ユイと 花になったガッちゃん
ユイと花になったガッちゃん
三年三組の女子のあいだで、今はやっていること、それは教室に花をかざることです。
毎日、だれかが花をもってくるので、教室の花びんはからっぽの時がありません。
自分のにわにさいた花をもってくる友だちを見るたび、
「いいなあ。わたしも、もっていきたいなあ」
ユイは小さくためいきをつくのです。
アパートでくらしているユイには、ベランダでしか花をそだてるところはありません。けれども今、そこは、ママが世話をしているハーブのプランターでいっぱいなのでした。
けさのことです。
学校の近くにある橋にさしかかろうとした時、ユイちゃ~んと後ろから声が聞こえました。
ふりかえると、クラスメイトの小山アンリが、小走りにやってきます。ピンク色のバラの花が、アンリのむねでゆれていました。
ユイのとなりで息をはずませながら、アンリが橋の下を指さしました。
「ねえ、見て。ユイちゃん」
橋の下には、みどり色の池が大きな鏡のように、けさの空をうつしています。
この池にはちゃんとした名前があるのですが、いつもアヒルが泳いでいるので、ユイたちはみんなアヒル池と呼んでいました。
毎年このきせつには、たくさんのカラーの花が、池をとりまくように咲き始めます。
「気をつけ」みたいにすっくりと咲いた白いカラ―。真ん中にある黄色い花べんがアクセントです。
「あのお花一本だけ、ユイちゃんが持っていけば?」
「そうだね」
二人は顔を見合わせてうなずくと、橋の下へと走り始めました。
さて、けさもアヒル池では、七羽のアヒルたちがのんびりと泳いでいました。
「あれ? またガッちゃんがいないぞ」
兄さんアヒルたちが、いちばん末っ子のガッちゃんをさがしています。
そのガッちゃんはといえば……池のほとりで、カラーたちとおしゃべりをしていました。
「ねえ、兄さんたちがあんたをさがしてるわよ。あんた、どうして泳がないの?」
「だって、水の中ばっかりあきあきなんだ」
「へんな子ねえ。アヒルのくせして」
カラーたちは、声をたてて笑いました。
そうなのです。ガッちゃんは好奇心がいっぱいのアヒルでした。
近ごろは橋を通りかかる人たちがみんな、足をとめてカラーの花をほめるたび、
ーいいなあ。おいらも花になってみたいなあ。
ガッちゃんはカラーの花たちがうらやましくてならないのでした。
「なあ、おいら、ほんのちょっとの間でいいから、きみたちのなかまになれないかな」
「ああいいよ。ちょっとだけならね。でもね、ガッちゃん、何があってもぜったい動いたり、しゃべったりしちゃだめだよ。すぐにまほうがとけちゃうからね」
「うん。わかった。おいら、じっとしてるし、ぜったい声も出さないよ」
そこで、いちばん年上のカラーが、ムニャムニャと呪文をとなえました。するとガッちゃんは。みるみる白いカラーに早変わり。
「やったあ!」
おおよろこびでさけぶガッちゃんを、カラーたちは思わずシ~ッとたしなめました。
ガッちゃんは、カラーたちの、いちばんはしっこに並びました。明らかに一本だけ、少し大きめでしたが、すまして花のふりをしていました。
と、そこへ、ユイとアンリがやってきたのです。
「ねえ、どれにしよう?」
「あれよ。他のより大きくていいんじゃない?」
二人は、ガッちゃんの化けたカラーの花に、ずんずん近づいていきました。
おどろいたのはガッちゃん。
―え? おいらになんか用?
「ごめんね。学校にかざりたいから、お仲間一本いただいていきまあす」
二人はそう言うなり、いきなり根元からカラーの花をすぽりとひきぬきました。
―わ、わ、わ
ガッちゃんは思わずさけぼうとしましたが、そんなことをしたら、たちまち、まほうがとけてしまいます。グッと口をつぐみました。
―たいへんだ!ガッちゃんが!
