表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

1 波間に揺れる死体

絵1,1)


 アイルが漁のため夜明け前の海に漕ぎ出ると、沖に一艘の見慣れぬ小船が浮かんでいた。

 アイルは漁猟士だった。朝方は漁を行い、昼から夕にかけては森の中で狩猟を行い生活していた。村の人間は皆同じような暮らしをしていた。

 今、アイルは沖に張った網の様子を確かめるために、ひとりで沖に出ている最中だった。

 昨日は王女の戴冠式があり、国中が祭りで浮かれていた。アイルの村の大人たちも、夜中まで酒を飲み乱痴気騒ぎをしていた。そんなわけで、彼は一人で漁網の確認にやって来たのだった。

 アイルは小舟に船を寄せた。小舟に人影は見えなかった。帆は帆綱が切れ風にバタバタとはためき、左右のオールは投げ出されたまま海面に突き刺さっていた。風のない朝方の静かな海に、船はただただ波間にゆっくりと揺られていた。

 アイルは小船に横付けし、中を覗き込んだ。


 小舟の中には、血にまみれた二人の兵士が倒れていた。

 二人のうち一人は死んでいた。彼は首を切断されていた。ぱっくりと開いたその傷口からは、赤い肉が覗いていた。彼は船べりに身を横たえ、死体となって波に揺られていた。

 もう一人の兵士は、生きていた。彼は虚脱した目で近づいてくるアイルを見つめていた。彼の呼吸に合わせて、その肩は上下に動いた。

 アイルは小舟に飛び移り、兵士のそばにかがみ込んだ。

 兵士は胸を銃で打たれていた。その甲冑に穿たれた穿孔から流れたおびただしい量の血が、船底に血溜まりを作っていた。鎖帷子は彼の流した血で赤黒く染まり、その細かな目は血の塊で詰まっていた。

 彼の右足は切断され、膝から下がなかった。太ももには、血止めのため皮のベルトがきつく巻き付けられていた。

 兵士は何かを喋ろうとし口を動かした。アイルは男の口元に耳を寄せた。朝の冷たい潮風の中に、アイルは男の温い息を感じた。兵士は口を開いた。


【兵士】「悪魔の襲撃だ……。船が悪魔どもに襲われた」


 兵士はそこまで言うと苦痛に顔を歪ませ、肩で息をあえいだ。痰がからみ、彼が息を吸ったぜいぜいと喉が鳴った。


【アイル】「しゃべらないでください。いますぐ村まで連れていきます」


 アイルがそう言い、オールを手に取ろうとすると、兵士はアイルの袖を掴み、言った。


【兵士】「聞いてくれ……王城の内部に裏切者がいる……今からそいつの名前を言う……」


 アイルは兵士の顔を正面から直視し、はっきりとうなずき先を促した。


【兵士】「クラウザー……クラウザーが裏切者の名だ」

【アイル】「クラウザー」


 アイルはその名前を繰り返した。兵士はこくりとうなずいた。


【兵士】「王に謁見するための符牒がある……『その王命は銀である』と」

【アイル】「その王命は銀である」


アイルは再び兵士の言を繰り返した。


【兵士】「そうだ……今の話は、国王にだけ直接話せ……」

【アイル】「国王に直接」


 アイルは繰り返した。

 兵士は、さらになにか話そうと口を開いたが、大きく咳き込んだ。彼は血が絡んだ痰を吐き出すと、呼吸をあえいだ。彼が再び口を開くと、その声はか細く、ほとんど聞き取れないほどだった。


【兵士】「アマンダ様を、頼む……」

【アイル】「アマンダ?それは、誰のことですか……?」


 兵士はアイルの言葉を無視し、続けた。

 

【兵士】「急げ。奴らがもう来る……」


 兵士はそう言い終わると、目の焦点を失い、やがて呼吸を止めた。

 アイルは彼のまぶたをやさしく閉じてやった。


 アイル自分の船は乗り捨て、オールを漕いで岸へと急いだ。そして砂浜に船をつけると、浜を横切り、森の中を駆け村へ走った。


 ーーーーー


 村人たちは、二つの死体を船から降ろし、砂浜に横たえた。


【村長】「西部連隊の兵か。かわいそうにの」


 もっとも年長の老人がいった。彼はアイルが住むスホルト村の村長だった。彼の、櫛も掛けない汚い白い頭髪が、潮風に吹きすさんでいた。この老人は、何か魔術の修行上の理由だとかで、何年間も風呂に入っていなかった。その粗末な外套は茶色く汚れてシミにまみれ、彼の握る杖はそのひねくれた性格を象徴するように節だらけでうずまきねじくれていた。老人はこのように見た目に気を使わないみすぼらしい格好をしているが、かつては名の知られた魔法使いだった。

