♦魔法使いの食道楽
※不定期更新です、悪しからず
白銀に輝く波が遠く広がっている、波はうねり逆巻きまるでかき混ぜられるように揺れている、そんな中不自然に波が固まった場所を二人の人物が歩いていた、一人は猫の耳を持ち白髪の初老の男性、一人は灰色のローブを身にまとったまだ年若い青年だった
「アリス様、今回の魔法サミットはどうでしたかな?」
初老の男性がローブの青年―アリス・チェロカン―に尋ねる、アリスに敬称を使うあたりから二人の関係が見て取れる、従者と主人といったところであろうか
「ん、ああなかなか有意義だったよ、特に『熱風』のシャガルさんの発表は為になった」
「ほう」
「ああ、卓越した魔力の操作技能を必要とせず、正確で完璧な詠唱を作り上げることで微妙な調整が難しい火力を固定、詠唱の節を増減させることで火力の増減を行う、しかも今まで以上に細かい火力の調整ができるようになり複雑な調理がより簡単に行えるようになった!」
「…」
初老の男性の目は冷めていた、しかしアリスはそれに気づかず説明を続ける
「しかも驚け!前もって詠唱を重ねておくことで調理途中の急な火力調節までも可能にしたんだぞ!」
「…いやはや、今回のサミットの地が軽海を通って行ける場所でよかった、下手に刃海などの先にある場所でしたら成果が苦労に見合わぬところでしたな」
「む…、いや今回僕が得たのは調理魔法の発展だけではないんだが…おっとまずい『凍結』」
アリスが言葉とともに足で海をたたく、海は瞬く間に凍り付き、溶けかけていた道はまた静止する
「ふう、そうだった、軽海は温度が伝わりやすいんだった、油断してたら溶けてくる」
「頼みますぞ、一度落ちれば助かる手段はわれらにはありませんからな」
この世界の海は、いやこの世界はすべてが液体で覆われている。
この星を覆う液体には地域によって特性が異なり、燃え盛る海に酸の海、波が刃となって襲い掛かる海に獰猛な生物が住まう海等々…、とてもではないが人が渡っていける海ではなく、多くの人は海ではなく空を渡り移動していた、それでも海以外にも行く手を阻むものはあり、国から国へ簡単に移動できる者はそういない、移動できる場所よりも完全に交通が遮断された場所の方が圧倒的に多いくらいである
その結果、この世界は場所によって文化の差が著しい、もちろん文化のレベルの差も著しいのだが、魔法と科学のように発展する方向性も大きく違っている
彼らが今歩いている海も一見穏やかなように見えるが、他の海と変わらぬ恐ろしい場所で、この海の水は恐ろしいほどに軽く、落ちれば最後、どんどん沈んで行ってしまう、その軽さは小舟ですら沈むほどだった
今は青年が凍らせているため移動が可能になってはいるが、青年が少しでも気を抜けばすぐさま元の海へと戻り二人を水底まで引きずりこむであろう。
では、人々はどうやって暮らしているのか、彼らとて陸地が無ければ今のような姿に進化はできない
「おや、樹が見えてきましたな」
「僕が思っていたよりも早かったな、凍らせた氷ごと流されていたのか?」
「恐ろしいことを言いなさるな、下手に炎海に流されては堪りません、もしもの時があったらお嬢様に何と言えばいいのか…」
「その時はユヴ爺が風魔法で連れて行ってくれるだろう」
「老骨に鞭打ちますなぁ…」
二人が見つめる先にあるのは巨大な樹木
この世界の陸地はすべて樹木を起点に形成されていた、この星の大地はすべて大樹の根の上にあった。
もちろん『木』の大きさによって、海の上を漂うだけの浮島から岩盤まで根を届かせる不動の大地まで、形成される土地の大きさは異なる
彼らの家があるこの土地は周囲を軽い水の海、軽海に囲まれたここは、人口万を超える小規模ながらも国と言っていい物であった
それだけの規模を持ちながら土地を支えるのはたった1本の『木』であるのだからその木の大きさがわかるだろう、だがこれでも世界最大の樹には程遠い大きさであった
―軽海の小国・チェロック―
「ふう、ようやく陸に着いた、小規模の魔法の連続行使は下手な大魔法よりも疲れるから困る」
「お疲れのようですな、如何いたしますかな?もう日も沈んでいる、このあたりで宿をとって明日家に帰るというのもよろしいかと」
「いや、家に帰ろう、幸いこの辺りは治安もいいから賊も出ないだろうし、…何よりいい茄子が手に入ったんだ、フィミハのやつ好物だったろ」
「なるほど…ならばこの爺、強行軍に付き合うと致しましょう」
嬉しそうにふっくらと猫のような微笑みを浮かべる老人―ユーヴォル・ゴート―に対し、青年の顔は焦りに焦っていた
フィミハと呼ばれた人物―フィミハエレ・チェロカン―は名からわかる通りアリスの血縁、正確に言えば妻なのだが妻に会いに行くにしてはアリスは顔色が悪かった
