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第四章〜エピローグ

第四章

   

 次の日、昨日の雨とはうってかわり、雲一つない晴れ空となった。

 授業が終わった後、今日はバイトのシフトが入っていたので、帰宅してすぐ、バイト先へ向かう準備を済ませる。エプロンと帽子、後はバイトに持って行くには余計なものを、大きめのリュックに入れて、バイト先へ向かった。

 今日こそ、彼女のことを本当の意味で理解するという決意を秘めて。

「おはようございます」

「おはよう、谷崎くん」

 店長はバイトに行くと、毎日のように会っている気がする。この人は働きすぎだ……

「そろそろ、バイトも慣れてきたかな?」

「そうですね。少しずつですけど」

「じゃあ、今日からハンバーグとかのメニューの調理も練習していこうか。丸井さんが六時から入るから、そこから丸井さんと一緒にグリルに入ってね」

「あ、わかりました」

 また新しいことを覚えるのは不安だが、店に少しずつ貢献できているのかなと思い、少し嬉しかった。


     *


「おはようございまーす」

「おはよう」

 六時になり、丸井が厨房に入ってきた。丸井は店長から、今日はグリルのことを色々教えてあげて、という声をかけられ、二人でグリルのある場所に移動する。

 注文が入る度、丸井が俺に調理の手順を説明しながら、料理を作るということが繰り返される。

 ハンバーグを焼く時間であったり、ポテトを揚げる時間、メニューによって使う皿が違うなど、覚えることが多くて、やっぱり大変だ。教えてもらったことを忘れないように、メモに必死に書き留める。

 大量にメモを書くのは久しぶりだったので、少し書くのに手が疲れていると、一度調理手順を教えてもらった料理の注文が入ったので、丸井から一回作ってみてと言われた。

 メモを見ながら、丸井から指摘を受けながら、スムーズに調理をするということはできなかったが、何とか料理を完成させることが出来てホッと一息つく。

 ふと、丸井が何かに視線をじっと向けていることに気がついた。その視線の先には俺のメモが置かれており、先ほど作った料理の調理手順を雑にまとめた内容が書かれていた。

「おいおい、見るなよ」

「谷崎って真面目だよね」

 丸井は顔を上げて、改まって言った。

「なんだよ、急に。メモをとることが、か?」

「まあ、それもそうだけど、全体的にね」

 昨日の菜々と続けて、改まって、真面目だと言われた。昨日、菜々が言った「真面目」という言葉は褒め言葉だったので、俺は今回もそういう意味で受け取ることにした。

「褒め言葉だと思って、ありがとうって言っとくよ」

「……うん、褒めてるよ」

 よく分からないやりとりをしていると、連続でオーダーが入った。残念ながら、この後の俺はあまり戦力にならず、ご飯をよそったり、皿を準備する、簡単な作業だけ手伝い、後は、丸井が調理している様子を見て、たまに質問を挟みながら、必死にメモをとっていた。

 気づくと、閉店時間になった。新しいことを覚えていると、時間があっという間に過ぎる。

「お疲れ様でーす」

「お疲れ様です」

 丸井と一緒のタイミングで事務所を出ると、店長からこっそり俺にだけ話しかけられた。

「谷崎くん、頑張ってね」

 ぼそっと呟くように話しかけれた。このときの店長はニヤッとしていたので、おそらく丸井と良い関係になれるように頑張れ、という意味だろう。おじさんは若者の色恋沙汰に興味津々らしい。

「ははは、頑張ります」

 店長には適当に笑いながら、返答した。だが実際に、俺は今日頑張らないといけないことがある。

 少し先を歩く丸井を追うように、自転車置き場に向かう。外に出ると、陽はすっかり暮れていて、辺りは暗かったが、雨は降っていなかった。

 もし雨が降っていると今日の計画を延期せざるを得なかったが、そんなことにならず、安心した。

 自転車のかごに鞄を置き、着々と帰る準備を進める丸井に俺は声をかけた。

「丸井!」

「うん、何?」

 振り返ると丸井は驚いた表情を見せた。

「バスケ、これから教えてくれ!」

 濱田に借りたバスケットボールを片手で持ちながら、大きな声で丸井に打診をした。彼女が驚いたのはまさかバイト先にバスケットボールを持った奴だいるとは思わなかったからだろう。

 今日は濱田に借りたバスケットボールの入る大きいサイズのリュックに、バイトの用意とボールを入れてきたのだ。

「ええ? これから?」

 迷惑そうに丸井は言う。迷惑であることは自覚していたが、丸井とバスケをする予定をちゃんと入れることは難しい。だから、俺は確実に予定が空いているであろう、バイト後の夜に急遽申し入れるという手段をとることにした。

「頼むよ! だってあんまり予定わからないだろ?」

「うーん……まあちょっとならいっか」

 少し考えた後、丸井は一度は俺にバスケを教える約束をしたことを思い出したのか、俺の無茶な要求を飲んでくれた。

「よし! いこうぜ」


     *


 自転車を十分程走らせると、濱田にバスケを教えてもらった公園に到着した。

「谷崎、バスケットボール持ってたんだ」

「いや、濱田に借りてる」

「千聖に? 漫画貸してもらったり、なんか妙に仲良いね。あんたたち」

「ああ……そうかもな」

 二人で歩きながら、バスケットゴールのある場所へ向かった。バスケットゴールの近くには街頭が設置されているため、この時間でも、なんとかバスケをできるくらいの明るさは保たれている。

「よし、やろう!」

「バスケやる用の格好じゃないんだけど……まあいっか」

 丸井はバイトのための服装だったため、彼女が言う通り、バスケをやるような格好ではなかった。だが、履いている靴はスニーカーであり、あまり気合の入れたファッション、と言う感じじゃなかったので助かった。もし、彼女がヒールの入った靴なんか履いていたら、今回の話は無かったことになっていただろう。

「あ、その前に準備体操しよう。怪我したらいけないからな」

「やっぱ、真面目だね……」

 手を組んで腕を上に伸ばしたり、アキレス腱を伸ばしたり、俺がじっくりと体操をしていると、丸井は既に体操が終わったようで、ボールを触り出した。ドリブルをして、レイアップシュートやジャンプシュートをする丸井の様子を見ているだけで、丸井がバスケがうまいことがわかった。ブランクが半年程度あるだろうが、俺の目には濱田との差を感じないくらい上手く見える。

「そういえば谷崎ってバスケどんくらいできるの?」

「自慢じゃ無いが、下手くそだな」

「ははは、本当に自慢することじゃないね」

「まあとりあえず、1ON1で五本先取した方が勝ちってことでどうだ?」

「じゃあ、負けた方がジュースおごるってことで。谷崎、先行で良いよ」

「よし、いくぞ!」


     *


 想像通りであったが、丸井は相当バスケが上手く、濱田と1ON1した時よりは、俺も上達している筈なのだが、全く歯が立たず、俺がシュートを一本も決めないまま、すぐに四本取られた。くそ、このままでは一本も点をとれず負けてしまう……

「ジュース奢りは決まりかな〜」

 軽い口調でいう丸井は腰をしっかりと落としたディフェンスの姿勢をとっていた。 

 ……隙が無い……別にジュースを奢るのは良いのだが、少しはバスケを練習したので、一点くらい決めたいという思いから、俺は全くスポーツマンシップに則らない作戦に出ることにする。

 ドリブルをしながら、ゴールの少し先をみるようなフリをして、こう言った。

「あ! 野々原さん!」

「え?」

 効果は的面だったようで、丸井は後ろを振り返った。もちろん、視線の先には野々原さんどころか、誰もいない。その隙にドリブルで丸井をかわして、フリーになったところでゆっくりとジャンプシュートを放った。すると、ボールはゴールに吸い込まれた。

「よっしゃー!」

「谷崎……どんだけ点決めたかったのよ……」

 呆れているが、微笑みながら丸井は言った。そして、丸井にオフェンス権が移る。 

 ここまで一本も止めれていないので、一回くらいは丸井を止めたいところだ。ディフェンスの姿勢をとって、丸井がどう攻めてきても対応できるように、丸井のことを集中してみていると、彼女はニヤッとして、ゴールの後ろの方を見た。

「あ、宮戸さん」

「え?」

 俺が後ろを振り向いた瞬間、丸井は華麗なドリブルでゴールの下まで行き、レイアップシュートを決めた。

「せこいぞ!丸井!」

「ははは、お互い様」

 

     *


「私、コーヒー、ブラックね」

「お前こんな時間にコーヒーなんて飲んだら、寝れなくなるぞ」

「お母さんみたいなこと言うね、あんた……てか、こんな時間にバスケさせられてるんだから、言われたく無い」

「すみません……」

 駐輪場の近くにある自販機で小銭を入れてから、ブラックの缶コーヒーの下の光るボタンを押す。出てきた冷たい缶コーヒーを彼女に渡した後、自分用にお茶を購入した。

「いただきます」

「どうぞ」

 近くにあったベンチに腰掛ける。

「一応、バスケ教えてって言ってたから、アドバイスすると、根本的にボールのハンドリングをもっと練習しないとだね。近道はないから、こつこつ、ドリブルの練習をするしかないかな」

「そうだよな……ありがとう」

 少しは俺もバスケの練習をしたが、丸井からすると、こんなものは練習に入らないくらいの量しか俺はできていないのだろう。

「後……まあ、ちょっと楽しかったよ」

 缶コーヒーのタブを空けて、一口コーヒーを口に含ながら、丸井は言った。

 その後、缶コーヒーを適当なところに置いた彼女は、手持ち無沙汰だったのかボールでドリブルをしだした。自販機の薄い明かりが彼女を照らし、俺はお茶を飲みながら、その様子を見ていた。

 彼女がドリブルをする姿は、新しいおもちゃを買ってもらった子供のように見えた。

「なあ、丸井」

「うん?」

 ドリブルをする手は止めず、丸井は相槌を打った。

「お前、やっぱりバスケが好きなんだろ」

「えっ?」

 地面を叩くボールの音が止んだ。

「本当はバスケに飽きて辞めたわけじゃ無いんだろ?」

「そんなこと……ないよ」

 彼女は呟くように言った。明確な根拠はない。だが、以前、濱田から電話で聞いた話から、この丸井の発言が嘘だと確信していた。

 少しの沈黙の後、俺は丸井の目を見ながら言った。

「他校との練習試合で丸井が相手チームの選手を怪我させたことがあったって、濱田から聞いた」

 俺の言葉を聞いて、丸井は驚く表情を見せた。

「何でそんなこと知ってるの?」

「ごめん、濱田から聞いた」

「……千聖、そんなことまで谷崎に言ったんだ」

 悲しそうな表情で彼女は言った。そう、この情報は、以前、濱田から電話で聞いた間違いない真実の一つだ。

「それがバスケを辞めた理由に関係してるんじゃないか?」

「別にスポーツで相手をわざとじゃなくても、怪我させちゃうことは珍しく無いよ。だから、私がバスケを辞めた理由にそれは関係ない。その後も二ヶ月くらいは部活にちゃんと行ってた……ただ、飽きたから辞めただけだよ」

