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プレアデスの鎖を解け  作者: 湊波
EP3 : Al2O3 ただ、君を想う
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4-3. 俺は今機嫌が良くなくてね

 浅く息を吐きながら、ラナは涙で滲む目をなんとか短剣の方に向けた。脇腹近くの床に突き立った刃は冷たい銀の輝きを放っている。服は裂けていたが、血は出ていなかった。だというのに、刃が皮膚を掠めていく度に肉を切るような激痛がラナを襲う。


 一体どういうことなのか。そんな彼女の疑問を読んだように、エドが顔を寄せて囁く。


「この短剣は、痛みを調節できるんだよ」エドの黒灰色の髪が、ラナの頬を撫でる。「だから薄皮一枚の傷を激痛に変換することも、片足を切り落とすような痛みを消すことだって可能なのさ。ラナは女の子だろう? 傷でも残ったら大変だからね」

「……っ、う……」

「それにしても、こんなところで再会できるなんてね。夢も存外馬鹿にならないな」


 そこで、端末の呼び出し音が響いた。片眉を動かしたエドは、ラナから視線を逸らして懐に手を入れる。


 ラナはそろりと右手を己のポケットに伸ばした。輝石さえ掴めれば。必死の思いで震える指先を伸ばす。折しもエドは端末に集中しているようだ。『23:57』と表示された画面が青白い光を彼の横顔に投げかける。


 あと少しで手が届く。ラナがそう思った時だった。


 端末を見つめたまま、エドがラナの右手に短剣をかざす。


「――っ」


 ラナは反射的に動きを止めた。止めてしまった。傷はない。けれど刻まれた痛みに震えが止まらない。


「あぁ、ラナ」


 エドはゆるりと視線を向け、愉快そうに目元を歪めた。端末をしまった左手で、忙しなく上下するラナの胸元を、喉元を、唇の端をそっと撫でて首を傾ける。


「可哀想だな」


 吐き捨てるように呟いて、エドが短剣から手を離した。ラナは呼吸をするのも忘れて目を閉じる。


 澄んだ音が響いた。


 覚悟していた痛みは来ず、そろりと目を開けたラナは息を呑む。見えない壁に弾かれたように、エドは短剣を握った手を宙に浮かせていた。そうしてラナに降り注ぐのは、雪華のごとく煌めく輝石の欠片。


 表情を消したエドは、首だけ背後にひねって声をかける。


「随分、遅かったじゃないか。アラン・スミシー」

「――誰かと思えば、リンネウスの小僧とはな」


 薄暗闇に包まれた廊下の奥からアランが現れた。僅かに揺れる薄金色の髪。その隙間から覗く金の瞳に、ラナはびくりと体を震わせる。

 彼の瞳は、真冬の月のように冷えた光を宿している。


「……養父とう、さん……?」


 ラナが掠れた声でアランを呼ぶ。不愉快そうに眉を潜めたエドは、彼女の肩を乱暴に押して身を起こした。鈍い痛みにラナが呻く中、エドは短剣を持った手をくるりと回してアランを見据える。


「そう怖い顔するなよ、アラン・スミシー。偶然とはいえ十年ぶりの再会ってやつじゃないか」

「偶然とはな」アランは鼻で笑った。「どうやら言葉の定義から確認する必要があるらしい。火災報知器で人払いをし、ここまでの道のりを妙な言動をする女共で守らせておくことを偶然と呼ぶとは」

「それはご愁傷さま。よほど不運だったんだろう」

「エメリ・ヴィンチの仕業か?」


 エドがぴたりと動きを止めた。アランがうっすらと口角を上げる。


「肯定を沈黙で返すとは、実に礼儀がなってないな。エドワード・リンネウス」

「……貴様、どこまで知っている?」

「さぁ? 全てかもしれないし、名前だけかもしれない」アランはうそぶき、金の目を剣呑に光らせた。「いずれにせよ、俺は今機嫌が良くなくてね。話の続きはラトラナジュに手を出した不届き者を殺してからで良いか?」

「言ってろ」


 唸るように言ったエドが弾かれたように走り出す。アランは装飾腕輪レースブレスレットから輝石を掴み口づけた。


『冠するは雷』

『生体骨格起動《Binomen open》』


 響いた声は二つ分。しかし術の発動は僅かにアランの方が早い。


 紫紺の輝石が砕けて辺りに散る。顕現した稲妻は真っ直ぐにエドへ向かう。それを彼は一飛びで躱した。

 常人では有り得ないほどの高さの跳躍に、ラナは息を呑んだ。宙空で身を捩らせたエドの顔は、ヒョウの形を模した仮面で覆われている。


 重力に乗って降り立った彼は、アランに向かって短剣を振るった。後退して避けたアランの前髪が切れ、宙を舞う。

 エドは歯をむき出しにして笑った。


「やっぱり、魔術なんて取るに足りないな!」

「力も持たぬ小僧がよく吠える」


 アランは笑みを崩さぬまま応じ、取り出した真珠に口づけた。


『冠するは風  無垢の輝きを以て荒海を裂け 』


 生み出された突風に、次の一閃を振るおうとしたエドの体が天井に向けて飛んだ。叩きつけられる直前で体勢を立て直したエドは、天井に足をつけて顔を上げる。


 その視界いっぱいに、風によって巻き上げられた電気石トルマリンの欠片が目に入った。紫紺色の薄片一つ一つが再び雷光を生み、幾筋にも分岐した光が四方からエドを襲う。

 エドは小さく舌打ちし、仮面のこめかみを叩いた。


『|生体骨格変化:type 馴鹿《Binomen chnage: type Rangifer tarandus》』


 合声音と共に、仮面の形状が牡鹿を模した形に変わる。同時に天井を蹴った彼は、雷光に突っ込んだ。放たれる光を、まるで全て見えているかのように躱して再びアランに肉薄する。