 アイルの住むスホルト村はローラント国に属していた。西部連隊とは、海峡を含めたローラント西部の国境を守護する軍隊であった。

 

【村長】「齢は三十といったところかの。認識票がある」


 村長はそう言うと、首から下げられた銀片を取り上げた。


【アイル】「お名前は何とおっしゃるのですか」

【ゲイル】「名前は書いてない。数字が書いてあるんだ」


 痩せた背の高い男が代わりに答えた。彼はゲイルといい、年長の猟師だった。彼は口数が少なく、鼻梁の突き出た堀の深い顔をしていた。


【アイル】「数字はなんと」

【村長】「2、2、4、6だ……ヤゴー、遺書は見つかったか?」

【ヤゴー】「ありました。」


 甲冑を調べていた屈強な体躯をした中年男が答えた。彼はヤゴーといい、スホルト村の猟師たちの長だった。彼が胴鎧の裏側を見せると、そこには油紙に包まれた封が貼り付けてあった。村長はそれを受け取り、手紙を開いた。


【村長】「遺書を読み上げる」


 村長が言った。みな厳粛に聞いた。


【村長】「我、若年より皇軍の栄光に仕え一片の悔いなし。しかし壮年にて故郷に残せし母を思う。我の僅かな蓄え是非母に贈り給え」


 村長は皆を見渡していった。


【村長】「この遺言託された。この言葉必ず城に届けようぞ」


 男たちは、兵士の甲冑を脱がせ、重量を軽くすると、彼らをかつぎ上げた。そして、砂浜に深い足跡を残しながら、浜辺を横切り森へ向かった。


 大人たちが死体を担いだので、アイルは手持ち無沙汰になった。彼は列の最後尾を、村長と並んで歩いた。ふと、彼は村長に尋ねたいことがあったことを思い出した。


【アイル】「村長、アマンダとは誰のことかわかりますか?あの兵に、アマンダ様を頼むと託されたのですが……」


 村長は驚き、頭を抱え、そして答えた。


【村長】「アマンダとは王女の名だ。お前、そんなことも知らんのか」

【アイル】「はあ、そうでしたか。なるほど」


 アイルは得心した。彼は兵士の言葉を思い出していた。兵士は最後に、奴らが来ると話していた。奴らとはなんのことだろうか。沖で何があったのだろうか。

 アイルは、なんとなく海を振り返った。

 すると沖の方角、白い霧の向こうに、黄色い光ぼんやりと浮かんでいるのが見えた。


【アイル】「村長、なにか明かりが……」


 アイルが言い、指さした。村人たちの幾人かが、アイルの言葉に振り返り、同じく海を見つめた。

 確かに、朝もやの濃い霧の中に、黄色い光が浮かんでいた。その光は、段々と強くなり、アイルたちに近づいてきた。

 アイルはそれがなんなのだろうと目を凝らした。やがて、その光の正体が、霧の中から現れた。

 

 それは船の明かりだった。船のバウスプリットにくくりつけられた、カンテラの明かりだ。

 それは波に揺れる船の動きに合わせて、ゆっくりと上下に動いていた。

 やがて、霧を突き破り、船がその全容を表した。

 それは、黒い巨大な帆船だった。その船は、とてつもなく大きかった。

 おそらく遠洋航海用の船だろうか、船には3本の主マストがあり、数え切れないほど多くの帆が船上に張られていた。

 そして、その漆色に塗られたな舷側の窓から、大量に並んだ黒い鉄の火砲が飛び出していた。


【村長】「まずい!皆、いますぐここから離れろ!」


 村長は叫んだ。村人たちは村長の言葉に従い、急いで走り出した。

 彼らは浜辺を突っ切り、森の中の茂みに逃げ込んだ。


(絵1.2)


 ーーーーー


(絵1.3)


 村長は四人の男衆に命じ、死体を村まで運ばせた。残った村人たちは、森の中から船を観察していた。


【村長】「あれはザクセンの船じゃな」

 

