第一話 迷惑な大抜擢
楢材の立派な机の前に腰かけた男は、開口一番、こう言った。
「ロゼッテくん、今日、君を呼び出したのは他でもない。卒業したら、第二王子殿下の侍医になって欲しいのだ」
思わぬ学長の言葉に、アウリールは、ぴくりと柳眉を吊り上げそうになった。
アウリール・ロゼッテは、このステラエ医科大学一の美男子である。
短い薄茶色の髪、涼しげな若草色の瞳、整った鼻梁、花弁に似た唇という、たおやかな女性と見まがうような顔立ちだ。
が、間違っても本人の前でそのことを指摘してはいけない。以前、外見をからかってきた友人に怒り、一年もの間、口すら利こうとしなかった、という事件があったからだ。
アウリールの内面は、外見の優雅さには程遠いのである。
(冗談じゃない。侍医になんてなってたまるか)
無駄に贅を尽くした学長室をちらりと見やり、アウリールは率直に述べた。
「学長先生、わたしの成績は次席ですよ。王子殿下の侍医のような名誉な職には、首席こそがふさわしいのでは?」
「彼は卒業後、うちの附属病院に配属を希望している。あの優秀さなら、いずれ教授になれるだろう」
初老の学長は太い笑みを浮かべた。医科大学の学長である以上、彼も医師であり教育者だ。だが、学長の笑い方はそのどちらでもなく、むしろ政治家のような印象をアウリールに与えた。
(つまり、首席を付属病院に送り込み、その上で次席の俺を宮廷に送り込みたい、というわけか。自分と大学のために)
入る学校を間違えた、とアウリールは後悔した。今まで、何のために試験の結果や論文の内容を抑え、次席に甘んじてきたと思っているのだ。
「学長先生、わたしの卒業後の志望先はご存知ですよね?」
「田舎に帰って、医師をしたいというあれか? 君の優秀さではもったいないよ。第一、君、田舎に帰りたいのなら、何のために博士の学位を取ったのだね?」
そう言われてしまえば、アウリールには返す言葉がない。せっかく奨学金を借りて勉強するのだから、と色気を出しすぎたのだ。
「それに、君の田舎は、確か無医村だろう? 診療所を建てるにも金がいる。しばらく侍医を務めて貯蓄して、そのあとで田舎に帰っても遅くはないと思うのだが?」
もっともな学長の意見に、アウリールはつい無言になってしまう。
「頼むよ、ロゼッテくん。大法官閣下から直々のお達しなんだ。優秀な学生を王子殿下の侍医に迎えたい、というね。第二王子殿下は、病弱ではないが、風邪を召しやすいご体質だと聞いている。君を必要としている患者がいるのだから、辞令を受けてくれたまえ」
(あなたにだけは、綺麗ごとを言われたくないんですがね。この、政治屋が)
内心で毒づいたアウリールは、なおも難しい顔をして見せた。
「学長、わたしは聖人ではないので、そうおっしゃいましても、今一、背中を押された気がしない、というか……」
もう一声! と、暗にほのめかすと、学長はしばし瞑目し、ため息をつくように言った。
「……そうだな。では、君の奨学金の返済を全額免除するということでどうかな?」
アウリールは内心で、満面に笑みを浮かべた。
「そこまで便宜を図っていただけるなら、私もお引き受けするしかありませんね。かしこまりました。辞令を謹んでお受け致します」
まあ、この学長のことだ。あらかじめ、こうなることは織り込みずみだったのかもしれない。ともかく、対価としてとりあえずの収穫を得られたので、アウリールは主張を引っ込めることにした。
辞令を聞くまでは、こつこつ働いて奨学金を返済するつもりでいたが、今となってはその金が学長を潤すのかと思うだけで、返す気力も萎えるというものだ。
それに、地方の神官である父は、村では名士だが、取り立てて裕福なわけではないし、アウリールの下には、弟妹もいる。もしも自分に何かあり、働けなくなった時に、家族が政治屋の連中に奨学金の返済を迫られることになっては困るのである。
(ま、金のために節を曲げても、志までは売らないさ)
