2話
「よう、陰キャの星・岸宮くん!!」
月曜日。オリジナルには到底及ばない声を張り上げながら俺の顔を殴るクラスの男ナンバー2の黒崎。
元々顔だけで成り上がったということもあってか、その拳の威力はクラスの王である古河の足元にも及ばない。
「おい、顔だけはやめとけって」
証拠に残るだろ、と付け足すクラスナンバー3の大平。
大平は古河の暴力や黒崎の顔のような分かりやすい武器は持たないが、頭が少し回る。
悪く言えば小心者だ。
ちなみにキングである古河は下々の様子を玉座から眺めるように、教壇の上に座っている。
黒崎は初めて人を殴ったかのような興奮を露わにしていた。
「おまえ、今までも羽崎さんざん殴ってきただろ。
何でそんなにはしゃいでるの?」
ナイス、大平。
俺の疑問を代弁してくれて。
あまりのご都合主義っぷりにニヤケそうになる顔を真顔に保つのに苦労するぜ。
「だって今まではただのデブだった訳じゃん?
あんなの殴っても腹の足しにもならないと気づいたね。
今のこの快楽を知った後じゃあさあ!!」
そう言って二発目の拳を俺の腹に叩きこむ黒崎。
俺は倒れそうになる身体を、足を踏ん張ることで必死に支える。
そして黒崎の目を威圧するために睨んだ。
その瞬間、
「うっひょー!!たまらんね!
羽崎と違って人間殴ってる感あるわ!!」
黒崎は絶頂したときのような歓声を上げ、三発目を俺の顔に叩き込もうとする。
コイツ、10秒前に言われた、『顔は殴るな』っていう命令もう忘れてやがる。
どんだけ知能低いんだ。
俺は勝利を確信した。
流石にあの女教師も顔を腫らした生徒が出てくれば殴った人間を停学――いや、退学処置にする可能性がある。
パシッ!!
しかし黒崎の手が止まる。
止めたのはもちろん、古河だ。
「ふ、古河さん…いや、今のは、顔を殴ろうとした訳じゃなくて…」
青ざめた顔で弁解しようとする黒崎に、古河は流し目をやる。
「別におまえを責めてるんじゃねえよ。殴りたきゃ殴ればいい。
コイツだって昨日広瀬の顔面殴ってんだ。
それを盾に脅せばヘタなことはできない」
「で、でも古河さん。
広瀬は少しメイクが剥がれたくらいで、傷とかは負ってない感じでしたよ。
これ以上岸宮殴ったら釣り合いが取れなくないですか?」
参謀である大平がそう尋ねると、古河が笑う。
「なに、そんときは広瀬の顔を、こうするのさ――」
ドン!!!!
教室中に響き渡る轟音。
一瞬それが何の音か分からなかった。
当然かもしれない。
古河は俺の腹を、全力で殴ったのだ、か――。
◆
金曜日の放課後。俺は黒縁眼鏡の浜辺とともに、もう一度職員室に戻った。
「先生」
俺が声をかけると、女教師・桜井は嫌々ながら、といった様子で振り返る。
しかしその目の色が、表面的な態度を裏切っていた。
「さっきの続きですけど」
俺がそう言葉を継ぐと、教師は軽く頷いた。
「羽崎くんの住所が知りたい、って話だったわね?」
「ええ」
「残念だけど、それは無理。
羽崎くんの許可が無ければ」
「え」
ってことは――。
「羽崎くんの許可さえあれば、家の場所を教えてくれるんですか?」
意外、といった表情でそう言葉を挟んでくる浜辺。
「ええ、私が今日、一人で羽崎くんの家を訪ねてみるわ。
それで、浜辺さんと岸宮くんが会いたがってるって伝えてみる。
彼がオッケーしてくれたら月曜日、一緒に羽崎くんの家に行きましょう」
「分かりました」
「…岸宮くんも、それでいいわよね?」
「はい」
この女教師、言葉を伝えるだけなら電話でも充分な筈なのに、わざわざ直接会おうとするとは――。
やはり日々の刺激を求めているのだろうか。
◆
そして金曜日の放課後。浜辺と別れた俺は校門が見渡せるスペースでクラス担任・桜井を張っていた。
月曜日はきっと俺が虐めの標的にされる。
羽崎に会いにいける身体である保証はどこにもない。
ならば今日、桜井をつけて羽崎の家を特定し、直接会って事の真相を確かめてやる――と、そこでお目当ての桜井が校門に現れた。
それを尾行しようとして――。
「待った」
首根っこを掴まれた。
なんだ、古河か?
