脳筋女神アーパネイ
見渡す限り、ポツンポツンと低木や岩石が点在する以外にはどこまでも何も無い大草原。
およそ六年前、現実世界はタンザニアのセレンゲティ国立公園をモチーフにジアーレ七大ダンジョンが一つとして設定をしたフィールドでありダンジョンでもある。
名前は、セレスゲティ大草原。
セレスゲティ大草原の中心部に到達した冒険者には――……と言う設定もある。
中心部に近づく程に現れるモンスターは強くなる、と言うお約束も設定されており、本格的に攻略しようつもりのプレイヤーには、しっかりとしたレベル上げは言わずもがな、拠点帰還アイテムも必携と勧めたい。
……勧めたかったな。
俺とアーパネイはそんなセレスゲティ大草原をかすめる様に伸びる街道を歩んでいた。
目的地は、北の方角にそびえる街並み――始まりの街、である。
始まりの街、とは、その名の通り、ゲームが始まる街である。
つまり、初期の初期の初期の拠点だ。
にも関わらず、すぐ隣には七大ダンジョンが一つ。
初期拠点の近所にラストダンジョン級のダンジョンがあるのはクールだな、なんてにやけながら設定した六年前の俺が思い出されてしまう。
「装備出来る武器は鈍器だけ、三行以上の文章を読むと腹が痛くなる。そんなポンコツな女神はだーれだ? 一、アーパネイ、二、アーパネイ、三、アーパネ――」
「私をそう設定したのは創造主様でしょうっっっ!!! おかげ様で本を一冊読むだけでも大変な苦労をするんですからね! 何ですか、いきなり!」
隣を歩くアーパネイが、むきー、と表情を歪めた。
目指す始まりの街はまだまだ遠い。
このペースなら後二時間から三時間はかかるだろう。
なので、ぼんやり歩くには暇が過ぎる。
からかって暇を潰す位はしないと。
それに、俺が設定したゲームのキャラクターとは言え、好みど真ん中の女の子が隣にいるのだ。
何かとちょっかいを出したくなるのは男心と言う物だ。
アーパネイは俺の言う事を信じてくれた。
ここは俺が設定したゲーム世界であると言う事を。
とは言え、簡単に首を縦にしてくれた訳では無い。
この世界のあらゆるを設定した俺しか知り得ない事を多数明らかにしてようやく頷いてくれたのだ。
それら多数を明らかにした頃、アーパネイは見える肌の全てを羞恥に染めながら、信じますからもう止めて下さいいいいいいっっっ!!! と涙を浮かべ鼻水をすすりながら俺の足元にすがりついていた。
靴を舐めろ、と命じたならそうしただろう。
この世界のあらゆる、その範囲にはアーパネイ自身も含まれる。
それは、アーパネイに設定された他人には聞かせられないあんな趣味やこんな嗜好をも把握していると言う事だ。
具体的には……止めよう、アーパネイに睨まれている様な気がする。
そうして歩いていると、不意に、前方で空間に歪みが発生した。
まるで、アーパネイが現れた時の様な。
「モンスターです! 歪から現れますから近づかないで下さい!」
眉をひそめる俺にアーパネイが声を上げた。
RPGに無くてはならない存在であるモンスター。
どうやら空間に現れた歪はそのエンカウントエフェクトの模様。
モンスターは野生動物よろしくそこいらを闊歩している訳では無いと言う事か。
RPGツクーレではランダムエンカウントとシンボルエンカウントのどちらかを選択して設定出来る。
俺が選択し設定したのは前者であり、ゲームでは、エンカウントと同時に画面が戦闘パートへ切り替わる仕様だった。
リアルでは、エンカウントした場合は空間に歪みが生じるのが世界の仕組みと見える。
もし、後者のシンボルエンカウントを選択して設定していたなら、モンスターは野生動物よろしくだったのかもしれない。
程なく、空間の歪よりモンスターが現れた。
黒色の毛皮をした獅子然としたモンスターであり、脳裏にかつて設定をした内容が浮かぶ。
「ダークレオだな。セレスゲティ大草原では下の中にランクされるモンスターで、すばやさ、のステータス値が高いから先手を取られやすいし、攻撃は避けられやすい。レベルが低い内は注意をしなければ一方的に攻撃されてしまう恐れのあるモンスターだ」
とは言え、始まりの街やセレスゲティ大草原などプレイの進捗における序盤に当たる部分は六年前に設定したきりの部分も多い。
忘れてしまっている設定なんかもあるかも知れない。
