4.お母様とお父様
笑いがようやっと去った公爵とその子供達が執事に呼ばれて食堂に向かう。
食堂にイーヴァ・ミネア・パイロープ公爵夫人もちょうどやってきたところらしい。
「あらぁ、ルーシェ、いらっしゃい」
おっとりとした風のイーヴァは血の繋がらないルーシェも愛してくれていた。ルーシェもイーヴァを実母と共に愛してはいたが、そこは公爵の妻、溺愛されすぎて歪んだ愛が向けられることがあって困るのだ。
「相変わらずその髪なのね?勿体ないわ」
ルーシェの頭を撫でながらいう。
「あまり目立ちたくありませんので、ちょうど良いですわ」
ルーシェはくすんだ金髪を気に入っているのだ。だから元に戻すつもりはない。
「勿体ない、勿体ないわ!貴女、カテリーナと同じくらい美しい金髪なのにっ!!わざわざ染めて目立たないようにするなんて!」
残念そうに夫人は嘆く。
「本当だねぇ。そんなことをしてるからレギオンも気づかなかったんじゃないのかい?」
わざとらしい公爵の言葉に、夫人がきっと夫を見る。
「なんですって?あの男、ルーシェに気づかなかったというの?どういうことなの?」
「まぁまぁその前に食事にしようじゃないか」
公爵の一家は一旦昼餐をとることにした。
デザートを食べる頃になって、公爵が聞いたルーシェの話しを夫人に聞かせると夫人の目はみるみる釣り上がった。
「あの男、馬鹿だと思ってたけれど本当に馬鹿なのね」
さらりとした口調だが、言葉以上の毒を含んでいる。
「母上、一応私はあの方の妾なのですが……」
というよりあなたたちの意向でなってしまったのですがと心で付け加える。
「いいこと、ルーシェ」
「は、はい?」
細長い目がかっと開かれている。嫌がおうにも説教される寸前だ。
「あなた、あの男を散々惑わせてから捨てておやりなさい!そうしなければアーカンサに戻らせません。勿論"約束"も無しです」
夫人の言葉にルーシェはおののきながら反論した。
「何故そうなるんですか!そんな無茶苦茶なことを言わないで下さいっ」
「そもそも貴女、"約束"のことを忘れていたのではなくて?良いのよ、こちらには何等関係無いのですもの。でもね、賭けに乗ったなら決着をつけるべきよ」
夫人はいつものおっとりした様子からは想像もできない厳しさでルーシェを叱る。
ティティとマールは夫人の言葉に頷いており、公爵はにこにことしている。味方はいなかった。
「忘れたことなどありません。ですが、惑わせると言うのは出来ませんから条件はそのままにして下さいまし」
泣きそうな声でルーシェは言う。無理なものは無理なのだ。
「仕方ないわね。いいわ。でも貴女も本気出しなさい?私たちは"約束"を違えるつもりはないのだから」
口調が幾分か優しくなる。ルーシェはほっとしてデザートのチョコレートとイチゴのムースを食べることができた。
翌日、夕方になる前に両親と妹弟に挨拶をして公爵家を出た。
とは言うものの、朝っぱらから舞踏会に出席した公爵夫婦にセレストの話しをされて泣きそうになった。
それはカルティエとセレストをランバール伯がからかっていたと言うまさかの事態を聞かされたからだ。昨日は二人に怒りを覚えたが、今日は自分も含めて気の毒に感じる。
流石に公爵たちは声をかけないが、近くにいたらしく会話を良く聞いていたらしい。
レギオンの屋敷にある自分の部屋に戻り、寝台にぐったりと身体を横たえた。
侍女が気を効かせてお茶を入れてくれた。
「ありがとう、サラ」
と言うと、ティアテラより幾つか上くらいの侍女は嬉しそうに笑う。
「昨日お休みをいただきましたので、最近評判のお茶を買ってみましたの。召し上がってみて下さい」
そう言われてカップを口許にもって行くと、ふんわりとバラの香がする。口に含むと、豊かな香にすっきりと後味がぬけていく。
