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プレアデスの鎖を解け  作者: 湊波
EP1:AL2O3 幸せな物語の主人公には、なれなかった
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1. キセキは、どこから生まれると思う?

「キセキは、どこから生まれると思う?」


 男が横柄に尋ねる声がした。ラナは、グラスに氷を入れていた手を止め振り返る。


 娼館一番の大きな部屋だ。部屋の半分を占拠するベッドは綺麗に整えられたままであり、シーツの白が日暮れの薄暗闇に沈む。

 ベッドの反対側にあるのは開け放たれた窓だ。そこから入ってくるのは、夕焼け色の光と、帰宅を急ぐ車の音。時折響くクラクションの音が、夜を目前にした気怠い空気をかき混ぜる。街の雑味と埃とを孕んだ風がゆるりと吹いた。


 そして窓辺の椅子に、彼が――ラナの今夜の客が腰掛けている。薄金色の髪の毛先を風に遊ばせた彼は、ゆったりと長い脚を組んでいた。糊がきいているのか、紺のスラックスはぴんと伸びている。


 男の前髪が微かに揺れる。その隙間から、真意の読めぬ金の目がのぞく。

 ラナは仕方なく、視線を宙に上げた。うーん……と、わざとらしく呟く。


「奇跡なんて……神様の思し召し次第じゃないのか」女性にしては中性的な声音と言葉遣いのまま、彼女は肩をすくめる。「交通事故で死ぬ人もいれば、奇跡的に助かる人もいる。そこに理由も何もないだろう?」

「そっちの奇跡じゃない」

「おや、そうなのかい?」

「こっちだ」


 肘掛けに頬杖をついて、男がひらりと左手を振った。その手に嵌められているのは、鎖を幾重も重ねて作られた装飾腕輪レースブレスレットだ。茜色の光を弾いて、腕輪につけられた色とりどりの宝石が輝く。その眩さに、ラナは目を瞬かせた。


「輝石はどこから来ると思うかね、ラトラナジュ」


 男は、いつもの通りにラナの本名を呼んだ。彼女は曖昧に笑う。

 正直、どこから来たってラナには関係ない。さりとて、男の機嫌は彼女の今晩の売上に大いに関係する。ラナは気づかれぬよう息を吐いた。過度に媚びへつらう必要はないだろうが、ここらで機嫌をとっておいた方が良さそうだ。


「アラン、意地悪しないで」ラナは眉尻を下げ、首を傾げた。曖昧な笑みを苦笑いに変えて、囁くように懇願する。「教えてくれないのかい?」


 男は――アランは、仕方がないと言わんばかりに鼻を鳴らした。けれど、その様はどこか得意げでもある。ラナは胸を撫で下ろした。この解答で正解だったらしい。

 アランは左手の人差し指をすいと立てた。


「全ての輝石は土より生まれる。何百年もの間、大地に潰されて初めて完成するのさ」


 ラトラナジュは後ろ手でテーブルを探った。先程のグラスを手に取り、次いで探し当てた酒瓶の中身をそこへ注ぐ。飴色のとろりとした蒸留酒が、氷をくるりと動かした。

 アランの朗々とした声は続く。


「こうして出来た輝石に我々は名を与え、意味を持たせ、金を積むわけだ」

「宝石に意味なんてあるのかい?」

「石言葉だよ、ラトラナジュ」アランは、腕輪の中心に嵌った深紅の石を指さした。「例えば……ルビーの石言葉は勇気、勝利、純愛。文献によっては、炎と血の象徴とも記されている。転じて、血液の浄化や永遠の命を示すとも」


 ラナは、己の親指の爪ほどもあるルビーを見つめ、目を瞬かせた。


「ふぅん。一つの石でも色々と意味があるんだね」

「見る者によって、石の持つ意味は大きく変わるということさ……そして、いいいかね。ここで重要なのは、輝石は全て土から生まれるということだ」

「それの何が大切なんだい?」

「どれほど美しいものであっても、最初は泥だらけの、汚れきった場所から生まれる」


 アランの言わんとしたことが分かって、ラナは小さく笑った。薄布を重ねて作られた服の裾を翻す。踊り子のような装いは、科学の発展した現代においては時代遅れの産物だ。けれど、中東ミド・イートの宮殿をコンセプトに建てられた娼館においては、これが正装である。

 肩口と太腿を大胆に晒しながら、グラス片手にラナは歩を進める。猫のように目を細め、男の元へ。彼女の両足首につけられた鎖が軽やかに音を奏でる。

 男はラナをじっと見つめ、薄く笑みを浮かべた。


「美しさに生まれなど関係ないのさ。輝石の君(ラトラナジュ)

「アランは相変わらず世辞が上手い」

「俺は自分の気持ちに正直なだけだ」

「では素直に喜んでおこうかな」


 ラナは酒盃に口づけた。アランの視線が彼女の褐色の肌をなぞる。見せつけるかのようにラナは喉を晒して、少しばかり中身を煽った。くぐもった樽の香りが鼻を抜ける。ぺろりと舌先で唇を舐め、ラナは男の方を見つめた。