 村長が言った。ザクセンとは、アイル達がいま目の前にしているアドレア海を挟んで、西の対岸にある国だった。ザクセンとローラント国とは、長らく戦争状態にあった。 

 船は岸に接近し、カンテラの明かりで浜辺を照らして何かを探していた。


【アイル】「なぜ、ザクセンの船がここに?」

【村長】「さあな。多分、あの兵士達を追ってきたんじゃろうが……」

【アイル】「ザクセンの軍は、海峡を突破したということでしょうか」

【村長】「……さあわからん。アイルよ、前にも言ったが、お前はなんでもすぐ人に聞く前に少しは自分で考えたらどうだ?」

【アイル】「あの船尾についている羽はなんでしょうか」


 アイルはそう言い、船の後方を指さした。船の船尾からは、マストにくくりつけられた竜の羽が左右一対ずつ広がっていた。


【村長 】「おそらく、あの船は竜帆船とかいうやつじゃ……」

【アイル】「竜帆船?」

【村長】「昔、文献で呼んだことがある……帆のかわりに竜の羽で風を受け、高速で海を走る船があるとか……」

【ヤゴー】「おい、なんか海面がおかしいぞ」


 アイルはそう言われて、海面を見た。船の周囲に、ナブラが立っていた。何千という魚たちが、水しぶきを上げ海面を割っていたのだ。あの魚は、多分ボラだろうか……魚たちは、船から逃げようとしているように見えた。何匹かの魚は、波を割って、砂浜に体を打ち上げられた。


【ヤゴー】「おいおいボラじゃねーかよ。取ってくるか?」

【村長 】「ヤゴー、黙れ!」


 ヤゴーがふざけた調子で言うので、村長がたしなめた。その直後、今度はアイルたちの後方で、森から一斉にカラスが飛び立った。それはまるで夕方のコウモリのように、黒々とした空の染みとなって、どこか遠くの空へ飛んでいった。


【ヤゴー】「おいおい、今度はなんだ」

【村長 】「ヤゴー、動くな!」


 ヤゴーが頭を動かし背後の森を振り返ると、村長が鋭く叱りつけた。

 アイルは、なぜだか急に寒気を感じた。彼が腕をさすると、その腕には鳥肌が立っていた。彼はあらためて船を見た。

 その悪寒の発生源は、あの船の甲板にあるようにアイルには思われた。

 あの船は、なにか異様だ。

 アイルは薮の間から船上を凝視した。


 やがて船の甲板の上に、奇怪な亜人種が現れた。

 その亜人は、まるで蝋のような白い肌をしていた。それは腐った青魚の横腹に似ていた。その側頭部からは、茶色い一対の巨大な巻角が生えていた。

 目の周りはフジツボのような赤いかさぶたで覆われ、細く長い指の先には黒いとがった爪がついていた。

 彼は船の舳先に立ち、森を見つめていた。

 村長は、その姿を見て、おののいた。

 

【村長】「なんじゃと!……あれは、悪魔じゃ!!!」

【アイル】「悪魔!?」

【村長】「ああ間違いない、あれは悪魔じゃ。それも、ただの悪魔ではない……魔王ゼクターが生み出した、大悪魔と呼ばれる者に違いない」 

【ゲイル】「おい、あいつら船を下ろしているぞ!」

 

 アイルは船に目線を戻した。彼の言う通り、甲板の兵士たちが船の舷側から小舟を降ろしていた。小舟の中には甲冑に身を包んだ三人の兵士が乗っていた。

 彼らは船を動かし、波打ち際へと近づいてきた。

 

【アイル】「浜には、俺たちの足跡が残っています」


 アイルは言った。村長は、それを聞いてちぃと舌打ちをした。


【村長】「皆、よく聞け。今すぐ人々を避難させねば。わしとゴードンは村の人間を避難させる。ルーはケルンに、カインはローアンに行き住人を避難させろ。わしの名前を使え」


 村長はそう言うと、今度はアイルたちに向き直っていった。


【村長】「「ヤゴー、ゲイル、アイル、お前たちは馬を使っていますぐローゼンハイムへ向かえ。王に事の次第を伝えるのじゃ」

【ヤゴー】「わかりました」

【村長】「うむ。では出発しろ」


 村長がそう言うと、村人たちはすぐに各々行動を開始した。


 ーーーーー


 アイル達は、馬に乗り街道を駆けた。

 朝方の街道はまだ人通りが少なかったが、アイルたちは、すれ違ったすべての人達に声をかけた。

 