「美味しいわ」
ほっとする。
「お口にあってなによりです」
人懐っこい笑みをサラは浮かべる。
その笑顔にルーシェはなんだか心の底から安堵した。
再び昼食の席を囲んでいたカルティエとセレストは二人とも昨晩のランバール伯とのやりとりでぐったりしていた。
若い二人とそれを翻弄するランバール伯。
何もかも見透かしたような言葉と物腰柔らかな姿を思い出し、若い二人は顔を覆ってしまう。
「何で、何で俺まで巻き込まれたんだ、セス」
どんな時にも笑顔を崩さないといわれるカルティエが嘆いている。
昼食を食べている場所に部下たちが居ないのが救いだった。
「俺と話してたからだろ……」
ぐったりとセレストは言う。
昨晩、壁の花になっていたセレストとカルティエにランバール伯が話しかけてきた。
初めこそ他愛のない話しをしていたのだが、ルーシェの話しになるとどこから聞いたのか、カルティエとルーシェしか知らないことをさらりと言われる。
「あれの特技というか、性質でしてね。気配を消しているつもりは無いが気づかせないので、逃げ出してしまうかもしれません」
と言われた時のセレストの表情が硬くなったのをカルティエは見ていた。さらにランバール伯を見ると、口許は自然な笑みを湛えているのだが……目がかなり笑っている。
「それは怖いですな。彼女といると退屈しないから逃げ出されると少々困り――」
セレストは言葉をとめた。ランバール伯がまるで獲物を見つけた猫科の動物のような目で微笑んでいたからだ。
目を反らしたら殺られるこれ以上下手なことを口走ることは命に関わる……。セレストは本能で感じた。
「どうしましたかな?」
「いや、貴殿の娘は素晴らしい女性だと」
あのセレストが、まさかのぎこちない返事をした。獅子が化け猫に食われている、とカルティエは思った。
「勿体ないお言葉ですな。くっ……娘をよろしく頼みます」
途中で抑えきれない笑いが漏れた。
からかわれている。
セレストは若干屈辱を感じていた。いくら年上とはいえ、ここまであからさまにからかわれるのは面白くない。
「時にカルティエ殿、奥様は元気かね?この間侍女に"ぶつかられて"川に落ちたと聞いたが」
何故知っている?!しかも"ぶつかられた"が真実ではないのもと知ってるのか!とカルティエは思ったが噫にも出さず
「えぇ、大事ありません。ご心配おそれいります」
と返す。
「何かと嫉妬されやすい立場だからね。人を選びなさい。思っている以上に女は怖いぞ」
「ご忠告いたみいります」
カルティエは如才なく答えた。
ここまでは、良かった。ここまではランバール伯が様子を見てただけらしい。
「あぁ。聞いた話しなのだが、君達は不用意に店で娘の話しをしてくれたそうだね?」
二人が固まる。
「あれは目立たないが目立つのも嫌いだ。あまり噂しないでやってくれ」
ランバール伯は笑う。が、今度は目は笑っていない。
「申し訳、ありません……」
セレストはそう言うのがやっとだった。
何故知っている、何故この男はなにもかもを知っているんだと寒気がする。
「不用意に申し訳ありませんでした」
カルティエも頭を下げるが同じく寒気がした。
物腰柔らかで何を考えているのか解らないランバール伯エルンストと言葉を交わした二人は伯爵が妻と連れ立って行くまで冷や汗をかきっぱなしだった。
「あれは狸というより狐だな……」
カルティエは苦笑した。
「特大の猫かぶりだ」
まったく、と不機嫌に返す。
「あの方を敵に回すのは得策じゃない。と言うより恐すぎて敵に回したくないな」
「全くだ……」
呑気に実家へ帰った妾を思い出して苦い顔をする。
その頃、ルーシェは公爵家の家族たちに散々からかわれていた。
若者をからかうのが両親たちの生きがいになっているっぽいです。