開かれなかった夕食会
秋の公式企画2作目完成。
「ああ、退屈ですわ。」
1938年天津。わたくしはお父様とお母様に連れられ東興楼という中華料理店に来ていた。わたくしの名前はヘレーネ。両親はユダヤ系のドイツ人。お父様はいくつものホテルを経営してますの。2年前大陸に新ホテルを作るためにわたくし達一家はここ天津のドイツ人租界に引っ越してきました。わたくし達一家の生活は大陸に駐在する日本の軍人さんが面倒見てくれました。新しく作る日本人向けのホテルの建設も費用は軍が工面してくださるのです。わたくしの誕生日まで祝ってくださりわたくし達家族は日本軍には良くして頂いています。だけど
「せっかくの誕生日なのに。少しも面白くないわ。」
両親は軍の方々と難しい話をしている。目の前の大陸の料理も口に合わない。わたくしは1人部屋の隅でオレンジジュースを飲んでいた。
「ヘレーネ」
母に呼ばれ仕方なく大人達の輪に入る。両親は軍服姿の軍のお偉いさんと話していた。確か名前は石原と言った。傍らには同じく軍服姿の若い男がいる。年齢はわたくしより上の20代前半といったところかしら。わたくしの好みではないわ。
「ヘレーネさんですね。初めまして。」
若い男がヘレーネに敬礼する。
「ヘレーネ、彼は石原さんの息子の雄大君だ。君の婚約者だよ。」
「婚約者?!」
ヘレーネは耳を疑う。
「お父様ったら。彼とは今会ったばかりですのよ。」
「ヘレーネには内緒にしていたが大人だけで話を勧めていたんだ。今日ヘレーネを驚かそうと思って。彼は真面目な青年だ。幸せにしてくれるだろう。」
「ヘレーネさん、宜しくお願いします。」
雄大と呼ばれた青年はわたくしに右手を差し出し握手を求めてくる。
「嫌ですわ。わたくしは貴方と結婚するつもりはありません。」
わたくしは彼の手を振り払うと彼に背を向けて歩き出す。
「ヘレーネ、どこへ行くんだ?」
お父様はわたくしを呼び止めるが無視して店の出口に向かう。こんなところに1秒でもいたくない。
「お嬢さん」
店の外に出ると見目麗し軍服姿の青年に呼び止められる。彼も日本軍の人間なのかしら?軍の上層部の方は時折家に訪れるがこの方は一度も見たことない。
「お嬢さん、私は当店のオーナーの川島です。この度はお嬢さんに満足の行くおもてなしができず申し訳ありませんでした。」
川島と名乗ったオーナーは軍帽を脱ぎ頭を下げます。
「わたくしが満足できないのは婚約者の事です。川島さんのせいではありませんわ。どうぞ顔をお上げ下さい。」
この人は悪くない。悪いのは全部お父様よ。わたくしに相談なしで婚約者なんて。
「それでは私の気が収まりません。個室を用意しましたので入らして下さい。せっかく素敵なドレスで入らしてくれたのにこのまま帰ってしまわれるのも勿体ない気もします。」
川島さんの言う通りかもしれない。今着てる白いドレスも頭上の銀のティアラもそしてサファイアのイヤリングも今日のために新調したのだから。
「川島さんが言うなら是非。」
「ありがとうございます。是非お嬢さんの誕生日祝わせて下さい。さあ」
わたくしは川島さんにエスコートされながら再び店内に入る。川島さんは店の2階の部屋を用意してくれたようだ。
「さあ、お入り下さい。」
川島さんが部屋のドアを開けてくれる。日本人は横柄だという噂を聞くが川島さんは紳士的だ。
「ようこそ、いらっしゃいました。」
チャイナ服姿の女性従業員達がわたくしを迎えてくれる。
部屋の中にはイヤリングと同じ水色のテーブルクロスが引かれたテーブルが中央に設置されていた。壁際には西洋料理が並べられている。短時間でこれだけの物を用意したのか?
