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プレアデスの鎖を解け  作者: 湊波
EP2 : (Na,Ca)8(AlSiO)12[(SO4),Cl2,(OH)2] 優しい世界
16/113

1. これはこれは、ご立派な言い訳ですこと

「納得がいかない」

「そうか。それは困った」


 目の前でアランが小さく笑う。それに、椅子に腰掛けたラナは顔をしかめた。


 夏の日差しが差し込む小さな部屋だった。彼女が使っているテーブルと椅子の他には、ベッドが一つあるだけだ。開け放たれた窓からは夏風が舞い込み、レースのカーテンをふわりと揺らす。赤、青、黄。真昼の陽光がテーブルの上に置かれた幾つもの輝石を通して色づく。


 アランは青い宝石を取り上げ、窓際に腰掛けた。それを目で追いながら、ラナは息をつく。今日こそは。娼館を出て、毎日と言っていいほど新たにした決意を繰り返し、ラナは口を開いた。


「アラン」少しでも自分をよく見せるために、ラナは椅子の上で居住まいを正す。「私がここに――魔術協会ソサリエに来て二週間だ」

「そうだな」

「その間、あんたには色々と世話になったと思ってる。魔術についても、今みたいに毎日教えにきてくれているし」

「身に余る光栄だな、ラトラナジュ。俺としても嬉しい。君は俺が教えたことをすぐに吸収してくれる。師匠として、これほど嬉しいことはない」


 アランがにこやかに応じた。その笑みだけは一級品だと、ラナは苦々しく思いながら咳払いする。


「それほど高く評価して頂けるのならば、いい加減にどうやって魔術を扱うのか、教えてくれないかい? 理論ばかりではなくて」


 アランは答えなかった。窓の外から鳥のさえずりが届く。穏やかな夏の日差しに、僅かに冷ややかなものが混じった。


「それは、君にはまだ早い」

「アラン!」


 ラナは机を叩いて立ち上がった。並べられた輝石が音を立てる。アランは驚いた素振りもなく、青の宝石で手遊びを始めた。ラナは天を仰ぎ、しきりに首を振る。


「あんたはいつもそう言う! じゃあ、いつになったら使い方を教えてくれるっていうんだ!?」

「さぁ? 俺が安全だと判断したら、というところかな」

「のんびりしてたら、いつまでたっても私は戦えないじゃないか!」

「あぁそうだな。それは大変だ。一大事だ」


 アランは大仰に肩をすくめて、窓際から腰を浮かせた。頬を膨らませるラナに向かって、青い宝石を放り投げる。


「さぁ休憩はおしまいだ。この宝石の名前は?」

「アラン」片手で宝石を受け取りながら、ラナは躍起になってアランを睨みつけた。「まだ話は終わってないよ」

「いいや、終わりだ。悲しいことに、時間は有限なのでね」

「そもそも、なんで、私に輝石について学ばせるんだ? 私の魔術は懐古時計を使ったものなんだろう? だったら、」

「その答えを知りたければ」ラナの目の前で立ち止まったアランが、一段声を低くした。「この石の名前を答えろ。それとも、今日の講義は終わりにするか?」


 ラナは唇を噛み、片手で受け止めた宝石を見やる。濃紺色の石にはルビーのような透明感はない。どちらかというと岩石に近い。その表面には、星のように細かな金色が散らばっている。


 二週間前に、アランから贈られた一冊の本を思い出した。電子端末が普及したこの時代に、本なんて時代遅れもいいところだ。そう文句を垂れながらも、穴の開くほど読み込んだカビ臭い鉱物図鑑を頭の中で開く。

 ラナは渋々口を動かした。


「……ラピス・ラズリ」

「よろしい。では、名前の由来は?」

「ラピスが青。ラズリが天上っていう意味だろ」アランが何かを言う前に、彼女はぶっきらぼうに付け足した。「石言葉は、幸福、真実、知性、克服、浄化だ。だからこそ、幸運のお守りとしては推奨されない。持ち主に試練を与え、乗り越えた先に幸福を授ける、っていう解釈になるから」