カラーたちは大さわぎ。
そんなこととは何も知らないユイは、ガッちゃんの化けたカラーを、大事そうにむねにだいて学校に走っていきました。
手洗い場で、アンリは持ってきた花を手ぎわよく教卓の花びんに生けはじめました。
後ろのロッカーにおく青い一輪ざし。まっ白なカラーはきっとこれにぴったりでしょう。
ユイは、アンリの手つきを見よう見まねで、カラ―の根もとに水をかけました。
ピシャ! いきなり大きく水がはねました。
「いやだあ! ユイちゃんったら」
アンリのスカートがぬれてしまったのです。
「あっ!ごめん、ごめんね」
ユイは、あわてて自分のハンカチを取り出すと、アンリのスカ―トをふきました。
―ヘンだなあ?
根もとに軽く水をかけただけなのに……どうしてそんなに水しぶきがあがるのでしょう?
それもそのはず。
カラーに化けたガッちゃんは、知らないところに連れてこられたうえに、いきなり水をかけられ、足をバタバタさせていたのでした。
アンリが持ってきた花を生け終わりました。
「ユイちゃんのも生けてあげようか?」
「うん、おねがい」
ユイは、カラーの花をアンリにわたしました。
「はい、カラーちゃん、花びんに入りますよ」
花が大好きなアンリは、生けるときにいつもこうして声をかけてあげるのです。
「あのね、ユイちゃん、お花って声をかけるとすごくよろこんでくれるの。そしてちゃんとお話もしてくれるんだよ。他の人にはわからなくてもね」
「ふうん。アンリちゃんってすごいね」
ユイは感心したようにアンリの横顔を見つめました。
やさしい声で、カラーちゃんとよばれたガッちゃん。つい、ガガ!と小さな声で返事をしてしまいました。
「やだあ、ユイちゃん、ヘンな声出さないでよ」
「ヘンな声?」
「そうよ。どこからそんな声が出るの?」
アンリは、ユイがふざけていると思いこんでいます。何にも言ってないのに……。
―ほんとにヘンだなあ…。
ユイは、またもや首をかしげました。
青い一輪さしにとっぷり水を入れ、大きな花びんはアンリが、一輪ざしはユイが、二人でしずしずと教室へ運んでいきました。
とちゅう、となりのクラスの山田先生と出会いました。先生はカラーをそっとさわりながらほほえんで言いました。
「まあ、なんてきれい! これはカラーね。一輪ざしにぴったりね」
花にふれられたガッちゃんはくすぐったくてたまりません。
何人かの友だちも集まってきました。
「三組ってすごいねえ。いつもお花がいっぱい」
ユイは、鼻のあなをふくらませ、グンとむねをそらせました。
それはガッちゃんも同じでした。
ーそうかい? おいら、キレイかい? テヘヘヘ。みんながおいらに見とれてらあ。
教室に入って、後ろのロッカーにおかれると、ガッちゃんはキョロキョロあたりを見まわしました。
ー子どもだらけだ。ここが学校というところなんだな。
受け持ちの永野先生が言いました。
「けさも、教室の前と後ろにお花がいっぱいで本当に気持ちがいいですね。アンリさんとユイさんにお礼を言いましょう」
―よかったあ、持ってきて。
ユイの鼻のあなが、ますますふくらみます。
―テヘヘ、みんな、おいらを見てるぞ。
うれしくてたまらないガッちゃんは、大きな声で鳴いてみたいのを必死でがまんしました。
―ゆれてる……風もないのに。
いちばん後ろの席にいるユイは、さっきからじっと一輪ざしを見つめていました。
カラーの花が何度も動くのです。
上下にゆれるときもあれば、ピョンとはねる時もあります。時々花の向きが、変わっていることもあります。
「川本さん、そんなにお花が気になる?」
先生にたしなめられるのも、もう五回目です。
―でも……やっぱりヘンだなあ。
きょうは、首をかしげることばかりです。
ガッちゃんは、じっとしていることにだんだんあきあきしていました。
せまい一輪ざしの中で足をそろえて立ったまま、みんなの後ろすがたをながめるだけなのですから。
最初の方はおもしろかったけれど、たいくつでたいくつでたまらないのです。
(でも、今、おいらは花なんだから……)
そうです。花は花らしく、じっとしてないければなりません。わかってはいても、どうしても首を動かしたり、ジャンプしてみたくなるガッちゃんでした。
四時間目は音楽の時間でした。
音楽室の工事をしているので、きょうは教室で授業です。
先生のしきに合わせて、ユイたちは合唱の練習を始めました。
♪夏も近づく八十八夜
野にも山にも 若葉がしげる
あれにみえるは 茶摘みじゃないか
あかねだすきに すげのかさ♪
ところが、きょうは合唱のとちゅうで、みょうな合いの手が聞こえてきたのでした。
♪夏も近づく八十八夜
グア グア
野にも山にも 若葉がしげる
ガッ ガ♪
みんなは歌うのをやめて、いっせいに後ろをふりかえりました。
一輪ざしの前にいるユイに視線が集まります。
その中には、アンリの顔もあります。
―もう! ふざけないでよ。ユイちゃん!
