第四話 審判の日への招待状
週が明け、学校の空気は一種異様な熱気に包まれていた。
昇降口の掲示板には、一枚の大きな貼り紙が掲示されている。
『臨時生徒総会開催のお知らせ』
『議題:現生徒会役員の解任および新体制の承認について』
白々しいほど堅苦しい文言だが、生徒たちの関心はそこにはない。休み時間の廊下ですれ違う生徒たちの会話は、もっぱら「公開処刑」への期待で持ちきりだった。
「聞いた? 今度の総会、あの横領事件の決着をつけるらしいよ」
「マジで? 高遠先輩、吊るし上げられるってこと?」
「当たり前じゃん。往生際が悪くてまだ認めてないらしいから、西条会長がガツンと言う場を作るんだってさ」
「うわ、見に行こ。YourTubeでライブ配信もするって噂だよ」
無責任な好奇心と、他人の不幸を娯楽として消費しようとする残酷さ。それが今の学校を支配する空気だった。
俺、高遠湊は、その喧騒の中心にいながら、まるで幽霊のように扱われていた。
教室に入れば会話が止まり、俺が通り過ぎれば背後でクスクスと笑い声が起きる。机の落書きは日ごとに増え、今や天板の木目が見えないほどだ。
だが、俺はもう動じなかった。
彼らが騒げば騒ぐほど、舞台は整っていく。観客は多ければ多いほどいい。その方が、断罪の瞬間の絶望も深くなるのだから。
「高遠。ちょっと面貸せ」
放課後、帰ろうとした俺を呼び止めたのは、またしても西条亮介だった。
彼の後ろには、数名の取り巻き男子生徒と、不安そうな顔をした篠原玲奈が控えている。
亮介は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ポケットに手を突っ込んでいた。
「総会のこと、見たろ? 明日の放課後、体育館だ。逃げるなよ」
「……逃げませんよ。出席しろという命令ですから」
「ハハッ、殊勝な心がけだな。まあ、お前も楽になれるチャンスだと思って感謝しろよ。みんなの前で謝って、俺に引導を渡されれば、もう誰も深く追求しねーからさ」
亮介は俺の肩に馴れ馴れしく手を回し、耳元で囁いた。
「安心しろよ。シナリオは俺が完璧に作ってやった。お前はただ『魔が差しました、すみませんでした』って泣きながら頭を下げればいい。そうすれば、俺が『罪を憎んで人を憎まず』って感じで寛大に許してやる。……最高の演出だろ?」
吐き気がするほどの自己陶酔。
彼は本気で、自分をドラマの主人公だと思っているのだ。悪を倒し、罪人を更生させる慈悲深いリーダー。その役柄に酔いしれている。
俺は無表情を貫き、小さく頷いた。
「……分かりました。会長の言う通りにします」
「よしよし、それでいい。物分かりが良くなったじゃないか」
亮介は満足げに俺の肩を叩き、離れた。そして、後ろに控えていた玲奈を手招きする。
「玲奈ちゃんも、彼に何か言っておくことはある?」
玲奈が一歩前に出る。
彼女の顔色は悪い。目の下には隈ができている。きっと、「正義」と「情」の板挟みになって悩んでいるつもりなのだろう。その悩みが、完全に的外れな前提に基づいているとも知らずに。
「湊くん……」
玲奈の声は震えていた。
「明日の総会、私も登壇することにしたの」
「……君が?」
「うん。私が……一番近くにいた私が、あなたの罪を告発して、そして許すことが、最後のけじめだと思うから」
彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見た。その瞳には、一点の曇りもない「善意」が宿っている。
それが俺を何よりも苛立たせた。
彼女は俺を攻撃しようとしているのではない。「救おう」としているのだ。彼女なりの歪んだ正義感で、俺に罪を認めさせ、償わせることが愛だと勘違いしている。
「湊くんが道を踏み外したのは、私のせいでもあると思うの。私がもっと支えてあげてれば、こんなことにはならなかった……。だから、私が終わらせてあげる。それが、元彼女としての責任だから」
美しい自己犠牲の物語。
彼女の中では、俺は「弱さゆえに罪を犯した哀れな男」であり、彼女は「涙を飲んでそれを裁く聖女」なのだ。
ここまでおめでたい思考回路を持っているとは、付き合っていた頃は気づかなかった。いや、俺が彼女の「真面目さ」を美点として盲信していただけか。
「……そうか。君がそこまで考えているなら、俺は何も言わない」
「分かってくれてありがとう。……明日は、ちゃんと見ててね。私の覚悟」
玲奈は悲しげに微笑み、亮介の元へ戻った。亮介は彼女の頭をポンポンと撫で、俺に見せつけるように腰に手を回す。
「行こうか、玲奈。リハーサルしなきゃな」
「うん……」
二人は取り巻きを引き連れて去っていった。
廊下には、また静寂が戻る。
俺は彼らの背中が見えなくなるまで見送り、深く息を吐いた。
「覚悟、か」
その言葉、そのまま熨斗をつけて返してやる。
