼したのだからね。だが、確実な方法を待っているだけでは魔術は発展しえないのだ。だからこそ、試行錯誤の地道な努力を重ね、今回の方法論を編み出したのだよ」

「……一度だって成功したことのない方法論だわ」

「大丈夫よ、お姉ちゃん。私が成功させるわ」


 妹が美しく笑う。カディルは慈愛に満ちた目で頷く。吐き気がするような光景にエドナが思わずよろめいたところで、床に引かれた魔法陣に紅の光が灯った。


 歌うような詠唱が流れ始める。空気がざわつくのをエドナは肌で感じた。風もないのに炎が揺れ、赤子を抱く妹の影が大きく歪む。


 悪魔が姿をあらわそうとしている。それを直感し、エドナはしかし呆然と見ることしかできない。


 もしかすると、本当に魔術は成功するのかもしれない。彼女の生来の好奇心が、再び頭をもたげた。だとすれば、これはまたとない機会だ。どうして止める必要があるだろう。なにより、妹もカディルも同意の上で魔術を行使するのだ。ならばわざわざ、これを阻止するなんて。


 火が付いたように赤子が泣き始めたのは、微笑を浮かべた妹が片手で短剣を握った時だった。


 彼女は刃を掲げ、その切っ先を赤子に向けている。


 魔法陣から吹き出す紅が緋色ひいろに変わった。この世ならざる何かが顕現けんげんしようと空気を揺らす。


 カディルは恍惚こうこつとした表情を浮かべていた。成功を確信しているようでもあった。そして事実、エドナもこの魔術は成功するだろうと直感して。


 彼女は、自分でも気づかぬままに小瓶を取り出し魔術を紡ぐ。


『戦乙女の手枕 死神の鎌 祝福なき者を斬り伏せよ』


 手の中で小瓶が砕けた。


 漆黒のドレスをまとった骸骨が顕現する。

 それは虚を突かれたような顔をするカディルの横をすり抜ける。それは魔法陣を越え、甲高い笑い声を上げながら大鎌を振り上げる。そしてそれは、一切の迷いなく妹の背中へ刃を突き立てる。


 詠唱がぶつと途切れ、刃の代わりに鮮血が赤子にかかった。


「お、ねえちゃん……?」床に倒れ込んだ妹がぎこちなく首を動かし、信じられないと言わんばかりの顔をする。「な、んで……? 嘘……お姉ちゃんは、こんなことをする人じゃ、なかっ……」


 か細い声は、野獣のような唸り声でかき消された。魔法陣に亀裂が入り、緋色が激しく明滅する。空気がびりびりと痛いほどに揺れた。悪魔が来る。制御を失った悪魔が。


 エドナは弾かれたように走り出した。カディルが鬼のような形相で何かを叫んでいる。それを無視して、緋色で埋め尽くされる魔法陣に飛び込んだ。


 妹の骸の隣で、赤子はうるさいくらいに泣きわめいていた。そこに何かがまとわりついているのも見えた。けれど考えるのも億劫で、まとわりついた何かごと赤子を取り上げる。


 小瓶を取り出し、エドナは転移のための呪文を怒鳴った。空気が歪む。音がねじれる。髪留めが砕け、ばらけた金髪が頬を打った。その中で赤子を失わぬよう、エドナは抱きしめて身を折る。


 そして全ては、唐突に終わった。


 ひやりとした空気が頬を撫でた。次いで、エドナの耳が靴音と扉の開く音を拾う。


「な、なんだ。みょ、妙な物音がすると思えば、君か」


 どもりがちな声音に、エドナはそろりと目を開けた。身体を起こして顔を上げれば、祭祀服カソックの男がじっとこちらを見下ろしている。既に日が沈んでいるらしく、その手には蝋燭の灯された燭台があった。


 だとすればここは教会なのだろう。エドナがぼんやりと思ったところで、ヴィンスが再び口を開いた。


「ど、どうにも怪我をしているようだが、何かあったのか」

「なにか、なんて」


 なんて、無粋な質問だろう。そこは何も聞かずに手当をするべきところだ。いつものとおりの文句が浮かび、けれどそれは、さして心にも残らず消えていく。


 ひどい虚無感に襲われて、エドナは項垂うなだれた。腕の中で、赤子が眠っている。それがしかし、喜ばしいことだとは思えなかった。むしろ疑問しかない。どうして自分は、この子供を助けたのだろう? どうして、魔術を中断させた?


