欲しいのなら求めればいい
鈍い銀色に輝くレアモンスターのエンカウントエフェクトを眼前にアーパネイの顔色は冴えない。
どこか憂いを帯びている様に見える。
「いよいよ将雅さんは将雅さんの世界に帰ってしまうんですね……?」
「無事に事が進めば、な」
顔色と同様、アーパネイの声にもハリは無い。
しょげかえった小学生の様だ。
「将雅さんは元の世界に帰り、私も神界に帰り……ですね」
「俺が元の世界に帰ったとてお前さんまで神界に帰る必要は無いんじゃないか。六畳一間の神界に帰ったって腹を痛くする要素しか無いだろう」
神界にはコミックを初めとしたたくさんの書籍に魔法道具パソーコンが用意されているが、アーパネイは文章を三行以上読むと腹が痛くなる特異な設定がされている。
アーパネイと読み物との相性は最悪だ。
……そんな鬼畜な設定をしたのは――六年前の俺だ。
我ながら引く。
しかし、だからこそわざわざ神界に戻る必要は無いのではなかろうか。
「それは無理です、私が今地上にいる事出来るのは将雅さんがいるです。お忘れですか? 私の女神としての設定を……」
言われて思いを巡らす。
女神としての設定……。
女神としての設定は多々あるが、一つ、この場に沿うだろう設定に心当たった。
「女神はジアーレに生きる民へと干渉する事は出来ない」
「そう……です」
心に当たったままを口にすると、アーパネイは力無く頷いた。
そう言えば、昨日こんな話をしかけていた様な気がする。
確か、宿に着くか着かないかの辺りだったはずで、いつの間にか有耶無耶になってしまっていた。
「私だって神界からの脱出を考えた事は何度とあります。だけど、窓は開かないし扉も開かないし、窓も扉も壊れてはくれませんでした」
先にダークレオを蹂躙せしめたアーパネイの姿が想起される。
設定の範囲とは言え、よく壊れなかったな……神界。
「今、私がジアーレの大地に立っていられるのは将雅さんと一緒だからです。将雅さんは別の世界に生きる民であってジアーレに生きる民では無いからです。将雅さんに干渉する形で私は今こうしてここにいる事が出来ているんです。ですから――」
「俺が元の世界に帰ればお前さんは干渉する寄辺を失い、神界へ戻される事になる……か」
表情を曇らせるアーパネイの後を引き継ぐ。
「……もし、帰らないで下さいとお願いしたら軽蔑しますか?」
思わず息を呑んでしまう。
アーパネイが今にも泣き出してしまいそうに瞳を潤ませ始めたからだ。
「ジアーレの大地に在りたいが為に将雅さんを道連れにしてしまう身勝手な女……」
ポロリ、アーパネイの目尻から涙がこぼれ落ちた。
落ちた一粒に連なる様に、二粒三粒と次々に涙がこぼれ落ち始める。
眉をハの字に涙を落とし嗚咽を我慢するかの様に口元をもごつかせるアーパネイは夜空に浮かぶ月さながらに惹きつけられた。
感情に溢れた月に胸を打たれ、言葉を忘れ見とれてしまう。
……俺には不謹慎極まりないゲスな気があるのかもしれない。
「ご、ごめんなさい、妙な事言って!」
アーパネイが慌てて首を振り頭を下げた。
涙が宙を舞い、ダイヤモンドダストを思わせる。
どうやら俺が無言でいた事を悪い方向に受け取ってしまった様だ。
俺とて、泣くアーパネイに見とれていた、なんて言えない。
「……アーパネイ」
「……あ」
アーパネイとの距離を一歩詰め、未だ目尻に浮かぶ涙を人差し指ですくい取る。
驚いたか、目を見開きながらされるがままのアーパネイ。
にわかに頬が桃色と染まっている。
「願いや希望を口にして何が悪いんだ?」
「で、でも、私が神界に帰りたくないから将雅さんにも元の世界に帰るなって言っているんですよ? それってあんまりじゃないですか……我ながら引いちゃう位に」
