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第十二話

町の外れにある、山の中腹にある病院に母は運ばれた。すぐさま命に関わる為に緊急手術を行いますと医師から告げられ、私の胸は痛みで張り裂けそうで頭がどうにかなってしまいそうだった。手術の間、病院の待合室のベンチに座り晴はずっと手を握っててくれた。


 六時間に及ぶ手術が終わり、親族の方のみこちらにきてくださいと私は別室に通された。そこで告げられたのは、私の心を更に引き裂くものだった。


──手術は終わりましたが、お母さんは大変危険な状況にあります。この二日が峠になると思いますので覚悟はしておいてください。


 私は言葉を発することなくただこくりと頷き、部屋を後にした。廊下で待っていた晴は私の顔をみながら「莉乃」とちいさく呟き、それから少し間を置いて「どうだった」と付け足した。


「お母さんは、この二日が峠なんだって。だから私、一旦家に帰るよ。昨日から一睡もしてないし、お母さんがもしこのまま亡くなるなら最期は綺麗な姿で逝ってほしいから着替えも取りに行きたいしね」


 そう言って、私は晴に背を向けた。病院の廊下はねっとりとした粘り気のある空気が満ちていて、それに膝下まで浸かっているかのように足が重かった。最初は右足、次は左足と意識して動かさなければ、私はそのまま沈んでいきそうだった。


 病院を出てからも晴は私の後ろをついてきていた。何も言わず、ただ私の少し後ろを歩いていた。店の前には数人の男性がいた。その中には隆さんもいて、普段ならオープンする時間になっても店が開いておらず、明かりもついてないことから心配してくれたようだった。


「隆さん、すみません。母は倒れました。お店はもう、当分開けれないと思います」


 私は隆さんに頭を下げ、店の鍵を開けた。扉を開け、私の後ろをついて歩く晴と共にのそりのそりと入っていこうとした時、「おい晴」と隆さんが晴を呼び止めていた。これ俺の携帯の番号だから何かあったら電話しろ、という声が聴こえてきた。


 私は二階へと階段を昇り、まっすぐに寝室へと向かった。ベッドに身体を預けた瞬間、和紙に水が染みていくみたいに、すうっと意識が溶け落ちていった。目が覚めると、私の隣で晴が眠っていた。昨日からずっと私と一緒に病院にいてくれたから疲れていたのだろう。私の感情はめちゃくちゃになっていたからなのか、こんな時にその寝顔が、ずっと寄り添ってくれた晴の寝顔が途端に愛しく思えて、目にかかっていた前髪をそっとよけてあげたくなった。それから、あらわになったおでこに軽く唇を添えた。


 携帯に指を滑らせた。時刻は夕方の四時。病院からの連絡はまだない。という事は、母はまだ生きてる。でも、あくまで、まだというだけだ。父に続き、母も。もしそうなったら、私はどうやって生きていけばいいのだろう。そんな風に考え始めたら自然と足が動いていた。向かった先は、海だった。いつも父からの手紙が届く、あのポストがある海だった。


 海鳥たちの歌が聴こえるようになるには、近しい人間が死ななければならない。もし私が、元からその運命にあるのなら、父と母は私に巻き込まれたようなものだ。耐えられないと思った。とてもじゃないけど、そんな現実を私は受け入れられない。父も母もあちら側の世界に逝ってしまうなら、私も。


 サンダルを脱いだ。一歩足を踏み出す度に指と指の間から砂が溢れていたが、やがて足の裏から湿り気を感じた。すぐに指先にひやりとした水のつめたさを感じる。ゆっくりと、だが着実に、私は海に呑まれていった。


「莉乃!」


 遠くから晴の声が聴こえた気がした。でも、晴は私の部屋で眠っていた。気のせいだと目を閉じた。


「莉乃! おい、莉乃!」


 波の揺れる音に混じって確かに晴の声が聴こえた。それから程なくして、力強い水しぶきをあげる音が鼓膜に触れる。気付いた時には晴に身体を掴まれていた。


「お前、何考えてんだよっ!」


 晴の目は見たこともないくらいに血走っていた。二人とも胸の少し上辺りまで海に浸かっている。


「晴、ごめん。私……一人にはなりたくないの」

「一人じゃない」

「お母さんもお父さんもいなくなったら私は」


 押し寄せた波で顔に水しぶきがかかった。


「一人だよ。そんなの、耐えられない!」

「いいから聞け!」


 晴に激しく身体を揺すられた。


「おばさんは死なない。大丈夫だ」

「そんな気休めいらないって! お医者さんに覚悟しろって言われた……それに、晴のおばあちゃんだって言ってたでしょ? 海鳥たちの歌が聴こえる者の近しい人は死ぬって……きっとそれはお父さんとお母さんの事だよ。二人が私のせいで死ぬなら、いっそ私も今ここで死んで二人のところにいくっ」


 涙ながらにそう叫んだ瞬間、右の頬に衝撃が走った。晴に頬を打たれたのだと理解するまでに少し時間がかかった。


「何すんのよ!」

「ふざけんなよお前。どこまであの糞みたいな言い伝えに取り憑かれてんだよ。おばさんがもし目が覚めて、その時にお前が自殺したなんて知ったら……そしたらお前の母さんはそれから先どうやって生きていけばいいんだよ!」


 晴の放った言葉は、私の胸を貫いた。本当にその通りだと思った。必死の思いで肉体が生きようとして目が覚めた先で、私が死んだなんて知ったら母はどれほどの辛い思いをするのだろう。


「俺の母さんも、それから父さんも病気で死んだ。生きたくても生きれない人がいるのに、お前みたいな健康の身体を持った人間が命を無駄にすんな」


 晴はそう言って私の両肩を摑んだ。私の瞳の中心が晴のそれと磁力を帯びているように結ばれる。


「あと、ついでだからこれも言っとくわ。人は生き物だからいつか死ぬ。俺のおばあちゃんだって、お前の母さんだって、俺だってそうだ。いつか必ず死ぬんだよ。だから死から目を背けようとすんな。でも、これだけは約束する。俺だけは最後の最後までお前の傍にいるから。お前がもう泣かなくて済むように、莉乃が幸せでいれるように、俺は傍にいる。子供の頃からずっと莉乃のことが好きなんだよ。だから、私は一人だなんてもう言うな」


 感情が高まったのか、言い終えて晴の頬を涙が伝い海に溶け落ちた。その涙のように私の心には晴の放った言葉が痛い程に染み渡ってきて、私は生まれたての赤子のように声をあげて泣いた。

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