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プレアデスの鎖を解け  作者: 湊波
EP1:AL2O3 幸せな物語の主人公には、なれなかった
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6. 何だってやってくれるんでしょう?

「受付に、行かせてくれないか」


 娼館の薄暗い廊下を走りしながら、ラナはアランに声をかけた。彼女のすぐ後ろを走るアランから問うような気配が伝わってくる。

 ラナは、ちらと壁に嵌ったデジタル時計に目をやった。『22:08』。娼館としては稼ぎ時だ。その事を確認し、口を開く。


「この時間、普段なら客の相手をしてる頃だ。客室にいてもおかしくない……けど、いちいち探して回るのは時間がかかる、だろ? 受付においてあるパソコンを見れば、どこにいるのか分かる」

「あぁ……成る程。その鎖に仕込まれたGPSを使うってわけか」

「そういうことさ」


 短いやり取りの間にも、無人の受付に辿り着いた。ラナはカウンター越しにパソコンを取り上げる。

 画面モニタの青白い光に目を細めながら、カレンダー式の予約表を閉じた。幾つかのページを経て、館内地図を呼び出す。

 アランが口笛を吹いた。


「随分、手慣れているな」

「……使う用事があったからね」

「二日前……俺を追いかけるために、かな?」


 どこか嬉しげなアランの声を無視して、ラナは店主の手元を盗み見て覚えたパスコードを入力する。


「あった……これだ」


 ささやかな起動音と共に、館内地図に赤い点が浮かび上がった。

 二つの赤い点が、鼓動のように明滅する。

 その場所がどこなのか分かって、ラナの腹の底が冷えた。


「一つ目の……受付で光っているこれは、君自身のものだろう? ラトラナジュ」香水と煙草の香りを漂わせながら、アランが身を乗り出した。その指先が点滅する赤い点の一つを指さす。「なら、この場所はどこだ?」

「……私の部屋だ。シェリルとは相部屋なんだ」


 二階の角部屋。ラナがシェリルと共に十年を過ごした場所。この娼館にあって、唯一心が安らげる大切な場所。

 ラナは唾を飲んだ。パソコンをカウンターに置き、駆け出す。


「待て! ラトラナジュ……!」


 アランの声が追ってくるが、構う余裕などない。真っ暗な廊下を抜け、階段を駆け上がる。途中で、壁のデジタル時計が見えた。『22:35』。腹の底が捩れるような気がして、ラナは胸元の時計を握りしめる。