 彼女は俺の推測を否定してきた。確かに彼女の言う通り、その試合後、丸井は二ヶ月はそのまま部活にきていたのだ。

 だから、濱田は、このことが丸井がバスケを辞めた理由に直接関係しているとは考えておらず、俺と菜々に話すことはなかった。

 しかし、濱田は、星蔭高校の友人からあることを聞いて、パズルのピースが揃ったように、丸井がバスケを辞めた理由には、練習試合で相手選手を怪我させたことが関係すると考えて、俺にその事実を電話で話してくれたのだ。

 濱田が星蔭高校の友人から聞いた事実は、きっと丸井が触れて欲しくないものだ。

 これから、俺が丸井に対して話すことは、彼女が誰にも話していない過去を、土足で踏みにじることだと自覚したうえで、俺は一歩踏み出すためにゆっくりと口を開いた。

「練習試合の相手は星蔭高校だった。そして……」

 丸井はその先は話して欲しく無い、そんな表情をしていた。そんな丸井の目を見て、俺は続けた。


「その怪我した選手は野々原さんだった」


 夜の公園の静けさは、俺の言葉を強調した。丸井は俺の発言に対して、否定も肯定もせず、沈黙を保つ。

 しかし、この情報は間違いない真実だ。濱田から電話で話されたのは、まず、野々原さんが星蔭高校のバスケ部に所属していたということであった。丸井と野々原さんの口からそんなことは全く聞いてなかったので、これだけでも俺は驚かされた。

 そして、星蔭高校との練習試合、両高校の一年生試合が行われたらしいのだが、その時、丸井は星蔭高校の選手とプレー中に接触して、相手の足首が折れるというアクシデントが起こった。

 その怪我をした選手は野々原さんだった。彼女は怪我を負ってから、部活に顔を出さなくなり退部をしたらしい。

 これが濱田が星蔭高校のバスケ部に所属する友人から教えられた、野々原さんについての情報だった。

 更に、野々原さんが退部した二ヶ月に、丸井もバスケ部を辞めた。

 ……そして、丸井は今、野々原さんから誘われて、同じバイト先でアルバイトをしている。俺が知っているのは、ここまでだ。

 ここからの真実は、彼女達だけが知っている。

「谷崎には関係ないでしょ。ていうか、何で、谷崎がそのことを知ってるの? 千聖は星蔭高校との試合のことは覚えてても、怪我をしたのが理美っていうことは知らないでしょ?」

 沈黙を破った彼女の声色は苛立ちの感情が含まれていて、俺を責めるような話し方であった。

「……ああ。それは俺が濱田に頼んで、星蔭高校の知り合いに聞いてもらった」

「はぁ? 何それ。何で、谷崎がそんなこと頼んでんの」

 俺の発言は、より丸井の怒りを怒りを駆り立てたようで、彼女は俺を睨みながら言った。

 その目線に少しびびってしまう自分がいた。

 これまで、人や社会に迷惑をかけるような行動をする人間に対して俺が注意をすると、それに反発して怒ったり、無視をするような人は何人も見てきた。

 しかし、別にそれに対して、臆することはなかった。なぜなら、自分が絶対に正しいという自信があったからだ。

 ……でも、今回は違う。

 自分が絶対に正しい自信なんてない。

 多分、丸井はバスケに飽きたなんて思っていない。

 多分、丸井がバスケを辞めた理由に野々原さんが関係しているのは本当だ。

 そして、多分、丸井はバスケをしたいと思っている。

 

 そんな推測ばかりの考えで、丸井の過去を土足で踏みにじることは正しいことなのだろうか?

……答えはわからない。

 だけど、もし、丸井がバスケをしたいと思っているのに、何らかの理由でバスケをする選択をしていないのなら、それはきっと正しくないことだ。

 自分のなかでそう結論付けて、俺は彼女に対して誠実に向き合うことを決心し、臆病な心に蓋をした。

「……その前にさ、俺がバイトを始めた理由を話しても良いか?」

「はぁ? 何急に」

 丸井は俺の言葉の意味が本当に理解できていない様子であった。それもその筈だ、目の前の男は、自分への質問に回答していないどころか、バイトを始めた理由を急に語り出そうとしているのだから。

 だが、俺は彼女からの了承の言葉を得る前に話し始めた。

「実は二年になって二週間くらい経ったタイミングで濱田から相談を受けたんだ。丸井をバスケ部にもう一回入部できないかって」

「は? なんで千聖がそんなこと」

 丸井の苛立ちは、当たり前だが収まっていないようで、彼女の言葉は刺々しかった。

 しかし、急に話された内容が予想外だったからか、彼女は少しだけ、話を聞く姿勢を持ってくれたようで、俺に質問をしてきた。

「濱田は三年生が引退すると、部が弱体化することが予想できたらしい。そんな中で、丸井がどうしても、必要なメンバーだって考えたみたいだ」

「そんな今のバスケ部の事情なんて知らないよ」

 丸井の言うことはもっともだ。

「確かに、丸井からしたら、辞めたバスケ部のことなんて知ったこっちゃないよな。……だけど、濱田がそんな相談をしてきたのは単純にバスケ部を強くしたいだけじゃなくて、丸井が辞めた後も、お前が本当はまだバスケを続けたいんじゃ無いか、っていう考えがずっと残ってたからなんだ」

 彼女は思うことがあるのか、この話を聞くと、下を向いて少し考える様子を見せた。

「……確かに千聖は私が辞める前も相当引き止めてきたし、辞めた後だってちょっとの間、私に頻繁に話しかけてきてた……でも、私が素っ気ない対応をしてたから、もう諦めたんだとおもってたよ」

「濱田はずっと、丸井がなんでバスケ部を辞めたのか、自分に何かできなかったのか、そんな考えがずっと頭のなかでぐるぐる回ってたんだろうな。でも、結局、丸井がバスケを辞めた理由はあいつにはわからなかった」

 濱田から相槌や返事はなかったが、少し怒りは収まり、俺の話を聞いてくれているのが分かった。

「丸井がバスケ部を辞めた理由を知ることができるには、自分やバスケ部のメンバーじゃなくて、新たに関係性を構築するしかない。そう考えたあいつは菜々……宮戸に相談をしたんだ」

「宮戸さん?」

 その人物の名前がでてくるとは想像していなかったようで、少し驚いた表情を彼女は見せた。

「ああ、最初は濱田が宮戸に相談をした。そんで、宮戸に呼ばれて、俺も相談内容を聞くことになったんだ」

「……あー、確かにやたらと最初話しかけられた気がするな。あの子、ただ色んな人に自分から話しかけて仲良くなろうとするタイプだと思ってたけど、そういうことだったんだ」

 どうやら、丸井にも、話しかけられる回数が多いという自覚はあったようだ。

「まあ、あいつがその、誰にでも話しかけて仲良くなろうとするタイプであることは変わりないけどな……だけど、教室で何回あいつが話しかけても、丸井とは仲良くなれそうな様子はなかった」

「まあ、宮戸さんには申し訳ないけど、そうかもね」

「別に申し訳ないなんて思うようなことじゃねえよ。俺なんて仲良くなれないやつ、めちゃめちゃいるぞ」

 少し冗談混じりに言うと、彼女は少しだけ口角を上げて言った。

「確かにあんたはそうだよね。だけど、私は別にその人がどうとか関係なくさ、友達は作らないんだよ」

「作らない? なんでだ?」

「……別に無視していいよ。てか、まだ話の続きがあるんでしょ。まだ、バイトのバの字もでてないよ」

 彼女が言った『友達は作らない』という言葉は、重要な意味があることはすぐ分かったが、はぐらかされてしまったので、話に戻る。

「そうだな……菜々と話した時、丸井のバイト先を聞いた時があっただろう」

「ああ、あったかな。そういえば……」

「それで丸井と仲良くなるために、俺と菜々は今のバイト先に応募することに決めたんだよ」

「え?谷崎だけ受かったってこと?」

「ああ、菜々は落ちた。金髪NGだからな」

「あー」

 すぐに彼女は菜々がバイトに落ちた理由を納得した。

「これが俺のバイトを始めた理由だ」

「そっか……私がバスケを辞めた理由を知るためね……それでバイトを始めようとするなんておかしいよ。宮戸さんも、谷崎も」

 彼女は呆れ気味でそう言った。

「まあ、単純にアルバイトを高二のうちにしたかったっていう理由もあるんだけどな」

「でも、やっぱりおかしいよ」

 丸井は俺の方を見て、言った。

「バイト始めるのも意味わかんないし、谷崎、不器用だからミスばっかするし、そのくせメモばっかとって、めちゃめちゃ真面目にやってるし……多分、バスケだって、わざわざ私のために、練習してたってことでしょ?」

 段々と感情が露わになってきて、声を荒げて、彼女は話し続ける。

「しかも、千聖のことも私のこともあんた知らないじゃん! なのになんで、私がバスケを辞めた理由を知る……そんな目的のためだけに、こんなことできんの?」

 彼女がひとしきり話し終わるのをずっと聞いていた。

 「丸井友子がバスケ部を辞めた理由を知る」その目的のためだけに、谷崎孝夫が何故行動できたのか、それが彼女には理解できなかった。

 彼女が俺の行動を理解できないことを、俺はよく理解できた。なぜなら、俺は自分の行動が人から理解されないのには、慣れていたから。


 人は理解できない俺の行動を指して、「真面目』」だと言う。


 ならば、「丸井友子がバスケ部を辞めた理由を知る」その目的のために俺が行動できた理由は逆説的にこう言える。


「俺が真面目だからだよ!」


 俺は立ち上がり、彼女に向かってそう言い放った。

 この二ヶ月、いや俺の生きてきた十六年間は、あまり人に言われたく無いと思っている「真面目」という三文字で、皮肉なことに表せてしまうんだ。

 バイトはお金をもらっているからには、自分が不器用だとしても、真剣に取り組むのは当たり前。

 バスケのことを真剣に考えている濱田から相談されたなら、それを助けたいと思うのは当たり前。

 丸井がバスケを辞めた理由を知るために、仲良くなる糸口を探すのは当たり前。

 それがバスケという可能性があるのだとしたら、バスケのことを知ろうとするのは当たり前。

 そして、丸井が本当は困っているのでないかと知ってしまったら、助けようとするのは当たり前。

 なぜなら、俺は「真面目」だから。

 彼女は感情が昂ったのか鼻息が荒く、目は潤んでいた。

「迷惑かもしれないけど、俺がお前の助けになりたいって思ってるのは本当だ。もしかしたら、力になれるかもしれないから、バスケを辞めた本当の理由を教えてくれないか?」

 彼女はしばらく俺の言葉に反応しなかった。そして、転がっているバスケットボールを見つけてから、こう言った。

「じゃあ、1ON1で谷崎が勝ったら、本当のバスケ辞めた理由、教えるよ」


     *


 再び、俺と彼女はバスケットゴールの下に来ていた。

 先程は五本先取のルールだったが、今回丸井から提案されたのは一点差を先につけた方が勝ちというものだ。

 攻守は毎回入れ替わり、もし先攻がシュートを外して、後攻がシュートを決めたら、その時点で終了。もしくは、先攻がシュートを決めて、後攻が外すとその時点で終了。もし、どちらもシュートを外すか、どちらもシュートを決めたら、10N1は続き、先行と後攻が両方攻撃をする。