と思って振り返ると、
「桜井先生の後をつけようとしてるでしょ」
ムスッとした表情で黒縁眼鏡をキラめかせた浜辺がいた。
「は?」
「は、じゃない。私の名前は浜辺」
「じゃ、なくって――」
強引に浜辺の手を振り払うと、浜辺を睨み付ける。
「邪魔すんなよ」
「いや、先生の言いつけは守ろうよ」
「つまらない女」
「いや、別におもしろくなりたくないし」
コイツ、典型的な学級委員長タイプだな。今時流行らないっつーの。
「岸宮くんは今日一日、私が監視します!」
「はい?」
疑問符を浮かべる俺に対して浜辺は自らの理論を振りかざす。
「岸宮くんが桜井先生を追いかけないか、ずっと見張っている人間が必要です。
その役目を、私が、引き受けます」
「おまえ、勝手なこと言うなよ。殴るぞ」
「岸宮くんは私を殴ったりしません」
勝手に俺のことを理解している空気を演出する浜辺に、俺は本気で腹が立ってきた。
コイツ、本気で一発、殴るか――と俺が拳を握った瞬間、
「だから、一緒に映画、行きましょう」
「はい?」
予想外の奇襲によって、俺の戦意は削がれた。
◆
女子と一緒の映画は初めてだった。だからこそ、興味もあった。
果たして俺は女子とデートをすることで何かを得られるのだろうかと。
結果から言えば、最悪だった。
ポップコーンに手を伸ばそうとする浜辺の手を掴んで引っ張っているときも何も感じなかったし、ふたりで見る映画の内容はクソが付くほどつまらなかった。
主人公がタイムスリップして親友を救い出すという内容なのだが、主人公と親友の絆がこれっぽっちも描写されないままタイムスリップを始めたときには本気でこの映画に出演している俳優を哀れだと思った。
最後、スペクタクルなシーンなのであろうが、砂漠の真ん中で主人公と親友がキスしたときには殺意さえ湧いた。
男同士のキスなんて誰が見たいんだ、と隣の浜辺を見ると、号泣していた。
それを見た瞬間、俺の中の熱が急速に冷めていくのを感じた。
ああ、所詮コイツはこの程度の内容で感動する感性の持ち主なんだと。
冷めていく脳の中で、そんなことを思った。
そして同時に、理解し合える関係を望んでいた自分に絶望した。
◆
浜辺との映画鑑賞を終えたのは夜7時。
今から桜井の後を追うことなんて、ましてや羽崎の家を特定しようなんて不可能だ。
そう思い、興奮しながら映画の感想を捲し立てる浜辺を無視し、帰宅した。
誰も居ないマンションの一室で、俺は土日を過ごした。
一日中FPSをやっていても刺激なんてものは得られないが、画面上で人を撃ち殺す度に広瀬を殴ったとき胸に抱いた感情を言語化できそうな気がした。
俺には性欲なんてものはないが、射精するときはあんな感情を抱くのではないか。
◆
そして月曜日。目を覚ますと既に放課後だった。
保健室のベットに寄り添う形で浜辺と桜井が立っている。
浜辺は俺が殴られる現場にいたが、そのときとはまるで違う表情で俺を見ていた。
「岸宮くん、大丈夫?」
そう声を掛けてくる桜井に対して、
「大丈夫ですよ」
と返すと、心底安心した様子を見せる桜井。
大方、俺の親に連絡する心配がなくなったことを案じているのだろう。
浜辺は無言のままだ。
「それで、金曜日の結果はどうでした?」
俺が話を先に進めるべく問うと、桜井は、
「結論から言うと、浜辺さんはいいみたい。でも、岸宮くんは死んでも嫌だって」
と正直に伝えてきた。
その言葉を聞いた瞬間、自分の中で新たな感情が芽生えるのを感じた。
これは性欲とも全く違う感情だろう。
名付けるなら――好奇心。