 雲が差したのか、部屋に差し込む黄昏の光がさっと陰る。


「……それで? アランは、どちらがお望みだい?」

「……どちらでもない」

「へぇ?」

「分かっているだろう? 俺は君とおしゃべりを楽しみにきた。それだけだ」

「アラン……」吐息と共に、ラナは彼のシャツをくしゃりと握った。窓際にグラスを置く。眉根をぎゅっと寄せる。顔を俯ける。ラナの黒灰色の髪が頬を掠めた。「君はいつもそう言う……正直、自信を無くしてしまいそうだよ。これでも、この娼館では稼ぎ頭なんだけれど」

「愛しいからこそ、壊したくないものさ。そこが輝石とお前の、一番の違いだ」

「……あんたは口ばかり達者だな」

「可愛らしい挑発だ」


 男はラナの癖毛気味の髪を指先に巻きつけた。三十にしては若く見える彼は、ラナの耳元に顔を近づける。彼女は目を閉じた。その鼻先を艶のある香りが擽っていく。男の耳飾りが、戯れのように彼女の首筋をなぞる。


「君は美しい宝石でもあるが、気高い猫のようでもある」


 ラナはパッと目を見開き、突き放すようにシャツを離した。男は大げさによろめいてみせる。薄金色の髪は、再び差し始めた斜陽を透かして淡く光っている。


「それではな、愛しい君。今日も良い時間が過ごせた」

「……私にとっては、今日も良くない時間だった」

「直接示すばかりが愛ではないさ」


 男は肩をすくめ、扉に向かう。ラナは窓辺に腰掛けた。唇を尖らせながら、酒に浸した指先でグラスの縁をなぞる。

 視界の端で、男が外套を羽織った。ポケットから取り出した携帯端末を片手で操作している。今日の分の入金か。はたまた、仕事の案件でも確認しているのか。どちらであれ気に食わず、ラトラナジュはこれ見よがしに視線を外す。

 程なくして男が近づく足音がした。


「ではな、ラトラナジュ。愛しているよ」


 ラナは息をつく。もう何百回繰り返したか分からない、いつも通りのやりとりだ。濡れた指を止め、ゆっくりと顔を上げた。


「……私も愛しているよ、アラン・スミシー」


 渋々お決まりの台詞を吐けば、男は金色の目をきらりと光らせてから部屋を出ていった。


 扉が閉まる。ラナは勢いよくグラスを持ち上げ、中身を一気に煽った。不味いだけでしかない酒に舌打ちする。頭を乱暴に掻く。


 今日も駄目だった。一体あの男はいつになったら尻尾を出すのか。ラナは胸中で吐き捨てた。音を立ててグラスを窓際に置く。窓を横目で睨む。

 陽は落ちかかっていた。建て替え中のビルの影が、ぼんやり浮かんでいる。一羽のカラスが鳴き声を上げて飛び立つ。

 不意に、心臓を掴まれたような息苦しさを覚えた。ラナは唇を噛む。懐を弄って、懐中時計を取り出した。


 困った時は、これを私代わりだと思いなさい。とかくアナログな物、古い物が好きだった亡き養父を思い出す。養父さん、私はどうしたらいいんだろう。ラナは時計を握りしめ、逃げるように目を閉じた。


 この娼館の中に、懐古症候群トロイメライの発症者がいる。


 娼館で働く少女達の、噂話を聞いたのは先週のことだ。それ以来、黒い靄はずっとラナの胸にこびりついている。

 懐古症候群。発症すれば二度と治らない精神疾患。患者は何かに憑かれたように異常な言動を繰り返す。まるで無くしてしまった何かを、戻らぬ過去を嘆くよう――だからこその、懐古症候群。


 そして、懐古症候群を発症した人間は、魔術師によって命を奪われる。


 それは駄目だ。ラナは胸中で呻いた。

 養父を亡くし、彼女がこの娼館で働きはじめて十年経つ。環境は良いとは言えなかった。老獪ろうかいな店主は、ラナたちのことを商品としか思っていない。共に春を売る少女達は、毎月何人かが病で命を落としている。

 それでもラナにとって、ここは守るべき家だった。大切な友人だっている。それが壊されるのを、どうして黙ってみていられるだろう。


 手のひら越しに、懐中時計がかちりと音を立てた。お前のしたようにすればいい。記憶の中の養父がそう囁いた気がする。私はいつだって、お前を見守っているから。

 ラナはゆっくりと目を開けた。


 日が沈む。最後の残光がグラスの縁を弾いて消える。ラナは懐中時計を懐にしまった。首を振り、立ち上がる。小走りに、ベッドサイドに置かれた棚へ向かう。


 一段目の引き出しから携帯端末を取り出した。数度画面をタップすれば、無機質な青白い光と共に、目的の地図が画面に表示される。明滅する赤い点は地図上をゆっくりと移動している。


 ――ではな、ラトラナジュ。愛しているよ。


 去り際の、穏やかなアランの声が蘇った。その声音に滲む暖かさは亡き父に似ている気がして、胸がつきりと痛んで。

 そんな自分をラナは笑う。娼婦へ囁かれる愛に、一体何の価値があるというのだろう。

 ラナは己を叱咤するように端末を握りしめ、顔を上げた。

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