第8話「侵食する霧」
風が吹く。
だが、その風は冷たくないが、重く、湿っている。
白い霧が、地面を這うように広がっていく。
サーシャは左手を前に伸ばし、能力発動の構えを維持したまま、ゆっくりと周囲を見渡す。
視界が悪い。
だが、それ以上に――
“空気がおかしい”。
なにか喉が焼けるように熱い。
霧が気管に入り込むたびに、呼吸が乱れる。
ただの煙じゃない。
まるで、体の中に何かが入り込んでくるような感覚。
「……これ、さっきより濃くなってる」とサーシャが低く言う。
マルレインが周囲を見ながら舌打ちする。
「しかも質が違うな」
「重い」
その言葉通りだった。
霧は、ただ漂っているんじゃない。
“まとわりつく”。
皮膚に。
呼吸に。
思考にすら。
ザッ……と音がしサーシャの目が動く。
足音は聞こえるが、だが姿は見えない。
それでも――確実に近づいてきている。
「……来る」とサーシャが構えを崩さず、小さく言う。
マルレインがニヤリと笑う。
「いいじゃねぇか。見えない方が燃える」
その瞬間――
ザッ!!
背後に、音と気配がする。
だが、間に合わない。
ボスの腕が振り抜かれる。
ドンッ!!
衝撃音とともに、サーシャの体が吹き飛ばされ、地面を転がる。
息が詰まり、肺に空気が入らない。
「っ……!」
視界が揺れる。
だが――
立つ。
サーシャは地面に手をつきながら立ち上がり、再び左手を前に伸ばし能力発動の構えをとる。
「……まだ動ける」
ボスの足音が、霧の中からゆっくりと、確実に近づいてくる。
その時――
マルレインが地面に手を叩きつける。
ドンッ!!
爆発が起こり、霧が一瞬だけ吹き飛び視界が開けた。
その瞬間――
“見える”ボスの姿だけじゃない“周囲”も見える。
建物。
道路。
壁。
すべてに、霧が染み込んでいる。
「……なんだよこれ」
マルレインの声が低くなる。
「侵食してる……?」
サーシャが呟く。
ただ漂っているんじゃない、この霧がこの街そのものに入り込んでいる。
ボスが踏み込んでくる。
速い。
サーシャは構えを維持したまま横へ跳び、ギリギリで回避する。
だが、その動きに違和感が混じる。
わずかに遅い。
「……やっぱり」
サーシャの目が細くなる。
「能力が鈍ってる」
マルレインが笑う。
「つまり――」
マルレインが地面に触れる。
「長引くと詰むってことだな」
次の瞬間――
パチン。
マルレインが指を鳴らす。
ドドドドンッ!!
広範囲で爆発が連鎖し、地面がえぐれ、霧が吹き飛び視界が再び開ける。
「なら、短期決戦だ」
サーシャが頷くが、その呼吸は荒い。
だが、その目は死んでいない。
「……行く」
左手を前に伸ばし、構えを固定する。指を開き、空間を掴むように。
“まだ発動しない”
“発動直前の状態を維持する”
やがて空間がわずかに歪み、不安定だが消えない“歪み”が生まれる。
ボスの動きが、わずかに止まる。
「……検知」
「……危険度、上昇」
その瞬間――
霧が、さらに濃くなり空気が重くなる。
歪みが揺らぐ。
だが――消えない。
サーシャの目が鋭くなる。
「……通じる」
サーシャは小さく呟き、マルレインが笑う。
「いいね」
「やっと戦いになってきた」
サーシャとマルレインの二人が並ぶ。
そして――
同時に踏み込む。
霧の中へ。
この“侵食される世界”の中へ。




