表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プレアデスの鎖を解け  作者: 湊波
EP3 : Al2O3 ただ、君を想う
44/113

# 灰色の街


 ――いつだって、雨が降っている。



 灰色の街を濡らす雨。夏の湿った空気は重く、どれだけ走っても彼女に追いつくことはできない。仮面さえあれば。声さえあげられれば。あと少しだけ早く真実を知っていたのなら。並べた仮定の数だけ心臓が不規則に脈打って息ができなくなる。


 雨の中で、探し人の名を呼んだ。雑踏を縫って彼女を追いかける。黒灰色の髪を追う。あるいはその目を。自分と同じ色を。大切な幼馴染を。

 人混みをかき分け、街角を曲がり、裏路地に入る。そうして飛び込んだ廃ビルの先で見つける。




 胸から真っ赤な血を流して、地面に横たわる彼女を。




「――っ、ラナ……っ……!」




 叫んで、エドは飛び起きた。

 しんと静まり返った部屋に、携帯端末のアラームが鳴っていた。窓に引かれたカーテン越しに、朝の光が漏れている。


 ベッドの上で荒い息を吐きながら、エドは規則的な電子音を聴く。そうしてしばらくたったところで、彼は弱々しく首を振って端末に手を伸ばした。


 アラームを切る。画面に表示された時間を確認し、ゆっくりと目を瞬かせて呟いた。


「……まずい」


*****


「そういうわけで、朝の7時から研究室に来たんです」

「……ちょっと待て、エド。全然意味分かんねぇんだけど」

「何がですか」


 目の前のパソコンを睨みながら、エドはぞんさいに返した。


 学術機関アカデミアの研究室――そこに設けられた学生部屋であった。ところ狭しと並んだデスクを、蛍光灯が照らしている。


 壁に掛けられたデジタル時計が『21:18』を示す今、人の姿はない。エドと、彼の背後でぐだをまく男――テオドルスを除いては。


 エドはキーボードを叩いていた手を止め、口元に手を当てた。真っ暗なパソコンの画面には、白のフォントで幾つもの指示言語コードが連ねられている。デスクの脇に置いているのは、尾を噛む蛇の模様が彫り込まれた金属片だ。その中心に灯った赤のライトは未だに消えない。


 エドはデスクを指先で叩く。

 それを気にする素振りも見せず、「いやだってさぁ、」と、テオドルスが安物の椅子をしきりに軋ませて話を続けた。


「今の話、どう考えても遅刻する流れじゃん。妙な夢を見て、飛び起きて、時計を見たら昼過ぎ、ってのが鉄板だろ」

「そうですか」

「なのに、なんだよ、お前のは。妙な夢見て飛び起きたら、朝の6時。おまけに二度寝もしないで朝の7時から研究室に来るとか。ただの優等生じゃん。変態じゃん。クソつまんねぇ」

「夕方からしか研究室に来ないテオドルス先輩とは違うので」

「待て待て、お前今、俺のこと馬鹿にしただろ」テオドルスは、ぎいぎいと椅子を軋ませた。「言っとくけどな、俺のは戦略的撤退なんだよ。可能な限り楽しく華の学生生活を楽しんでるってだけだ」

