♦魔法使いと秋の海
最近寒くなってきて、食べ物が美味しい時期になりましたね
私は寒さで体調を崩しました
某日
軽海の小国チェロックの海辺では朝早くから多くの人が行き交っていた
というのも今日は年に数回ある軽海から大規模な漁団が出る日、秋になり軽海を通過する旬の魚を求めて人々はこの物理的に軽い海に繰り出すのである
さんま祭り―チェロック・秋の風物詩―
-前日-
「ん…」
朝になり窓から眩しい光が差し込んでくる、まだ眠っていたいがそういうわけにもいかない、私は枕を思いっきり抱きしめ少し身を震わせた後、大きなあくびを一つ、温かさに名残惜しさを感じながらも仕方なく布団から這い出る
「ふゅゆっ」
夏も終わり、最近寒くなり始め、朝の床は思わず変な声が出てしまうほどだった、少し恥ずかしくなり辺りを見回すが誰もいない、同室にいたはずの夫はおそらく朝食でも作っているのだろう
食事が何よりも大好きなあの人のことだ、きっと今頃満面の笑みを浮かべながらフライパンを振るっている
今日の朝食はなんだろうか、あの人の料理はとっても美味しいから楽しみだ、私は少し大きめの夫の上着を羽織り、部屋を出た
1階のリビングへ向かう足並みは軽い、耳はピンと立った
一階のリビングに降りると誰もいなかった…耳はぺたんとへたり込む
またあの人は料理サミットやらなにやらに行ってしまったのだろうか、浮気の心配は露程もない夫ではあるが食が絡むとときどき突飛な行動に出ることがある
正直浮気よりも食べ物に負けるというのは女としてのプライドが傷つくが…少し目が潤んできた
涙を抑えようとしたが煙が目に染みて、結局泣いてしまった
「うわあ!煙が家の中に!」
「ほっほっほ、お任せあれ『風よ』」
部屋の中に新鮮な空気が入ってきて煙は家の外に出て行った、外から夫と爺やの声が聞こえてくる
あの人はどうやら外で何かを焼いているらしい
また放って行かれたかと思ったが杞憂だったようだ、時折杞憂でなくなるから恐ろしいのだけれど…
私は涙を拭い、朗らかな気分で家の外に出た
「何を作っているの?」
「あ、おはようフィミハ、ひょっとして煙が寝室まで行ってた?」
「大丈夫よ、煙はリビングまでにしか来てなかったから」
「そうか、よかった。そうそう朝食にサンマを焼いてるんだ、もうすぐ3人分焼きあがるから、味噌汁とご飯をよそっといてくれないか」
「わかったわ」
「私もお手伝いいたしますぞ」
夫-アリスは七輪の前でうちわ片手に3匹の魚を焼いていた、私の目には魚の腹の部分が炭化しているように見えるのだが大丈夫なのだろうか、まあ美食家の彼のことだから美味しくする工夫か何かなのだろう、私は料理は得意ではないからわからない
嫁として料理ができないのはどうなのだろうかといつも思うが、夫が自分がやると言っているのだから構わないのだろう、プロポーズの言葉も「僕の料理を毎日食べて下さい」だったし、普通は逆だと思うのだけど…
「その秋刀魚は大丈夫なの?」
「ん?秋刀魚?サンマじゃなくて?」
「?よくわからないけど、黒焦げに見えるのだけれど、それ」
「ああ、これは大丈夫、腹だけだし、理由は…まあ食べるときになればわかるよ」
もう焼きあがったのだろうか、彼は三つの炭を箸でひょいと皿に取る
「あら、いつもみたいに語らないの?」
「ははは、長くなりそうだし、君も退屈だろう?」
「アナタとの話ならどんな話だって退屈なんてしないわ、話自体は退屈でもアナタの楽しそうに話す顔は見てて退屈しないもの」
「ははははは…なんだか恥ずかしいね、いろんな意味で…」
彼は顔をほんのり赤くして頬を掻く、ここで正直に「可愛い」と言ってしまえば彼は拗ねるだろう、でも恥ずかしそうにはにかむ彼の顔は事実可愛らしさがあり、愛おしいのだ
「お邪魔するようですが、せっかくの料理が冷めてしまいますぞ」
「そうね、冷えるし早く家に入りましょう」
「うんうん、早く食べよう、今日のはなかなかいい焼き加減で焼けたんだ」
彼は鼻歌を歌っているが、私にはやっぱり秋刀魚の腹が炭になっているようにしか見えなかった
「美味しいわね」
「ですなぁ、アリス様は料理人として働いた方がよろしいのではないかと思います」
彼の焼いた秋刀魚の腹をフォークでつつくと、一見炭になっていたように見えた皮の下からはたっぷり乗った脂が香ばしい香りを漂わせた
これはなかなか美味しい、いつの間にか用意されていたスダチを絞ると味が引き締まった感じがして別の美味しさがあった、お味噌汁も薄味ながらすっと体に染みていくような味で、朝の冷えている体が温まる
ふと彼の方を見る、彼はハシとか言っていた二本の棒で器用に秋刀魚を食べていた
