6.庭園散歩中
ほんのりと香る酸味。口に入れると渋味のような強い酸味があふれる。蜂蜜を入れるのをまた忘れたとルーシェは思った。
主人に抱かれた女が起きてまずはじめに振る舞われるのはばらの実で出来たお茶だ。
他の妾たちは渋味に顔を歪め嫌々飲む中、ルーシェだけは蜂蜜を要求しただけで普通に飲み干す。
ルーシェはそれが何の意味かを知っているのだと気づいたのは茶を出す執事だった。
執事は主人の思惑通りに事が進めば良いと思っているのでルーシェのそのふるまいを気にはしなかった。
「皆様これを素直に飲んでいらっしゃるのかしら?」
蜂蜜を入れながらルーシェは執事に問うた。
「……あまり素直とは言いがたいですが召し上がってらっしゃいます」
「そう。差し出がましいのは解っているのだけれど、私をはじめ皆様にも蜂蜜を入れてあげて下さい。この渋さなのは仕方ないけれども、蜂蜜を入れるだけで素直に飲めると思いますわ」
疲れたように妾の女は言った。
「わざわざ添えずにポットの中に大きめの匙で蜂蜜を2、3杯入れてから中身を注いでいただける?」
執事は何か変わるのだろうかと思ったが、その通りにして妾たちに出すと目を見開いてから嫌な顔をあまりせずに飲み干す。
執事はルーシェに対してあまり良い印象を持っていなかった。何をしにきたこの女、と主人同様の感想を抱いていた。主人の世話をしたいなら侍女として来ればよかったのではと思っていた。
しかしこの一件で少しだけ考えを改めた。
「サラ、サラ!貴女あのお庭を見た?」
少しばかり興奮する主人に何事かと思いつつ、サラは答える。
「見たも何も、私はこのお屋敷の侍女でございます」
知ってるに決まっているだろうという風にサラは言った。
「そうよね。ごめんなさい。でもこのお屋敷の庭園は本当素晴らしいわ」ルーシェはうっとりという。
確かにレギオンの庭園は素晴らしい。様々な植物がバランス良く植えられて一年中楽しめるようになっていた。小さな頃から侍女として働くサラは、自分が褒められたようで嬉しかった。
の、だが。
「今では貴重なセラフィ草があんなに植えられ綺麗に咲いているなんて信じられないわ!あの花は美しいのに猛毒で嫌われているというのに…素晴らしいことだわ!」
ルーシェの言葉にサラはぽかんとする。
「庭園には馬を入れないから、ユスビの木が何本もあったし、可憐なチェルリの木の隣に猛毒のキョウチェの木を植えるなんてなんてセンスなのかしら……!」
あぁ、堪らないわ!と悶える主をサラはまじまじと見つめる。
「あの、ルーシェさまは庭園の草木の種類が解るのですか?」
サラにとって、いや、植物に興味がないものにとって草木の種類をなんとなく見分けられても名前は知らない。ただ、庭園にある草木という一くくりになる。
「えぇ、ある程度はね」
ルーシェの眩しいくらいの笑顔だった。
「凄いですわ、ルーシェさま!今度お時間がある時に教えて下さいませ」
サラは釣られるように目をきらきらと輝かせる。
「いいわ、解るものだけでも散歩ついでに教えてあげる。いつか役に立つものだから」
と言って、毎回散歩の度にルーシェの知識をサラは教えられた。
サラはルーシェの講義のおかげでレギオンの庭園は穏やかな風景だというのに、猛毒の植物が植えられていることが解った。普通の植物もあるが、そのバランスが絶妙なのだ。
「サラ、これがセラフィ草よ。綺麗でしょう」
そう言いながらルーシェはフリルのような花びらを重ねた、真っ直ぐ立った花が群がる花壇を指した。
「これがそうだったのですね。私、これが一番好きなんですっ」
大きな花を見てサラは笑う。
「そうよね。こんなに綺麗なのに、実には幻覚作用や死に至る毒があるなんて信じられないわよね」
うっとり言うルーシェにサラは驚きの目を向ける。ルーシェは視線に気にすることなく、持ってきた板に挟まれた紙の上にペンを滑らす。
サラサラと絵を描いていく。
その絵は美しい花そのままでサラはルーシェの描画力に舌を巻く。
ルーシェが終わるとセラフィ草の隣の花を説明し、更に描く。
美しい絵にうっとり見入っていると、男性の声がしてサラは慌てて礼をとった。
「失礼いたしましたっ」
サラが頭を下げると男は笑った。
「いいよ。楽にして。はじめまして、ルーシェ・ランバール殿。私はアーヴィス・カルティエと申します」
ルーシェは一瞬目をみはり、笑顔になる。
「はじめてお目にかかります。カルティエさまのお噂は聞いておりますわ。レギオンさまのご親友でございますわね」
にっこりと笑う。カルティエは笑顔を崩さずにルーシェを観察していた。
「お目にかかれて光栄ですわ」