 そして自室の扉を勢いよく開けた。


「シェリル……っ」


 肩で息をしながら、ラナは真っ暗な部屋に足を踏み入れた。

 向かい合わせに置かれたベッド。静かに時を刻むデジタル時計。正面に嵌められた窓からは、夜の街の光がぼんやりと差し込む。


 いつもとまるで変わらない風景の中で、シェリルがぽつんと立ち尽くしている。

 壁の時計が、『22:39』を示した。


「……ラナ? 帰ってきたのね」


 シェリルはゆっくりと振り返った。青白い顔が微かに笑う。狂気じみた色はない。見慣れた表情だ。綺麗で、気高くて、でも少しだけ優しさの滲む顔。

 真っ暗な闇で、太陽のように輝いている。


「シェ、リル……」

「どうしたの?」

「私……」ラナは途中で言葉を切り、首を一度振った。シェリルの元まで歩み寄り、ラナは改めて親友を見つめる。「……私と、一緒に来てほしい」


 暗闇の向こうで、シェリルがゆっくりと目を瞬かせた。衣擦れの音がする。窓の外からサイレンの音が微かに響く。

 シェリルの顔から笑みが消えた。


「……それは、私が懐古症候群トロイメライだって、分かってて言ってるのかしら」


 刺々しいシェリルの声に、ラナは掌に爪を立てた。


「そうだ」

「おめでたいことね。あんたと一緒に行って、何が解決するっていうの」

「それは……」

「私のことは放っておいてよ!」


 鋭いシェリルの声に、ラナは口を閉ざした。二人分の呼吸が夜闇に響く。シェリルがラナをきっと睨みつける。


「そんな目で見ないで! 憐れまないで! 私はおかしくなんてない! まだちゃんと働けるもの!」

「分かってる! 分かってるよ、シェリル……!」

「分かるわけないでしょ! 私の気持ちが! あんたは健康なんだから!!」

「止められるかもしれないんだ!」


 ラナは強引にシェリルの手をとった。ほっそりとした指先は冷たい。それを少しでも温めたくて、ラナはもがく手をぎゅっと握る。シェリルの瞳が大きく揺れた。


「止められる……?」

「そうだよ、シェリル。聞いたんだ。懐古症候群の原因になったものを除けば、進行を遅らせることができるって。治すことはできないかもしれない……けどきっと、今までどおりの生活が送れる」

「……本当?」

「本当さ!」


 不安げなシェリルに、ラナは精一杯の笑みを浮かべた。

 あの日の彼女みたいに笑えていますように。自分が彼女に救われたように、今度は自分が彼女を助けられますように。祈りながら、そっとシェリルの表情を伺う。


「何か、心当たりはないのかい? どんな些細なことでもいいんだ。私も手伝うよ。シェリル、君のためなら何だってやる」

「……っ、れは」


 シェリルの言葉尻が揺れた。彼女の目が伏せられる。むき出しになった肩が震えていた。


 やはり、なにかあったのだ。ラナはやや性急に身をかがめ、シェリルの口元に耳を寄せる。馬鹿ね。吐息の狭間で、シェリルがそう呟いた気がした。そこに込められた感情をラナが計りかねる間に、シェリルがするりとラナの手から指を引き抜く。


「本当に、馬鹿だわ……だって……」


 何度も首を振りながら、シェリルはラナの胸元にあった懐古時計を掴む。縋るようにラナを引き寄せる。

 そして。


「――あんた、だもの」

「え……?」


 呆然とするラナの目前で、顔を上げたシェリルがにこりと微笑んだ。

 

 それに強烈な違和感を感じて――その瞬間、ラナの体が後ろ向きに強く引かれる。


 懐古時計を下げていた鎖がぶつんと切れる。

 鼻先を黒い影が掠めていく。


『――冠するは炎 常世を祓い暁を導け!』


 ラナと入れ替わるようにして炎が駆け抜けていった。二日前の、廃ビルで見た炎と同じ鮮烈な赤だ。

 呆然とするラナの背中が、誰かに抱きとめられる。

 煙草の香りと体温が伝わってくる。


「これはこれは……仮にも親友相手に、ひどい仕打ちだ」


 ラナの体に左腕を回したまま、アランが低く呟いた。口元に笑みを刻んではいるものの、目は鋭く細められている。


 その視線の先――今しがたまでラナが立っていた場所には、床から針のごとく鋭い影が幾本も突き出していた。ぐにゃりと曲がった影は、アランの放った炎を食らう。瞬く間に掻き消す。


 ラナは唾を飲んだ。全身が冷え切っていく。

 ぐるりと影が揺らめいて、不意に晴れた。シェリルが涼しい顔で佇んでいる。その手にはラナの懐古時計が握られている。


「あら、残念ね。あと少しだったのに」


 事もなげに言い放ったシェリルは、懐古時計を無造作に投げ捨てた。鈍い音を立てて床に転がった時計の蓋が開き、窓からの光を弾いて物悲しく光る。


「……あと、少しって」


 ラナは息も絶え絶えに呟いた。信じたくない。信じられない。アランの腕をぐっと掴みながらシェリルを見つめれば、彼女はゆるりと首を傾けた。亜麻色の髪が闇に揺れる。


「だって、ラナが言ったんでしょう? 懐古症候群の原因を除けば、進行を遅らせることができるって」

「……私が、原因なのか……?」

「あっは。多分ね」シェリルはくすくすと笑った。「そう、多分よ。もしかすると、ラナが原因じゃないかもしれないわね。まぁこればっかりは確かめてみないと分からないし……だからこそ、やる価値はあるわ」

「……っ」

「私のために、何だってやってくれるんでしょう?」


 シェリルの絡みつくような視線に、ラナは息が止まる思いがした。シェリルのために。回らない頭で、その言葉だけ反芻する。自分がいなくなれば、解決する? 彼女を助けられる?

