真実と拷問
それが始まりだった。私の中の何かが、そのとき壊れた、というか崩れたんだと思う。
—いい・・・の?
そう思ってしまった。今振り返ると、本当に後悔する。教室に行かなくても良いのか。授業を受けずに、保健室に居てもいいのか。
でもその時の私はなにかおかしかったのだと思う。何がおかしかったのかは、ちっとも分からないけれど。
成績は、自慢ではないがそんなに悪くはなかった、と思う。だから、保健の先生がおっしゃっていたように、勉強のことで精神に負担がかかっていたわけではないはずだった。
家庭にも問題はなく、友情関係にこじれが生じていた訳でもなかった。つまり、これといって理由もないのに、私は学校に行くのを嫌がり、家族、友達、先生に、心配と、迷惑をかけていたのだ。
ただひとつ思い当たることといえば、私が母を異常なほどに慕っていた、ということかもしれない。私は母を救うためなら死んでも良い、というほど愛していた。救うなんて劇的なことが起こるなんて、きっとないのに。とにかく、私が母を愛していた為、私はできるだけ長い間、母と一緒に居たかった。その為、母と離れる時、つまり登校を、いやみきらったのである。
とにかく、あの考えが頭に焼き付いたのち、私が教室にいる時間は、日に日に減っていった。保健室のテーブルで泣きながら座っている時間がどんどん増えていき、しまいには一日中そうしているようになった。
だんだんと担任の先生も面倒になってきたのか、それとも作戦を変えたのか、毎日プリントや、他の生徒のノートの写しを持ってくる役を、みかという女の子に変えた。
その子はクラスで最も嫌われている女子だったが、なぜか先生の目には、面倒見がよく、とても人気のある生徒だと写っていた。多分その子の美貌と、先生が近く居るときだけは、優等生そのものに変身するという個性を見ての判断だろう。
みかは毎日保健室に来て、プリントを置いていった。先生がいる時は、
「ね、はるなちゃん、無理強いはしないんだけど、私と一緒に教室へ行かない?今日も健君がとっても面白い事を言ってね、もう教室中大笑いだったのよ。それでね...」
などと、もう先生にとってはとても助かる存在を演じていた。
ところが、先生が居ない時には、声色を本来のものに戻し、
「とっとと教室へ来たほうがいいよ?成績とかが上がるかもって思ったからわざわざ足を運んでるけど、結構疲れるのよ?早く来ないんだったら、プリントもう持って来ないわよ?先生に聞かれたら、ちゃんと持っていきましたって言ってやるから。じゃあね。」
と言い放って、踵を踏んだ上履きをカツカツ言わせ、鼻をツンと上げて、保健室から出ていった。
不思議ことに、そんな事を言われても、私は教室へは行かなかった。自分でも驚いてしまう。ここまで言われてもまだ行かないのか。これでは、驚くを通り越して呆れてしまう。
あのベテラン先生は、私によく本を持ってきてくださった。シートン動物記、人気アイドルグループが書いたエッセイ。
興味は全くなかったけれど(そのアイドルさえ、名前をちょっと聞いただけで、歌やドラマの事は、全くといっていいほど知らなかった)、他にすることもなかったから、一生懸命読んだ。本を読み疲れたら(まあそんなことはほとんど無かった)、窓の外をぼんやりと見つめて時間を潰した。そんな時を毎日繰り返している間に、私の感情はだんだんとすり減り、体も痩せた(今は痩せたいが、その時は保健室の先生に心配されるほど痩せ細っていた)。
しばらくして、母に和室へ来なさいと、妙に緊張した、威厳のある声で言われた。
来た、と思った。
和室に入ると、母は座布団の上に、背筋を伸ばして正座していた。その正面には、もう一枚の座布団が置いてある。最悪だ。指図で私に、正面の座布団に座れと命じ、質問を開始した。
「ねえはるな。」
威厳というか・・・声の中で、熱気と冷気が絡まって、でも溶け合っていないような、そんな印象を与える。嫌な感じだ。
「いつも、保健室で何してるの?」
本当に聞きたい事に、遠回りで聞く作戦。私が一番嫌なやり方。こんな、落ち着き払って感情を抑えて遠回りに聞かれるより、最初から怒られる方がマシだ。でも、母は私と同じで泣いてしまうことが多い。原因は多少違うが。
例えば、私は学校に行きたくないと言って泣く。母はそんな私を見て涙ぐむ。
私は映画を観て、例えば小さい子が死んでしまう話を観て、その女の子に同情して泣く。
母は、その子に同情することはもちろん、その子の周りの人たちのことも思って泣く。
多分それは母親だということと、娘であり子供であることの違いなのかもしれないが、それ以前に母にはちょっと優しすぎるところがある。
私も大人になったら、そうなるのだろうか。
私は困っていた。何をしているか分からなかったから困っていたわけではない。こういう時、どんな答えを出したらいいのか分からなかったから、困っていた。
多分、サラサラと馬鹿正直にというか素直に、
「私ね、朝は保健室の隅っこの椅子に座って泣いてるの。先生がいつもしきりを立ててくれて、だから音だけ気をつければ、いくらでも泣けるんだよ。泣き疲れたら、美山先生(ベテラン先生)が持って来てくれた本を読んで時間を潰すの。給食は戸山先生(保健室の先生)が持ってきてくれて、プリントは、みかちゃんが持ってきてくれるよ。」
などと答えたら・・・・・・ご想像にお任せする。まあ、そんなふざけた事は、絶対に言えない雰囲気だったのだ。
で、私は困っていた。何をどう言えばいいのか、さっぱり分からなかったから、黙っていた。
そのまま2〜3分経った頃、母がやっと口を開いてくれた。
「ねえ、いつまでも黙ってても相手には伝わらないんだよ」それは当たり前だ。「はあ。じゃあ分かった、質問を変えるわ。どうして教室に行かないの?」
これはまた、もっと困る質問だ。答えが分からない。
「ううん・・・・」
と、全身から「困ったオーラ」を出していると、母はもう一度大きなため息をついた。
「戸山先生から電話があったのよ。あなた、最近教室に行ってないんですって?保健室にいるって...。ねえ、とっても言いにくいんだけど...もしかして、ドイツに行く事と、何か関係あるの?」
私はその質問に、激しく首振った。理由は分かっていなかったが、ドイツに行く事とは別の問題だった。
母はまたため息をついた。
「じゃあ、何なのよ...。もう戸山先生も困ってらっしゃるのよ。若いのに。どうすればいいのでしょうか、なんて聞かれてるの。ねえ、はるなはどうして欲しいの?」
ううう・・・・・・これはもう、拷問だ。無い答えを探る拷問。
これの答えがわかっていたら、こんなに泣くことはないのに。
自分で解決方を探すのに。
「わかんないよ・・・」
口が勝手に動く。もうちょっとはっきりした声を出せると思ったのに、出てきたのはもう泣きそうな、か細い声。
「わかんない。」
それしか分からない。分からないことしか分からない。
それだけ言って、あとは黙っていた。できることなら階段を駆け上がって自分の部屋(弟とシェアルームだったが)に行きたかった。鍵は掛からないけれど、このまま母と一緒にいるよりましだと思った。
でも出来ない。立てない。動けない。母に見られている、ということばかりを意識している。母に見られている限り、私は動けない。動いてはいけない、と。
母はまたため息をついた。
今までで一番深いため息だった。