「さあ、お座り下さい。」
川島さんが椅子を引いてくれました。わたくしは左側から座ります。
「要望は彼女達に何なりとお申し付け下さい。」
川島さんは一礼して部屋を去ろうとする。
「お待ち下さい。」
わたくしは自然と声が出た。
「もし嫌でなければ同席してくださるかしら?これだけの量1人では食べきれませんもの。それにお祝いして下さるのでしょ。」
「ではお嬢さんがお望みなら。同席させて頂きます。」
『乾杯』
わたくし達はワイングラスを掲げる。川島さんが持って来てくれたのだ。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ。」
わたくしは川島さんから勧められた牛肉をナイフで刻みフォークで口に運んでいく。
「ドイツにいた頃に食べたものと似ているわ。」
「お口には合いましたか?」
「ええ、とても。だけどまさか中華料理店で西洋料理を出してくださるとは思いませんでしたわ。」
「君のために今日は特別。」
「まあ、お誕生日のサービスかしら?」
「それもあるがもう1つ。君を昔の僕と重ねてしまったんだよ。僕も昔親が決めたモンゴルの王子と勝手に結婚させられてね。」
「まあ、それは酷いわ。って王子?!」
「言ってなかったっけ?僕の名前は川島芳子。正真正銘女だよ。」
川島さんは女だったのです。短髪に軍服姿から全く想像できませんでした。
「彼の家族とは馬が合わなくて結婚3年目で家出してこの大陸に来たってわけさ。」
「それで今の店を始めたのですか?」
「いや、その前は軍にいたよ。」
待たしても驚きの言葉を耳にしました。
「その顔は驚いてるようだね。女性軍人は珍しいか?」
「いえ、そうじゃないのです。」
ドイツにも女性の軍人や司令官は見かけた。しかし皆スカートで女言葉を話す。
「しかしなぜ男のような姿をしてるのですか?」
「それは秘密。」
「芳子様の意地悪。」
優しくて紳士的でだけどどこか破天荒な芳子様に惹かれるまで時間はかかりませんでした。この人のことをもっと知りたいと願っていました。
「じゃあわたくしが当てて差し上げますわ。」
わたくしは様々な憶測を口にした。日本は女性は軍に入れないから男と偽って入隊した、店内に来る女性客に受けを狙っている、それとも単なる趣味等。
「どれも外れ。」
「まあ、それでは今晩気になって眠れませんわ。」
「じゃあこのまま寝かさないでおこうかな?」
芳子様はわたくしの隣に移動すると顔を近づけわたくしの顎をくいっと持ち上げる。
「どう?今晩泊まってく?」
わたくしは頬を赤く染め芳子様を見上げる。
「冗談。まさか本気にした?そんなヘレーネちゃんも可愛いけど。」
「からかわないで下さい。」
わたくしはほっとしたような少し残念なような気持ちにさせられた。
その後すぐ両親がわたくしを探しに来て帰ることになった。
「ヘレーネちゃん、今日はありがとう。楽しかったよ。」
帰り際に見送りに来た芳子様に声をかけられる。わたくしは馬車に乗り込むと窓から芳子様に手を振った。芳子様もそれに気づいて振り返してくれた。
帰りの道中お父様に相談した。芳子様を今度我が家の夕食に招待したいと。最初は断られたが今日のお礼がしたいと言ったら承諾してもらえた。家に着くとさっそく招待のお手紙を書いた。
「芳子様へ
今日は素敵な時間をありがとうございました。芳子様のおかげ人生で最良の誕生日となりました。わたくし芳子様ともっと親しくなりたいです。来月の日曜日の7月10日に我が家で夕食会を開くことにしました。もしわたくしの気持ちに答えて頂けるのなら入らして下さいますか?
1938年6月10日 ヘレーネ」
お父様にはお礼と言いました。勿論それもありますが芳子様に想いを伝えたかった。そちらの方が強かったでしょう。翌日メイドに頼んで手紙を投函してもらいました。しかしその夜事態は急変しました。
「お嬢様、お嬢様。」
眠っているところをメイドに起こされます。わたくしは身支度をさせられ身の回りの荷物を最小限にまとめ家族と使用人と共に家を出ました。そしてその日の最終便の船でドイツに帰国しました。お父様に芳子様を夕食に招待する話を切り出しましたが今はそれどころではないとだけ言われました。
その後わたくし達はベルリンに住む祖父母の元で暮らし始めました。お父様はその日からわたくしに冷たくなりました。後から知ったのですがわたくしが婚約を断った事で日本軍が援助を打ち切ってきたのです。日本人から多額の借金があり返済できなくなり逃げるように大陸をあとにしたのです。
2年後更なる不運が襲いました。ナチスの憲兵が突然やって来てわたくし達を連行しました。わたくしは列車に乗せられ収容所へとやってきました。到着すると父と祖父とは別れさせられわたくしは母と祖母、メイド達と一緒に劣悪な環境に身を投じる事になりました。早朝から夜遅くまでの重労働、食事は1日に1度パンだけ、部屋は大人数で敷き詰められ1つのベッドを4、5人で使用していました。天津にいた頃と生活は一変しました。
収容されてから5年が経ちました。わたくしは発疹チフスにかかり、病院に隔離されていました。病室にはわたくしと同じように患者がベッドで寝かされています。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん。」
誰かがわたくしを呼ぶ声がします。身体は動かせず声のする方に首だけ動かします。
「やっぱりお姉ちゃんだ。」
「アンネ?!」
隣のベッドにはアンネが横たわってました。収容所に連行されてからできた年下の友達です。彼女と過ごす時は一時の安らぎになっていました。彼女も家族と一緒に連れて来られてました。
「お姉ちゃんもチフスに?」
「そうよ。」
「ねえ、お姉ちゃん。私達ここから出られるかな?」
「でられるわよ。きっと」
気休めにしかなりませんがわたくしは答えました。
「お姉ちゃんここから出たら何したい?」
ここから出たら。わたくしの脳裏に芳子様が浮びました。
「わたくしは天津に行きたいわ。会いたい人がいるの。」
「恋人?」
芳子様は恋人とは言い難いでしょう。想いを告げることすらできなかったのですから。それに一方的に夕食に招待して黙っていなくなったわたくしを芳子様は許してくれるでしょうか?
「お姉ちゃん、その人に会えるといいね。」
「ええ。」
もしここを出たら芳子様に会いに行こう。きちんと謝罪して今度こそ夕食会を開いてあげよう。そして。
そんなこと考えてる中どんどんと意識が遠のいていく。わたくしはゆっくりと目を閉じる。
FIN
芳子様の百合の相手いつか西洋人で書いてみたいと思い書いてみました。
思ったより重くなってしました。
余談ですが今回のテーマが食事なので過去作品の芳子様の彼女集めて料理対決させようか迷いましたがお嬢様と飲食勤務にメイドと料理できそうな人とできなさそうな人に割れてたので結果が分かりきってるのでやめました(笑)