 さっきの結果は五対一で俺の完全敗北、客観的に見ると、この勝負は勝ち目がないだろう。

 丸井はもしかしたら、バスケを辞めた理由を俺に話すつもりなんてなくて、絶対に勝つ自信のある1ON1を提案してきたのかもしれない。しかし、俺にはこの勝負を断る、という、彼女に対して不誠実な選択肢は浮かばなかった。

 先攻の丸井にボールをパスして、ゲームはスタートする。

 ドリブルをする丸井に対して、ディフェンスの構えをとる。たとえ、可能性が低くても、この勝負は負けちゃいけない勝負だ。

 ドリブルしながら、フェイントを入れてきたりする丸井になんとか気合でついていく。しかし、丸井のドリブルに俺の足がついていかず、縦に抜かれてしまった。丸井は抜いた直後、ジャンプシュートの姿勢に入る。

 まずい! 後ろからなんとかシュートを妨害しようとボールに向けて手を伸ばすが、シュートの発射には間に合わず、ボールがゴールへと向かって放たれた。

 しまった、と思っていると、ボールはゴールには入らずにリングによって弾かれた。

「あ、くそ、外しちゃった」

「助かった……」

 シュートを外したのに、なぜか、あまり丸井は悔しそうな表情は見せなかった。これで次に俺がシュートを決めれば、そこで勝負は決する。

 先ほどは卑怯な技を使って、かろうじて一点だけ決めることができた。しかし、丸井が同じ手がくらうとは思わないし、そもそも、こんな大事な勝負で卑怯な技を使うほど、俺は根性が腐っていない。

 だからこそ、正々堂々、丸井をかわして、シュートを決めなきゃいけないのだが、そのハードルの高さをひしひしと感じていた。

 丸井からボールがパスされ、俺のオフェンスがスタートする。ボールを持った状態で左足のステップだけでフェイントを入れたりしようとするが、なかなか反応はしてくれない。ドリブルをついて、どのように攻めようか考えていると、先程の1ON1の時よりも丸井の腰が高い位置にあることに気づいた。

 そして、左手でボールをドリブルしていると、丸井の手がボールに向かって手が伸びてきたことに間一髪で気づき、一度地面にボールを叩きつけて右手にボールを持ち替えた。

 丸井が伸ばした手は戻りきっておらず、そのままドリブルで直進して、丸井をかわす。

 ゴール下まで行くと、その勢いのままジャンプをして、ボードに描かれている四角形の隅に当てることを意識して、ボールを丁寧に放った。すると、ボールはボードに反射して、ゴールへと入っていった。

 か……勝った。シュートが決まった興奮と絶対に勝たなければいけない1ON1に勝った興奮が押し寄せた。

 丸井に俺の勝ちだ、と高らかに宣言しようと振り返ると、彼女は最初にドリブルで抜かれた場所に立ちながらこちらを見ていた。

 普通、抜かれた後も、ディフェンスを継続してゴール下まで追いかけてくるものだが、彼女はそれをしていなかった。

「私の負けだね」

 彼女は、肩の荷が下りたような顔で、まるで負けることが最初から分かっていたかのように、そう言った。


     *


 自販機の薄い光だけが照らす、薄暗いベンチにまた、二人で戻ってきた。

 俺は残っていたお茶を一口飲んでから、ベンチに腰掛ける。丸井もベンチに座ったので、改ためて俺から話を振った。

「じゃあ、聞かせてくれないか? 本当のバスケを辞めた理由」

 うん、と丸井は言った後、少し下の方を向きながら、話し始めた。

「星蔭高校との試合が私がバスケを辞めたことに関係しているのは谷崎の言うとおりだよ。あの時、私が理美を怪我させて、めちゃめちゃ焦ったし、どうしたら良いかわからなかった。その後、怪我した理美は急いで病院に運ばれた」

 やはり、星蔭高校との練習試合が関係していたのは予想通りであった。

「その後、相手の先生に、うちの先生と一緒に謝って、故意にしたことじゃないんだから気にすることはないよって言う風には言われた。でも、私もそんなにすぐ切り替えることはできなくて、理美にはラインで改めて、謝って、お見舞いに行きたいって言ったんだ」

「それで野々原さんはなんて?」

「試合中のことだから仕方ないよって、そう言ってくれた。でも、暇だからお見舞いは来てくれると嬉しいって冗談混じりに返されたよ」

 失礼な話だが、野々原さんの返答が思っていたよりも、普通なもので少し驚いた。

「でも、実際に理美の家にお見舞いに行ってみるとね、あの子、私の顔を見てすぐに泣き出しちゃったんだ」

「え?なんで?」

「もうバスケができなくなっちゃった、友子どうしよう、って」

「そんなにも大怪我だったのか?」

「後々聞いたら、足首の骨折だってって」

「そうか……」

「うん、それで私はその時理美にもうバスケができないって言われたことですごい責任を感じて、何かできることがないかって考えて、部活が終わった後とか、理美の家に毎日のように通ってた」

「野々原さんってずっと学校に行ってなかったのか?」

「ううん、練習試合から一週間くらい経ったら、学校には理美の親が送って、歩く時は松葉杖をつきながら通ってたよ。でも、理美はもうバスケ部は辞めてて、放課後はすぐ帰ってた」

「そうか……」

 その時、野々原さんも大変だったんだろうな。 

「星蔭高校との練習試合から二ヶ月くらい経った日、私は部活帰りに理美の家に行ったから、部活のジャージのまま行ったんだ。そしたら、理美は私の格好を見てすぐにまた泣き出して、なんで私はバスケできないのに友子はバスケやってるの、って言ったんだ」

 部活後、毎日のように野々原さんの家に通うほど責任感の強い丸井のことだ。その言葉によって、彼女がとる行動は容易に想像がつく。

「それで、私は責任を感じて、部活を辞めることにした」

「なるほどな……」

 彼女がバスケを辞めた理由、それは野々原さんを怪我させたことによる責任感によるものだった。

「その後、一ヶ月くらいすると、理美は松葉杖なしでも歩けるようになって、理美から遊びによく誘われるようになったんだ」

 バスケを辞めたところで話は終わりでなく、丸井は話を続けた。

「私は、理美が元気を出してくれたのが、嬉しくて、その誘いを断ることはずっとしなかったんだ。けど……」

「けど?」

「一回、別の予定が入ってたから断った時があったんだ。そしたら、理美はなんで断るの?って泣きながら、言ってきたんだ」

 誘いを断ると、泣きながら、文句を言われる。そんなの無茶苦茶だ。

「さすがにそれは野々原さんがおかしくないか?」

「うん、私だって最初は正直、無茶苦茶だなって思ったけど、私は理美から、バスケを奪ったんだって思うと、理美に文句なんて言えなかった……だから、それから理美以外の友達と遊ぶ予定は入れられないから、理美以外の友達とは疎遠になったんだ」

 丸井とバスケをする予定がなかなか決まらなかったことについても、これで納得がいった。彼女は野々原さんとの予定がいつ入るかわからないから、いつなら大丈夫ということが言えなかったのだ。

「バイトも理美が先に始めて、私も誘われて、特にバイトをしようとはしてなかったけど、断れなくて……今に至る、そんな感じかな」

 丸井と野々原さんの関係性が歪であることはバイト中の様子からも感じていた。野々原さんは丸井に対して依存していた、そして、丸井は野々原さんに対して、ずっと責任感を感じていた。

 依存と責任感、これらが彼女達二人をつなぎとめていた。

「話してくれてありがとう」

「これでわかったと思うけど、バスケをやることは理美に対しての裏切りになっちゃうんだよ。だから、私はバスケをすることができないんだ。千聖にも改めて言っといてよ」

 彼女のバスケをできない理由はよくわかった。しかし、もう一つ大切なことが聞けていない。

「丸井、もう一つ聞かせてくれ」

「何?」

「お前自身はバスケはやりたくないのか?」

「私は……」

 彼女は手元に持っていたバスケットボールを一度眺めて、改めて口を開いた。

「バスケはやりたいよ……バスケ以外に好きなことを探したりしたけど、見つからなかった。だけど、理美をバスケできなくさせて、私だけやりたいことやるなんて最低じゃんか……」

 彼女の目から涙が伝うのが見えた。ずっと心にしまっていたが、誰にも言えなかった言葉を吐露することで、涙を抑えることができなかったんだろう。

 だが、この言葉を聞くことで俺は正しい道が何であるかを認識することができた。

「丸井」

「何?」

「お前って真面目なんだな」

「え? 谷崎に言われてくないんだけど」

「いや俺より真面目かもしれん。だって心からやりたいことがあるのに、責任感があるから、それをやらないっていう選択をとってるんだ」

 丸井は目は先ほど流した涙で、キラリと光っていた。

「野々原さんのことを説得できるかはわかんないけど、俺が協力するから、やりたいこと、やろうとしても良いんじゃないか?」

「でも、そんなことしたら……」

 彼女は続けて言った。

「理美に申し訳ないし、それに……私がやりたいことを我慢したこの半年はなんだったの?」

 丸井は野々原さんへの責任感から、バスケをする、という選択肢は絶対に選んでこなかった。

 それに加えて、彼女はバスケをしなかったこの半年間が無駄ではなかった、と。

 自分が半年前にした選択は間違っていなかった、と。

 自分自身を肯定したいんだ。

 ……丸井のバスケをしなかったこの半年間は無駄だったのかもしれない。

 ……だけど、別にそれでも良いじゃないか。

「丸井よ」

「何?」

「それはただ寄り道をしただけってことでいいんじゃないか?」

「寄り道?」

「ああ、俺だって普段、真面目に勉強してるけど、友達と遊んだりするよ、それに最近、漫画に夢中になって、夜更かしなんてしちゃったんだぜ。だから、そういう期間だった、それでいいんじゃないか?」

 そうだ。寄り道したっていいんだ。自分が進むべき道が分かっていても、寄り道して分かることだってある。俺はこの二ヶ月、これまでより勉強時間は少なくなったけど、間違ってなかった、無駄じゃなかったと自信を持って言える。