君の覚悟がどれほど薄っぺらいものか、明日、骨の髄まで思い知らせてやる。
その後、俺は職員室に向かった。
堂島教諭に呼ばれていたからだ。
職員室に入ると、堂島は自分のデスクでスポーツ新聞を広げていた。俺に気づくと、面倒くさそうに新聞を畳み、指で「来い」と合図した。
「高遠、明日のことだがな」
堂島は周囲を気にしながら、声を潜めた。
「西条から聞いていると思うが、流れは決まっている。お前が謝罪し、生徒会役員を辞任する。そして西条が新体制を発表する。それだけだ」
「はい、聞いています」
「うむ。……そこでだ。お前、変な気は起こすなよ?」
「変な気、とは?」
「余計な言い訳をしたり、事実無根の主張をして場を混乱させたりすることだ。そんなことをすれば、学校側としても厳正な処分を下さざるを得なくなる。退学だ」
堂島は脅しをかけてきた。
彼の瞳にあるのは、教育者としての信念ではなく、保身への執着だけだ。問題を起こさず、自分の評価を下げずに、この件を幕引きしたい。それしか考えていない。
「……退学は困ります」
「だろう? なら、素直にやれ。お前が泥を被れば、それで全部丸く収まるんだ。内申書には、まあ、適当に書いておいてやるから」
内申書。その言葉を餌にすれば、俺が従うと思っている。
俺は少しの間、俯いて考えるふりをした。そして、怯えたような声色を作って顔を上げた。
「分かりました……。謝罪します。ただ、一つだけお願いがあります」
「あん? なんだ」
「口下手なので、言葉だけでうまく謝れる自信がありません。それに、経理の引き継ぎも兼ねて、資料をまとめたいんです。……明日の総会で、プロジェクターとパソコンを使わせてもらえませんか?」
堂島は眉をひそめた。
「パソコン? 面倒だな。口で言えばいいだろう」
「お願いします。……僕なりの、最後のけじめなんです。ちゃんと資料を見せて、何をしてしまったのかを説明して、謝りたいんです」
俺は必死に頭を下げた。
堂島はしばらく黙っていたが、やがて面倒くさそうに手を振った。
「……チッ、分かったよ。勝手にしろ。ただし、変なもん映したら即刻中止させるからな」
「ありがとうございます。……感謝します、先生」
俺は深々と礼をした。
顔を上げた時、俺の眼鏡の奥は冷たく光っていたが、堂島は新聞に戻っていたため気づかなかった。
許可は取れた。
これで、舞台装置は完璧に整った。
帰り道、俺は家電量販店に立ち寄り、必要なケーブルと予備の記録媒体を購入した。
空は暗く、雨が降り始めていた。
傘を打つ雨音が、明日の嵐を予感させる。
俺の心は、不思議なほど凪いでいた。
怒りも悲しみも、すでに通り過ぎた。今はただ、事務的にタスクを消化していく感覚に近い。
明日の午後二時。それが、彼らの命日だ。
自宅に戻ると、俺は自室に籠城した。
明日のプレゼンテーション資料の最終確認だ。
画面には、俺が徹夜で作り上げたスライドが表示されている。
タイトルスライド。
『謝罪と経理報告』
一見すると、何の変哲もないタイトルだ。
だが、その次のページからは、地獄への扉が開くように構成されている。
一枚目。横領疑惑の送金ログ。
二枚目。そのログの矛盾点を突く技術的解析データ。
三枚目。西条亮介のタブレットのMACアドレス特定。
四枚目。亮介の豪遊写真と、横領日時の照合タイムライン。
五枚目。堂島教諭のネット閲覧履歴と、職務怠慢の証拠。
六枚目。亮介の裏アカウント『King_R』の魚拓と、そこに記された自白。
そして、七枚目。篠原玲奈が送ってきた自己陶酔メッセージのスクリーンショット。
これらを、視覚的に分かりやすく、かつインパクトのあるデザインで配置した。
さらに、音声ファイルを埋め込む。
スライドが切り替わるタイミングで、あの生徒会室での会話が流れるように設定する。
『湊のやつ、マジで金盗んだことになっててウケる』
『この金でホテル行こうぜ』
『湊くんには悪いけど、これも彼への罰だよね』
完璧だ。
これを見せられた時、彼らはどんな顔をするだろうか。
亮介は顔面蒼白になり、弁解しようとするだろう。
玲奈は……おそらく、理解できないかもしれない。自分の信じていた世界が反転する事実に、精神が耐えられるかどうか。
堂島は、ただ狼狽えるだけだろう。
「……楽しみだな」
独り言が漏れた。
俺はリハーサルを開始した。
部屋の電気を消し、モニターの明かりだけにする。
マイクの代わりにペンを握り、語りかける。架空の観衆に向かって。
「本日は、私の不徳の致すところにより、皆様に多大なるご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。……つきましては、事の経緯と真実を、ここに報告させていただきます」
声のトーン、抑揚、間の取り方。
全てを計算し尽くす。
感情的になってはいけない。どこまでも冷静に、事務的に、淡々と事実を突きつける。それが最も残酷で、最も効果的な復讐の方法だ。