 お姉ちゃんは、こんなことをする人じゃない。死の間際の妹の声が、耳朶を打つ。


 流れ落ちた金髪に顔を隠したまま、エドナは耐えきれずに呟いた。


「……私は、変わってしまったでしょう」

「? そ、そうは思わないが」

「嘘よ」エドナは顔を上げ、しつこく食い下がった。「だってそうでなければ、こんなことになんかならなかった」


 ヴィンスが顎に手を当て、首を傾けた。そうしてしばしの沈黙の後、「あぁ分かったぞ」と納得したような声を上げて教会の中に引っ込む。


 遠ざかる足音に、エドナは不意に惨めな気持ちになった。そこに至ってようやく、自分は変わっていないと言って欲しかったのだと気付く。馬鹿らしかった。馬鹿らしくて、笑える。


「こ、これだろう」


 ヴィンスの得意げな声が降ってきた。のろのろと顔を上げたエドナは、彼の手の上に載せられた物を見て目を丸くする。


「か、髪留めだ」黒髪の隙間から深緑色モスグリーンの目を輝かせて、ヴィンスが言う。「き、君はいつも、髪をまとめているだろう。ど、どこか違うと思ったら、こんなところとはな」


 ほら、つけてあげよう。上機嫌に付け足して、ヴィンスがエドナの背後に回る。地面に膝をついた彼は、相変わらずの不器用な手付きで髪をまとめ、髪留めで止めた。やはり下手糞だった。顔をうつむければ、髪がすぐに解けてしまいそうな程度には。


 それでも神父は真面目くさった顔で「い、いい出来だな」などと呟いている。


「……馬鹿ね」エドナは呆然と言った。「馬鹿だわ。私が話しているのは、そういうことじゃないのに」

「そ、そうなのか?」

「そうよ。もっと内面とか、そういうことを話してるの」

「そ、それなら微塵みじんも変わっていないだろう。き、君はいつだって君の好きなようにしか行動しない」


 ヴィンスが実に迷惑そうな顔で言う。それに今度こそエドナは呆気にとられ、やがて笑った。


「そうね、そうかもしれないわ……神父様ほどではないにせよね」

「お、俺はプレアデス機関の導きに従うのみだ。な、悩むのならば君にも紹介するが」

「いいえ、結構よ。それよりも、貴方の方がよっぽど信じられるもの」


 目の前のヴィンスが曖昧な表情で頷く。あぁこれは絶対に分かっていない。エドナは即座に見抜いたが、以前ほど不快には思わなかった。


 胸元で赤子がむずがる。とりあえず中に入れてくれないかしら、とエドナは気の利かない男に声をかけた。




 *****




「アイシャちゃん……!」


 鋭い声に、アイシャはぱっと目を開けた。

 真っ先に飛び込んできたのは、心配そうな顔をしたヒルだった。その後ろには天井。背中にはベッドのシーツがある。


「あぁよかった……!」ヒルがそばかすの浮かぶ顔を緩めた。「いきなり倒れるから、どうしたのかと思ったよ。大丈夫だったかい? やっぱり、色々と無理をしてたんじゃ……」

「ヒル、先生……」

「うん、どうしたんだい?」

「……先生、どうしよう、私……」


 先程見たばかりのエドナの記憶が蘇り、アイシャは言葉をつまらせた。暗かった。怖かった。おぞましくもあった。最後にはエドナは救いを見たようだった。それは喜ばしい。けれど。


 アイシャはくしゃりと顔を歪めた。


「……わたし、やっぱり、要らない子なんですにゃ……」


 だって彼女の記憶に、自分がいなければならない場所なんて、どこにもなかった。






 *****





 暗闇に、パソコンの画面モニタが光を吐き出す。


 そこに浮かぶのは、巨大な歯車を組み合わせた装置だ。時計台の人工知能はしかし、今は沈黙している。当然のことだ。プレアデス機関は、問われない限り答えを述べることはない。そこが唯一にして最大の良いところであると、守り人は考えている。


 そして守り人の視線は今、パソコンに映されたもう一つの画面に注がれていた。黒の背景に白のフォントで文字がつづられる。


 プレアデス機関のアクセス記録だった。そこに覚えのない記録がある。


 守り人は眉を潜めた。何者かがプレアデスに侵入を試みたのは明白だ。幸いにして、プレアデスのかなめには触れていない――あそこはパスワードがあるのだから当然だ――ようだが、幾つかの機密レベルが低い情報に触れた形跡がある。


 ならば、侵入者はどこまでの情報を得たのか。そもそも、侵入したのは何者だ。候補は容易に浮かび、守り人は椅子を軋ませて、うんざりしたように呟いた。


「……対処するしかないか」

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