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2.幸運な女

1. 微かな違和感の始まり

ユキは、ごく普通の女の子だった。

どこにでもいる、明るく前向きな性格。


けれど、彼女自身、何か少しだけ、世の中とずれていると感じ始めるのは、小学生の頃だった。


運動会の徒競走。スタートで少し出遅れた。

「あー、もうだめだ!」と諦めかけたその時、目の前の友達がなぜか急につまずき、その隙に追い抜いてゴールできた。


友達は膝を擦りむき、泣きべそをかいている。

ユキは罪悪感を覚えながらも、不思議な感覚に襲われた。


「私、勝っちゃった……」


遠足のランチ。

お気に入りのパンを家に忘れてきてしまった。

がっかりしていると、隣の友達が「あ、私、お母さんがおまけって言ってたパン、二つ持ってるんだ!一ついる?」と差し出してくれた。

ユキは満面の笑みで受け取る。


「ありがとう!ラッキー!」


だが、その友達は、その日ずっと、お気に入りのキャラクターの絆創膏が剥がれて困っていた。


ユキの周りでは、いつもそんな小さな「ラッキー」が起こった。


欲しいと思っていた雑誌が、偶然コンビニのくじ引きで当たったり。

テスト前日に「ここ、出るよ」と友達が言った部分が、本当にそのまま出たり。


周囲からは「ユキちゃんは、本当に運がいいね!」と羨ましがられた。


ユキもそうかな、と思う。

でも、どこか腑に落ちない。

自分の努力とは関係なく、ただ棚から牡丹餅のように幸運が転がり込んでくる。

それは、楽しいはずなのに、たまに砂を噛むような味がした。



2. 幸運との共存、そして葛藤

中学生、高校生と成長するにつれて、ユキの幸運はさらに明確になった。

それは、アキラのように世界を揺るがすようなものではない。

もっと、彼女の個人的な生活と人間関係に密着した形で発現した。


友人関係は常に円滑だった。

グループ内の喧嘩があっても、なぜかユキが間に入るとすぐに解決したり、彼女がいないところで話がまとまったりした。


恋人ができても、些細なすれ違いがあっても、不思議と良い方向に転び、いつも穏やかな関係を保てた。


進路で悩んだ時も、偶然手にしたパンフレットから希望の進学先を見つけ、すんなり合格できた。


就職活動も、第一志望の企業からあっさり内定をもらった。


「ユキちゃんって、本当に順風満帆だよね!」

「憧れちゃうな、その人生!」


そんな言葉をかけられるたび、ユキの心は揺れた。


これが、本当に私の人生なんだろうか?