「敵襲だ!スホルトに悪魔が出たぞ!」

 

 アイルたちは、人と会う度に、三人一斉に大声で叫んだ。

 それを聞いたあるものは驚き、一体なんだと目を見開いた。そして、迷った挙げ句進路を変えた。あるものはアイルたちに怪訝な顔を向け、それを無視した。

 こうして幾人もの旅人とすれ違いながら、アイルたちはローゼンハイムに向かった。


 やがてアイルたちの行く先に、ローゼンハイムの城壁が見えてきた。

 ロードランの首都ローゼンハイムは、大河ラインベルクが形作る広大な三角州の上に建てられた巨大都市だった。

 都市には3つの城壁があった。1つ目はいまアイル達が通過している、三角州全体を囲む城壁だ。これは大外壁と呼ばれていた。

 二つ目は、王城が建っている中州を囲む外城壁だ。この中州本島のことを古ローゼンハイムと呼んだ。

 三つ目は、王が住む王城を守る内城壁だ。

 ローゼンハイムの内部には、ラインベルクから枝分かれした幾百もの川が流れ、複雑な水路を形成していた。したがって外部からその外城に至るには、いくつとも知れない小川を渡る必要があった。

 彼らは馬を駆けた。そしていくつもの橋を渡り、ようやく城の外壁にたどり着いた。

 

 外城門の前には、人々が普段よりも長い待機列を作っていた。

 

【ヤゴー】「ちっ。さすがに昨日の今日だから検問が強化されてやがるな」


 ヤゴーが言った。彼が言及したのは、もちろん王女の戴冠式のことだ。アイルたちは脇にそれ、列の脇に割り込み、進みながら叫んだ。

  

【ヤゴー】「敵襲だ!敵襲だ!スホルトに悪魔が現れたんだ!ここを通してくれ!」


 列に並ぶ人々は、みな一体なんのことだ振り返り、道を開けた。アイルたちが外城門の手前まで行くと、若い衛兵がその進路を遮った。


【若い衛兵】「止まれ!止まれ!」


彼はそう言い、両手を広げ馬の前に立った。


【ゲイル】「聞いたろ!急いでるんだ!ここを通してくれ!」

【若い衛兵】「駄目だ!並び直せ!」


 こうしてゲイルと衛兵が大声で押し問答していると、騒ぎを聞きつけた中年の兵士が前に進み出た。彼はゲイルを見て話しかけた。


【中年の兵】「お前、ゲイルじゃないか?久しぶりだな」

【ゲイル】「ああ」

【中年の兵】「もう三年ぶりじゃないか。なんで会いに来ない?」

【ゲイル】「悪いが急いでるんだ。俺たちを通してくれないか」


 ゲイルは、中年の兵士に向かって事情を話した。中年の兵士は、隣に立つ若い衛兵と視線を交わした後、アイルたちに向き直った。


【中年の兵】「今の話は、本当か?」

【ヤゴー】「あったりめえよ!おふくろに誓ってもいいぜ!」

【若い衛兵】「ならば、それが真実だという証拠を出せ!」

【アイル】「ここに、兵士から授かった認識票があります」

 

 若い衛兵がそう言うと、アイルは懐から認識票を取り出した。朝日を浴びて銀色に光るその認識票の表面には、血に洗われて赤黒いかさぶたがこびりついていた。

 中年の兵は、認識票を手に取ると、それを検分し、言った。


【中年の兵】「わかった。ここを通っていい!」

【ゲイル】「すまんな」


 ゲイルは言った。そして馬を走らせ、城門を通過した。

 アイルたちの背後で、中年の兵が、他の衛兵を集めて叫んでいた。

 

【中年の兵】「今すぐスホルトに馬を出すぞ!はやく準備しろ!」


 アイルたちは、城門を後にし、内城へ駆けた。


 ーーーーー

 

 アイルたちは、街の大通りを駆けた。ヤゴーは馬を走らせながら、大声で叫んだ。


【ヤゴー】「スホルトに敵襲だ!道を開けてくれ!スホルトに敵襲だ!」


 町の人々は、呆然として、なんのことだとみなアイルたちを見上げた。彼らはおずおずと道を開けた。

 昨日、街は祭りだった。屋台の食べ残しや紙吹雪やらがそこら中に散乱していた。普段はまっさきに逮捕される酔っぱらい達も、今日は道端に堂々と寝転んでいた。家と家の間に吊るされた紐から、いくつもの灯籠が吊るされていた。灯籠の中の蝋燭は、朝になったいまも灯りをともしていた。アイルたちは、こうした街の喧騒の跡を駆け抜けた。


