030
温泉の後、俺はいろいろあってテントに戻ってきた。
明日からの仕事の話をするために、村長とも会ってきた。
いろいろこなして夕方から夜になった頃、テントに戻るとダッツがいた。
ダッツは一応病人だ、サラからの薬を飲んで中央のリビングらしき場所にいた。
「おお、兄貴っ。おかえり」
「兄貴はやめろ」
などと会話を交わしつつ、俺は椅子に座った。
俺が座ると、小さな椅子はミシミシ音を立てていた。
「サラはまだ、帰っていないのか?」
「一度戻って、この薬を渡してまたすぐに診療所に戻った」
ダッツが見せたのは、空になった大きな麻袋だ。その中に、薬が入っていたのだろう。
ここに来たのも、ダッツの薬の調剤のためだとサラが言っていたな。
「なるほど、医者も忙しそうだな」
「兄貴、俺……」ダッツはモジモジとしていた。
「どうした?」
「俺、やっぱり小屋に戻ろうと思う」
「ああ、あの家の猟師だったからな。体の方は、どうだ?」
「サラの薬が効いてか、調子がすこぶるいい。しばらくは、獣化の方も大丈夫だと思う。
俺のような病人は、ラナジー村にいてはいけない」
「何かあったのか?」落ち込んだ顔のダッツに、俺が声をかけた。
「俺は元々、獣化病にかかっていた。相棒と一緒にな。
病で迷惑をかけまいと俺らはこの村を出て、あの小屋に移った。
だが、俺はアイツをこの手で殺してしまった。しかも、俺も獣化してしまって迷惑をかけた。
このままここにいては、村でまた被害が出るかもしれない。だから俺は、村を出ないといけない」
「その気持ちは、とてもわかります」
そんな時、テントの中にサラが入ってきた。
両手には、茶色の紙袋をいくつも抱えて入ってきた。
「戻ったのか?」
「今日の診察は、もう少しあるのですが……戻ってきました。
料理を今日は、できそうにないですね。帰りが夜中になりそうです」
テーブルにいくつもの紙袋を落として、長細いパンを取り出していた。
「また、パンか」
「ダッツさん、これ飲んでください」
すかさず小瓶に入った薬を、ダッツに手渡した。液体の色は紫、俺は初めて見る色の薬だ。
「この薬、飲めば獣化の発作はほぼ完全に収まるはずです」
「それを作りに、行っていたのか?」
「この村には調剤所があるので、なんとか作れました。
これを飲んでおいて、一週間しばらく様子を見れば……ほぼ元通りステージ3になりますよ」
「すまない……サラ」
「いえ、医者として当然です」
しょげるダッツに対し、サラは淀みない笑顔を見せた。
「それよりも、ダッツさんをラナジー村に連れてきてすいません」
「あんたの言うとおりだよ、サラ。俺は相棒の死で、冷静に判断できなくなっていた」
「ダッツさんは、やはり戻るんですよね?」
「ああ、家はここではない。あそこにしかない。
だが、俺は二人に感謝してもしきれない。それに、今までヒドイことを言って済まなかった」
「いえ、仕方ないですよ。私はそういう人を、何人も見ていますから」
しょげるダッツに、小さなサラが慰めていた。
「本当に世話になった。薬代にもならないと思うけど、今俺が持っている財産だ」
懐からお金が入っている袋を、サラに手渡した。
「ダッツさん、そんなにいいです。私はただ善意でやっただけですから」お金を受け取らないサラ。
「せめて、これだけでも受け取ってくれ。兄貴もありがとな」
ダッツはそれでも、感謝の気持ちを込めてサラに袋を渡していた。
「そうか、これから戻るのか?」
「ああ。サラから薬ももらったし、獣は普通の人と共存できない」
「痛い事を言うな」
「まあ、久し振りに平和なラナジーが見られただけでも、価値がある。それじゃあな」
ダッツはそう言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
大事そうに薬を持って、俺とサラに背中を向けていた。
狼の頭をしたダッツが、フードをかぶっては顔を隠していた。
手を振りながら、俺たちのテントを出て行く。
行ってしまったダッツの背中を、俺と残されたサラはぼんやりと見ていた。
「行っちまったな、サラ」
「患者さんがよくなることが、医者としての喜びですから」
それでも少し寂しそうな顔を、見せていた。
「大丈夫なのか?」
「薬さえ飲めば、問題ないです。順調に薬を飲んで大人しくすれば、十年は人として生きられるでしょう」
「そんなに……というかそれぐらいなんだな」
「ステージの移行は、人にもよりますが十年から十五年周期で一段階上がると言われます」
「まだまだ、奥が深いな。獣化病は」
とりあえず、ダッツが無事ならそれでいい。今の俺は、そう思うことしかできないのだから。
「あの……マトイさん」
「なんだ?」
「今日はレティアさんのところ……どうでしたか?」
「別に、なんか普通に試験みたいのをやったけど」
「そうですか」サラの顔が、不満そうだ。
「どうした?」
「いえ、この村は少しおかしいです」
「おかしい?」
「はい、獣化病の症状がかなり多いです。前にも似たような症状があったのですが」
「ふーん、医者は忙しいのか?」
「はい、これからも薬を用意しないといけないですね」
この世界の医者は、薬剤師も兼ねるのか。それともここが、医者不足ということなのだろうか。
あるいはその両方かもしれないが。
「あの、マトイさん……」
重苦しい表情で、サラが言ってきた。
不意に、小さな体のサラが俺に抱きついてきた。
大きな体で、俺は小さなサラを受け止めた。
「ちょっとサラ……」
「急に、私の前からいなくならないでください!」
泣き出しそうな顔でサラは、俺の方をじっと見ていた。
「いなくなるって、急にどうした?」
「今まで私は、多くのものを失いました。もう、失いたくないんです。
おねがいです、私のそばに、いつもいてくれますか?」様子がおかしい、サラ。
明らかに、取り乱しているようだ。
「そう言われると、難しいが……」
この世界に絶対なんかない。俺はありえない方法で、異世界から転移してきた。
しかも、この世界にない姿で俺はここにいるのだ。
「まあ、善処する」俺は、曖昧な答えに終始していた。
「あっ、ごめんなさい」
我に還ったのか、冷静になったサラは俺から離れた。
小さなサラが離れたのを見て、俺も困った顔を見せた。
「時折、精神が不安になるんです。ダメですね……医者としては、失格ですね」
「まあ、年相応のリアクションだろ。小さい女の子が、ホームシックにかかることも……」
「私は十八歳の女の子です!子供じゃないですよ!」
小さな体のサラは背伸びをしながら、俺に必死に言い返してきた。
それでもやはり小さいサラは、すぐに落ち着いた顔に戻っていた。
「あっ、私は仕事があるので……戻ります」
テントの時計を見て、サラは自分のリュックの方をガサガサと漁り始めていた。
荷物を取り出すと、忙しそうにテントを出て行った。
忙しそうなサラを見て、俺はテーブルに残っていた堅そうなパンが置かれているのを確認した。