「寝言は寝てから言ってください、万年留年野郎」


 冷めた声音で返事をして、エドはキーボードを叩いた。画面に白色の指示言語が一行足される。次いで警告音。

 エドは眉を微かに潜めた。その頭上から影が落ちる。


「はい残念、はずれ」


 エドは目だけを動かした。テオドルスが意地悪く笑い、シャツを捲くった腕を組んでいる。

 舌打ちするエドを無視し、彼は意気揚々と口を開いた。


「随分手こずってんなぁ、エドワード君?」テオドルスはパソコンの画面を覗き込んだ。「仮面の動作確認か? んん?」

「茶々入れる暇があったら黙ってくれませんか」

「やだね。小生意気な後輩に先輩ヅラできる最大のチャンスを、この俺が逃すとでも思うか?」

「……元はと言えば、こんな妙な指示言語を作った、あんたのせいでしょうが」

「いやー、ごめんな? 俺ってば天才だから、凡人のお前の気持ちが全然分かんねぇなー」


 エドはぐっと奥歯を噛み、テオドルスの腕を乱暴に押しのけた。

 鞄から電子端末とペンを取り出し、端末の画面を叩いて参考資料のデータを表示させる。

 呆れたようにテオドルスが呟いた。


「ほんっとお前、クソ真面目だよな。一番初めにプログラミング教えた時からそうだったけどさ」

「…………」

「数ヶ月前のことだってのに、懐かしいなー。あの頃のお前と来たら、『Hellow, world』って表示させる簡単なプログラミングも作動できなかったし」

「…………」

「で? 今は今で、日付超えるまで研究室にいるのが当たり前の生活だろ。いやー、正直変態だぜ? 恋だの友情だの青春だの、そういうのに熱くなっても良い年頃じゃんか」

「…………」

「それこそ、ラナ、だっけ? 朝に叫んでた女の子の名前。夢に見ちゃうほどってことなら、絶対好きってことじゃんか。おう、そうだ。そうに違いねぇわ。だったらもう湿気しけた研究室にいる意味なんて、」

「俺が? あの女のことを好き?」


 吐き捨てるように呟いて、エドは振り返った。

 得意げな笑みを浮かべているテオドルスを睨む。


「えぇ、そうですね。ラトラナジュは確かに俺の幼馴染でした。でも、それは十年も前のことで、クソみたいな故郷を出てからは一度も会ってない。会いたいとも思わない」

「またまた……」テオドルスは頬を引き攣らせた。「そんなに照れなくてもいいんじゃんか。十年も経てば可愛くなってるかもしれないぜ? 同郷なら、昔話でも盛り上がれるだろうしよ」

「昔話で盛り上がる? 先輩は俺の家のことを知ってるくせに、本気でそんなこと言ってるんですか?」


 そう言って、エドは――リンネウス家の最後の生き残りであるエドワード・リンネウスは酷薄な笑みを浮かべた。


「俺の家は純血の魔術師というくだらない肩書に踊らされて滅んだ。あの女はそれに関わってたんだから、むしろ消し去ってしまいたいくらいだ。存外、今日見た訳の分からない夢も、そういう願望のあらわれかもしれませんけど」

「……いやいや、エドワード君? 目がマジなん、」

「くどい」

「痛って!?」


 エドの投げたペンが、テオドルスの眉間に直撃した。もんどりうって倒れる男を一瞥し、エドは椅子を軋ませながらパソコンに向き直る。


 眉間を揉んだ。頭の奥が重く、少しばかり目眩がする。テオドルスのせいで気分は最悪だ。胸中で悪態をつきながら、エドは手探りで机の引き出しを開け、錠剤を取り出した。


 水なしで薬を飲みながら、エドは壁に掛けられたデジタル時計を見やる。『21:38』――教授との待ち合わせ時間が近い。

 エドは仕方なくパソコンの電源を落とした。金属片をポケットに入れて立ち上がる。


「ほら先輩。いつまでも床に転がってないでエメリ教授のところに行きますよ」


 薄手の上着を羽織りながら、テオドルスの脇腹を足蹴にする。テオドルスが床に仰向けになったまま呻いた。


「げっ……もうそんな時間かよ……」

「そんな時間です。誰かさんが無駄口叩いてたせいで」

「ぜんっぜん、やる気しねぇわ……せめて綺麗なおねーさんと遊べんならさぁ、俺もさぁ、考えるけどさぁ……」

「その言葉、今度お見舞いに行った時に、マリィ先輩へきっちり伝えておきますね」

「やめろよ! あいつ、怒ると滅茶苦茶怖いんだからな!?」


 顔を青くしたテオドルスが勢いよく起き上がる。それを一瞥し、エドは歩き始めた。


 目指すはエメリ教授との待ち合わせ場所――科学都市サブリエで圧倒的な人気を誇る娼館だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=756270735&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