「寄り道か……」

 彼女は空を見上げながら呟くように言った。

「谷崎」

「うん?」

 丸井は俺の方を向き直して、言った。

「私、やっぱりバスケがしたい」

 丸井は再びバスケを、自分のやりたいことに向き合う決心をした。

 彼女の表情はとても穏やかで、何故かわからないけど、彼女の顔を見ると、俺は胸がいっぱいになり、涙がこぼれ落ちそうになった。

「ああ、俺が練習相手になるよ」

 なんとか涙を堪えて、冗談を言う。

「ごめんだけど、もっと練習してもらわないとならないかな」

「何だと!」

 そんな掛け合いをして、ふと携帯電話の画面を見ると、時間は夜の十一時を過ぎていた。

「やばい、もうこんな時間だ! 母さんに怒られる! 早く帰ろう」

「あ、本当だ。帰ろっか」

 さすがにこの時間に女子一人で返すのはよくないので、母親にはこれから帰る、とラインだけ入れて、丸井の家まで二人で並んで自転車を漕いだ。

 丸井の家の前に着いたので、帰ろうとすると、待って、と呼び止められた。

「あの、ありがとう」

 照れ臭そうに、彼女う言った。

「別に礼なんか言われることはしてないよ。俺こそバスケに付き合ってくれてありがとうな」

 最後にじゃあなと言い残して、俺は自宅に向かって、自転車を走らせた。


     *


 翌日。

 昨日は家に帰るのが遅かっただけでなく、案の定、母親からの説教があったため、寝る時間が相当遅くなってしまった。

 しかし、丸井の件が一つ大きな進歩を生んでいたから、俺の胸は安堵の気持ちで一杯だった。しかしそれと同時に、次に超えなければいけない壁の乗り越え方が分からない、不安の気持ちも芽生えていた。

 学校では眠たさをこらえて、何とか授業を集中して聞いた。昼休みの時間になり、昼食を食べた後、俺は丸井と適当なところで集合して、ある場所に二人で向かった。


     *


「友子……」

「千聖……ごめん心配かけてたみたいで」

 向かったのは濱田と菜々と俺の三人がいつも話す時に使う、屋上前の階段の踊り場だ。

 昨日、丸井と解散した後に今後の作戦会議のため、濱田と菜々を含めて話したいと言って、丸井から了承をもらっていた。そして、今日、濱田と菜々のライングループで丸井をこの場所に連れていく、という旨を伝えていたのだ。

 濱田は久し振りに話す丸井に対して、どんな話をしたらいいかわかっていない様子だった。そして、それは丸井も同様だ。

 菜々も菜々でどんな話をしたら良いかわからない様子で、少しの間、沈黙が続いた。

「じゃあ、丸井がバスケを辞めた理由について二人にも話す。どうする? 丸井から話すか?」

「ううん、谷崎から簡単に話してよ」

 そう言われて、丸井に昨日聞いた話を簡単にまとめて、俺は丸井の顔を伺いながら話した。濱田と菜々はどちらも真剣な表情で話を聞いていた。丸井は俺が話している内容を聞きながら、たまに悲しそうな表情を見せた。

「……と、これが丸井がバスケを辞めた理由だ。だけど、バスケをやりたい気持ちはずっと残っていたので、今もバスケをしたいと思ってくれてる」

「友子、本当?」

 濱田は丸井本人に間違いないか、確認した。

「うん、本当だよ。ただ……」

「ああ、丸井がバスケをするためには、野々原さんの説得が必要になる」

「ああ、そっか……」

「そう、それが正直どうやったらいいのか俺はわかってない」

 野々原さんの納得、それは丸井がバスケ部に再入部するには必須なのだが、その壁がなかなかに高い。

 野々原さんと一切の縁を切る、というのは一つの選択肢かもしれないが、責任感の強い丸井がその選択肢を選ぶとは思えないし、俺も選んで欲しくはない。

「もし私がバイトを辞めて、バスケ部にまた入部するって言ったら、理美は反対どころじゃないと思う」

「だよな……だから、これからみんなで良い案がないか考えたいんだ」

「うん! わかった」

「もちろん」

 菜々と濱田からは快活な返事が返ってきた。

「野々原さんってどんな子か、改めて教えてくれない?」

 菜々の質問に対して、俺と丸井は回答を考える。

「丸井といつも一緒にいる感じで、丸井以外には素っ気ない対応をするっていうイメージだな」

「まあ、あながち間違いじゃないかも。中学のバスケ部で一緒だった時は、部活の子みんなと仲良くしてたんだけど、今はさっき谷崎が言った感じで、私以外には素っ気ない対応をしてる気がする」

「友子ちゃん、モテモテだね……その野々原さんと千聖ちゃん、後、孝夫から」

「菜々ちゃん、何言ってんの!」

「おい!」

「ちょっと……」

 三人から菜々は突っ込まれた。確かに、色んな人から求められる丸井は人気者かもしれない。だが、なんで俺をカウントする……

「野々原さんって今は普通に歩くことはできるんだよね?」

「うん、それは全然問題なく」

「ごめん、ちょっと失礼かもしれないけど」

 濱田が枕詞を置いて、話しはじめた。

「確かに友子が野々原さんって子を怪我させちゃったのは事実だよ。でも、本当にバスケがずっとできなくなるような怪我だったのかな?」

 確かにそれは俺も疑問に思っていた。足首の骨折と丸井から聞いたが、丸井の話を聞く限りでは、怪我から三ヶ月程度で松葉杖なしで歩くことができた。それほどの怪我であれば、そこからバスケ部に復帰することだってできたんじゃないだろうか。

「それは……わかんない。理美との間でバスケの話題は絶対でないっていうか、お互い触れないし、理美とはよく遊ぶけど、運動系の遊びとかは私達も選ばないし」

「何にしても、もうちょっと野々原さんのことを知る必要がありそうだね」

 菜々はそう言った。

「じゃあ、今度、私の友達の星蔭の子に話を聞いてみる機会をつくろうか」

 濱田から提案された。その友達は、以前、野々原さんの情報を提供してくれた子のことだろう。その子から、より詳しく野々原さんの情報が聞けるかも知れない。

「ああ、そうしよう。丸井もそれで良いか?」

「あ……うん」

 丸井は少し申し訳なさそうに頷いた。

 おそらく、友人である野々原さんのことを探るようなことをしているのが、申し訳ないのだろう。

 丸井のその気持ちも理解できたが、これまでずっと丸井が我慢し続けていたバスケをしたい気持ちを尊重するため、濱田には星蔭高校の生徒と話す場を設けてもらうよう調整をする、ということで今回の話し合いは終了した。

 その夜には早速、濱田の友人である星蔭高校の生徒と話す日程について打診が来た。野々原さんがバイトが入っていて、俺と丸井はバイトが入っていない二日後の金曜日が都合が良かったので、その日、濱田が部活が終わった後の時間にその子と話すことになった。

 

     *

 

 金曜日。放課後に自分の家で少し勉強をした後、菜々と丸井と合流をして、予定の集合場所に向かった。

 濱田の友人にわざわざ時間を割いてもらっている分、彼女にとって都合の良い場所で話すことになっていたので、電車で数駅離れた場所の駅前で集合することになっていた。

 電車を降り、ホームを歩いていると、後ろから濱田に声をかけられる。

「やあ、ごめんね。待ってもらって」

「全然良いよ!」

 濱田は制服を着ていた。彼女からは、部活後とは思えないほど爽やかな、柑橘系の制汗剤の匂いが香ってきた。

 四人で駅の改札を出て、目的地のカフェの扉を開けると、早速友人を見つけたようで、濱田はおーい、と手をあげた。

 手を振りかえしてきたのは、濱田より短いショートカットの、野々原さんと同じ制服を着た女性だった。

「初めまして、千聖と中学の同級生だった板野真理子です」

 席に着く前に、俺達に向かって、丁寧に彼女は挨拶をしてきた。

「あ、こちらこそ初めまして、宮戸菜々です」

「谷崎孝夫っていいます」

「丸井友子です」

 簡単に挨拶を済ませて、席に着いた。堅苦しい挨拶は良いよと濱田は言って、何か注文しよう、と皆にメニューが見えるように広げて見せた。

 注文したそれぞれのドリンクが到着した後、濱田が早速本題に入ろうと、話し始める。

「じゃあ、改めて私からも紹介すると、この子は私の中学で同じバスケ部だった真理子。今も星蔭高校でバスケをしていて、野々原さんって子とは元チームメイト」

 濱田から事前に聞いていた情報を、改めて説明を受ける。

「一応、今回の経緯は私から簡単に、真理子には説明してる。それで、早速なんだけどさ、真理子、野々原さんってどんな子か教えてもらって良いかな?」

 板野さんは、先ほど注文したホットコーヒーをすすった後、話し始めた。

「そうだね……野々原さんは一年生の時から強豪校出身ってだけあって、すごいバスケがうまかったのを覚えてるよ。一年生のなかだったら、多分一番うまかったと思う」

 少し意外な情報であった。

 確かに丸井と野々原さんがいた中学校は女バスの強豪校だと知っていたが、俺のなかでは、何故か野々原さんがバスケが上手いというイメージはなかった。

「野々原さんってバスケ上手かったんだな」

「うん。すごい上手かったよ」

 俺が丸井に確認すると、彼女は当然のように返した。

「じゃあ、野々原さんは、私達との練習試合でしちゃった怪我が原因で辞めちゃったと思う?」

 濱田はストレートに質問をした。その質問を聞く、丸井はこの場にいるのが申し訳なさそうにしている。

「それも一つの理由なのは間違いないと思う……けど」

 その後の言葉を彼女はなかなか話さなかった。濱田が続きの言葉を催促する。

「けど……どうしたの?」

 板野さんは、ごめん、と小さく呟いた。どうも、彼女の様子がおかしい。

「真理子? 大丈夫?」

 濱田が心配する声をかけると、板野さんは急に涙を流し始めた。

 誰も彼女が涙を流す理由が分からなくて、動揺するなか、濱田がポケットからハンカチを出して、板野さんに渡した。

「真理子、ごめん、私変なこと聞いちゃったかな? 今日はもう辞めにしようか?」

 濱田は板野さんを気遣って、声を掛ける。確かにこの状態が続くようでは、板野さんには失礼だが、話せる状態ではない。

「……ううん、ごめんなさい、急に泣き出して。 ちゃんと話すよ」

 目を赤く腫らしながら、板野さんは言った。どうやら、野々原さんのことを話すのは相当に決意がいることらしい。ただならぬ事情があることをその場にいる全員が覚悟していた。

