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ひねくれ王子と新米侍医  作者: 畑中希月


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2/6

第二話 迫られる決断

 アウリールが初めて出仕してから、一週間が経過した。

 第二王子の侍医には、毎日欠かせない仕事がある。朝晩に、シュツェルツの部屋を訪れ、脈を計り、体調を崩していないかどうか、問診をするのだ。


 その日の朝、まだ寝間着姿のシュツェルツの手を、断りを入れてから取ったアウリールは、王子の脈拍がいつもより早いことに気がついた。


「脈が早いですね、殿下。お熱があるかもしれません。お加減はいかがですか」


 尋ねると、シュツェルツは小さな声で答えた。


「……喉が痛い」


「なぜ、黙っておいでだったのです?」


 非難をしたつもりはなかったが、少し強い口調になってしまった。シュツェルツはわずかに顔を背けた。


「いつものことだ。言う必要はないと思った」


 うしろに控えていたエイベ博士が、シュツェルツの前に進み出た。


「朝食を召し上がったあとに、お薬をご服用下さい。お食事はお部屋に運ばせます」


「そうしてくれ」


 シュツェルツは寝台に身を横たえると、姿を隠すように毛布を被ってしまった。

 このような状況にも慣れているのか、博士は落ち着き払って女官に指示を出している。


 アウリールはといえば、初めて目にするシュツェルツの体調の変化に、気もそぞろだった。寝台脇の椅子に座り、天蓋から垂れ下がるカーテン越しに、シュツェルツを見守る。


 やがて、女官が朝食を持って現れた。燕麦の粥(オートミール)を中心とした、病人向けの料理だ。ナイトテーブルの上に置かれた盆を、シュツェルツは身を起こし、億劫そうに見やった。

 アウリールは気を利かせて王子に提案した。


「殿下、よろしければ、わたしがお食事のお手伝いを致しましょうか?」


「必要ない。自分で食べられる」


 シュツェルツは即座に答えると、盆を手に取り、膝の上に載せて食事を摂り始めた。王子の食べ方は、さすがと言うべきか上品だった。

 朝食を終えたシュツェルツは、盆をナイトテーブルに戻し、アウリールに言った。


「薬は?」


「はい、ただいま」


 シュツェルツの食事中に用意した、喉の炎症と熱に効く粉薬を、アウリールは水の入った杯と一緒に差し出す。

 シュツェルツは無言で薬の入った油紙を受け取り、口の中に入れると水で飲み干した。


「殿下は、粉薬を嫌がらずにお飲みになることができるのですね。ご立派です」


 アウリールは本心から褒めたのだが、シュツェルツは睨むように、こちらを見上げる。


「馬鹿にしているのか」


「いいえ、そのようなことは。世の中には、大人になっても粉薬が苦手という者がおりますゆえ、感心した次第でございます」


 シュツェルツは軽く目を見張ったあとで、「そうなのか」と呟いた。いくら難しい本が読めるとはいっても、幼い王子はまだ世間を知らないのだ。アウリールは初めてシュツェルツに、親しみに似たものを感じた。


 考えてみれば、この一週間、王子の生活様式を少しは観察する機会があったが、彼には遊び相手もいないければ、親しい人間もいないようなのだ。

 アウリールたちが部屋を訪れる朝晩には、いつも一人黙々と本を読むか、大きな窓の外に広がる海を眺めている。


「薬は飲んだのだ。もう下がれ」


 シュツェルツに命じられ、アウリールは博士とともに退室した。自分でも不思議なのだが、アウリールは少し残念な気持ちだった。もう少し長く、王子と話をしていたかったのだ。彼のことを、もっとよく知りたかった。


(そういえば…… )


 アウリールはふと思い当たった。


「殿下のご両親……国王陛下と王妃陛下は、お見えにならないのですね」


「ちょっとした風邪くらいではお見えにならんよ。お二方ともお忙しいからな」


 博士はこともなげに言った。

 王族とはそのようなものなのだろうか。だとしたら、ずいぶん薄情な話だ。


 アウリールの母は優しい人で、子ども達が風邪を引くと、決まって心配し、身体に良い美味しい料理を振る舞ってくれた。母のような人が王妃だったら、シュツェルツの冷めた態度も少しは変わっていたのだろうか。子どもは生まれてくる親を選べない、とは、よく言ったものだ。


 その日の昼、アウリールは食後の薬を届け、シュツェルツの容態を診るために、王子の部屋を訪れた。そろそろ一人で仕事ができるように、との博士の計らいで、彼は同行していない。