「よし、腹から少し流れた脂が焼けて香ばしい香りが鼻腔をくすぐる、炭火で焼いたから焼きムラもない、外の皮はパリッと、中の身には脂がたっぷり乗っていてじゅわっと、二つの触感が口の中でハーモニーを奏でる、お酒を飲みたくなるがまだ朝なのが惜しい、いやしかし焼き魚と白米の組み合わせもまた…、うん、スダチや大根おろしはサンマの多い脂を上手く包み込み飽きを越させない…嗚呼、これを七輪の上から直接食べることができれば!!」
「…自分の世界ですな…」
美味しそうに秋刀魚と白米を頬張る彼は見ててとても微笑ましい
「アナタ」
「ん、どうかしたかい?」
「別に一人で外で七輪から直接秋刀魚を食べてもいいのよ」
私はそう言って微笑む、彼の幸せそうな顔を見ることが私の大きな楽しみの一つなのだ
「いっいやいや大丈夫!この頃寒くなってきたからね!さすがに楽しめないよ!」
「あらそう…」
「…強い…ですのぉ、これが何も考えておらずただ善意だというのだから心臓に悪い」
心なしか彼が顔を青くしたように見える、風邪の引きはじめだろうか?今度マフラーでも編んでおこう
「あっそうそうフィミハ、明日はユヴ爺も一緒に秋刀魚漁の仕事が入ってるから、朝早く出かけるよ」
「わかったわ、風邪をひかないようにね」
「わかってる」
-そして話は冒頭に戻る-
軽海に囲まれたチェロック、その海辺には、剣や戦槌、盾や鎧といった武装をした屈強な戦士たちが集まっていた
そんなマッスルたちの前に立つひょろい影が一つ、アリスである
「今日は頼みますぜ、魔法使いの旦那」
「ああ、任せてくれ、足場は僕が確保する、絶対に砕けない、いや砕かせないから思う存分暴れてくれ、僕じゃあ直接戦うことはできないのが心苦しい」
「何言ってるんだよ旦那、俺たちゃアンタがいなきゃそもそも奴らを獲りに行くことすらできねえ」
「おうよ、だから俺たちゃ対等な関係だ、アンタだって海の戦士の一人さ」
「みんな…くぅっ、ありがとう」
やたら男たちの目つきが鋭く、まるでこれから決戦だとでも言わんばかりの態度であった、ちなみにこれから彼らが行うのは秋刀魚漁である
「アリス様、沖に5kmほどの地点に影を発見いたしましたぞ」
「ありがとうユヴ爺、みんな!行くぞ!この漁が無事に終わったら!売り切れない秋刀魚はみんなで秋刀魚尽くしだぁぁぁぁぁ!」
「「「「うおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!」」」」
アリスは海を凍らせ、男たちは秋刀魚のいる5km先へと進軍する、ユーヴォルはそれを手を振って見送った
波が舞い上がり、風で海面が抉れる、そんな軽すぎる海、軽海、一見穏やかに見えるこの海は落ちれば最後、どんなに泳ぎが上手かろうともどんどん沈んでいく、当然そこはとても生き物の住めるような環境ではない、魚であろうとも沈み込むからである
しかし軽い水は海面から400mほどのところまでらしく、長く長く糸を垂らせば通常の海に住まう魚を入手することができる
だが、そんな軽い水に適応し、捕食者のいない安全な海を泳ぎ回る魚類もまた存在するのである
「そろそろか…みんな!もうすぐ目的地だ、しっかりと警戒を…」
「いや、奴らはもう来てやがる!」
「ふせろ旦那ァ!」
マッスルな漁師の一人が盾を構え、アリスの前に立つ、瞬間、漁師の盾に何かがぶち当たり、金属音を奏でた
「お出ましか」
「旦那は伏せてできるだけ奴らの攻撃が当たらないようにしつつ、足場の確保を頼む」
「思いっきり暴れるから最高硬度で頼むぜ」
「ああ、任せてくれ」
突然の襲撃であったが、彼らは冷静に対処する、アリスは両手を氷の大地につき、魔法の詠唱を開始、足場である氷をより大きく固くしていく
漁師たちは武器を構え、海から襲い掛かるその魚を斬り、叩き、氷上に撃墜させていく
『秋刀魚』
軽海…それも秋のチェロック近海でのみ発生する非常に美味な魚である、その体の表面は刀のように硬く、背びれは刃のように鋭い、またトビウオの様にひれが進化している
種族特徴として、前に進む力の一部を魔力に変換、風魔法を引き起こし軽海を悠々と泳ぎまわり、その鋭く研ぎ澄まされた刀のような体で獲物を細切れに斬り飛ばし捕食するという獰猛な性質を持つ
また熱を通すと普通の魚と変わらないくらい体が柔らかくなる、秋刀魚はこの特徴を利用して普段泳ぎ回るときは体温による熱で体を柔らかくして高速で泳ぎ、獲物への襲撃の時に水の気発で体を冷却、その刃で襲い掛かる
「「「「「「「「秋刀魚祭りだぁぁぁぁぁ!!」」」」」」」」
今回の魔法使いの食道楽はアリス君が漁に出ているためお休みです
秋刀魚もいいですけど煮つけなら鯖も美味しいですよね