 少しすると、板野さんも落ち着き、話せる状態になったようで、ゆっくりと口を開いた。

「……多分、野々原さんがバスケを辞めた本当の理由は、あの怪我じゃなくて、私達、星蔭の同級生のせいだと思う」

「え?」

 板野さん以外の全員が固まった。カフェ特有のお洒落で落ち着いた雰囲気の空間が、一気に不穏な空気で満たされる。

「それってどういうこと?」

「うん……ごめん、ゆっくり話すね」

 板野さんの話に全員、真剣に耳を傾ける。

「野々原さんはバスケがすごくうまかったって言ったよね。だから、一年生なのに、一人だけ上級生に混じって試合に出たりしてたんだ」

 板野さんは呼吸を整えて、話を続けた。

「でも……それが原因で私達同級生の中の何人かは彼女のことを嫉妬するようになったんだ」

 野々原さんがバスケ部を辞めた理由、それはこの一言で察しがついてしまった。

「そしたら、段々、イジメ、ってほどじゃないけどさ、あの子を無視する雰囲気が一年生のなかでできたの。……それに私も加担してた」

 全員……彼女のこの発言には驚かされた。

 丸井は友人の隠された悲しい過去を知り、しばらくは開いた口が塞がらなかった。

 濱田は友人が陰湿な行為に加担していた事実を知り、驚きと呆れが入り混じったような表情を見せた。

「真理子、なんでそんなことしたの?」

 板野さんの話の続きだったが、濱田はつい、我慢できずに口を挟んだ。

「ごめん、千聖。責められるようなことをしてたのはわかってる。なんでしたかって言われると、明確な理由や意思はないよ。ただ、部の一年生の雰囲気に従っちゃったんだ」

「そっか……別に真理子のことを私が責めるのは筋違いだから、真理子のことを責めようとなんて思ってないよ。話しにくいこと話してくれてありがとう」

「ううん、私は軽蔑されて当たり前のことをしたんだよ」

 濱田からの言葉を否定して、板野さんは話を続けた。

「野々原さんは段々、バスケ中に笑わなくなった。きっと、部活が嫌で仕方なかったと思う……いや、私達が野々原さんにそう思わせた」

 板野さんは落ち着くこうとして、ホットコーヒーを口に含んだ。マグカップを持つ彼女の手は少し震えていた。

「あの練習試合の日、こんなことを言って、丸井さんには申し訳ないけど、試合中の接触であそこまで大事になることってなかなかないから、さすがにこれはやばいんじゃないかって、普段、野々原さんを無視したりする私達の学年だって、さすがに彼女のことを心配してた」

 丸井は目を細めながら、話を聞いていた。

「その後、野々原さんは救急車で病院に行ったんだけど、それ以降、野々原さんがバスケ部に来ることはなかった。試合から一週間くらい経った後、急に顧問の先生から、野々原さんが辞めることになったって聞かされたんだ」

 この話は丸井から聞いていた話と同じだった。この練習試合の怪我の話だけ聞くと、怪我が原因で辞めたと誰でも思う。しかし、その前に部内の同級生から無視をされていたことを聞くと、話は変わってくる。

「だから、本当のことを言うと、怪我が原因で辞めたのか、私達のせいで辞めたのかっていうのはわからない……だけど、きっと、怪我がなくても、野々原さんは私達のせいでバスケ部を辞める選択をしてたと思う」

「そっか……それじゃ、野々原さんがどのくらいの怪我だったか、とかは知らない?」

「どうだろう……野々原さんが怪我をした後、会ってないし、顧問からいつ復帰するとかの話も聞いてないからわかんないな……」

「学校であったりしないの?」

 俺から質問をすると、野々原さんが俺の方に一瞬、視線を向けた後、下の方に視線を向けて話し始めた。

「うん、たまにすれ違うことはあっても、話すことは絶対にないよ。でも、体操服を着てるのを見かけたことがあるから、多分、体育の授業とかは普通に参加してるんじゃないかな」

 ……なるほど。これだけでも有益な情報だ。板野さんはまた、落ち着くために震える手でホットコーヒーを飲む。すると、いつになく真剣な表情の濱田が話し始めた。

「真理子、話してくれてありがとう……やっぱり、真理子のしたことは間違ってると思う」

 濱田は友人の過去の過ちをはっきりと否定した。彼女が言わなければ、俺が言ってたと思うので、言ってくれて良かった。

「うん、わかってる……」

「でも、なんで話してくれたの?」

「……今、私達は野々原さんを無視したことなんかなかったみたいにバスケをやってる。正直、野々原さんのことは記憶の奥に押しやって、思い出さないようにしてた。だけど、千聖に野々原さんのことを教えて欲しい、って言われて、一気に昔のことを思い出したんだ」

 板野さんはまた、感情が昂り、目から涙がこぼれる。

「千聖になんでそんなこと聞くのって聞いたら、丸井さんのことをもう一回バスケ部に入って欲しくて、今、友千聖の達が頑張ってるって話を聞いて、自分と比べたら、恥ずかしくて仕方なくて……せめて軽蔑されてもいいから、正直に話そうって思ったんだ」

 板野さんにとっては、この過去は人に話せるものじゃないことは間違いない。自分が悪意を持って陰湿な行為をしていた、という内容はほとんどの人が聞くと、彼女に対して幻滅するものだ。

 だから、この場で正直に過去のことを話す、という一歩を踏み出したことについては、彼女の勇気を褒めたい、だけど……

「真理子、私達に話すのにも相当勇気が必要だったのは分かってる。でも、直接話して謝らないといけない人がいるでしょ」

 濱田は板野さんを諭すように、力強い言葉で言った。

「うん……そうだよね。私、他の子にも野々原さんに謝ろうって声かけてみるよ」

 濱田が言う通り、野々原さんに直接謝るのは相当に勇気のいることだ。だけど、それで野々原さんは救われるのだろうか?

 ……きっと謝罪をしても、野々原さんは救われない。これからの野々原さんは何も変われない。救われるのは、無視をしていた彼女たちの罪悪感だけだ。

「口を挟んでごめん。板野さん、すごく悪い言い方をするけど、ただ野々原さんに謝るだけじゃ、君達の自己満足でしかないよ」

 板野さんに向けて、俺は突き放すような言葉を吐いた。

「ちょっと、孝夫さすがにいいすぎじゃ」

 菜々が俺にフォローの言葉を入れてくる。

「でも、谷崎の言う通りだよ。理美に謝ったとしても、今更なんだって思われるに決まってる」

 丸井も俺の意見には賛成のようで、敵意を感じさせる言葉を吐いた。彼女にとっては、例え、いびつな関係性だとしても、自分の友達にひどいことをした相手だ。刺刺しい言葉を吐くのがむしろ当たり前だろう。

「……そう……だよね」

 板野さんは、自分に飛んできた矢のように鋭い発言に、なんと言えばいいか戸惑っているようだった。

「丸井の言う通りだよ。ただの謝罪じゃ、今更なんだ、で終わる。だから……もし板野さん達が良ければだけど、一つ提案があるんだ」


     *


 カフェでの板野さんとの話し合いからちょうど一週間後。

 いつも通り、授業を受けていたが、少し落ち着かない。なぜなら、今日は放課後、バイトが入っており、シフトが野々原さんと被っている日、そして、丸井がバスケ部に入るために、野々原さんを説得する作戦を決行する日だったからだ。

 一日中、集中力に欠いたまま、全ての授業が終了してしまった。今日の内容は復習に時間をかけないといけないな……そんなことを考えながら、帰りの準備をしていると、後ろから声をかけられる。

「孝夫」

「ん?」

 声の正体は菜々だった。

「あの……無茶しないでね」

 彼女は、まるで俺がこれから猛獣にでも挑むみたいに、大袈裟に俺のことを心配した。

「ああ、大丈夫だよ」

 そう、大丈夫。……別に今日、俺が傷つく予定はない。

 帰宅してすぐ、俺はバイトの準備を入れたリュックを背負い、母親に今日は遅くなると思う、とラインを入れて、家を後にした。

 挨拶をしながら、事務所に入ると、店長と野々原さんがいた。二人とも、挨拶は返してくれるが、野々原さんは相変わらず、俺に目も合わせないまま、素っ気ない態度だった。

 店長が厨房に戻ると、事務所に野々原さんと二人きりになったので、俺は彼女に話しかけた。

「野々原さん、実は今日相談したいことがあって、バイト終わったら、帰りながら、相談させてくれないかな?」

「相談? 何の?」

「いや、ごめん。ここで話すような内容じゃないから」

「? ……まあ、別にいいけど」

 突然、仲良くもないバイト仲間から、そんなことを言われたもんだから、野々原さんは頭にクエスチョンマークを浮かべてながら、一応、誘いは了承してくれた。

 ひとまず、第一関門は突破だ。さて、とりあえずはバイトを頑張るか。


     *


「よーし、帰ろー! 明日は久々に休みだー!」

 閉め作業が終わると、店長の表情が開放感に満たされていた。久々の休み……良かったね。店長……

 野々原さんと事前に約束をしていたため、お疲れ様です、といいながら、二人で一緒に店を出て、駐輪場へと歩きはじめた。

 自転車の置いている場所からまだ手前の方で、野々原さんから話しかけられる。

「で、何相談って」

「丸井のことなんだけど」

「友子のこと?」

「うん、詳しくは自転車漕ぎはじめてから話すよ」

 二人とも、自転車のサドルに腰掛けて、ペダルを漕ぎ出す。

「で、友子の何で相談したいの」

 野々原さんは自転車を漕いでるのに、前は見ずに俺の方をじっと見てくる。

 自分の心臓の脈打つ速度が早くなるの感じながら、俺は野々原さんの方を見返して、言った。


「実は丸井と付き合いたいって思ってるんだ」


「え?」

 彼女は驚くあまり、急ブレーキをかけて、地面とタイヤが摩擦する音が響きながら、自転車が停止した。俺もそれに合わせて、ブレーキをかける。

「ごめん、なんて言った?」

「えっと、丸井と付き合いたいって思ってる」

 彼女は、自分の顔に手を押しつけ、いかにも困っているポーズをとる。

「えーっと、これから告白するってことだよね?」

「いや、告白はもうしてるんだ」

「え、そうなの?」

 野々原さんは目を丸くした。相当に驚いているのが伝わってくる。だけど、これからする俺の発言は、より彼女の度肝を抜かせるだろう。

「うん、実はそれでオッケーみたいなものは貰ってるんだ」

「……は? え? は?」

 野々原さんは驚きすぎて、語彙力が皆無になっていた。

「ほ……本当?」

 語彙力が戻ってきた彼女は俺に真偽を確認する。

「うん、本当。……ただ、丸井は付き合う前に野々原さんにも聞いてみないといけないけど、自分じゃ言いにくいって言うから、代わりに俺から野々原さんの了承を得ようと思ってさ」

