試みと絶望
その後の2ヶ月は地獄だった。母にあそこまで言われたにもかかわらず、私は教室へ行かなかった。行けなかった。相変わらず朝から夕方まで泣いて過ごし、帰ってからは家族全員に冷たい視線を投げられていた。
父は家にいなかったため、私の事は母がスカイプを使って伝えていた。
「あの子、本当にどうしたらいいのかしら。成績だって下がってるし、きっと友達も減ってるし。ドイツに行ったら余計ひどいことになるわきっと。私どうしたらいいの?」
毎夜小声で繰り替えされるスカイプは、眠りの浅かった私にとって、聞くことを強制されたものだった。たまに、母がスカイプを通しての喧嘩をしていることもあった。
「あなたはここにいないから分からないのよ!ここで悩んでる私の身にもなってよ!」
涙を流しながら父に訴える母の声に、一晩眠れずに泣いたこともあった。
今になっては、どうしてこんなものを聞いても普通に学校に行くことが出来なかったのか、自分のことながら理解できない。それだけ思いやりのない娘だということなのだろう。
一度、学校を脱走しようかと考えたこともあった。授業の間にトイレに行くと言って保健室を出れば、校庭にある、鍵のかかっていない(かかっていてもよじ登れば越えられる)小さな扉を通れば、たちまち外の世界。学校から、家から、すべてから、自由になれる。
でも、結局脱走を決行することはなかった。保健室の先生が大好きで、迷惑をかけたくなかったのと、後で怒られることが怖かった、という理由だと思うが、ただ意気地がなかっただけかもしれない。
また、自殺を試みてみようか、と思ったこともあった。
こんなに人に迷惑をかけるなら。
母が、ああ、あの母が泣いてしまうほどに悩んでいるのなら。
このまま勉強もできず、将来生きていけなくなるのなら。
今生きていて、なんになる?
こんな私に、生きている価値なんてない。
飛び降りられるようなところはなかったので、お風呂に入った時に水に顔を埋めて、死ぬまで息を止めていればいいと思った。最終的には気が遠くなり、浮かび上がって失敗だった。
それに、ドイツに行くことを楽しみにもしていた私は、ドイツに行っていろいろなことを見てから死んでもいいんじゃないかな、と思った。
失敗して、そして気持ちが変わって、本当に良かった。
話は変わるが、私の将来の夢は小説家だった。
馬鹿な夢かもしれない。でも、私は真剣に考えていた(今も一応考えているが)。
そのことを十分に知っていた母は、それを使って説得したこともあった。
「いい?小説家っていうのは、頭がいい人じゃないとなれないのよ。いろんな知識がなきゃ。
はるなが好きな宮部みゆきさんだって、江戸時代を舞台にして書いたり、現時代のミステリーを書いたりしているでしょう?
歴史がわからなかったら、かけないじゃない?
ミステリーだって、それこそ本当に、いろ〜〜〜んなジャンルの知識がないと書けない。
はるながこのまま生きていったら、その夢を実現できる?」
出来ない。
母は多分、これを使って私に、学校に行って勉強をするモチベーションを与えようとしたのだろう。
ただ、逆効果だった。
出来ない、ということが余計に私に絶望感を与えてしまった。
私は、夢さえ実現できない?
将来のたった一つの目標さえ?
ここで告白をしてしまうと、私はとてつもなくやる気のない人間なのである。
もう気分が沈んでしまえばおしまいで、もう何もやる気は起きない。だから、将来の夢が叶わない、おしまいだ、と思った瞬間、勉強する気は消え失せ、学校に行く気もなくなった。
ちゃんちゃん。