 そうして彼らは、街を一気に突っ切り、小高い丘の上に造られた内城の前までやって来た。

 アイルたちは、馬を降り、門兵に向かって叫んだ。


【ゲイル】「俺達はスホルトから来た!お前たちの兵から王への言伝を預かっている!中に入れてくれ!」


 門兵は首を振った。そして門の前に槍を交差させここは通せないと意思表示した。ゲイルは、なおも大声で叫んだ。

 ゲイルの大声を聞きつけて、門の上の胸壁にたくさんの兵士が集まってきた。そのうちの一人が、胸壁の上から言った。

 

【兵士】 「王への言伝とは何だ!その内容を述べてみよ!」

【ゲイル】「駄目だ!俺達は王にのみ直接伝えるように言付かっている!」

【兵士】「ならばここは通さん!貴様らは信用できん!」


 アイルは、壁下に一歩進み出て、言った。

 

【アイル】「我々は符牒を預かっています!『その王命は銀である』と!」


 壁上の兵士たちが、それを聞きざわめいた。

 

【兵士】 「いま一度述べよ!」

【アイル】「その王命は、銀である!」


 そのうちのひとりの兵士が、ゲイルを指さしていった。


【兵士】「隊長!自分はあの細い方の男を知っています。ゲイルという男で、10年ほど前にこの城で徴募兵として勤めていました」

【兵隊長】「……ああ!確かに私も見覚えがある!……よし、そのものたちを通せ!俺もすぐ下に降りる!」


 隊長と呼ばれた男がそう叫ぶと、衛兵は門を開いた。アイルたちは門をくぐり、中に進み出た。一階に降りた兵士たちが、アイルたちの前に進み出た。

 

【兵士】「よう、俺はケインだ。覚えているか?」

【ゲイル】「ああ、覚えてるよ」

【兵隊長】「久しぶりだな、ゲイル」隊長と呼ばれた、口ひげをたくわえた年かさの兵士がゲイルに声をかけた。

【ゲイル】「ジークラット隊長、お久しぶりです」

【ジークラット】「ロアンのところまで案内してやる。ついてこい」


 隊長はそう言い、アイル達を先導した。

 ロアンとは、王の名だ。さすがのアイルも、王の名ぐらいは知っていた。この男は、王を呼び捨てにするほどの仲なのだろうか。

 彼らは城に入り、薄暗く湿った螺旋階段を上がった。ジークラットの鉄の具足が石畳の階段をたたく音が、かつんかつんと響き渡った。彼らは廊下を進み、扉の前に連れてこられた。扉は分厚い樫でできており、茶色い膠が塗られあでやかな光沢を放っていた。

 扉の前に立つ衛兵は、隊長と目線を交わすと、扉を開いた。隊長はアイルたちを待たせて先に部屋に入り、一分ほどしてから部屋から出てきた。そして、アイルたちを部屋に招き入れた。

 アイルたちは、衛兵に武器を渡し、部屋に入った。


 扉をくぐると、部屋の中の視線が一斉にアイル達に向けられた。

 応接間は広く、豪華な調度品で飾られていた。高い天井には鮮やかなテンペラ画が描かれていた。東方から取り寄せられたものであろう白磁の壺が部屋の壁際にいくつも立ち並び、その壺の下には東夷の女が編んだものであろう豪奢な分厚い赤い絨毯が敷き詰められていた。部屋の中央には大きな椅子があり、その上に従者に囲まれた老人が座っていた。

 王を囲む従者たちの様子は、穏やかではなかった。彼らの中には、どこかの国の外交官なのだろうか、異人の肌の黒い女もいた。その女の耳は、エルフの耳のように尖っていた……彼女は話に聞く、闇のエルフというやつだろうか。彼らはみな、冷たい目でアイルたちを観察していた。


 三人は、王に敬礼した。

 

【ジークラット】「この者たちが、殿下に言伝を持って参りました」

【ロアン】「名乗れ」


 ロアン国王が言った。彼は低く威厳のある声をしていた。

 