「その通りです、戦う準備を急いで下さい!」
「おいおい、俺は手ぶらだぞ? 手ぶらでモンスターと戦うなんてハードルが高いと思わないか? 職業、武道家、の様に素手でも戦えるならともかくだが、俺にはそんな大層な真似は出来ん」
手をぶらぶらと見せびらかすと、アーパネイが表情を引きつらせた。
「じゃ、じゃあ、あのモンスターは誰が――」
「そりゃあ、俺以外の誰かだろう。……任せたぞ」
ぐ、と、絶句しているアーパネイに向けてサムズアップ。
――と、ダークレオが一足に襲いかかって来た。
照準は……アーパネイ。
まあ、そうだろう。
男と女だったら一般的に身体能力で劣る女を狙うのは当然と言える。
だが――。
「まったく、もう!」
アーパネイは巫女装束の胸元に手を差し込むと、赤茶色の袋を取り出した。
にわかに肌蹴た襟元からアーパネイの白い肌が覗く。
それは健康的に艷やかでとても柔らかそうだった。
思わず目を引き寄せられてしまう。
「何処を見ているんですかっっっ!!!」
俺の視線に気がついたのか、アーパネイは頬を桃色に染めながら喚いた。
ながら、赤茶色の袋に手を差し込み、柄が三〇センチ程で先端がトゲトゲの金属球となっている鈍器を取り出す。
トゲトゲハンマー、である。
ゲーム序盤で僧侶やそれに類した職業のキャラクターに愛用してもらう事を想定した武器の一つだ。
そして、トゲトゲハンマーを取り出した赤茶色の袋、正式名称は、大きな袋。
コンビニでSSサイズに分類される程度の容量しか無い袋だが、大小あらゆるアイテムを無数に収納する事が出来る性質を備えた袋である。
これは俺が設定したアイテムでは無く、RPGツクーレ自体のアイテムの持ち運びに関する仕様だ。
俺が設定出来たならこんなチートアイテムなんか用意しない。
持ち歩くアイテムの数に制限があり取捨選択を強いられてしまうのもゲームの醍醐味だろうに。
「前衛とか私の趣味じゃあ無いんですけ――どっっっ!!!」
中空を滑る様に襲いかかって来たダークレオの横っ面にアーパネイはトゲトゲハンマーのトゲトゲ金属球部分を勢い良く叩きつけ、めり込ませる。
ギャイン、と悲鳴を漏らし、セレスゲティ大草原の大地へと叩き落されるダークレオ。
アーパネイが振り回したトゲトゲハンマー……、空気を切り裂く音が聞こえた様な……。
「後衛でっっっ!!!」
間髪入れず、アーパネイが跳ねる。
トゲトゲハンマーを大上段に振りかぶりながら。
視線の先には未だ昏倒しているダークレオ。
「頑張って下さい、とか応援したりっっっ!!!」
落下の勢いを上乗せし、トゲトゲハンマーを振り下ろすアーパネイ。
トゲトゲ金属球はダークレオの頭部を正確に照準しており、ゴギィン、と痛々しい酷音を響かせた。
そのままアーパネイはトゲトゲハンマーを振りかぶってはダークレオに振り下ろす。
頭部に、腹部に、腰部に。
何度も、何度も、何度も。
まるで狂気に飲まれたラッコの様に。
……これは子供には見せられないぞ。
やがて、ダークレオは身体を光の粒と霧散させてしまった。
アーパネイの殴撲によって設定されたHPが尽きたのだろう。
HPとは生命力であり、攻撃を受けるたびに設定された値は減少して行く。
そうして、〇を迎えたなら光の粒と消えてしまう――のが、ゲームとしての設定なのだが、リアルでもおよそ同様の模様。
モンスターの骸がそのまま残ると言う事は無さそうだ。
アーパネイはその場に膝をつくと、地に転がる宝石を一つ二つと拾い上げた。
ダークレオが残したドロップアイテムだろう。
モンスターはHPが〇を迎え光の粒と化す際に宝石やその他アイテムを遺す場合がある。
それらは総称して、ドロップアイテム、とされており、これも、大きな袋、同様、RPGツクーレ自体の戦闘に勝利を収めた場合に関する仕様である。
宝石を拾い終えたアーパネイが俺を見やり微笑む。
さくらピンクの髪がふわりと揺れ、柔らかな笑みを彩った。
「か弱い女の子なんですからね、私は」
「寝言は寝てから言え、脳筋がっっっ!!!」
アーパネイが装備出来る武器は鈍器だけ。
そして、魔法の類は一切使えない。
ちから、たいりょく、すばやさ、と物理攻撃に必要なステータス値はデフォルトでカンスト手前に設定。
それが脳筋女神アーパネイだ。
……六年前の俺は何を思ってこんな性能に設定したのだろうか。