8 アロンゾ 2
彼らは次の日は一日中坑道の中に身を潜めた。彼らは体力を温存するため、なるべく寝て過ごした。
やがて夜になると、アイルは再び上の出口へ上り、穴から村を見下ろした。
家の明かりは昨日より増えていた。どうやらオークは本格的にここを拠点にするつもりらしい。
【アイル】アイルは下の坑道に降り、皆に言った。「深夜にここを脱出する。準備しておいてくれ」
【ハン】「お母さんがどうなってるか、見に行きたい……」ハンがぐずりながら言った
【アイル】「お前の母親は、どの家にいるんだ?どの家だ」アイルは訊いた。
【ジェイ】「ああ、それなら煙突が二本ある家だ」ジェイが答えた。
【アイル】「門のすぐ手前の家か?のそばの家か?」
【ジェイ】「そうだ」
確かその家は明かりがついていなかった。その家ならば隣の林に隣接しているし、危険を冒さずに侵入できるはする。だが……
彼は迷った。オーク達のことだ。母親はすでに殺された上に死体を弄ばれているかもしれない。
【アイル】「俺たちがお母さんの様子を確かめる」アイルが言った。「もし俺たちが駄目だと言ったら、母親には会わずに直ぐここを立つんだ。いいね?」
ハンはこくりとうなずいた。
やがて深夜になった。ほとんど満月に近い月は南中し、あたりを明るく照らし出していた。
彼らは出発した。ひとりずつ水の中に入り、坑道から出た。そして道を突っ切り、林の中に入った。
彼らはそのまま林の中を突っ切り、村の出口までたどり着いた
【アイル】「じゃあ行ってくる」アイルは言った。そしてハンの家の裏手に近づいた。
その家の裏口にはドアがあった。アイルはドアに手をかけゆっくりと押し開け、隙間から中を覗いた。家の中は真っ暗闇で静まり返っていた。
アイルは階段を登った。二階に上がると、部屋の扉の一つが半開きになっていた。
アイルはそっとドアを開き部屋の中に入った。そのとき、鼻を刺す腐敗臭がアイルの鼻を覆った。
部屋の中央に何かが座っていた。アイルはそれの正面に回り込んだ。
それは椅子に縛られた女の死体だった。その椅子の背もたれは血に覆われ、赤黒い塊が一面にこびりついていた
彼女の腕は椅子の手すりに縛られ、両手の指は全て切り落とされていた。両目はえぐり出され蓋のない眼科が虚空の一点を見つめていた。
拷問されている。アイルの心臓が鼓動を増した。もし拷問されたなら、ハンのことはバレただろう。それならば、坑道のどこかに俺たちが潜んでいると知っていてもおかしくはない。
やつらは一度俺たちの隣の坑道に入ってきた。それは、俺たちの存在を疑っていたからではないか?
アイルは足早に皆のもとに戻った。
【アイル】「今すぐ逃げる」アイルは言った。
【ハン】「お母さんは」ハンが聞いた。アイルは首を振った。
彼らは斜面を駆け下りた。港の先にはオークの気配はなかった。湿った草地に蛙の声がやかましく響いていた。
彼らは、船を隠したクルミの樹の下へきた。
月の光が川を照らしていた。
しかし、その淡い光は川底に本来あるべきものを映し出してはくれなかった。
【テオ】 「船がないわ」テオが言った。
その時、彼らの背後に立つ一本の大きな樫の上で、なにか巨大な物体が動めいた。
【アイル】「後ろだ!!!」アイルは叫んだ。
その物体は宙を飛んだ。そして地鳴りを響かせて、アイルたちの真正面に着地した。
それは緑青だった。
月明かりの光に緑色の鬣が燐いた。背に背負った巨大な両刃の大斧が怪しく光った。
緑青はアイルを睨みつけた。その巨大な足底は、着地の衝撃で川辺の湿った地面を深くえぐっていた。
アイルは短剣を抜き、その緑色の巨体に向かって走り出した。
【アイル】「戦うぞ!」アイルは叫んだ。
アイルは着地直後の体の硬直を狙い、ふところ目掛けて一気にとびかかった。
オークは背中に手を回し、背負った大斧を振りかぶった。
やはり遅い。
アイル斬撃より早く緑青に近接すると、すれ違いざまに太ももに剣を突き立てた。
しかし、鰐のような硬い皮膚に、ナイフは浅く肉を抉るのみだった。
アイルはそのまま後ろに回り込み、仲間と一直線上に挟み込むようポジションを取った。彼は後方から挑発し、隙を作るつもりだった。
