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4月1
神が「光あれ」と唱えるより前、悪魔が「神よあれ」と呟いた。
世界にはまず悪があった。それを否定するために正義が生まれた。悪を定義するものは数あれど、正義を定義するものが宗教の経典くらいなのはそのせいだ。
たとえば殺人という行為。これは誰にでも分かる悪だ。
だがこの「悪」に「誰かのため」とか「国のため」とかいう絵の具をまぶされると、にわかに正義の色合いを帯びる。戦争で百人殺せば英雄?大罪人を死刑にするのは社会のため?
皆に訊いてみたい。この問題を受けて、あなたの中で揺らいだのは、悪の輪郭だろうか、それとも正義の輪郭だろうか?
僕の中で揺らいだのは正義の輪郭だった。
悪はあるのだ。悪こそが確固たるものなのだ。
天国への扉を叩いたところでその先に神はいない。正義とは悪を否定するために産み出されたもので、神とは悪を断罪するための装置だ。罪こそが世界の始まりなのだ。
機械仕掛けの神なんて言葉が妙に腑に落ちる夜、無人カフェ。罪を煮詰めたような苦いエスプレッソの中、悪魔がかすかに呟いた。
「神よあれ」




