提示された案
ひとっ風呂浴びて身も心もすっきりとした俺は、アーパネイと共に宿屋の女将さん手製の朝食を頂いた。
米飯に味噌汁、焼き魚に厚焼き卵……と和風全開の朝食であり、今はなき祖父母宅での食卓を思い出してしまう。
先週や先月に戻りたいとは思わないが、幼いあの頃に戻れるのなら戻りたいかも知れない。
異世界への転移がこうして成されたのだから、時空間の転移だって誰かは経験しているのかも知れない。
隣ではアーパネイが箸を器用に用い小骨をすいすいと取り除いている。
……箸の扱いが俺より断然達者で複雑な思いである。
そうして、宿を後にする。
昨夜からの厚意にはしっかりと頭を下げておいた。
今日中に現実世界に帰還し、今夜は自宅のせんべい布団の世話になる……はずなのだから。
宿を出て真っ直ぐに病院へ向かう。
現在の時刻は九時を少々回った辺り。
診療はすでに始まっているだろう。
果たして、期待の通り病院の入口は開かれていた。
一般の患者よろしく、入口を潜りそのまま受付へ足を運ぶ。
「今日はどうなさいましたか? どこかもげましたか?」
受付にて対応してくれたのは、二〇代半ばの薄桃色の白衣に身を包んだ女性だった。
昨夜、ドアベルにて対応をしてくれたおばちゃんとは違う人と思われる。
……もげたか、何て物騒な事を躊躇無く聞かれると困る。
どう答えた物か。
「折り入って相談がありまして、モトノセカイカエールと言う薬を一つでいいので融通してもらいたいんですよ」
数瞬考えた末、もげたか、の部分は聞き流す事にした。
「お薬をご希望ですか? 診察券はありますか? もげた箇所は拾って来ましたか?」
「い、いや、こちらの病院にはかかった事が無かったので……」
「では初診でお薬だけを希望と言う事……ですか? 自力で繋ぐつもりですか?」
受付のお姉さんの表情が曇る。
初めての病院で薬だけ欲しい、なんて怪しい事この上無いからだろうか。
「もげた部分見たかったなあ……」
「そっちかよっっっ!!! もげてねーよ、ほらほらほらっっっ!!!」
黙っているのはもう限界だった。
両手両足をぶらぶらさせて四肢が健在である事をアピール。
とは言え、病院の受付で大きな声を出してしまった。
待合室で大人しくしている皆様よりの視線が背中に刺さる。
反省。
「……先生に話を通してもらえませんかね?」
「では、少々お待ち下さいね」
立ち上がり、奥へと引っ込む受付のお姉さん。
先生へと確認を取りに行ってくれたのだろう。
「譲ってくれるでしょうか……」
隣ではアーパネイが心配そうに俺を見ている。
「大丈夫、だと思いたいけどな。胡散臭い申し出だろうが、薬自体は道具屋にも売っている一般的な類で貴重な薬を要求している訳では無いんだし」
とは言え、ここで譲ってもらえないとなると、二週間後の再入荷まで待たなければならない。
……それならそれでもいい、か。
どこかそう思えてしまうのは、このジアーレが俺が設定した範囲を超えている世界だからだろう。
観光、とでも言おうか、俺が設定したジアーレがどの様に成り立っているのか見て回りたい気持ちが芽生え始めている。
しかし、日ベコの試合、ひいては超谷の活躍を拝みたい思いも依然強い。
ジアーレへの残留か、現実世界への帰還か、気持ちとしてはせめぎ合っていると言えよう。
とは言え、モトノセカイカエールを早めに手に入れる事に損は無い。
速やかなモトノセカイカエールの取得。
第一目標を変える必要は無い。
「お待たせしました。先生がお話を伺うとの事ですのであちらへどうぞ」
戻った受付のお姉さんは事務室を指し示してくれた。
礼を言い、事務室へ足を向ける。
扉をノックすると返事をもらえたのでそのまま中へ。
「失礼します」
「どうぞ、おかけ下さい」
事務室には三〇代後半と思われる白衣を羽織った男性が座っており、対面に着席を促してくれた。
この病院の医師の一人だろう。
先生が促してくれた椅子は一つ。
びっくりする位自然にアーパネイが座ろうとするので、野良猫を捕まえる様に首根っこを抑える。
「お前は立っていろ」
「はーい……」
んべ、と舌を出すアーパネイ。
親の目を盗む事に失敗した小学生の様だ。
そんな俺とアーパネイに、先生は苦笑を漏らしながら椅子をもう一脚用意してくれた。
「お二人とは気が付きませんで。どうぞ、こちらをお使い下さい」
「すみません、気を使って頂いて」
「いえ、お構いなく。……それで、お薬を譲って欲しいと伺いましたが?」
ぺこり、会釈をしながら椅子に座り、そのまま頷く。
「モトノセカイカエールと言う薬何ですが……。もちろん、代金はお支払します。とは言え、普段は道具屋にも並んでいる薬のはずですから、店の売値とあまりにかけ離れてしまうのは困ってしまうんですが……」
ちら、と先生を見ながら、ふっかけられる事を牽制。
先生はそんな俺にゆっくりと首を振って見せた。
「ご心配なく、そんなつもりはありませんよ。黙っていても二週間後には再入荷されるアイテムでもありますしね。……しかし、そうですね」
口元に手を添え、何事かを考え始める先生。
……これは一筋縄では行かないか。
「お薬をお譲りするのは構いません、在庫としても不足無い数がありますから。ですが、患者では無い方にただお譲りしては悪い前例となりかねません」
一理ある。
話を通せば患者じゃなくとも薬を融通してもらえる、そんな話が市井を回っては病院の評判が下がる事は明白。
良からぬ事を企てる輩とて現れるはずだ。
現実世界で薬物に関する不正な購入や使用など、何度となくニュースや紙面を飾った事が脳裏をよぎる。
「そこで、提案なんですが――」
そうして、先生は、ずずい、と身を乗り出して来たのだった。