【ジェイ】 「うおおおおおおおおおおおおおおお」!!!」
ジェイが緑青に負けないほどの戦咆を上げ、斧を振りかざし突進してきた。
すかさずアイルも緑青の背後から細かいステップで接近し、あえて足音を響かせ緑青を挑発する。
ダマスカスナイフの妖艶な波紋に月の明かりをゆらゆらと反射させ、あえてナイフを見せる。その視界の端で鋭利な切っ先を泳がせる。
【アイル】 アイルは叫んだ。「こいつは毒を飲んだ上に怪我している!殺せるぞ!」
緑青は、左手に斧を持ち替えた。
そして突如、ハンマー投擲の如く体を捩り左回転斬りを打ちはなった
アイルはバックステップで距離を取った。アイルの目の前を豪速の大斧が通過した。斧の風圧がアイルの顔を押した。
緑青は回転を落とさず、今度は真正面から近づくジェイに向かって、その横薙ぎを打ち込んだ。
ジェイの斧は、真正面からはオークの大斧にぶつかりあった。
衝撃の火花が炸裂し、波立つ川面は閃光の白熱に照らされた。
巨大な重量物同士がぶつかる衝撃の轟音が、アイルたちの骨を揺らした。
そしてジェイの斧は砕けた。
それは風化侵食した岩石のように四方に粉々に砕け、バラバラに吹き飛んだ。
ジェイは打ち合いの衝撃で30フィートも吹き飛ばされた。
しかし、さしもの緑青の巨斧も、ジェイの全膂力を賭けた斬撃の前に、流れた。
テオがその隙きを逃さずすかさず突進してきた。
【テオ】「oumü ël jact ël halva!」
古代の、おそらくエルフ語であるだろうそれを口中で唱えると、テオの細身の直剣は青い氷柱に覆われた。それは月の光を反射し、青白く燐光した。
緑青は膝を落とし、待ち構えた。
【アイル】「ガラン、こっちだ!」アイルは後ろから大声をあげた。突如自分の名前を発せられ、緑青は思わず反応した。
テオはその隙に剣を打ち込んだ。その切っ先は緑青の左太ももを貫通した。
「がぁっ!!!」緑青は声を上げ、バックステップで飛び退いた。彼がつららを抜き取ると、傷穴から赤黒い血が吹き出した。
アイルはまた背後で足音を立てて挑発した。緑青は振り返り、横目でアイルを睨みつけた。
アイルの短剣の間合いでは、臨戦態勢のやつの懐に飛び込むことはできなかった。しかし、これでいい。
アイルは横目でネネたちを見た。
ネネ達はすでに支流に飛び込み、川の中ほどまで進んでいた。ハンもアベルの背に掴まり、ねねたちのすぐ後ろを泳いでいた。
これでいい。このまま時間を稼ぐ。
ルイも囲いに加わった。見ると、その手にはジェイの細剣が握られていた。
ジェイも起き上がり、彼はルイの持っていた長剣を握り、再び包囲に加わった。
四対一だ。しかも相手は手負いで5日前に毒を飲んだ。勝機はある。
ルイがじりじりと緑青の真横に陣取った。
ルイは細剣を握ったことはなかった。その薄刃は、ルイの手の震えを増幅した。そして月の光が、その剣の先を瞬かせた。
緑青はそれを見逃さなかった。
緑青は地面を蹴った。その急激な荷重に地面は強くえぐれ茶色い土が舞った。彼は刹那にルイに漸近した。そして両刃の大斧を雑に払った。
ルイは、体の前で細剣で構え、正面からその斬撃を受けた。
しかし細剣は折れた。破片は舞った。斬撃は皮の鎧に吸い込まれた。
ルイの体に両刃斧の極厚の刃が食い込み、彼は血しぶきを上げながら吹き飛んだ。彼はクルミの木に激突し、崩れ落ちた。
緑青は間髪入れずルイに突進した。
ジェイが反応し、追いすがった。しかし緑生のあまりのスピードに、彼は追いつけなかった。
緑青がルイに迫った。
その時、闇に突然の閃光が走った。火薬の炸裂音が闇夜の川面に響き渡り、何度も何度も反響した。
アンナが、短銃を緑青に向けて、仁王立ちで立っていた。その銃口から白い煙が立ち上っていた。
緑青はその場に崩れ膝をついた。鉛玉が緑青の左足を穿っていた。
アイルは駆けた。そして緑青の間合いに一気に飛び込み、膝の銃創に剣を差し込みねじり上げた。
緑青は悲鳴を上げた。緑青が座ったまま斧を振りかぶったので、アイルは再びバックステップで距離を取った。
やつは動けるか?動けるとしても、もう動きは鈍いはずだ。