 その話を聞く彼女は、目を細めて俺を睨みながら話を聞いていた。俺の言うことは信じれない、と顔に書いてあるようだ。

「だから、改めて確認なんだけど、付き合ってもいいかな?」

「信じれないんだけど……友子に確認するね?」

「え、うんわかった」

 野々原さんは携帯を取り出し、異様に早いスピードで親指を上下左右に動かした。「あ、すぐ既読ついた。……うそでしょ……」

 おそらく、丸井に俺と付き合うのは本当か、と質問するラインを送って、丸井から直ぐ、本当だと答える回答が来たのだろう。

「はぁ〜」

 彼女は、自分の体の中の酸素を目一杯吐き出すような重いため息をついた後、鋭く、俺のことを睨んで言った。

「もし、それ私がダメって言ったらどうするの?」

「納得してもらうまで、説得する」

「説得できなかったら、どうするの?」

「諦めずに説得する」

 うんざりするほど、捻りの無い答えに彼女はチッと舌打ちをした。

「正直に言うと、絶対嫌だ。多分、あんたにどう説得されても、私が納得することはないと思うけど」

 想定していた通りだが、野々原さんは認める様子を微塵も見せなかった。

「認めてくれないか……」

「うん、だめだね」

「まじか……」

 俺と彼女の間にしばらくの間、沈黙が流れる。人間、居心地の良い相手とは沈黙も気まずくないものだが、これ程までに気まずい沈黙は始めてだ……

 静けさが十秒以上続いた後、また、俺から話し始めた。

「でも俺も諦めきれないし、野々原さんも納得しない。じゃあ、俺が付き合ってもいいかどうか、何かの勝負で決めるって言うのはどう? それで俺が負けたら、丸井のことはキッパリ諦めるよ」

「勝負? それも嫌だよ」

 はっきりと彼女は言う。

「それも嫌か……じゃあ、例えば野々原さんが絶対、有利な勝負だったらどう?」

「……例えば?」

 少しだけ、俺の発言に興味を持ったくれたようだ。

「そうだな……例えば……バスケの1ON1とか? 確か、野々原さんは経験者だったよね。俺は最近一人で公園で練習したりしてる位で、経験が全然違う。それなら、野々原さん、有利だろ?」

 野々原さんは少し悩んでいるようだった。

 おそらく、彼女はここで俺が1ON1を提案してきたことで、自分の怪我のことをこいつは知らないのか、丸井は俺にその話はしてないのか、など色々なことに考えを巡らせている。

「……バスケなんてどこですんの?」

「ここから、十分くらい自転車で行った所に、俺がいつも練習する公園がある。そこにはバスケットゴールが置いてあるんだ。そこで出来るよ」

「ふ〜ん。ボールは?」

「今、持ってる。最近はバイト後に練習したりするからね」

「あっそ」

 数秒間、彼女は悩む様子を見せた後、口を開いた。

「……いいけど、条件がある」

「条件?」

「あんたが負けたら、友子と付き合うことは諦める。それと、勝負に負けたから諦めた、って言わないこと。後、バスケしたって言うのも友子には秘密にすること」

「……分かった」

 野々原さんは俺の提案に乗った。やはり、彼女は今、バスケができる状態に回復している。

 だが、やはり丸井には自分がバスケをできる状態であることを知られたくないようで、これから1ON1で勝負をすることは秘密にするよう、条件を提示してきた。

 しかも、自分がその条件は自分が勝つことを前提に出してきている。彼女のバスケに対しての自信をひしひしと感じさせられた。


     *


 二人で自転車を漕ぎ、いつもバスケをする公園に到着した。道中、二人で会話を交わすことはなかった。

 濱田にバスケを教えてもらった日から、この公園には何度か来ている。最近だと、丸井とバスケをするために来たが、ほとんどは自主練のために、一人で来ていた。一緒に来た相手が相手だからか、俺にとって、この公園は慣れ親しんだ場所である筈なのに、今日はまるで違う場所にきたような感覚に陥っていた。

 野々原さんは体を伸ばしたり、屈伸運動をして、軽いアップをする。そして、ボール貸してと言われたので、ボールを渡すと、その場でドリブルをし始めた。

 その手捌きからは、初心者が見ると、ブランクを全く感じさせない。

「よし、私は良いよ。いつでも」

「ああ……ルールは五点先取でいいかな?」

「うん、いいよ。得点した方が続けて攻撃権を貰えるルールにしよう。私が先攻でもいい?」

 野々原さんは自分が負ける筈もない、という自信に満ち溢れている。得点したら続けて攻撃権を得られる、というルールを提案してきたのは、単純に早くこの勝負を終わらせたいからだろう。

「分かった」

「よし……じゃあ始めよう」

 俺から彼女にボールをパスするのを合図に勝負はスタートする。


     *


 勝負は一方的なものだった。

 一回目の野々原さんの攻撃、ボールを持った瞬間、俺の右を抜くようにドライブをしてきて、なんとかついていくことができたと思ったら、体をぐるりと回旋して、俺の左を抜き、その勢いのまま、レイアップシュートで得点を決めた。 

 野々原さんはゴールを決めた余韻に浸ることなく、すぐさま、二回目の攻撃を始めると、シュートフェイントに俺がまんまと釣られ、そのままゴール下までドリブルで進むと、あっさりとフリーのゴールにレイアップシュートを決めた。

 三点目、四点目と同じように、野々原さんがフリーの状態でレイアップシュートを決める展開が続いた。

「ハアハア……」

 自分の息が段々と荒くなってきたのを感じる。少しは練習して、体力もついたと思ったんだけどな……

「次で最後だ。ごめんね、最後までオフェンスはさせないよ」

 少し汗はかいてるが、ほとんど息をきらしたような様子は見せず、彼女は言った。……正直、彼女を止める手立ては浮かばないが、現時点でできる対策はある。

 ボールを彼女にパスをした直後に少し、後ろに下がった。こうすれば、シュートブロックはしにくくなるが、ドリブルで抜かれる可能性は低くなる。

 野々原さんはドリブルでこれまでと同じ様に俺を抜こうとするが、後ろに下がって、ディフェンスをしている分、完全に抜かれずになんとかついていくことができた。

 このまま守れるかと淡い希望を抱いた時、彼女がバックステップをとって、更に俺との距離を開けると、ジャンプシュートを放った。

 彼女のシュートフォームは洗練されていて、ボールが放たれた瞬間、俺はこの勝負に負けたことを悟った。

 ボールがゴールネットを揺らす音が公園に静かに響いた。野々原さんはふう、と一息をついてから、ボールを回収して、俺の方に近寄ってきた。

「これで私の勝ちだね。約束通り、友子は諦めてね」

 野々原さんは勝ち誇った顔で俺に言った。

「……ああ、わかった。丸井のことは諦める」

 俺は彼女の顔を見ずに、あっさりと勝負の負けを受け入れた。

 ……ごめん、野々原さん。そもそも、これは勝負として成立していないんだ。何故なら、この勝負は勝つことが目的じゃないから。

 ……公園の地面を誰かがゆっくり歩いてくる音が聞こえる。その音の正体は野々原さんの後ろで止まった。

「理美、バスケできたんだね」

 後ろから、野々原さんにとって、あまりにも聴き慣れた声が聞こえてきて、彼女は後ろを振り返った。


「友子?」


 後ろに立っていたのは、俺たちが1ON1をして奪い合っていた丸井友子、本人だった。

「なんで、友子がここにいるの?」

 躊躇いながら言う野々原さんに対して、丸井は申し訳なさそうに言った。

「ごめん、理美。私が谷崎と付き合うとか、そんな話は嘘なんだ」

「え?」

 野々原さんには申し訳ないが、丸井の言うとおり、そんな話は全くの嘘だ。

 丸井が野々原さんに負わせた怪我は、今も野々原さんがバスケをできなくなる程の怪我ではないと証明するには、単純に、野々原さんがバスケをプレーする瞬間を丸井が目にすればよかった。