「私もあのセレストを幼くさせる女性にお会い出来て光栄ですよ」
カルティエが言うと、ルーシェは再び目をみはった。
「あの方を?そんなことありませんわ」
苦笑する。
「いえいえ、なんでもやつに存在を気づかせなかったそうではありませんか。その事に酷く衝撃を受けてましてね。部下の前はまだ繕ってはいますが、私の前では崩壊してますよ」
少し意地悪な顔をしてカルティエは言った。
正直困ってしまったルーシェだが、苦笑した。
「私は忘れられた存在でしたし、真夜中までのお仕事でお疲れのご様子でしたから仕方ないと思われるのですが……カルティエさまもやっぱり否定なさいますか?」
ルーシェの言葉にカルティエは
「きっぱりと否定させていただきます」
と言う。
「やつは今でこそ大人しいですが、戦場を駆け抜けてきた猛者でもあります。我が軍部の恥を申すようですが、あの頃私たちのような存在は目障りでしてね。内部で消そうとしてくれました。そのおかげで、やつも私も気配には聡いしどんな状況でも細作でもない人間に気づかないはずがないんですよ」
ルーシェはそれを聴いてはっとする。
「……もしかして私、あの方の矜持を傷つけてしまったのでしょうか」
カルティエは肩を竦める。
「多少はそうでしょうね」
ルーシェはしょんぼりと肩を落とす。
「そんなつもりはありませんでした。ただ、そんなに気にしないで欲しいと思って申し上げたのです」
優しい娘だ。カルティエは思った。
「確かに、あの方が寝台によりかかって倒れてしまった時は大変でしたし、制服のままお眠りになられておりましたから外套と上着だけ外させていただいたりしましたけれど……言ってはいけない事でしたのね」
カルティエの腹筋に力が入る。これはわざと自分に言っているのか、それともその気がなく言っているのか。
「しかしまぁ、どんな理由であれ他人に興味を持てるなら良いことです。彼はあまり人、得に女性は遊び道具くらいにしか思っておりませんでしたから」
正式ではないが妻に近い立場にある女性にバラすのもいかがなものかと思うが、カルティエは妙な核心があった。その事実にルーシェは気づいていると。
「まぁ、お口の悪いご友人ですこと」
ルーシェは楽しそうに笑う。
「妾の仲はお互い悪うございますが、あからさまないじめや大きな問題が無いところを見ますと、そういう意味ではあの方は上手にやってらっしゃると思いますよ」
ルーシェの台詞にカルティエは苦笑する。
「まるで貴女は自分がその範疇にあることを忘れていらっしゃるような物言いですね」
「そんなことありませんわ。ただ、私は皆様のような寵愛が欲しい訳ではなく、ささやかな幸せが欲しいのです」
カルティエは内心驚いた。確かにこの女性は一体何を考えているのだろうか。
「例えばどんなささやかな幸せが欲しいのですか?」
とカルティエが聞くと、ルーシェははにかみながら
「お疲れになって眠るあの方の寝顔を見ること、でしょうか」
「寝顔を?」
「はい。あの方の寝顔は少年のように可愛らしくて好きなのです」
可愛らしい。
今、セレストを可愛らしいと目の前の可愛い女性が言う。
まずい、カルティエは腹筋に力を入れる。
「彼をそんな風に言えるとは……中々……珍しいですな」
吹き出さないようにしてるため、言葉が遅い。
「そうでしょうか?あの方は寝ていらっしゃらなくてもまだまだ少年のようですわ」
あ、駄目だ。あっさりとカルティエの我慢の限界が突破される。
吹き出したカルティエにルーシェは驚いた。
私は何かおかしいことを言ったかしらと思う。
「あ、あいつを、少年なんて、少年みた…くっ」
「カルティエさま、我慢なさらないで大声で笑って下さっても結構ですわ」
またか、とルーシェはため息をつきながら思う。
父と良いカルティエと良い、どこに笑いのツボがあるのか全く解らない。そもそも、セレストが少年らしいところがあると解るのは付き合いの長いカルティエの方じゃないかと思う。
「これは、失礼……」
目に涙を浮かべながら繕うように言うが口角は上がったままだ。
「いえ。私の言葉はよく笑われますから、潔く笑って下さいな」
拗ねるようなルーシェにカルティエは笑いを必死に抑える。
「申し訳ありません、ですが本当に彼を"少年みたい"と評する女性が居るとは思いませんでしたので」
「そうでしょうか?確かに、あの方は上位貴族で軍隊の幹部ですからその肩書きに惚れる女性は多いとは思います。でも、気づいている方もきっといらっしゃいます」
貴女だけですよと言う言葉を飲み込む。
これ以上突っ込むと彼女も拗ねてしまうだろう。カルティエはルーシェの手にしたものを見て話題を変えることにした。