顔どころか、名前も知らない第二王子とやらが、どのような人物なのかは分からないが、一介の侍医の進退など、彼の胸三寸だろう。
王子の機嫌を損ねてしまった場合、もしくは穏便に数年勤め上げ、侍医を退職した場合の、故郷での開業を諦めたわけではない。
アウリールは高貴な者への忠誠など、馬鹿らしいと思っている。いくら権力を持っているとはいえ、王族だって自分と同じ人間なのだ。忠誠を誓うかどうかは、相手の性質次第だろう。
そればかりか、アウリールは神官の息子にもかかわらず、神々を信じていない。神話は事実ではなく、昔の人々が創り上げた物語だと考えている。この国の人々は信仰が厚いので、自説を誰にも言ったことはないが。
そんなアウリールでも、父のことは敬愛している。けれど、それは父が聖職者だからではない。神学校で学んだ医術の研鑽を続け、無医村で暮らす人々のために、医療を施しているからだ。この国では、地方の神官が医師の代わりを務める事例は、よくあることだった。
少年時代、絢爛たる神話よりも、地味だが実のある医学書のほうを好んで読んでいたアウリールにとって、無神論者の医師になることは、当然の帰結であった。
目的を達して破顔する学長に一礼し、アウリールはさっさと学長室を退出した。
*
辞令を受けてから、アウリールは宮廷に上がるための準備に追われることになった。まず、宮廷からの使いに支度金を渡され、王宮で過ごしてもおかしくない服や持ち物を調達しておくように言い含められた。
この広い王都ステラエで、どんな店に入っていいのかすら分からなかったアウリールは、裕福な友人に同行と見立てを頼み、高級衣料品店に初めて足を踏み入れた。その店は宮廷人がよく利用するとかで、王室の侍医が身につけている服も扱っていた。
早々に場違いな感覚に襲われる中、アウリールは目の玉が飛び出るような値段の絹服を買い込むことになった。
授業や論文の作成の合間に、卒業後に住むことになる官舎を下見にいったり、入居の手続きをしたりと、忙しなく毎日は過ぎていく。
その年の十月、アウリールは今までの成績通り、次席でステラエ医科大学を卒業した。この国の大学には卒業式などというものはなく、みなばらばらに巣立っていくのだが、偶然、首席の学生と卒業日が同じだったのである。
十三歳の時から七年間過ごした大学と学寮をあとにしたアウリールは、すがすがしい気分でいっぱいだった。学長ら脂ぎった経営者たちと縁を切れることが、ただ喜ばしい。
故郷はステラエから遠方なため、家族は顔を見せなかったが、事前に卒業を祝う母からの手紙が届いたので、アウリールは満足した。
(落ち着いたら、返事を書かないとな)
次に故郷に帰るのがいつになるかは分からないが、今は新しい生活に集中すべきだった。
そうして、翌月の十一月、アウリールは用意した絹服を身にまとい、初の参内をすることになった。
初めて間近に見る王宮の威容と壮麗さに息を呑んだアウリールは、中に通され、改めてその豪奢さに目を驚かした。
玄関広間の天井は驚くほど高く、ドーム状になった中心には、鮮やかな絵画が描かれていた。左右には壁画が並び、前方には歴代の王たちの彫像が立ち並んでいる。
アウリールは侍従に案内され、まずは王宮の一室にて、今月で退職するという前任の侍医、エイベ博士と対面した。挨拶ののち、どことなくくたびれた印象の彼から第二王子のカルテを受け取り、目を通す。
(確かに、風邪を引く回数が多いな……)
カルテには、王子の脈拍数はもちろん、生活様式から食事の内容まで、事細かに記録されていた。
「ありがとうございます。大体分かりました」
アウリールがカルテを返すと、博士は怪訝そうな顔をした。
「もう読んだのかね?」
「はい。記憶力はそれなりに良いもので。ところで、殿下とは今日、ご対面できますか?」
「むろん、その予定だ。わたしが退職するまでに、君には職務に慣れてもらわねばならない」
アウリールと博士は、口頭で職務に関するやり取りをいくつか行ったあとで、王子の部屋に向かうことになった。