 かといって、そんな瞬間はバスケから避ける彼女達が普通に過ごしていては、絶対に訪れない。

 どうやったら、野々原さんがバスケをしてくれるか考えた際に、思いついたのが丸井をかけて、1ON1をする、ということだった。

 丸井を餌にするようで申し訳なかったが、野々原さんが勝負に乗ってくれるとすれば、彼女が依存する丸井をかけるくらいしか、俺には思いつかなかった。

「……そっか。友子、私がバスケするとこ見てたんだね」

「……うん」

「谷崎、はめたんだね」

 野々原さんは怒りに満ちた表情で、俺の方を見た。

「本当にごめん」

「理美、谷崎は悪くないよ。理美が今、バスケをできるってことを知りたかったのは私なんだ。谷崎はそれに協力してくれただけ」

 丸井の言葉に、野々原さんは口をつぐんだ。野々原さんは丸井から目をそらして、バツが悪そうな顔をしている。

 そんな野々原さんを見ながら、丸井はとても穏やかな声で話し始めた。

「私さ、もう一回バスケがしたいんだ」

「え?」

 野々原さんは丸井の言葉が予想外だったのか、聞き直した。

「あの時、怪我させちゃって、本当にごめん。それで理美にすごいつらい思いをさせたのはわかってる」

 野々原さんは黙って、丸井の話を聞いていた。

「理美に対して申し訳ない気持ちはずっとあった。だから、私もバスケを辞めた。でもさ……私のなかでずっと、バスケをしたいって気持ちはなくならなかったんだ……」

 丸井の瞳には、大粒の涙が浮かんだ。

「だから……理美がもうバスケできるくらい回復してるなら、私もその気持ちに従っちゃダメかな?」 

 友人の隠していた思いを伝えられた時、野々原さんは、目の前にいる友人と同じように、涙を流し始めた。

「……ごめん……ごめんね、友子」

「なんで理美が謝るのよ」

「だって、私は友子から、好きなことを奪ったんでしょ……そんな友達って最低じゃん……」

「ううん、もとはと言えば、私が理美を怪我させたことが悪いんだ」

「違う…違うの…」

 彼女達はお互いが流す涙が共鳴し合うように、激しく泣いた。

 少しの間、二人とも喋れなくなるくらい泣いているのを見かねて、俺はリュックの中からポケットティッシュを取り出して、二人に渡した。

「……ありがと」

「ぐすっ、ありがとう」

 二人で泣き合う光景は全く予想なんてしていなかった。

 特に野々原さんが泣くなんて思わなかったから、彼女が友人の告白に呼応するように涙を流す姿は、とても美しいものを見せられたような気分になった。

「二人とも大丈夫か?」

「うん……恥ずかしいとこ見られたね」

「恥ずかしいところなんか、じゃないさ……」

 少しすると、二人の涙はなんとか収まり、話せる状態になったので、俺から改めて話し始めた。

「野々原さん……丸井と付き合うなんて嘘をついて、本当にごめん」

「私からも謝るよ。ごめん」

「ううん、もういいよ……」

 野々原さんのなかにあった怒りの感情は涙でほとんど浄化されているようだった。だけど、まだ、俺達はまだ、彼女に謝らないといけないことがあった。

「……実はまだ、野々原さんに謝らないといけないことがあるんだ」

「え?」

「俺達、野々原さんの高校のバスケ部時代の話を聞いた」

「え?」

 一気に野々原さんは血の気が引いたように、真っ青な表情になった。

 それは誰にも知られたくなかった過去、特に丸井には知られたくなかった過去。

「友子も聞いたの?」

 コクリと丸井がうなずき、野々原さんは何かを諦めたように、そっか、と小さな声でつぶやき、空を見上げた。

「ねえ、理美。あの時、バスケを辞めた本当の理由、教えてくれないかな?」

「多分、友子もだいたい予想ついてるんでしょ? だから話す必要なんてないよ。それに……」

 野々原さんは最後の言葉を言い淀んだ。

「それに……何?」

 丸井はじっと野々原さんの目を見て、彼女の最後の言葉を聞き返した。

「本当のことを話したら、きっと私の友達なんてやめたくなるよ」

 野々原さんは丸井から目を逸らして、公園の地面を見ながら言う。

「……ばかだな、理美。もしかしたら、理美の話に対して、怒ったり悲しんだりするかもしれないけど、友達を辞めることなんてないよ」

「え?」

「自慢じゃないけど、私だって友達と呼べるのなんて、理美くらいしかいないんだからね」

「友子……」

「だから、話しにくいことだと思うけど、ちゃんと理美の口から聞きたいの」

 俺は彼女達の話す様子を見て、一つ勘違いをしていたことに気づいた。

 野々原さんにとって、丸井は友人で、大切な存在だ。だけど、丸井にとって、野々原さんは友人だけど、大切な存在ではない、そう思っていた。

 実際には、丸井にとっても野々原さんは大切な存在で、彼女達は大切な友達同士だったんだ。

 丸井の温かい言葉は野々原さんの心を溶かし、彼女は安心したような表情見せた。

「分かった。正直に話すね」


     *


 バスケットゴールの近く、薄暗い街頭が俺たち三人を照らしていた。

「何から話したらいいかわからないけど……」

 少し自信がなさそうに、野々原さんは話し始めた。

「中学の時は、バスケが楽しかったね。強豪校って言われるくらいには強くて、練習はきつかったけど、友子や他のチームの子とも仲よかったし、今思うと、充実してたな」

 もう返っては来ないものを思い返すように、彼女は遠い目をして、中学時代のことを振り返った。

「星蔭に入学して、迷わずにバスケ部に入った。うちのバスケ部はそこまでレベルが高くなかったから、自分で言うのもなんだけど、最初からそれなりに活躍してたと思う」

 先ほど、1ON1でコテンパンにやられたので、彼女が高校のバスケ部で活躍しているイメージはしやすかった。

「……でも、段々、私の同じ学年の子達が私のことを無視するようになった」

 板野さんからも話は聞いていたが、改めて野々原さん自身の口から伝えられ、胸が苦しい気持ちになる。

「今思うと、イジメって言う程、ひどいものじゃなかったと思う。練習中とか、先輩とか先生のいる場所だと、他の人にわかるような無視はしなかったけど、同じ学年しかいない場所だと、私が話したら、会話が止まったり、私以外の子たちで遊びにいったり、ライングループを私以外で作ったり、そんなことをされたかな」

 周りにバレないような陰湿な行為、確かに野々原さんの言う通り、暴力や物が盗まれるような「イジメ」と呼ぶほどのものではないかもしれない。

 しかし、本来仲間であるはずのチームメイトから、自分自身が仲間でないと、そう言われているような仕打ちを彼女は受けたのだ。

「そういうのが一ヶ月くらい続くうちに、部活に行くのが嫌になった」

 一ヶ月という期間は短いようだが、彼女のバスケを続ける意思を削ぐのには十分過ぎる期間だろう。

「そんなことがあったなんて、あの時全然知らなかったよ……」

 丸井は野々原さんの辛い過去を思い、また泣き出しそうな顔をしていた。

「そりゃそうだよ。中学のチームメイトの皆、バスケを頑張ってた。なのに、私だけこんなに恥ずかしい姿は見せたくなかった。もちろん、友子にもね」

 多分、ほとんどの人間が野々原さんと同じ状態になったとしても、過去の仲間に打ち明けるという選択はしないだろう。

 人は他人に強い自分を見せたがり、弱い自分など見せたがらないのだから。

「そんな状態のまま、友子達との練習試合の日がきた。久々に友子に会って、一緒にバスケをするのは楽しみにしてたな」

「……私も楽しみにしてたよ」

 丸井と野々原さんはお互いに言葉を交わして、少し照れ臭そうに口角を少しだけ上げた。

「だけど、試合中、私が怪我をした」

「うん」

「理由は友子とのプレー中の接触、それはほんとのこと」

「本当にごめん……」

 丸井はまた謝った。

「友子はそうやって、自分が怪我をさせたことに責任を感じて、試合の後も何回も何回も謝ってくれて、私の家にもいっぱいきてくれたね」

 丸井は黙って、野々原さんが言葉を続けるのを待った。

「だけど、試合中は必死になることなんて当たり前なんだし、友子がわざと怪我させた訳じゃないことなんてもちろんわかってる。そんなに友子が責任感を感じる必要なんてなかった。けどね……」

「私は友子のその責任感を利用したんだ」

 彼女のその一言は自分のした過ちをはっきりと認めるものだった。

「あの練習試合の前から、私はバスケ部を辞めたいって思ってた。だけど、チームメイトから無視されて、部活を辞めるなんてさ、恥ずかしくて、情けなくて、言い出せなかったんだ」

 板野さんも予想していたように、やっぱり野々原さんはバスケ部を辞めたいと考えていた。だけど、中学時代、バスケを頑張っていた野々原さんにとっては、そんな理由でバスケを辞めることは惨めなことだと思いこんでいたのだろう。

「でも、練習試合の時、怪我をしてさ、私正直ね安心したんだ。あ、これでバスケから離れられるなって」

 本来、選手にとって、とても恐ろしいものである怪我を歓迎するほど、彼女の神経は擦り減っていた。

「医者の診断は足首の骨折。リハビリとかも含めると、バスケを再開できるようになるのに、四ヶ月はかかるだろうって言われた。正直、バスケに復帰できない期間じゃなかった。でもね、怪我をした後、病院に向かう救急車のなかで、もう部活は辞めるってことは決めてたんだ」

 野々原さんがバスケ部を辞めた理由は怪我ではなかった。

 だが、話はこれで終わりじゃない。なぜ、丸井までバスケ部を辞めることになったのかが、彼女の口からはまだ語られていなかった。

「親とか顧問には、怪我が理由でバスケを辞めるって話した。別にそれだけだったらよかったんだけどね……」

 野々原さんは丸井の方を見て、続けた。

「怪我してから二ヶ月経った時かな、友子がバスケの試合終わり、ジャージのまま、家に来てくれたよね」

「……うん」

「その時、私はなんで、私はバスケができないのに、友子だけバスケを楽しんでるの、って言ったね」

 丸井は野々原さんから、目を逸らさずに、コクリと頷いた。

「あの時、私は試合終わりにジャージ姿で私の家に来た友子のことを見て、なんで、私と違って、今も友子はチームメイトに、仲間って認められてるんだろう、バスケを楽しんでるんだろう、そんな考えが急に湧き上がって、そしたら、涙が止まんなくて、気づいたら友子にそんなことを言っちゃったんだ」

 昔と変わらない元チームメイトの姿は、昔の自分の姿で、それでいて、もう手に入らない姿だから、当時の野々原さんにとっては、あまりに眩しすぎた。

「その後、私が言った言葉で、友子は自分が怪我をさせたせいだって思って、部活を辞めたね」

「……うん」

「ごめんね、友子、私本当に最低だけど、友子が今も楽しくバスケをしてるのに嫉妬して、それでバスケを辞めてほしいって思っちゃって、そんなことを言って、友子のことを巻き込んだんだ」

 野々原さんから語られる真実は、当時の野々原さんの言葉によって、バスケ部を辞める選択をした丸井にとって、簡単に受け入れられるものでは、決してないはずだ。

 だけど、丸井は野々原さんから決して目を逸らさず、言葉を心で受け入れているように見えた。

「それに私は学校で友達もいなかったから、バスケを辞めてから、いっぱい遊んでくれてありがとう。バイトも一緒に始めてくれて、私は友子のおかげで生活が楽しくなった。だから……」

 野々原さんは、一呼吸置いてから、丸井を見つめ直した。

「友子も自分が楽しく生きるために、自分の好きなことをしていいよ。これまで、私のわがままで、友子の楽しいことを奪っちゃってごめん」


 野々原さんは、丸井がバスケ部に入ることを認めてくれた。自分の過ちを認め、丸井が自分から離れることを受け入れた。


「理美……一つ勘違いしてるよ」

「え?」

 話し終えた野々原さんに、丸井から訂正の言葉が入った。

「確かに私はバスケはずっとしたいって思ってたけど、バスケから離れて、いっぱい理美と遊んで、その期間は私だって、理美のおかげで楽しかったよ」

「友子……」

「だから、私がまたバスケ部に入っても、一緒に遊んでよね」

 丸井はとても柔らかく、温かい笑顔で野々原さんにそう言った。

「うん……ありがとう」

 丸井がバスケ部に戻っても、きっと彼女達は友達であり続ける。今日、二人の様子を見て、俺はそう確信した。

 ……これで、丸井がバスケ部に入る、という濱田の、そして丸井からの相談は一件落着と言っていいかな。


 ーーーでも、まだ今日の話し合いは終わらない。今日、来てもらっていたのは丸井だけではなかった。俺はラインである人に連絡をした。

「谷崎も色々とごめん」

「別に謝られることなんてしてないよ。俺も騙すようなことしてごめん」

 野々原さんと二人で謝りあった。

「もう謝るのは終わりにしよう。これから、友子も辞めちゃうし、これから、バイトよろしくね」

「うん、よろしく……でも、その前に野々原さん」

 今日、夜の公園で、丸井も野々原さんも俺も、謝罪の言葉を何回か吐いた。だから、野々原さんは謝るのを終わりにしようって言ったんだろう。だけど……

「何?」


「最後に……野々原さんに謝りたいって言ってる子がいるんだ」

  