【アイル】「全員川に飛び込め!」アイルは指示した。
アイルはルイのもとへ駆け寄った。
ルイはうつろな目をして、クルミの木の幹に寄りかかっていた。
皮の鎧は斬撃に裂け、むき出しになった腹からは腸が飛び出していた。
彼はアイルを見た。そして口元を動かした。
アイルは彼の口元に耳を近づけた。
「生きろ」ルイは言った。
アイルは顔を離し、再びルイの顔を見据えた。
彼の呼吸は止まり、すでに死んでいた。
アイルはルイのまぶたを優しく閉じた。そして川に走った。そして川に向かって飛んだ。
彼が跳躍した瞬間、背後で足音が聞こえた。
アイルは空中で体をよじり、背後を見た。
緑青が、いた。彼は振りかぶった斧をアイルの顔面めがけた打ち下ろした。
アイルは短剣をその斬撃の軌道に差し込んだ。
斧は短剣ごとアイルを吹き飛ばした。彼は水面に上から叩きつけられた。
緑青はアイルを追って水中に飛び込んだ。
爆弾のような水しぶきが上がり、水圧と波にアイルの体はかき混ぜられた。
アイルは水をかいて逃げた。
しかし緑青はアイルの左足を掴んだ。そしてアイルを水中に引きずり込んだ。
アイルは水を飲み、溺れた。緑青は勝利を確信した。彼は歯をむき出しにして笑った。
その時、テオが沈んだアイルと交差するように緑青の間合いに入った。溺れる人間の必死の抵抗に熱中していた緑青は、反応が遅れた。
テオは緑青に漸近し、呪文を唱えた。
【テオ】「oumü ël jact ür gohorl!!!」
彼女の両手を中心にして、氷の巨魁が生み出された。緑青の体は氷に包まれた。彼は身動きが取れなくなった。
アイルはようやく緑星の手から足を振り払った。
【テオ】「氷はすぐに溶けるわ!今すぐそこから離れて!」テオが叫んだ。
アイルは全力で泳ぎでした。
ふと気づくと、アンナは下流に流されていた。彼女は泳げなかったのだ。すでに体力が尽き、水面に顔を上げるのがやっとの様子だった。このままでは溺れ死んでしまう。
【テオ】「アイル、あなたはアンナを助けて!」テオはアイルに向かいそう叫ぶと、再び手を強く組み、強く念じて呪文を唱えた。
【テオ】 「……oumü ël jact ür gohorl!!!」
彼女の両手から発生した氷の塊は、丸木舟のような舟形を形作り、水面に浮かび上がった。
ジェイは、船に軽々と上がると、上からテオを引っ張り上げた。テオは船中に上げられると、体をサバ折りにして嘔吐を始めた。
アイルもアンナに追いつき、彼女の体を支えた。そして立ち泳ぎで船まで泳ぐと、お尻を持ち上げて船に持ち上げた。そして自らも体を翻させて船に乗り込んだ。
テオは胃の内容物をすべて吐き出し、口から粘土の高い透明な液体を出しながらえづいていた。
【テオ】「ごめんなさい、魔力を使いすぎた。今すぐ瞑想しないと……」
ジェイとアイルは、それぞれ剣と剣の鞘をオール代わりにして船を漕いだ。そして、彼らはなんとか対岸にたどり着い
た。
緑青は岸辺からアイルたちを睨みつけていた。アイルはテオに訊いた。
【アイル】「この氷の船、何分持つ?」
【テオ】「十分ぐらいかしら……」テオはうつむきながら返事をした。
【アイル】「俺は一度岸に戻って、やつらの船をかっぱらってくる」
【テオ】「あのオークが氷から抜け出すまで三分もないわ」
【アイル】「いざとなったら俺は森の中を抜ける。五分でここに戻らなければ、俺は死んだと思って行動しろ」
【テオ】「わかった」テオは言った。
アイルは再び川に飛び込み、対岸に渡った。そして全速力で港に走った。彼が地面を踏むたび、水に濡れた革のブーツがかっぽかっぽと大きな音を立てた。
彼は港に係留されている小舟を発見した。アイルはロープを払ってすぐに船に乗り込んだ。そしてオールを岸突き立てて、川の中に漕ぎ出た。
彼は対岸に船を寄せ、皆を拾った。そして再び船を漕ぎ出した。
しかし、 船が再び本流の流れに乗り、ようやくこのオークたちから距離を取れる、そう思った時、突如野太い大きな角笛の音が響き、川辺を覆い尽くした。
アイルは音の発生源を見た。
緑青が樫の木のてっぺんに登り、その手に持った巨大な角笛を天に向かって吹き鳴らしていた。