ユーヴォルはアリスの様子に気づくが、長旅で疲れが出たのだろうと気にすることなく歩を進めた
朝、日が出てから半刻程たったころ、豪邸とは言えないが決して小さくはない家の2階で、女性が独り目を覚ました。
ここ3週間は女性の心境を表すかのように冷たく鋭い気温と鳥も鳴かない孤独な朝が続いていた
女性は今日も一人で暮らすには広いこの家で朝食をとり仕事をして退屈な時間を過ごし眠るだけの単調な生活をするのだろうと思っていた
しかしこの日は違った
1階にあるキッチンからおいしそうな香りと楽しそうな鼻歌が聞こえてくる
女性はぺたんと倒れていた三角形の耳をピンと立て、香りと鼻歌のする方へと駆け出した
「ユヴ爺!できたぞ最後の一品カルノヤルクだ!フィミハを起こしてきてくれ、その間に配膳やっとくから!」
「かしこまりました。しかしアリス様、朝から重くありませんかな?」
チェロカン家の台所、そこでアリスは朝から魔法使いらしく杖を用いて魔法の開発…ではなく包丁や鍋等、様々な調理道具を卓越した技量で用いて朝食を作っていた、今の彼を見れば十人中十人が彼のことをコックだと思うだろう
「大丈夫さフィミハが食べきれなくても僕が全部食べるさ!」
「いえ、アリス様、そういう問題ではなく…!?」
「ん?どうしたユヴ爺」
突如ユーヴォルが固まり、おかしいと思ったアリスはユーヴォルの方を見るが彼の動きもまた固まった
「帰ってきたのね…」
調理に使われる火や窓から差し込んでいた朝日に温められていた空気が凍り付く、二人の固まった視線の先には一人の猫耳の女性、フィミハエレその人が立っていた
彼女の姿は目元には深い隈ができ、それに対し肩のあたりまで伸びた髪美しい濡れ羽色、おそらく毎日手入れしていたのであろう。様子はちぐはぐたがひどくやつれていることには変わりなかった
フィミハはゆっくりとアリスたちに近づいてくる、彼女の周囲にはバチバチと青白い割れ目のような光が生まれ、停滞し、消えていくという現象が起こっている
「ユヴ爺!退避!」
「言われずともとっくに逃げております」
「うわあ早い!」
ユーヴォルに遅れまいとアリスも窓を蹴破り外へと逃げだす、そして…
バチバチバチバチバチ!
「うええええええええええええええん!」
家には文字通り雷が落ちた
「いやあ、怒らせちゃったかな…」
「いえ、あれはお怒りというよりも泣く寸前でしたな。ところでアリス様、外出のこと言ってなかったので?」
「うん、忘れてた」
はあ、とユーヴォルはため息を一つ、冷ややかな目でアリスを見つめる
「そんな目で見るなよ、わかってるからさ…」
「では、家に戻り、誠心誠意きちんと謝罪してお嬢様を慰めてきてください」
「なあユヴ爺…それとこれとは話が違うと思うぞ」
冷や汗をかくアリスが見つめる先には雷鳴をとどろかせ激しい稲光を発し続ける彼らの家があった
「ユヴ爺が逝ってきたらどうだ?フィミハが赤ん坊のころから面倒を見てきたんだろ?」
「はっはっは、私に死ねと申しますかな」
二人はあきらめたようで、その場に座り込んだ
「激しい感情に呼応して勝手に魔法が発動するほどの魔力量と希少な雷魔法への適正…夫婦喧嘩はしたくないな…」
「お嬢様は怒る前に泣くと思われますよ」
「そうなんだよ、はあ…しっかり謝んないと…料理焦げてないといいなぁ」
「おや、お嬢様ではなく料理の心配ですかな」
「いや、フィミハのために作った料理だからね…やっぱり一緒においしくいただきたい」
「では飛び込んできてくだされ」
「…うし、逝くか…」
―魔法使いの食道楽その1―
『トルコ料理・カルノヤルク』
アリス「アレが実は本編ではないと気付いた人がどれくらいいただろうか?そうこっちが僕の本業だ!」
アリス「カルノヤルク、今回僕が最後に作った料理だ、一言で説明するなら茄子に米、玉ねぎ、ひき肉、その他野菜などを詰めて煮たもの。古くはごちそうとして扱われた料理だ」
アリス「カルノヤルクはドルマという料理の一種で、ドルマは野菜に上記の具を包んで作ったもの、カルノヤルクは茄子のドルマといえるだろう」
アリス「ほかにも野菜の葉で包んで作るサルマと呼ばれるものもある、またドルマという言葉は『詰める』という意味であるため魚介を使ったドルマスと呼ばれるものも存在する」
アリス「結構ボリュームがあるのでユヴ爺の言う通り朝食には重いかもしれないが、ラタトゥイユのように冷やして食べても美味しくいただけるので、多いようならば冷蔵庫に保存して二回くらいに分けて暖かい状態と冷たい状態両方を楽しむのもいいだろう」
アリス「ピーマンなどで作っても中の肉のうまみを逃がさないのでパクッといける、野菜嫌いな子供にもおススメな料理だ!」