いかにもそう言いたげな目をしています。
―ちがうわ。わたしじゃないもん。
ユイは、そっと一輪ざしをふりかえりました。
―ぜったいヘンだ!
(ちょっと目立っちゃったかなあ)
ガッちゃんは、くちばしをとじて気をつけのしせいにもどりました。
当番がきゅうしょくの用意をしている間、ユイは、一輪ざしのそばに近寄りました。
「ねえ、カラーさん」
―おいら、花だからな。
ガッちゃんはだまっています。
「たいくつなの?」
―もう死にそう!
うなずきたいのをじっとがまんします。
「次、きゅうしょくだから、昼休みにいっぱいお話しようね」
―きゅうしょく?
そういえば、なんだかいいにおいがしてきます。
ガッちゃんがみんなのつくえに目を向けると、トレイのお皿に、おいしそうなパンがくばられているではありませんか。
(パン、パン、パン)
とうとう、ガッちゃんはがまんできなくなってしまいました。
「グ、グワワワ。はらへった、はらへった」
ちょうどその時です。
ガガガガガ
グワグワグワ
グワッ グワッ
校庭の方から、もっとすざましい声が聞こえてきたのです。
カラーたちから話を聞いた六羽の兄さんアヒルが、一列にならんで歩きながら、ガッちゃんをさがしに学校までやってきたのでした。
「ガガガ、ぶじかあ? ガッちゃん」
「グワワワ、どこにいるの? ガッちゃん」
「グワッ グワッ いたら返事してくれ。ガッちゃん」
さあ、教室のみんなは大さわぎ。
まどをあけて、アヒルだアヒルだとさけびはじめました。
ユイは、とっさに一輪ざしをふりかえりました。
「キャ!」
思わずさけび出しそうになって、口をおさえました。
そこには、カラーではなく、大きくくちばしをのばした、まっ白なアヒルが立っていたのです。
「たいへん!」
みんながまどべにあつまっているすきをねらって、ユイはアヒルをだきかかえると、人気の少ないうらぐちへと走りました。
「ごめんね。早くみんなのところに行って」
アヒルをすばやく放してやりました。
―ガガガガ
ガッちゃんはすぐに兄さんアヒルたちのもとに鳴きながら帰っていきました。
「もう一羽ふえたぞ」
「うらの方から来たぞ」
ユイが教室にもどると、みんなは、まだまだきゅうしょくどころではないさわぎです。
ようやくいただきますを言ったのは、七羽のアヒルたちが校門から出て行ったあとのことでした。
放課後、ふしぎそうにアンリが言いました。
「あれ? ユイちゃん、カラーの花がなくなってるよ」
ユイは、にっこり笑ってこたえました。
「あのお花には、教室の中はたいくつすぎたかもね」
そしてふと思ったのです。アヒルさん、パン食べたかったかなあ……と。
そこでユイは、アンリにこう言ったのです。
「ねえ。アンリちゃん。こんど、きゅうしょくのパンをアヒルさんに持っていってあげない?」
同じころ、ガッちゃんも池の中を泳ぎながら、兄さんアヒルたちに話していました。
「あのね、花になるのって、すごくたいくつ。おいら、もうこりごりだ。だけど、きゅうしょくのパンは食べてみたかったなあ」