川の遥か上流の遠くの暗闇の中に、突然明かりがぽっと灯った。川中に停泊していた帆船がその蘭のてっぺんに明かりをつけたのだ。船はゆっくりと下流に向けて動き出した 。
アイルたちは急いで船を漕いだ。
帆船は淡々と川を下った。そしてアイル達との距離を詰め近づいてきた。
アイル達は全速力で川を下った。彼らは交代でオールを持ち、そうでないものは武器や剣の鞘も水中に付き立て、必死に水を掻き進んだ。女たちも腕を水中に差し入れてわずかながらも船を進めた。
テオはもはや全魔力を使い果たし、ぐったりしと顔を伏せていた。彼らは最も戦闘能力の高い者を失っていた。
アイルたちはひたすらに船を進めた。腕に疲労がたまり、漕ぎ手の交代頻度が段々と早くなった。
ある地点から、川幅は段々と狭くなっていった。月の光に照らされた岸辺が、船から僅かな距離まで迫っていた。
彼らはいつの間にか中洲に入ったのだ。ジェイいわく、この中洲を巡って戦闘が行われたらしい。果たしてどちらが勝ち、この場所を支配しているのだろうか。
アイルは後ろを振り返った。帆船はもう百ヤードもない距離まで近づいてきていた。
アイルたちは、ものの三分もしないうちに追いつかれるだろう。そうなればアイル達は、皆殺しにされ川の藻屑となり消えていくだろう
いますぐ岸に降り、森の奥へ逃げるべきか?しかしテオは、いまだ小舟の底でぐったりと伏せていた。彼女は素早く移動できるか?
【アリア】「ねえ、岸から人の声が聞こえる」突然アリアが言った。
アイルは耳をそばだてた。そのとき、たしかに人の声が聞こえてきた。それはアイルたちに向かって呼びかけていた。
【岸の声】「おーい、おーい、お前たちは人間か?」
アイルは立ち上がり叫んだ。
【アイル】「俺たちは人間だ、味方だ!」
【岸の声】 岸辺の声は返した。「そのまま川を下れ!あの塔より先まで漕ぐんだ!」声は叫んだ。
下流には両岸に同じような形をした大きな古い塔が立っていた。アイルたちはその声に元気づけられ、再びオールを全速力で漕いだ。そうして彼らは、塔の直ぐ側まで来た。
アイルは水中になにかが沈んでいて、月の光を受けて光っていることに気づいた。
【アイル】「なんだあれは」アイルが言った。
【アベル】「あれは防鎖だ」アベルが言った。
【アイル】「防鎖?」
【アベル】「防鎖というのは、船の侵入を防ぐために川に張られる鎖のことだ」
川の中に、角張った鎖の上面が白く輝いているのが見えた。鎖は両岸に立った遺跡の塔の窓の中に吸い込まれていた。
【アイル】「ジェイ、今までこの川にこんなもの張られてるの、見たことあるか?」
【ジェイ】「いや、ないな」ジェイが答えた。
【アベル】 アベルが言った。「あの塔のなかにはキャプスタンがあって、鎖はちょうどいかり縄のように繋がれている。中には倍力機構があって、歯車を回せば人力でも鎖を引き上げて川をふさげるんだ」
【アイル】「鎖で塞げばあの帆船でも通れないんだな?」
【アベル】「ああ。だが岸のやつらがやりたいのはそうじゃない。むしろ船に防鎖をまたがせて下流に閉じ込めることだろう。
【アイル】「なら、もうひと頑張りだな」アイルが答えた。彼らは残る体力を振り絞っオールをこいだ。そして防鎖を越えた。
今や帆船はアイルたちの50フィート手前まで迫っていた。片膝を上げたゴブリンが、船べりに足をかけてアイルたちを上からにやけ顔でのぞき込んでいた。
馬鹿が、笑っていられるのも今のうちだ。アイルはそう思った。
帆船が防鎖の上を乗り越えた。
船尾が鎖を越えると、塔の中からガラガラという重い音が響き、防鎖が巻き上げられた。
船は閉じ込められた。船上はにわかに騒がしくなった。やつらはようやく罠に気づいたらしい。
そして、両岸から大量の火矢が反戦に向けて放たれた。帆船のマストに火がついた。船は慌てて下流へと走っていった。
【岸の声】「お前たち、こっちに来い!」アイル達が岸辺の岩の影に船を隠していると、中洲の林の奥から声が聞こえた。見ると、木と木の隙間に手を振る人影が見えた。
アイル達は岸から上がり、声のする方へ向かった。
家に火をつけて、