深夜、ふとスマートフォンの通知が光った。
Twotterの通知だ。亮介のアカウントが更新されている。
『いよいよ明日だわ。悪を裁くのって、緊張するけどワクワクするw 全校生徒の前で演説とか、俺のカリスマ性が爆発しちゃうなー』
『彼女(元カノちゃん)も登壇してくれるって。俺のために泣いてくれるとか、愛されすぎて辛いw ライブ配信のURLはこれな!みんな見てくれよな!』
URLが貼られている。
俺はそのリンクをクリックした。配信待機画面が表示される。タイトルは『生徒会緊急総会~正義の決断~』となっていた。
サムネイルには、深刻そうな顔をした亮介と、その横で俯く玲奈の写真が使われている。どこまでも演出過剰な男だ。
俺はこのURLをコピーし、とある掲示板に貼り付けた。
そこは、ネット上の炎上案件や暴露話を好む人間が集まる、アングラなコミュニティだ。
『明日、この配信で面白いことが起きる。某高校の生徒会長が、横領の罪を副会長になすりつけて公開処刑しようとしてるんだが、実は……』
少しだけ匂わせる書き込みをしておく。
これで、校内だけでなく、ネットの向こう側の「観客」も増えるはずだ。
亮介は有名になりたがっていた。だから、その夢を叶えてやる。ただし、彼が望む形ではないけれど。
時計の針は午前三時を回っていた。
準備は全て終わった。
俺はベッドに横たわったが、眠気は来なかった。
天井を見上げる。
玲奈の顔が浮かんだ。
出会った頃の笑顔。一緒に勉強した放課後。初めて手をつないだ日。
「湊くんはずっとそのままでいてね」と言った彼女。
それらが、走馬灯のように駆け巡り、そして燃え尽きていく。
もし、俺がもっと器用だったら。
もし、俺がもっと言葉を尽くして彼女に接していたら。
もし、亮介が生徒会長にならなければ。
いくつもの「もし」が頭をよぎるが、それはもう無意味な思考だ。
現実は一つしかない。
俺は裏切られ、彼らは裏切った。
そして明日、その代償が支払われる。
「……さようなら、玲奈」
俺は目を閉じた。
それは、かつての恋人への別れの言葉であり、明日から始まる新しい人生への挨拶でもあった。
翌朝。
俺はいつもより早く登校した。
誰とも顔を合わせたくなかったからだ。
体育館には、すでに会場設営の準備がされていた。パイプ椅子が並べられ、ステージには演台が置かれている。
俺はステージ袖の操作卓に向かった。
誰もいない静かな体育館。
俺は持参したノートパソコンをプロジェクターのケーブルに接続した。
画面テスト。
スクリーンに『真実の決算報告』という文字が一瞬映り、すぐに消える。
接続は良好だ。音声出力も確認する。
俺はケーブルを抜き、パソコンを鞄の奥深くに隠した。
教室に戻ると、すでに数人の生徒が来ていた。
俺を見るなり、ヒソヒソと話をする。
「来たよ、主役」「今日で最後かな」「よく学校来れるよな」
俺は無視して席に着く。
机の上には、昨日よりも増えた落書きと、萎れた菊の花が一輪置かれていた。
死人扱いか。悪趣味極まりない。
俺は菊の花を無造作にゴミ箱へ捨てた。
誰が死ぬのか、それは数時間後に分かることだ。
昼休み。
放送が流れる。
『生徒の皆さんは、五時間目の授業開始までに体育館へ移動してください。臨時生徒総会を行います』
亮介の声だ。弾んでいるのが分かる。
教室がざわめき立つ。
「よし、行くか」「最前列取ろうぜ」
お祭り騒ぎの生徒たち。
俺はゆっくりと立ち上がった。
鞄を持ち、その重みを感じる。この中に、彼らの破滅が入っている。
廊下に出ると、向こうから亮介と玲奈、そして堂島が歩いてくるのが見えた。
まるで凱旋パレードだ。
亮介は俺を見つけると、ニヤリと笑った。
「よう、湊。準備はいいか?」
「ええ、万端です」
「顔色が悪いぞ? まあ、緊張するのも無理はないか。……玲奈ちゃん、彼に声をかけてやって」
亮介に促され、玲奈が俺の前に立つ。
彼女は祈るように手を組んでいた。
「湊くん。……本当のことを話してね。嘘をつかずに、全部認めて。そうすれば、きっとみんな分かってくれるから」
「ああ。本当のことだけを話すよ」
俺は彼女の目を見て答えた。
彼女は安堵したように微笑んだ。
「よかった……。信じてるね」
その言葉が、俺の中の最後のトリガーを引いた。
信じている。その言葉の軽さ。その言葉の無責任さ。
もう十分だ。
「じゃあ、先に行ってるよ。ステージで待ってる」
亮介が言い、三人は体育館へと向かっていった。
俺はその背中を見つめながら、小さく呟いた。
「招待状は受け取ったよ。……地獄への特等席だ」
俺は一歩、踏み出した。
足音は力強く、迷いはない。
体育館からは、すでに全校生徒のざわめきが聞こえてくる。
その喧騒が、俺を呼んでいる。
さあ、始めようか。
俺の、そして君たちの、終わりの始まりを。