努力して掴んだ喜び、苦労して乗り越えた達成感。


失敗から学び、立ち直る強さ。

そういった、人間が成長する上で不可欠な感情が、ユキにはまるで欠けているように思えた。


頑張らなくても、どうせ上手くいく。

そう思うと、何をするにも心の奥底で虚しさが募った。


「私、これでいいのかな?」


夜空を見上げ、独り呟く。


「この“幸運”って、私を幸せにしてるのかな?」


どこかから聞こえるような、静かな嘲笑が、彼女の耳には聞こえた気がした。



3. 幸運の裏側と、自己への問い

社会人になったユキは、それでも幸運に恵まれ続けた。

仕事で大きなミスをしても、なぜかそれが予期せぬ成功に繋がり、結果的に称賛された。


困難なプロジェクトも、彼女が関わると、まるで奇跡のように障害が消え、スムーズに進んだ。

しかし、同時に、彼女の幸運の**「裏側」**を強く意識するようになった。


彼女がミスを回避した裏で、同僚のデータが消失したり。

彼女が関わったプロジェクトが成功した陰で、別の部署が理不尽な人員削減に遭ったり。


彼女の順調な出世の陰には、優秀な上司が突然の転勤や病気で道を開ける、といった形で「不運」が付きまとった。


ある日、ユキは尊敬していた先輩が、突然会社を辞めることになったと聞かされた。

理由は、彼が長年進めていたプロジェクトが、ユキのプロジェクトの成功によって予算を削られ、完全に頓挫したためだという。


「ユキちゃんは悪くないよ。むしろ、ユキちゃんのおかげで会社は助かったんだから」


そう慰める上司の言葉が、ユキには何よりも辛かった。


まるで、自分が世界を壊しているような感覚。


「先輩……!私のせいで……」


ユキの問いかけに、先輩は力なく笑った。


「まさか。ユキちゃんは、いつも通り、運が良かっただけだよ。うん、本当に」


その言葉は、優しかったけれど、ユキの心を深く抉った。

彼女は、自分の幸運が、まるで寄生虫のように他者の不運を食い荒らしているのだと感じた。


努力も、才能も、何もかもが、この「幸運」という力によって塗りつぶされていく。


「こんな私に、生きる意味なんてあるのだろうか……?」


鏡に映る自分を見つめる。

そこには、幸運に彩られた、しかし虚ろな瞳の女性がいた。



4. 「どう生きるか」の選択

ユキは、自分の幸運をどうにかして止めようとした。

あえて困難な道を選んだり、わざと不利な状況に身を置いたりした。


しかし、どんなに足掻いても、幸運は彼女から離れることはなかった。

困難は奇跡的に解決され、不利な状況はいつの間にか有利に転じる。


「こんなの、私じゃない……」


彼女は、自らの存在意義、そして**「幸運と共にどう生きるか」**という問いに、真剣に向き合うことを決めた。


ある日、彼女は難病で苦しむ子供たちのためのチャリティイベントを知った。


彼女はこれまでの人生で得た「幸運」によって得た財産や、人脈を惜しみなく注ぎ込んだ。


驚くべきことに、そのチャリティはこれまでになく大成功を収め、多くの命を救うことができた。

しかし、その過程で、彼女の多額の寄付によって、別の慈善団体が資金難に陥ったというニュースも耳にした。


それでも、ユキは立ち止まらなかった。

彼女は、自分の幸運がもたらす「負」の部分を完全に消すことはできないと理解した。


だが、その「負」を最小限に抑え、「正」の部分を最大限に活かす道を探し始めた。


彼女は、自分の幸運を「道具」として捉え直した。

誰かの不幸の上に立つのではなく、自分の幸運が他者を助ける「連鎖」を生み出すために。


たとえ、それが虚偽の自分であったとしても。


たとえ、それが神の、あるいは何者かの「実験」の結果であったとしても。


ユキは、自分の意志で、この「幸運」という力を使いこなすことを決意した。


彼女は、人知れず、今日も誰かのために、その「幸運」を静かに使い続けている。


その瞳には、かつての虚ろさはなく、確かな光が宿っていた。



総括

窓のない、無機質で静謐な部屋。中央には、いくつものホログラムスクリーンが浮かび、複雑なデータや数式、そして先ほどまで見ていた「地球」の残骸らしき映像が映し出されている。


白衣を着た二人の人物が、そのスクリーンの前に立っていた。老練な雰囲気の教授と、それに続く若手の助手だ。彼らの表情には、感情はほとんど読み取れない。


「……以上が、対象個体B、通称『幸運な女』の生涯と、それに伴う環境変動の最終データです」


助手が淡々とした声で報告書を読み上げる。

スクリーンの映像は、ユキが幸運によって他者を助ける一方で、別の場所で小さな不運が発生する、という複雑なデータの流れを示していた。

教授は微かに頷き、静かに口を開いた。


「予測された通りの結果と言えるでしょう。個体Aとは対照的に、個体Bは自己の能力の規模を認識し、その影響範囲を限定しようと試みた。これは、個体内部における倫理的ジレンマの発生と、その解決を模索する過程を示しています」


助手がデータを切り替える。


「彼女は、自己の存在意義と幸運の性質に深く向き合い、『どう生きるか』という解答を導き出しました。幸運による恩恵が、必ずしも幸福に直結しないという、興味深い心理的側面も観察されました」


教授は、ユキの人生が映し出されたホログラムをしばらく見つめた。


「個体Aは、自己保存本能の極限において、環境全体を犠牲にした。しかし、個体Bは、自己の能力がもたらす『負の側面』を認識しつつ、それを社会貢献へと転嫁するという道を選んだ。これは、我々の設定した『人類の潜在的適応能力』の検証において、極めて重要なデータとなる」

彼の指が、ユキがチャリティ活動を行う場面の映像を拡大する。そこには、幸運によって笑顔を取り戻した子供たちの姿が映っていた。

「倫理的プロトコルの観点からも、個体Bへのストレス負荷は許容範囲内。我々のシミュレーションは、対象個体の内面的な成長を促す結果となった」


助手が手元のタブレットを操作し、次のシミュレーションの準備を開始する。


「この結果は、幸運という変数が、環境規模によって異なる結果をもたらすことを示唆していますね、教授」


教授は満足そうに微笑んだ。それは、科学者の知的好奇心を満たされた者の、微かな笑みだった。


「その通りだ、助手。幸運は、単なる『良い出来事』ではない。それは、意思決定と行動、そして倫理観によって、その性質が大きく変化する。実に奥深いテーマだ。さて、次のシミュレーションだが……」


部屋に再び、静かな電子音が響き渡った。彼らにとって、数十年、あるいは数世紀に及んだであろう「地球」の物語は、ただ一つの実験データに過ぎないのだ。

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