「え?」

 誰かが公園を歩く音が近づいてきた。

 その歩く音は一人のものではなかった。歩く音に気づいた野々原さんはその方向を見た。

 街頭の近くを除いて、辺りは真っ暗だったので、最初は誰かわからず、野々原さんは目を凝らす。段々と近づいてくるその人達の正体に気づき、彼女は唖然とした。

「野々原さん、久しぶり」

「皆……」

 公園に現れたのは、星蔭高校の元チームメイト。板野さんを含めた、同級生五人のメンバーだった。

「ごめん、野々原さん、迷惑だと思うけど、俺が頼んで皆に来てもらった」

「……何のために来たの?」

 野々原さんは板野さん達でなく、俺の方を見て、ナイフのように鋭い言葉を放った。

「……野々原さんに話したいことがあるんだって」

「私は話したいことなんてないよ」

 野々原さんは元チームメイトの方に目は向けず、突き放した。

「野々原さん、本当にごめんなさい」

 板野さんは野々原さんが自分達の方を向くのを待たずに、謝罪の言葉を述べた。他の子達も続けて謝罪する。

「今日はあの時のことを謝りたくて、今もバスケ続けてる皆で来たの。あの時、野々原さんのことを無視するようなことをして、本当にごめんなさい」

 彼女達は深々と頭を下げる。

「皆、バスケの上手い野々原さんに嫉妬して、最低なことをしてた。本当にごめんなさい」

 彼女達がひたすらに謝罪を続ける様子に野々原さんは、元チームメイトの方をチラリと見る。

「今更謝られても……そんなの何の意味もないよ……」

 野々原さんはなんとも言えない悲しい表情で言った。

 板野さん達の謝罪は少なくても俺には、本当に過去の過ちを反省しているように見えた。しかし、この謝罪が意味があるかというと、それは疑問だ。

 この謝罪で救われるのは、野々原さんじゃなくて、板野さん達だ。

 これまで彼女達の心に残っていた罪悪感が薄れる。そういう意味ではこの謝罪は大いに意味はあるだろう。

 だけど、野々原さんにとって、この謝罪にはきっと何の意味もない。なぜなら、好きだったバスケを嫌いになった過去、丸井のことを巻き込んだ過去は無くならないから。

 ……それでも、過去は変えられなくても、謝罪で終わらなければ、未来は変えられるかもしれない。

「……ごめんなさい。今更だって思うよね。それでいて、本当に虫のいい話だってわかってるんだけど、野々原さん、もうバスケできるくらいに怪我は回復してるよね」

「……板野さん達も見てたんだ」

「うん、勝手に見てごめん」

 板野さんは言葉を言い澱んだ。これから彼女の言う言葉が、野々原さんに素直には受けれられないと分かっていたからだ。


「……もし、野々原さんが良かったら、また一緒にバスケしない?」

「……え?」

 

 板野さんとカフェで話した時、ただ謝罪するだけでは自己満足だと言った後、野々原さんをバスケ部に再入部するように誘うのはどうかと提案したのは俺だった。

 最初、俺以外の皆はその意見にはすぐ賛成しなかったが、少し考えた後、丸井はこう言った。

「もしかしたら、理美は、私と同じ様にバスケをしたい気持ちが残ってるかもしれない。もしそうだとしたら、少なくとも、私は理美にもチャンスが与えられるべきだと思う」

 その言葉で、その場にいた皆が最終的には賛成することになった。

 もちろん、板野さんが反省している様子が伝わり、もしまた、野々原さんがバスケ部に入っても、同じことは起きないだろう、という共通の認識を持ったうえで皆、その意見に賛成したのだ。

 濱田は板野さんに、絶対に二度と同じ過ちを繰り返さないよう、再三、釘を刺していた。

 板野さんも俺の提案を受け入れ、チームメイト達にすぐ声を掛けた。今、残っているバスケ部のメンバーは皆、板野さんに賛同し、今に至っている。


 野々原さんは予想だにしていなかった板野さんの言葉にただ呆然としていた。

「……ごめん、私達の言ってること無茶苦茶だよね」

 一度、地面に視線を落とした後、また野々原さんの方を見て、板野さんは続けた。

「無理してでも、またバスケ部に入ってほしいっていう訳じゃないんだけど、もし野々原さんがバスケをしたい気持ちがあるなら、絶対に前みたいなことはしないから、また戻ってきて、最初の方みたいに、一緒にバスケができたら、嬉しいな」

「そんなこと、今更言われても……」

 野々原さんは下を向きながら、困惑した表情を見せる。

「ごめん……そうだよね……」

 板野さんの言葉を最後に、この場は夜の公園の静けさが支配した。

「理美」

 そんな時、沈黙を破ったのは丸井だった。

「私には理美のつらさは完全には理解することができないけど、多分、私が理美の立場でも、板野さん達が言ってることには、今更何言ってるんだって思う」

 丸井の言葉で、野々原さんは顔を上にあげた。

「でも、もしまたバスケしたいっていう気持ちが残ってるなら、私だったら、考え直すと思う。……だから、理美も考え直してみても良いんじゃないかな?」

「……きっと、また私のことを仲間に認めてなんてくれないよ」

 丸井の言葉を受けた後、野々原さんは少し考えてから、卑屈に言った。

「本当にごめん。野々原さんみたいな頼りになるチームメイトに嫉妬するなんて、私達みんなどうかしてた。信じてくれるのは難しいと思うけど、次は絶対にそんなことしない」

「でも!……もし本当に前みたいなことが起きなくて、楽しくバスケできたとしても、私にそんな資格ないよ……」

「どうして?」

 丸井が質問した。

「だって、友子にバスケを辞めさせたのは私だよ? 自分勝手に友子のこと巻き込んで、私がまたバスケする資格なんてないじゃんか……」

 野々原さんは下げられていた手の位置を変えないまま、拳を強く握った。その手は微かに震えている。

 丸井が野々原さんのことを考えて、バスケをする資格がないと考えたのと同じように、野々原さんは今、丸井のことを考えて、バスケをする資格はないと考えている。

 丸井と野々原さんは似た者同士なのかもしれない。

「ねえ、理美」

「何?」

「私達、寄り道したってことでいいんじゃない?」

「寄り道?」

 それは俺が丸井を説得する時にかけた言葉と同じものだった。

「私達と同じ中学の子達はさ、高校でもずっとバスケを続けてきてる子達ばっかで、その方が良いのは間違い無いけどさ。この時間だって、私達にとって、必要な時間だったんだ、それでいいんじゃない?」

「友子……」

 野々原さんは、丸井の名前を声を震えながら、言った。丸井の言葉は、野々原さんの心に重く響いたようだった。

「まあ、私はただ、理美と一緒にバスケがしたい、ただそれだけなんだけどね」

 無邪気な笑顔で丸井は言った。

「後、星蔭高校の皆のことは私だって許してないよ。私の友達にひどいことしたんだから。……だから、次に同じ様なことをしたら私が仕返しするから」

 板野さん達を睨みながら、丸井は言った。

「うん、本当にごめんさない。絶対、同じようなことはしないよ」

 板野さん以外の同級生も続いて、謝った。

「……友子……ありがとう」

 野々原さんの嘘と丸井の責任感から始まった、彼女達のいびつな友人関係は、お互いのことを想い合える、とてもとても強いものになっていた。

 だから、この半年間は長い長い寄り道だったけど、彼女達にとって、きっと必要な寄り道。

「……今すぐには答えがでないから、もう少し考えさせてほしい。皆、それでいいかな?」

「うん、もちろんだよ」


 エピローグ


 公園での話し合いから二週間後。

「本当にお世話になりました」

「こちらこそ、お世話になりました。また、サービスするからいつでも来てください」

 今日は丸井の最後の出勤日だった。話し合いの翌日、すぐに店長にアルバイトを辞める旨を伝えていたのだ。

「いや〜、これから大変になるよ」

 店長は頭を抱えながら言う。

「だって……二人も同じ時期に辞めちゃうんだからね」

 丸井が退職すると伝えた一週間後、野々原さんもバイトを辞めると店長に話したらしい。野々原さんは一週間考えて、またバスケ部に入ることを決意したようだ。

「すみません……」

 丸井は申し訳なさそうな表情で言う。

「いいんだよ。谷崎くんにその分、頑張ってもらうから」

「ええ、僕ですか……」

「これで高校生バイトは谷崎くんだけになるからね。期待しているよ」

 あまり規模の大きくない店だから、アルバイトの人数もそう多くはない。なので、二人に同時期に辞められるのは店長からしたら痛手だろう。今回の件で、最終的に被害を受けたのは店長かもしれないな……

「二人ともバスケをやるって聞いてるから、頑張ってね。 今のうちしかできないことだから、全力でやるんだよ」

「はい、ありがとうございます」

 この店長はやっぱり良い人だ。


「谷崎、一緒に帰ろうよ」

「ああ、いいよ」

 丸井から一緒に帰ることを誘われたのは、そういえば初めてだ。確か、俺の初出勤の日、丸井から始めて出た言葉は「げ」だったな……

 そう思うと、彼女から帰りの誘いを受けるなんて、自分でも褒めたいくらいの相当な進歩だ。

「本当にありがとうね」

 二人で自転車を漕ぎ始めると、少し照れ臭そうに丸井は言った。

「いや、こっちこそありがとう。バイトでも色々教えてくれて」

「まあ、谷崎、最初はひどかったもんね」

「うるさいな……そういえば、部活はいつからやるんだ」

「ああ、明日から早速やる予定。明日は土曜日で学校がないから、午後まるまる練習できついと思うけど、まあ頑張るよ」

「いつでも練習相手付き合うからな」

 そう言うと、丸井はこちらを見て、穏やかな笑顔で言った。

「うん、よろしく」


     *


 土日が明け、月曜日になった。

 俺はいつも通り授業の予習をしていると、始業時間ぎりぎりに濱田が誰かと話しながら、教室に入ってきた。

 続いて入ってきたのは、丸井友子だ。

 しかし、俺の知る丸井とは決定的に違う部分があった。胸あたりまで伸ばされていた髪が、首の付け根あたりまでバッサリとカットされていた。

「おはよう、谷崎」

 俺が丸井のことをじっと見ているのを気づいたようで、彼女は俺の近くにきて、挨拶の言葉をかけた。

「お前、その髪型……失恋でもしたのか?」

 はぁ、とため息をついて、丸井は言う。

「あんたはやっぱりデリカシーないね。まあ、バスケ頑張るって決めたってことだよ」

 そう言って、彼女は自分の席に戻る。見慣れない髪型の彼女の背中に向かって、心の中で声をかけた。


 がんばれよ、丸井。


     *


「いやー、やっぱり孝夫にも話聞いてもらって正解だったねー」

 放課後、久々に菜々と二人で帰ることになり、彼女は開口一番にそう言った。

「確かに。菜々だけだと、バイトに落ちて終わってたかもな」

「それは言わないで〜」

 丸井と野々原さんの件は、菜々に巻き込まれる形で始まった。

 最初は不器用な自分が役に立つとは思わなかったけど、最終的には濱田にも、丸井にも、後、野々原さんにも感謝されたので、少しは役に立ったと自分を褒めて良いだろう。

 菜々と二人で歩いていると、目の前に空き缶がポイ捨てされているのが見えた。

 俺は拾おうと思って、歩いていた軌道から少しずれて、空き缶に向かって歩き始める。すると、菜々が小走りをして、俺より先に空き缶を拾った。

「ゴミはちゃんと、ゴミ箱に捨てなきゃねー」

 そう言って、彼女は空き缶を持ちながら、また歩き始める。

 俺の真似でもしているんだろうか……

「あ、そうだ。今日、買い物付き合ってよ」

 相変わらず、彼女は太陽のような笑顔を俺に向ける。

「ああ、良いよ。ちゃんと、ゴミ箱までそれ持って歩けよ」

「もちろん!」


 ゴミはゴミ箱へ、あるべき場所へ。

 ゴミと一緒にするのもおかしな話だけど、人も同様にあるべき場所に向かうべきだ。向かう場所が決まれば、その後やることは真っ直ぐに進むだけ。


 ーーーまあ、たまには寄り道をするのも、悪くないけどな。


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