【ゲイル】「私はスホルト村において狩猟を営むゲイルというものです。スホルトが悪魔の襲撃を受けたため、馳せ参じた次第であります」

【ロアン】「ザハードの村の者か。すでに話は聞いた。悪魔が出現したそうだな」

【ゲイル】「は。わが長いわく、それはゼクターの生み出した大悪魔のうちのひとつであると。我々はそこで、死んだ兵士から言伝を授かって参りました」

【ロアン】「なるほどわかった。その言伝を述べたものの名は」

【ゲイル】「名は分かりません。ここに軍票があります」

 

 彼はそう言い、アイルから軍票を受け取り、それを差し出した。モノクルをかけた文官らしき装いをした男が、それを受け取り、検分した。

 彼は驚きに一瞬目を見開いた。

 

【文官】「これは、トルドー軍曹のものです」

【ロアン】「トルドーはどうした」

【ゲイル】「死にました」

【ロアン】「……あい分かった。トルドーの言を述べよ」

 

 ゲイルは一瞬躊躇して、こう答えた。

 

【ゲイル】「なりません。王のみと直接話せと申しつかっています」

 

 王は文官に目線を送った。文官は首を横に振った。

 

【ロアン】「ならん。いますぐにここで話せ」

【ゲイル】「は。”裏切者の名は、クラウザーだ”と」


 部屋が静まり返った。文官は目線を伏せたままその場に固まった。王は目を見開き、椅子のひじ掛けを強く握った。彼の、歴戦の戦士を思わせる筋張った太い指が、ひじ掛けの厚い布地に深く食い込んだ。

 アイル達は、一体何事かと顔を上げた。見ると、部屋の高官たちの視線は、一人の人物に注がれていた。

 アイルはその視線の先を追った。灰色のローブに身を包み、ながく白いひげを胸元まで蓄えた魔法使いが、表情を消して微動だにせず立っていた。


 ーーーーー

 

 やつがクラウザーなのか?アイルはことの成り行きを息を詰めて見守った。

 王が椅子から立ち上がろうと腰を浮かした。

 その瞬間、灰の魔法使いは、口元をにやりとゆがめた。彼の小さな黄色い歯が、唇の隙間から覗いた。

 彼は杖を振りかぶりった。


【クラウザー】「|灼熱の炎を放つ魔法《öum ël jackt ël garm》」

 

 クラウザーが呪文を唱えた。すると、杖の先端にはめ込まれた宝石が、赤い光を放った。隊長はアイルを突き飛ばし、魔法使いに突進した。そして走りながら腰の剣を抜き放ち、上段に刃を振りかぶった。

 しかしその剣は間に合わなかった。一瞬ののち宝石の赤い輝きはその臨界点に達し、まばゆい閃光が部屋を照らした。そして、杖の先端から、赤い灼熱の炎が噴き出した。


【ジークラット】「ぐわあああああああ!」

 

 炎が隊長の体を包んだ。隊長は叫び声をあげ、その場に崩れ落ちた。


【文官】「|白銀の光を放つ魔法《öum ël jackt ël zaickt》」


 呪文の詠唱を終えた文官が、その両の手のひらを魔法使いに向け、白い光線の魔術を放った。魔術師は口中でなにかを唱えると、杖を振りかぶり、その光線を弾き飛ばした。激しい擦過音とともに鋭角にはじかれた白い光は、天井のテンペラ画に直撃し太い線条痕を残した。

 褐色の異人が、文官とクラウザーとの間に飛び込んだ。彼女は、一体どうやってそれを王の間に持ち込んだのか、その右手に剣を握っていた。

 彼女が漸近すると、魔術師はすぐに身をひるがえし、壁のステンドグラスを突き破って、外の空間へ飛び出した。

 王も、すでに自らの呪文の詠唱を終えていた。その両手の間には、直径1メートルはある大きな水球が浮かんでいた。彼は隊長に向けてそれを放った。水球が隊長の全身を覆い、彼を包んでいた炎はすぐに消えた。

 肉の焦げる甘い匂いが部屋に漂った。


 ーーーーー

 

 ゲイルは割れた窓の下へ駆け寄り、外を覗いた。高さ20メートルはあろう空間から地面に飛び降りたのにも関わらず、クラウザーの姿はもうどこにもなかった。

 

【ロアン】「医者をここに呼べ。奴らはすぐに動いてくるぞ」

 

 その時、遥か下方に見える密集した家の路地から、赤い煙が一本の筋を描いて空へと高く立ち上った。

 

 ゲイルは部屋を振り向いて叫んだ。

 