国王一家は、この部屋が位置する、王宮の東殿で生活しているという。だだっ広い廊下に出、目線を上げると、天井に花びらを象った透かし彫りがされていた。宮殿の意匠に内心で唸りながら、アウリールは博士のうしろに続いた。
やがて、脇に近衛騎士と思しき帯剣した男がたたずむ、両開きの扉が設えられた部屋の前で、博士は足を止めた。彼は扉をノックし、大きくはないがよく通る返事が聞こえてから、扉を開けた。
広い部屋の中では、小さな少年が豪奢な椅子に腰かけ、美しい装丁の本を読んでいた。
「失礼致します。シュツェルツ殿下」
シュツェルツと呼ばれた少年は、本から顔を上げると、ちらりと博士に目をやり、そのあとで、視線をアウリールに固定した。
「その者は誰か?」
「彼はアウリール・ロゼッテ博士と申しまして、私の後任を務めることになった、新しい侍医でございます。ロゼッテ博士、このお方が第二王子のシュツェルツ殿下でおいでだ」
アウリールは事前に練習した通り、右手を胸に当て深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります。シュツェルツ殿下。アウリール・ロゼッテと申します」
「もっと近うよれ」
シュツェルツに命じられ、アウリールは王子の前に進み出た。掌に汗が滲んだ。がらにもなく緊張しているのだ。
間近で見るシュツェルツは、精巧な人形のように端正な顔立ちをしていた。日焼けしていない肌は雪のような白。こちらをじっと見上げる瞳は、神秘的な灰色がかった青。肩口で切りそろえられた髪は、烏の羽のような漆黒。
髪型のせいもあり、少女だと言われれば、思わず信じてしまいそうだ。とてもじゃないが、市井ではこんな子どもはまず見かけない。
シュツェルツはアウリールを凝視したあとで、桜色の唇を開いた。
「そなた、女性のような顔をしているな」
アウリールは、思わず顔をひきつらせそうになった。
(自分だって似たようなものだろう!)
気にしていることを言われ、アウリールは強い衝撃を受けた。だが、ここは我慢だ。目の前にいるのは、村の悪ガキではない。一国の王子だ。
それに、カルテによれば、シュツェルツは先月に九歳になったばかりだ。多少生意気なのは、仕方あるまい。
アウリールは腹立ちを抑え、口にしなければならない事柄を懸命に思い起こす。
「殿下、さっそくですが、最近、ご体調について、何か気になることはございませんか? 例えば、よく眠れないとか」
「特にない」
「殿下はお風邪を召しやすいようですが、原因に心当たりはあられますか?」
「ない。それを見つけるのが、そなたらの仕事だろう」
「……おっしゃる通りです」
この王子、かなり手強い。言葉に詰まったアウリールは、シュツェルツの読んでいた本の表紙に、何気なく目を向けた。開きっぱなしになっている本は歴史書だった。九歳の子どもが読むには、かなり難しい本だ。
シュツェルツの知性を察し、アウリールはいったん、引き下がることにした。拝診プランの練り直しが必要だ。
「他に訊くことがないのなら下がれ。読書の邪魔だ」
「はい。お邪魔致しました。これにて失礼致します」
アウリールは再びお辞儀をすると、博士とともにシュツェルツの部屋を退室した。扉を閉じる時に目にした王子は、もうこちらには何の興味も示さず、本に視線を落としていた。
「シュツェルツ殿下は、いつもあのような感じなのですか?」
アウリールが尋ねると、博士は笑いもせずに答えた。
「そうだ。言っておくが、あの方に子どもらしさを求めるのは、やめておいたほうがいいぞ」
アウリールがシュツェルツに見出した子どもらしさは、「女性のような顔をしているな」という無遠慮な一言だけだ。あとは徹頭徹尾冷めた態度のシュツェルツを思い出すにつけ、首を傾げざるをえない。
(風邪を引きやすいという体質よりも、性格のほうに問題があるんじゃないか。あれは)
王族の子どもとは、みなあのように可愛げのないものなのだろうか。それともシュツェルツだけが特殊なのか。参内したばかりのアウリールには、知る由もなかった。