第五話
翌日、枕元に置いていた携帯のアラームの音と共に目を覚まし一階に降りると、すでに母は朝のお弁当の盛り付けや仕込みに追われていた。
「お母さん、何からやったらいい?」
声をかけると、母は額に浮いた汗を服の袖で拭いながら「冷蔵庫に昨日作っておいたほうれん草のおひたしがあるから、とりあえず二十個分のお弁当に盛り付けてくれる」と言われたのですぐさま取り掛かった。終えてから壁に掛けられた時計に視線を送ると、針は朝の5時半を指していた。あと三十分もすればお客さんがやってくる。
「ご飯も盛り付けとくね」
「あっもうこんな時間? 梨乃、お願い出来る?」
母はフライパンをふわりふわりと時折浮かせながらだし巻き卵を作ってるようなので私はそれからご飯を盛り、母の言われるがままに彩り鮮やかなお惣菜を一つ一つ盛り付けていき、最後に完成したお弁当を並べた。ふっと時計をみるとあっという間にオープンの時間になっていて、時間を合わせたかのようにちりんと鈴の音が鳴った。
「よお、莉乃ちゃん。今日もサバ味噌弁当を一つ貰えるかな」
通気性の良さそうな黒のジャージを上下共に身に纏い、首に巻いているタオルで汗を拭いながら入っきたのは隆さんだった。隆さんは毎朝必ず漁から帰ってくるとお弁当を買いにきてくれる常連さんで、この辺りの漁師会の会長でもある。
「今日も朝から暑いな。学校はどうだい」
日に焼けた浅黒い肌のせいか、隆さんがにっと笑うとより白い歯が強調される。私は「毎日変わんないけど楽しいよ」と注文されたサバ味噌弁当を手に取りレジの方へと向かった。
「550円です」
袋に入れながらそう呟くと、隆さんは財布から一枚千円札を抜き取り「彼氏が出来たらまず俺に紹介しろよ。ちゃんとした男かどうか見極めてやるから」と言ってにっと笑った。
「やだよ。だって隆さん、私がどんな男の子連れていっても文句言いそうだもん」
私がサバ味噌弁当を手渡すと「まあ、そうなるだろうな」と大きな声をあげて笑い、「釣りはいらねぇよ」と私の背にある厨房の奥へと顔を覗かせた。
「詩乃ちゃん、今日もありがとね」
そう声をかけると、すぐに母が出てきた。
「隆さん、いつもありがとうございます。私、奥で料理してて気づかなくて」
「いや、いいんだ。詩乃ちゃんは忙しいだろうから」
そう言って、隆さんは私たちに背を向け店から出ていった。
「お母さん、今日も隆さんお釣りはいらないって千円札くれたよ」
「そう。本当に温かい人ね」
母は隆さんが通っていた扉を、まだそこにいるかのように優しい目を向けていた。私自身、母と同じことを感じていた。隆さんは、生前の父の一番の親友だった。宗弘という名前の父を宗ちゃんと呼び、父は隆ちゃんと呼んだ。漁師会の会長を務めていた父が亡くなってからは隆さんがその立場を引き継ぎ近隣の漁師たちが気持ちよく働けるようにと誰よりも動いているのは隆さんだし、一家の大黒柱を失った私と母の為にお弁当屋さんを出してからは毎日顔を出しサバ味噌弁当を買っていってくれる。隆さんが通った時に鳴った鈴の音が、まだ私の胸の中では澄んだ音を立て鳴り続けていた。