「確かに自分勝手な願いだな。だが、俺はお前さんが胸の内を語ってくれた事を嬉しく思っているぞ」
「む、胸の内って……! 人が真剣に話をしているのにどこを見ているんですかっ! いくらなんでも変態すぎませんかっっっ!!! 時と場所を考えて下さいよっっっ!!!」
「胸の内ってのは服の中身じゃねえよっっっ!!!」
「い、いだだだだああああっっっ!!! 女の子の顔面を鷲掴みしちゃ駄目ですよ、中身出ちゃいますうううっっっ!!!」
涙をすくい取ったままの指を引っ込め手を開き、そのままアーパネイにアイアンクロー。
中身とか物騒な事を言いながら、アーパネイは俺の手首をペシペシとタップしている。
このポンコツめ……。
シリアスな雰囲気が台無しだ。
「……心配しなくてもすぐに帰るつもりは無い」
ピタリ、アーパネイのタップが収まる。
俺とて指に力はもう入れていない。
だが、手を離すとアーパネイと視線が真正面より交差してしまう。
それはちょっと恥ずかしい。
「モトノセカイカエールが手に入ればいつでも帰る事が出来る様になる。日ベコの超谷も気になるがこの世界だって気になる。俺の設定がどう反映されているのか、俺の設定をどう超えているのか、見て回りたい思いがそれなりに強くなって来ていてな」
「そ、それって――」
アーパネイが声を弾ませながら俺のアイアンクローをはねのけた。
真正面より目が合い頬が熱くなる。
「道案内位は出来るんだろうな?」
目を細め、アーパネイを睨めつける。
……照れ隠しだ。
「――で、出来ます! 腐っても女神ですからっっっ!!!」
言うと、アーパネイはひまわりの様に破顔させ、勢い良く胸を張った。
巫女装束に包まれたBカップが、ぷるん、と上下に揺れる。
たった今まで泣きそうに気持ちを落ち込ませていたってのに……まるで秋の空だ。
眼前のいじらしい女神に、ふと、いたずら心がよぎる。
「もし、俺がどうしても帰るって聞かなかったらどうするつもりだった……ん、だ?」
口にしながら、しまった、と胸が締め付けられる。
確か、昨夜もこんな流れじゃなかったか。
いたずら心で余計な事を言ってしまって。
「……つもりでした」
「な、何だって?」
呟き俯いてしまうアーパネイへ尋ね直す。
正直、尋ね直すなんてしたく無かったが、俺から話を振っておいて聞こえなかったままに無視をする訳にはいかないだろう。
例え、昨夜同様の恐ろしい展開――死んで頂くつもり、なんて、ジアーレを脅かす外敵と認定されてしまう可能性があったとしても。
と、覚悟を固めたのだが――。
「その時は、残念ですがお見送り位はさせてもらうつもりでした」
――アーパネイは眉をハの字に儚く笑んでいた。
瞳は水面の様に潤んでいる。
昨夜の様な漆黒とは違う。
今にも消えて無くなってしまいそうな雰囲気を感じさせるアーパネイ。
そんなアーパネイを眼前に、まるで心臓を鷲掴みにされたかの様に胸が苦しい。
そして、慈母の様に笑むアーパネイがとてつもなく愛おしい。
この気持ちはもしかして――。
「よし、お前さんは今日からタマだ」
「捨て猫扱いしないで下さいっっっ!!!」
――保護欲だろうな。
道端で段ボールに入れられ捨てられている子猫とアーパネイが重なってしまったので、名前を猫っぽく改めてやろうと思ったのだが、怒鳴られてしまった。」
どうやら気に入らなかったらしい。
「じゃあ、ポチは?」
「犬の方が良いって訳じゃありませんっっっ!!!」
むきー、と地団駄を踏みながら唸りをほとばしるアーパネイ。
その唸りはどこまでも高く広い空に溶けて行った。