 迫る短剣の刃を、アランはかろうじて装飾腕輪で受け止めることで防ぐ。その刃がアランの皮膚を薄く裂いた。アランの金の目が微かに歪み、勝利を確信したエドが黒灰色の目を光らせる。


 息つく間もなく続いていた戦闘が刹那の間に止まる――その機を逃さず、ラナは取り出した紅玉ルビーを指先で擦る。


『っ、冠するは炎  常世を祓い暁を導け!』


 輝石が砕け、炎が放たれる。エドは小さく舌打ちし、アランを盾にするようにして後方へ飛び退った。ラナの背筋が凍る。


「アランっ……!」


 アランの金の目がラナを捉え、あろうことか微かに笑った。そのまま左手をゆるりと振るう。壊れた腕輪から垂れ下がった鎖が音を立てる。


 直後、炎がアランを襲った。爆風にラナは思わず腕をかざす。それが収まったところで辺りを見回し、ラナは血の気が引いた。


 炎にまぎれて逃げたのだろう。エドの姿はない。それはまだいい。

 ならばどうして、アランの姿がどこにもないのか。


 よろよろと立ち上がったラナは何度か養父の名を呼ぶが、返事はない。物陰に隠れている気配もない。あぁ、そんな、まさか。強烈な後悔にラナの脚から力が抜ける。


「――随分と可愛らしい顔をしてくれているな」


 どこか楽しげな声と共に、ラナの体が背後から抱きとめられた。鼻先をくすぐる煙草と香水の匂い。それに彼女は慌てて顔を上げる。

 アランだった。金の目が、ラナを優しく見下ろしている。


「ア、ラン……」

「おや、ラトラナジュ」アランはにやりと笑った。「その呼び方は、君の定義に外れるんじゃないか?」


 あちこち汚れて入るものの、彼の返しは常と少しも変わらない。そのことを実感した途端、ラナの目に涙が浮かんだ。

 声を震わせ、アランの腕を弱々しく叩く。


「っ……! 馬鹿っ……! 今はそんなことどうでもいいだろっ……!」

「……あぁそうだな。実にどうでもいい」暴れるラナの体に両腕を回したアランは、彼女の髪に鼻先を埋めた。一呼吸の後、そっと付け足す。「今回は少しばかり肝が冷えた」


 ラナはピタリと動きを止め、肩を落とした。


「……ごめん。養父さんを巻き込む可能性を考えて攻撃すべきだった……」

「あぁラトラナジュ。そのことではないさ」

「でも、」

「俺への危害などという、些末なことに顔を曇らせないでほしい」言いながら、アランはラナの服の裾から手を入れる。「俺が言いたかったのは、君の身の安全という意味だ」


 アランの掌がするりと脇腹を撫で、ラナは悲鳴を上げた。


「ちょっと……養父さんっ……!」

「気が気でならなかったよ」ラナの肌を撫でながら、アランが一段声を低くする。「君が怪我をしているのではないかと思って」

「っ……怪我なん……てっ……」

「本当に?」


 アランの左手が、今度は太腿をなぞる。その絶妙な力加減に、ラナは噛んだ唇の隙間から吐息を漏らした。アランを止めよう左手を伸ばすものの、彼の手首に手を添えるだけで精一杯だった。


 体はどこまでもラナ自身にとって残酷だった。エドから与えられた痛みを忘れ、アランの掌の感覚だけを追いかけようとしている。ラナの頭を甘い誘惑がもたげた。このまま正直に白状して、抵抗をやめてしまえば。あるいは。


 けれど、そうなればエドはどうなってしまうだろう。十年前の光景と共に蘇った罪悪感が、ラナの胸をちくりと刺す。


「――ラトラナジュ」

「……っひ……っ」


 アランが諌めるようにラナの耳朶を噛んだ。ついでとばかりにサファイアの耳飾りごと耳を舌で舐められる。

 痺れるような痛みに幾許かの正気を取り戻し、ラナはくらくらする頭を必死で横に振った。


「何もされてないっ……からぁっ……!」アランの腕をぎゅっと掴み、ラナは何とか身をよじる。「怪我もしてないだろっ……!」

「……ふむ」

「だから、いい加減に離してってばっ……こんなところ、誰かに見られたらっ……!」

「俺は構わないが。ここはそういう場所だろう?」


 澄ましたアランの声に、ラナが抗議の声をあげようとした時だった。


「もーっ! 懐古症候群トロイメライを追いかけてきたのに、なんでこんなものを見せられなきゃならないの!」


 不機嫌な声と共に、廊下の奥から一人の少女が姿を現す。真っ黒なワンピースに、腰まで届く白銀の長髪。どこか人形めいた美しさの彼女は立ち止まり、顎を上げてラナ達を睨みつける。


 丸い赤の目で見咎められ、ラナはぴしりと音を立てて固まった。羞恥心でじわじわと頬が熱くなるのを感じていれば、何故か少女は頬を膨らませてそっぽを向く。


「つまんなーい! そっちのオニーサンは全然驚いてないじゃない!」

「……アイシャ・カディルか」


 ラナを抱きしめたまま、アランがぼそりと呟いた。そうすれば少女は目だけをじろりと動かし、唇を尖らせる。


「その名前で呼ばないで。私にはキセキの魔女様っていう立派な肩書きがあるんだから!」


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