 ラナの唇がわなないた。


「わ、たしは……」

「――随分と乱暴な要求だな」


 アランの静かな声に、ラナは我に返った。のろのろと視線を上げる。応じるように、アランの腕に力が込められる。その手の甲で装飾腕輪レースブレスレットの宝石が輝いた。

 シェリルは眉を潜め、床を足で叩く。


「部外者は黙っててくれないかしら」

「部外者なんかじゃないさ。ラトラナジュは俺の愛する女性だからな」

「ねぇ、それ分かっててやってる?」シェリルはすいと目を細めた。「だとしたら、すっごくムカつくんだけど」


 だんっと、一際強くシェリルの足が床を踏む。同時に影が膨らんだ。幾筋もの蔦がラナ達に向かって伸ばされる。

 アランの右手が、装飾腕輪から宝石を一つ抜き取った。口づけと共に、石を前に差し出す。

 その色は、深い黄緑。


『冠するは太陽 恐れを退け宵闇を吹き散らせ』


 澄んだ音を立てて、アランの指先で宝石が砕ける。


 瞬間、ラナ達を中心に殴りつけるような突風が吹いた。


 衣服が音をたててはためく。部屋中の物が風に煽られ、派手な音を立てる。蔦が風に煽られ千切れる。


 吹き荒れる清廉な風。それを厭うようにシェリルは顔を歪め、身を翻した。真っ黒な影がシェリルを守るように付き従う。そのまま彼女は窓を開け、外へ飛び出す。

 ラナは悲鳴を上げた。


「シェリル……っ!」

「ラトラナジュ、君はここにいろ!」

「っ、でも……!」

「まだ、『境界の1時間』は超えていない! 話が通じていただろう!」


 もがくラナを押し止めるように立ち上がったアランは、足早に窓辺へ向かう。夜の街の灯りを弾いて耳飾りが揺れる。

 そして躊躇うことなく、彼もまた、窓の外へと身を躍らせた。

 風が止み、サイレンの音と共に澱んだ空気が外から入り込む。


「っ、くそ……っ」


 ラナは床に座り込んだまま、小さく悪態をついた。

 荒れ果てた部屋で、壁に嵌ったデジタル時計が静かに時刻を示す。『22:45』。日付が変わるまで、あと1時間だ。

 たった、1時間。そう思うだけで、嫌な汗が止まらなくなる。掌を何度も服の裾で拭く。


 その視界の端で、何かが瞬いた。

 見れば、すぐ近くの床の上に赤い石が転がっていた。炎を閉じ込めたような小さな石だ。二日前にアランから受け取ったお守りは、暗闇の中でも変わらず輝いている。


「…………」


 石を掴み、ラナは顔を上げた。行かなくちゃ。嘆いている暇なんて無い。

 懐に石を入れながら立ち上がる。ベッドのすぐ近くに転がっていた懐古時計を拾い上げる。その蓋を閉めかけたところで、ラナの目が時計盤に釘付けになった。


 カチカチと音を立てて進む――長針と短針が示す時刻は、《《11時45分》》。


「……あー、気付いちゃったか」


 ひどく気抜けした声が響いて、ラナは弾かれたように振り返った。


 黒髪の男が、部屋の入口に佇んでいる。

 背は高く、シャツを無造作に腕まくりしている。右腕に抱えているのは、がたいの良い体つきには似合わない小さなパソコン。画面は開かれ、微かなファンの音を吐き出している。

 そして左手には、拳銃。


「ごめんな、お嬢ちゃん。俺としても、あんまり悪者っぽいことはしたくねーんだけど……教授ドクがうるせえからさ」


 申し訳なさそうに言いながら、男が眉を下げる。それでも向けられた銃口は微動だにしない。強張った体を奮い立たせ、ラナはやっとのことで口を開いた。


「あんた……誰だい?」

「その答えは、あのクソ魔術師に聞くってことで」見知らぬ男は大きく欠伸をし、眠たげな目を一つ瞬かせた。「つーわけで、大人しく同行してくれるよな? ラトラナジュ・ルーウィ」

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