深夜の死線
不意に、コツコツ、と扉が控えめに叩かれた。
「……もう寝ちゃいましたか?」
扉の外から届いたのはアーパネイの鈴の様な声。
壁掛けの魔力時計を見れば〇時を過ぎており、年頃の女子が気安く男子の部屋を訪ねよう時間では無い。
……本人にその気があるのなら話は変わるが。
「優しくされるのと乱暴にされるのと、どっちが好みだ?」
「な、何の話――……そ、そんなつもりで来た訳じゃありませんから! それに、初めてはロマンチックな雰囲気に包まれながら優しくされたい――て、な、何を言わせるんですかっっっ!!!」
扉越しでもアーパネイが慌てているのが分かった。
まったく、何を言わせるも何も、お前さんが勝手に語り始めたんだろうに。
「……失礼しますね」
キイ、扉がきしみながら開く。
建て付けが悪いのはあえての設定であり、強盗の様な闖入者に気が付きやすくする為にである。
梅格付けの宿屋に限っては夜間に強盗が押し入ってくる、強盗イベント、が低確率で発生する様に設定されている。
とは言え、始まりの街はゲームの開始地点となる街なので、そうした鬼畜イベントの対象にはなっていない。
カーテンの隙間から入り込んだ月明かりが戸口に立ったアーパネイを照らす。
さくらピンクの髪は二つ結びと左右に分けられていた。
就寝時におかしな寝癖がつかない様にだろう。
装いは先におやすみをした時のままの浴衣である。
ベッドから身体を起こして出迎える。
しかし、アーパネイは後ろ手で扉を閉めたまま俯いて口を開かない。
二四時間にも満たない短すぎる付き合いではあるが、アーパネイが肩を落とした姿に相当な違和感を覚える。
「どうした、腹でも痛いのか?」
「……創造主様は明日帰ってしまうんですよね」
アーパネイがポツリ呟く。
そうして、ゆっくりと顔を上げた。
不安……だろうか、光源は差し込む月明かりのみである薄暗い室内である事を差し引いても顔色はかんばしくない。
「創造主様は実際にこの世界を歩いてどう思いました?」
「そうだな、わずか歩いた程度だが……何かと首を傾げる部分はあったな。自分で設定しておいて何だが、セレスゲティ大草原なんかは広すぎないか?」
この世界での一般的な移動手段は馬車がせいぜいである。
現実世界で当たり前の車や列車なんかは無い。
その代わりに……と言うには何の代わりにもならないが、魔物と言う脅威が存在する。
そんな環境で、現実世界のセレンゲティ国立公園をモチーフにしたセレスゲティ大草原は広すぎる。
「じゃあ、狭く……しちゃいますか?」
アーパネイの顔色がより一層不安に染まった。
「いいや、そんな事をするつもりは無い」
「……え?」
俺の回答が相当に意外だったのか、キョトンと呆けるアーパネイ。
「過去に設定した内容は変更しない、それが俺のマイルールだ。それに、セレスゲティ大草原が広すぎる位に広い事で恩恵を受けている存在だってきっといるだろう。それを俺の勝手な見方でぶち壊すつもりは無い。セレスゲティ大草原に手を加える事で大陸にどんな影響が現れるかもわからないしな」
現実世界において、一晩で地図が大幅に変わったならどうなるか。
想像するに恐ろしい。
「この世界には陽が降り注ぎ風が吹いている。今だって月が出ているし、天候や季節によっては雨や雪も降るんだろう?」
尋ねると、アーパネイはコクリと頷いた。
「この世界を設定したのは俺だ。だが、この世界は俺の箱庭なんかじゃない」
「創造主様は認めてくれるんですか? この世界を人々が生きる大地として」
「お前さんは泣いて怒ってウザかったし、道具屋の親父は俺の希望に沿おうと考えを巡らせてくれた。病院のおばちゃんは立場を思えば仕方なかっただろうし、宿屋の女将さんは懐がこれでもかと深かった。そして、お前さんはウザかった」
「何で私だけ二回言ったんですか!? そんなにウザいですか、私っっっ!!!???」