【ゲイル】「煙があがっています!何かの合図かと!」


 彼がそう言うと、それと同時に、西の方角から、なにかの火砲の発撃音のようなものが響いてきた。

 

 突如、海に面した西の外城壁が吹き飛び、爆発した。その衝撃は地面を震わせ、振動が白磁の壺をガタガタと震わせ、横倒しにした。壺の中に貯められた水が飛び散り、赤い絨毯にシミを作った。

 王たちはみな、窓に駆け寄り、西の方角を注視した。

 西の城壁一帯に、爆発の砂塵が黄色く一面に広がっていた。爆発が起きた地点の中央では、火災が起こり、黒い煙が天に向かって立ち上っていた。

 吹き飛んだ城壁の向こう側には、青い水平線が見えた。その水平線に、たくさんの船が浮かんでいるのが見えた。

 30を超える巨大な帆船が、その高い帆を掲げて、ローゼンハイムに向けて進行してきた。


 ーーーーー


【ロアン】「なんだ、あの船たちは……」

【褐色の女】「あれは、ザクセンの竜帆船です。」

【ロアン】「竜帆船とは何だ?」

【褐色の女】「軍艦の一種です。やつらは、このローゼンハイムに攻め入る気でしょう」

【ロアン】「なんだと?いまここに世界中の来賓がいることを、やつらは分かっているのか?」

【褐色の女】「ザクセンは、嵐の悪魔ライガーンの手先です。となれば、やつらの狙いは、王女殿下の抹殺以外にはありえないかと」

【ロアン】「……そうか分かった。今すぐ兵を動かすぞ。ジークラッドはどうだ?」


 王は訊いた。隊長は横たわり甲冑を外されていた。モノクルの役人が火に焼かれむき出しになった隊長の胸に、両手をかざして呪文を唱えていた。隊長の体は、白い光に包まれていた。文官が唱えているのは、恐らく神術のたぐいなのだろう。隊長の真っ赤に裂けた皮膚の傷口は、みるみるうちに塞がっていった。

 

【文官】「もう大丈夫です。命に別状はないかと」


 役人がそういうと、隊長は天井に握った手を掲げた。それは、自分は無事だという合図だった。

 王は安心して一瞬顔を緩ませた。しかしすぐに気を引き締め、言った。

 

【ロアン】「コルトを呼べ。イーサンは、私と兵舎に来い」

【アイル】「あの!!」


 アイルが声を上げた。


【アイル】「我々にできることは、ありますでしょうか」


 アイルは王にそう言った。一介の猟師である彼は黙っているべきだったが、愛国心から彼の口から言葉が衝いて出てきた。

 

【ロアン】「ない。君たちははやくここから逃げなさい」

【ゲイル】「私は十年前にこの城に勤めていました。このヤゴーという男も、軍務経験はありませんが、いっとき冒険者をやっていたことがあります。手伝わせてください」

【ロアン】「……」


 王は、腕を組みひとしきり悩んだ。この喫緊の事態に、なおも時間を使い思考を逡巡させた。


【文官】「王」


 文官は、見かねて王に声をかけた。しかし王はそれを手で遮り、アイルたちに言った。


【ロアン】「君たちは軍籍にない……であるからこそ、この任務を果たせるかもしれん」


 王は腕を解き、三人をまっすぐ見つめながら言った。


【ロアン】「これから話すことは、すべて内密に行ってほしい.。君たちもさっき見たように、このローラントはもはや国家の中枢でさえ国賊に蝕まれている。今や、王である私にすら、完全に信用できる者は少ない。クラウザーでさえ裏切ったのなら、尚の事だ……」

 

 アイルたちは、王の言葉を待った。


【ロアン】「王女を……アマンダを、君たちとともに、連れて行ってくれ」


  王女の名を聞き、アイルは思わず姿勢を正した。ヤゴーは、急な事態に驚き口をぽかんと開けた。ゲイルだけは、直立不動のまま微動だにしなかった。

 王は使いをやり、王女をここに呼んだ。王女は、小人の使いとともにやってきた。 

 彼女は、眼を見張るような赤く長い髪を持っていた。彼女はその頭に、大きな三角帽を被っていた。

 

【ロアン】「アマンダよ、帽をとりなさい」

 

 ロアンに言われ、彼女はゆっくりとその帽子を脱ぎ、頭を下げた。

 帽子の下の頭の上には、黄色い天使の輪が、薄ぼんやりした光を放ちながら浮かんでいた。


(絵1.4)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