 ノックをしたが、返事はなかった。訝しみながらも、王子は眠っているのかもしれないと思い、扉を開けると、珍しく笑い声が聞こえてきた。


 昼食の盆を下げにきたのだろう。シュツェルツが寝ているはずの寝台脇の椅子に、一人の女官が座り、口元を抑えて笑っているのだ。


「まあ、殿下ったら本当にお上手」


「本心だよ。君は僕の女官の中でも一番綺麗だもの。君がいつも僕の傍にいてくれたらなあって思うよ」


 口調は平素と違うが、声は間違いなくシュツェルツのものだった。


「そのようなお言葉を頂戴してしまうと、お部屋を下がるわけにも参りませんね。どう致しましょう」


「じゃあ、ずっと傍にいてよ」


「そうですわねえ。せめて、殿下が十五、六歳でおいででしたら、考えるのですけど」


「殿下、お薬をお持ち致しました」


 アウリールは会話に割って入った。職務を遂行するためというより、このまま彼らの会話を聞くことに、耐え難い不快感を覚えたからだった。


 アウリールに気づいた女官は、気まずそうに、盆を持って会釈とともに退室した。

 アウリールが寝台の前に立つと、身を起こしたシュツェルツが、こちらをきつい眼差しで見つめた。


「なぜ、邪魔をした」


「殿下には、まだお早いですよ」


 平静を装って、微笑しながらアウリールは答えた。不機嫌さを隠そうともしないシュツェルツの脈を取り、薬と水を差し出す。


「女官に対して、よく、先程のようなお話をされるのですか」


 薬を飲み終えたシュツェルツに問いかけると、王子はそっぽを向いた。


「そなたには関係ない」


「王妃陛下は、お顔をお見せになりましたか」


 アウリールが重ねて問うと、シュツェルツのあどけないが端麗な顔に、はっとした表情が広がる。


「……出ていけ」


 うつむいた王子は、それだけ答えると、もう口を利こうとはしなかった。

 確認しておきたかったとはいえ、酷なことを訊いてしまった。母親が見舞いにこないという現実は、想像した以上に王子を傷つけているのだ。


 シュツェルツの心中を思うと、アウリールの胸は痛んだが、お辞儀をして部屋を辞した。


(殿下は、お母君に構ってもらえない寂しさを紛らわすために、女官にあのような気を引く言葉をかけている……)


 何と寂しい王子だろう。

 強烈な悲しみが、アウリールの心に、染みのように広がっていった。


 今はまだ、幼いからいい。女官を口説くといっても可愛いものだ。

 しかし、現状のまま育てば、シュツェルツはおそらく女色に溺れ、身を持ち崩すことになる。それも、女性を母親の代用品としてしか見ることができない、愛情を持たぬ男として。

 いくら外見が美しいからといって、そんな男を心から愛する女がいるだろうか。


 そして、その虚しい恋愛遊戯の果てに生まれたシュツェルツの子は、父親と同じく、愛情をかけられずに育っていくはずだ。

 螺旋らせん模様のように同じ形を繰り返していくであろう、王子とその子孫の未来に、アウリールは呆然と立ちすくみそうになる。


 恐ろしいことだ。母親に目を向けてもらえなかったという、ただそれだけのことで、シュツェルツの向かう道は、もう半ば決まっているように思われるのだから。


 いや、と、アウリールは心の中でかぶりを振った。


(今なら、まだ間に合うかもしれない……)


 そうだ、シュツェルツはまだ九歳になったばかりだ。たった一人でいい。今から誰かが親身になって、彼と接してあげることができれば、未来は変えられるかもしれない。


 問題は、誰がそれをやるかだ。宮廷に上がったばかりの自分が、適当な人物を短期間で見つけることができるだろうか。

 考えうる限りでは、国王夫妻か、シュツェルツの兄である王太子が適任なのだが、アウリールには彼らに会う伝手がない。


 アウリールは思案に沈んだ。

 このような八方塞がりの時でも、無神論者のアウリールは、「神々がいずれ哀れな王子を救いたまう」などとは考えない。人を救うのは、いつだって人であるべきだ。


(誰にも頼めないとしたら、俺がやるしかないか……)


 そう考えてみて、できるわけがないじゃないか、とアウリールは思う。子どもを育てたこともない、大学を卒業したばかりの青二才である自分に。

 だが、やらなければ、確実にシュツェルツの将来は荒む。


 アウリールは廊下で立ち止まり、たっぷり考えた末に、覚悟を決めることにした。

 故郷に帰って医師をする、という目標がますます遠のいてゆくような気がしたが、人一人の人生がかかっているのだ。仕方あるまい。


 自分はシュツェルツの侍医だ。ならば、あの少年の身体だけでなく、心を健やかに育むのも務めだろう。

 その第一歩として、シュツェルツの家族関係と成育歴の詳細を知る必要がある。そうすれば、国王一家の中で誰がシュツェルツを気にかけてくれそうか、知ることができるかもしれない。


 では、それを誰に訊くべきか。アウリールには、一人、思い当たる人物があった。

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