「素晴らしい。完璧だ」アランが嬉しそうに笑った。「では、この石の別名は?」

「別名?」


 ラナは返事に詰まった。もう一度、脳内で図鑑の内容を総ざらいする。が、ラピスラズリの別名に関する記述はなかったはずだ。


「フェルメール・ブルーだよ」


 アランが勝ち誇ったように言った。ラナはムッとして輝石の魔術師を見上げる。


「なんだい、それ」

「フェルメールは、古い時代に活躍した有名な画家だ。彼が好んで使った色が、ラピスラズリを砕いて作った青でね。ラピスラズリの別名はここに由来する」

「そんなこと、図鑑には書いてなかった気がするんだけど?」

「あれはあくまでも基本的な情報さ、ラトラナジュ」アランは金の目を煌めかせた。「輝石の魔術師は、石から想起されるイメージを用いて魔術を行使する。そのためには、俗物的な知識にも精通しておかねばならない。そしてだからこそ、師匠から口伝として情報を学ぶのが重要というわけだ」

「……これはこれは、ご立派な言い訳ですこと」


 可能な限り嫌味ったらしく言いながら、ラナは乱暴に椅子に座った。そっぽを向いて頬を膨らませれば、アランがラナの頬を指先で撫でる。

 もはや振り払う気にもなれなかった。ひやりと冷たい指先を無視し続ければ、アランが苦笑まじりに言葉を継ぐ。


「へそを曲げないくれ。そうしている君も愛らしいが」

「…………」

「俺は例えを出したかっただけだ。宝石には観賞用以外にも様々に用途がある」

「……それがなんだっていうんだい」

「君の時計さ」


 アランが顎でラナの胸元を示す。かちりかちりと、静かに音を立てているのは亡き養父の懐古時計だ。


「時計の歯車には大量のルビーが使われている。そこを起点に魔術が発動した、というのが俺の見立てだ」

「つまり……私はあんたと同じ魔術師だってことかい?」

「そういうことだ」


 顔をしかめるラナに、アランは実に嬉しそうに破顔する。折よく時計台の鐘が鳴り響き、その日の講義は終了となった。





 結局彼には、ラナを魔術師にさせる気など毛頭ないのだ。

 アランが立ち去り、部屋に一人残されたラナはベッドに仰向けに転がった。


 窓の外からは、どもりがちな男の声が聞こえている。前髪で目が隠れた祭祀服カソックの青年――ヴィンスの声に違いなかった。この建物の一階は小さな教会で、彼は毎日決まった時間に祈りを捧げている。


 天井に夏の日差しが光の柱を描く。風が緩やかにラナの頬を撫でる。


 娼館では考えられないような穏やかな日々だった。ラナの両手足に、GPSの埋め込まれた鎖は既にない。名目上は、魔術協会がラナを買い取った形になっていた。けれど、それはほとんど自由と同義だった。ラナがどこに行って、何をしていても、誰かから縛られることはない。


 体を横にし、ベッドの上でラナは縮こまる。けれど、だからこそ。心の中で、不安がぽつりとインクのように滲む。


「――誰かの役に立ちたい。そう思ってるにゃあ?」

「!?」


 不意に響いた幼い声に、ラナは目を開いて飛び起きた。


 足元で、きゃっ、と小さな声が上がる。ばくばくと脈打つ心臓を押さえて、ラナは床に視線を送った。


 少女が、尻もちをついていた。真っ白な少女だ。艷やかな肌も、床に散らされた長髪も、雪のように白い。ほんの少し涙で潤んだ赤い目を右手で擦り、彼女はラナの方へゆるりと視線を上げる。


「ぴゃっ……!?」

「ぴゃっ……?」


 ラナが少女の奇声に首を傾げる間にも、彼女はわたわたと床の上で姿勢を正した。背筋をピンと伸ばし、綺麗に正座をし、その上で左手に持った猫の人形をラナに突き出す。


「こっ、こんにちはっ! はじめまして……っ! ぼ、僕の名前はニャン太ですにゃあ! こっちの女の子は、護衛役のアイシャっ!」

「えっ、あっ、はい」

「とっ突然で申し訳にゃあですけどもっ! 我らのお助けをして頂けませんかっ!」

「お助け……?」


 ベッドの上でラナが目を白黒させる。それに、床の上に座り込んだ真っ白な少女は、懇願するように力強く頷いた。

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