林間学校 III
清水先生(保健室の先生)からの言葉の後、私は少しだけ、教室に行ってもいいかな、と思った。
先生はあの後こう言ったのだ。
「ね、失敗が怖いなんて、いいことなのよ。慎重に物事を進めることができるってことだもの。それに、失敗をすることでいろんなことを学ぶこともできる。気づいたことない?前にあることで失敗して、次に似たようなことがあったときには、もっと気をつけて、結果を予想しながら行動することができる。ね?
失敗は怖がらなくてもいいのよ。失敗して、学んで、また失敗してももっと学ぶことができる。
逆に、失敗をしないで生きている人はきっと何も学べないし、学べないから成長もできない。失敗は、したほうがいいのよ。
ただ、怖がることも間違ってない。失敗を少なからず嫌っていなければ、次失敗に近づいたときにも予防線を張らないでしょう?そうすると、やっぱり成長しないことになるのよ。
だからはるなさんは、すごく成長するのがうまいと思うわよ。自信を持っていいのよ。失敗をたくさんして、いっぱい学んで成長する力が、たくさんあるってことだもの。笑うやつ、からかう奴には好きなようにさせてあげればいい。いつかその失敗に気づいて、学ぶことになるものよ」
先生は、一生懸命に、私の目を見て話してくれた。
眼鏡の奥の澄んだ目は、まるで私の頭の中を見てるみたいに見えた。
ただ、見られているという嫌な気持ちはなくて、私が誰かに分かってもらいたいと思っていたところだけを見て、それを理解するために見てくれてるみたいな、そんな印象を与える目だった。
本当に分かってくれていたんだと、思う。
先生の言葉のおかげで、私は教室に行き始めた。
行き始めたと言っても、最後の一時間や二時間だけ。それでもすごいと、清水先生は言ってくれた。
思えば、私は褒められて育つ人間だったのだ。
小さい頃のことを考えると、怒られる場面と褒められる場面ばかり浮かぶ。
怒られる場面のほうが圧倒的に多いのは、きっとそういうことばかり記憶に残してしまったからだろう。それだけ、怒られるということに大きな恐怖、悲しみを覚えていたのだろう。
自分が怒られている場面だけではなく、友達や弟が両親に怒られている場面もやたらとある。
人が怒られていたりするのを見るだけで泣きそうになっていた。
だんだんとそれまでの生活の感覚を思い出してきた私は、給食から学校の終わりまで教室に居られるようになった。これはかなりの進化だったと思う。
その頃から私は、林間学校の準備を、母と一緒にやり始めた。
その時、母がある程度準備をしてくれていたことを知った。良かった、とホッとした。もし母が初めて置いてくれなかったら、林間学校には間に合わなかっただろう。
感謝。
結局私がやらなければいけなかったことは、林間学校のしおり、予備の靴、当日にお弁当と水筒を入れること、そして何がどこにあるかを覚えることだけだった。
教室に行き始めて、かなりの遅れは取っていたものの、幼稚園の頃からの幼馴染、理美がたくさん助けてくれた。
理美のおかげで、数学や理科、社会までは、ほとんど授業についていけるようになった。国語は私の得意教科だったので、自分で教科書を読んだり漢字の練習をしたりして、ついて行った。
林間学校での禁止事項や行事なども、ノートをとって母に見せ、二人で
「あ、これは楽しそうだね!」
「えー、毎日体温計らないといけないの?めんどくさいね」
「お弁当、残さず食べるのよ」
と話し合ったりした。
それが、すごく楽しかった。
林間学校には絶対に行きたくないというのは変わっていなかったけど、どうやったって行かないといけないんだという事実は受け入れ始めていた。