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プレアデスの鎖を解け  作者: 湊波
EP3 : Al2O3 ただ、君を想う
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3. もう少しの間、傍にいてほしいってだけだよ

「刑事さんに協力するのかい?」


 ラナは養父へ問いかけながら、ベッドサイドのテーブルに置かれた間接照明に手を伸ばした。

 台座のくびれた部分をひねれば、かちりと音を立てて明かりが灯る。


 シェリル達との話を終え、ラナはアランと共に娼館へ戻ってきた。

 時刻は深夜だ。開け放たれた窓から、冷たさをはらんだ風が舞い込む。ラナの持つ小さな灯りに照らされて、娼館一番の大部屋がぼんやりと浮かび上がった。


 綺麗に整えられたベッド。飲みかけのグラスが置かれたテーブル。窓際の椅子。

 その奥で、アランが上着を壁掛けにかける。


「そういうことになるな」白シャツ一枚になったアランは、ラナを見てにやっと笑った。「なんだ、不満か?」


 ラナは唇を尖らせた。間接照明の置き場所を考えるフリをして目をそらす。


「そんなことはないけど」

「ならばどうして、そんな顔をする」

「心配して損したなって思っただけ」

「ほう?」

「私もシェリルの手助けをすることになったから」ラナは照明を手の中で転がした。スノウドームのような形をしたそれは、動かす度に光が硝子玉に反射してきらと輝く。「なんて言って切り出そうか、迷ってたんだ。なのに、結局養父(とう)さんが依頼を受けてくるなんて」

「ラトラナジュ」


 ラナは顔を上げる。いつの間にか近づいていたアランが、困ったように微笑んでいた。ラナの持つ照明が揺らめいて、アランの顔立ちに落ちる影を揺らす。その金の目は蜜を溶かしたように濃く、深い。


 思わず見とれていれば、アランが左手を伸ばし、ラナの頬に触れた。彼の身につけた装飾腕輪レースブレスレットが密やかな音を立てる。その指先の冷たさにラナは目を細める。


「妙に遠慮するところは、幾つになっても変わらないな」


 アランの苦笑めいた言葉に、ラナは目を細めた。間接照明を握る手に力を込める。


「……別に、遠慮してるわけじゃない」

「気を回す必要はないんだよ、ラトラナジュ。俺はあくまで養い親だが、家族も同然なのだから。悩み事があれば打ち明けて欲しいし、苦しい時には助けを求めてほしい。いつだって君のことを心配しているのだから」

「…………」

「今日だって、この頬を汚した血が君のものだったらと考えると、ぞっとするよ」


 アランは親指の腹でラナの頬を擦る。

 ラナはぎゅっと眉根を寄せた。


「過保護だ」

「大切にしたいだけさ。愛しの君」


 どこか甘さをはらんだ声に、ラナの胸が微かに震えた。

 その呼び方はふさわしくない。親子という距離感にちっともそぐわない。そうと分かっていても、彼の言葉に頬が熱くなる自分がいて嫌気がさす。


 無意味なことだ。何もかも。言い聞かせるように胸中で呟いて、ラナは口を動かした。


「……なら、一つ聞きたいんだけど」

「なんだね」

「どうして刑事さんの依頼を受けようと思ったんだい?」

「気になることがあってね」

懐古症候群トロイメライが増えてるって話のこと?」

「まぁ、そんなところだ」


 アランが少しばかり首を傾けて微笑む。薄金色の髪の隙間で耳飾りが揺れた。

 しばしの間、沈黙が訪れる。窓の外から聞こえ始めた陰鬱な鐘の音が、最後の一つを鳴らし終えるまで。そうして余韻が消えたところで、ラナはアランの左手に自分の手をそっと重ねた。

 冷たい手を握り、ややあって、ラナはふわりと笑みを浮かべる。


「……まだ、帰らないだろ」明るい口調で言いながら、ラナはベッドサイドに間接照明を置いた。アランを見上げ、首を傾ける。「フリとはいえ、養父さんは一応お客さんなわけだし。この部屋も朝まで使ってもいいはずだし」

「おや、今日は随分積極的じゃないか」

「もう少しの間、傍にいてほしいってだけだよ」

「それでは仰せのままに」


 ラナが冗談めかして笑えば、アランも共犯者めいた笑みを浮かべた。それに胸を撫で下ろしながら、ラナは頬に触れていたアランの手をとり、彼をベッドへ誘う。


 アランに気付かれぬよう、そっと胸元の懐古時計を握りしめながら。


*****


 真っ暗な闇の中で、一台のパソコンが音もなく起動した。


 画面に浮かぶのは、大小様々な歯車が重なり合った画面だ。一定の間隔をもって鼓動のように明滅する。けれどそこに生物としての温度はなく、感情もない。


 それは時を管理し続けるプログラムであった。それは滅びかけた世界を正しく存続させる管理者であった。そうして星の名を冠する人工知能は、自ら思考し結論のみを掲示する。


「時間遡行の一部に異常エラーを検知した」


 人工合成された中性的な声が、闇の中に吐き出される。

 そのすぐ近く、パソコンから放たれる灯りが僅かに届かぬ場所に人影があった。顔貌かおかたちはよく見えず、性別さえ分からない。されど、そのような個性など人工知能にとってはさしたる問題ではない。


 彼あるいは彼女が守り人である限り、己に背くことなどありえない。信頼とは程遠い、無味乾燥な事実を前提に人工知能は言葉を紡ぐ。


「ラトラナジュ・ルーウィに、不要な事実改変を確認した」

「時間遡行による記憶修正ではない、と」


 人影がくぐもった声で問う。それに人工知能は「否」と返す。


「無作為に生じる記憶修正とは異なる。今回確認された異常は何者かによる意図的な改変である」

「時間遡行に関しては」

「問題なく終了している。前回の世界の最終記録データは西歴2153年9月23日である。今回の世界は、そこから10年11ヶ月23日遡った地点より開始した」


 人影は何事か考え込むように沈黙した。それを無視して人工知能は言葉を続ける。


「意図的な事実改変は容認できない。さもなくば、世界は都合の良いように書き換えられ、人類にとっての最善の世界が崩壊する」

「えぇ、それは勿論」

「双頭の獣よ。星の守り人よ。どのような手段を用いても構わない。ただちに原因を見つけ、即刻これを排除せよ」

「万が一にも異常が取り除かれなかった場合は」

「時間遡行を再実行し、本世界を強制終了させる。この場合は追って指示する」


 人影は首肯する。それに応じるように、パソコンの画面に浮かぶ歯車――その中央に描かれた『preiades』の文字が静かに明滅した。


 時間は正しく巡らねばならない。吐き出した言葉に感情はなく、そうであるがゆえにそれは闇の中に深く深く、響き渡る。

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