「あ、う……お、おお」
「何で気がつかないの? みたいな顔しないで下さいよおおおおおおっっっ!!!」
泣きそうになりながら地団駄を踏むアーパネイ。
……そうだな、やはりアーパネイにはこうして多少ウザい位程度が似合う。
「この世界に住む人々についてもだ。出会った誰にも心があった。そんな連中を、俺が設定した単なるNPC、なんて断じる事が出来るかよ」
「……創造主様」
アーパネイの瞳がみるみると潤み、目尻に涙が溜まって行く。
今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。
ずず、と鼻水をすする音も聞こえ始めた。
「そんな事を心配していたのか? 俺が現実世界に帰った後で、このゲーム世界――ジアーレをどうにかしてしまうんじゃないか、なんて?」
「だって、創造主様には創造主様の世界があるじゃないですか。この世界に生きてはいないじゃないですか。今こうしてジアーレの地に立っているのは異常な事じゃないですか。創造主様が自分の世界に帰った後でその異常に手を加えようと――ジアーレを修正したり削除したりするつもりだったらどうしようと思って、居ても立ってもいられなくて……」
それでこんな深夜に訪ねて来たって訳か。
「そいつはいらない心配だったな。例え、今回の事でジアーレに悪い印象を持ったとしても……六年を費やしたんだ、そう簡単に修正なんかするかよ。削除だなんてもってのほかだ。出来の悪い子程可愛いって言うだろう」
「か、可愛い……ですか? そんな、照れちゃいますよ」
「お前さん、自分で出来の悪いポンコツだって事を自覚してんのな」
「ポンコツは言い過ぎですよっっっ!!!」
やれやれ……と肩をすぼめ、ため息を吐く。
居ても立ってもいられなかった、とは愛い奴め。
そんないじらしい女神に、ふと、いたずら心がよぎる。
「もし、俺がこんな世界は削除してくれよう、なんて気持ちでいたならどうするつもりだったんだ?」
すう、とアーパネイより表情が失せた。
釣られ、周囲の温度も下がった……様な気がする。
「……て頂くつもりでした」
「ん? 何だって?」
呟き俯いてしまうアーパネイ。
声が小さかったのでよく聞こえなかった。
身を乗り出して耳を傾け――。
「……最悪、死んで頂くつもりでした」
――た事を後悔した。
顔を上げたアーパネイ、その瞳に色は無かった。
ゴトリ、アーパネイの足元にトゲトゲハンマーが転がる。
昼間にダークレオを滅多打ちにしたあのトゲトゲハンマーだ。
どうやら、後ろ手にしたままだった両手に握られていた模様。
「私はジアーレを象徴する女神として、ジアーレを否定された時は黙っている訳には行きません。そして、それは相手が創造主様だとしてもです。創造主様がこの世界の在り方を蔑ろにし、創造主様の世界に帰った後でジアーレに多大なる手を加え、過ぎる改変をなさるつもりでしたら、そう出来ない様に……帰る事が出来ない様に監禁を、最悪、死んで頂くつもりでいました」
絶句。
一八年の人生で言葉を失ったのはこれで二度目だ。
背筋が泡立ち悪寒が駆け巡る。
……ああ、おしっこしたい。
「でも嬉しいです、創造主様がジアーレの事を、私たちの事を、認めて下さってくれていて。……これからも末永くよろしくお願いしますね!」
満面。
まるでひまわりの様に愛らしく暖かい笑みのアーパネイ。
が――。
「あ、はい。これからもよろしくお願いします、アーパネイ……さん」
俺の肝は冷え冷えで風邪を引きそうである。
「嫌ですよう、そんな他人行儀な呼び方! 創造主様ってば、本当に意地悪なんですから!」
あはは、とアーパネイは頬に手を当て、ほがらかに白い歯を見せた。
「は、ははは……」
そんなアーパネイに、俺は愛想笑いを返すのが精一杯だった。