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プロローグ〜第一章


 プロローグ


 自宅の最寄り駅まで向かう途中、スーツを着たサラリーマンらしき人がタバコを吸いながら俺の横を通り過ぎた。

 朝の通学中、タバコを吸いながら歩く人を見かけることは珍しいなと思い、目を向けていると、サラリーマンらしき人はタバコを道端に捨て、火を消すために革靴でごりごりと踏みつぶした。

 今、俺はポイ捨ての場面を目の当たりにしたわけだが、こんな場面を見ても、特に何もしない、という人がほとんどだろう。しかし、俺の場合は違う。

「ポイ捨て、ダメですよ」

 その言葉を俺が発した瞬間、サラリーマンらしき人が振り向き、俺の姿を見て、少し驚いたような表情をした。おそらく、俺みたいな学生に声をかけられたとは思わなかったのだろう。

 その後、サラリーマンらしき人はあ、すみません、と面倒臭そうな声色で形だけの謝罪をして、自分の捨てたタバコの吸い殻を拾って、少し先ほどより早いペースで駅へと向かっていった。

 良い年して、なぜタバコのポイ捨てなどするのだと、苛立ちながら、引き続き駅にへと歩く途中、ポイ捨てされているコーラの空き缶があったため、拾った。そして、自動販売機の近くにあるゴミ箱に空き缶を捨てた。

 毎日、ポイ捨てされているゴミがあるわけではないが、通学途中、道端に落ちているゴミを拾うことは俺の日課の一つであった。道の隅々まで見渡して、ゴミがないか探しながら歩いているわけではないが、目に入ったゴミは可能な範囲で拾って、あるべき場所に投入するようにしている。

 たまにこの日課のことについて人に話すことがあるが、驚かれるどころか、少し引かれるような反応を受けることがほとんどだ。どうやら、自分は世間一般の人と比べたら、過剰に真面目な部類の人間に分類されるらしい。


「タカオ君って真面目だね」

「タカオって、真面目だよな〜」

「タカオもうちょっと、気抜いてもいいぞ〜」


 このように俺のことを堅物扱いするような言葉を、俺の生きてきた十六年のなかで多く見積もると千回は聞いた気がする。八十歳まで生きるとしたら、単純計算で五倍にして、約五千回、俺は人生でそういう言葉を聞くことになる。

 まあ、自分の性格を一言で表すとすれば、「真面目」という三文字の漢字以外にふさわしい言葉はないと思うから、そう言われるのは一向に構わない。ただ、約千回、真面目だと言われてきたなかで、成長するにつれて、真面目ということがまるで良くないことのような言い方をされる回数が増えてきたことには違和感を覚える。

 真面目の対義語は不真面目だと思うが、不真面目、いわゆるルールを守らない人や、物事に真摯に向き合わない人で世の中は溢れているのではないか、と物心つくにつれて、感じるようになった。

 果たして、なぜ不真面目な人がこの世界には多いのか、ということを俺は頭の中で何度も考えた。

 そして、社会科の勉強などをするなかで、基本的に人間というのは、楽をしたい生き物であることが原因だと、自分のなかで結論づけた。

 人類が誕生して、最初の方は身一つで狩猟をすることで食料を調達していた。しかし、楽に狩猟が行えるように石器が生み出された。

 人類はより楽に生きるため、農耕を行ったり、田んぼや畑の近くにたて穴住居を作って定住した。

 社会が発展するにつれて、少しずし人間が楽に生きやすい世界が形成されていく。楽に移動するために自動車が開発された。楽に人とコミュニケーションをとるために携帯電話が開発された。楽に料理をするために電子レンジや冷蔵庫が開発された。

 ……まあ、何が言いたいかというと、人間は皆、楽に生きたい、という本能をもっているため、俺の普段行う、過剰に「真面目」と分類される行動というのは理解ができないのだろう。

 ゴミを道端にポイ捨てをする人も、自転車を長時間、無断駐輪をする人も、路上喫煙禁止の場所で喫煙する人も、楽をしたいのだと理解はできるが、出来るならそういった行為はせずに、真面目に生きて欲しい、と切に願う。  

 俺がこんな考えをするように育ったのは、性格が真面目な高校教師の母親と、性格が超真面目な警察官の父親のもとに生まれ、二人の真面目ハイブリッド遺伝子を引き継いだ上、真面目英才教育を幼少から受けてきたからだと思う。

 おかげで反抗期もない純朴な青年に育つことができました。父さん、母さん、ありがとう。


     *


 最寄り駅に到着し、ちょうどホームにあがったタイミングで電車が到着したので、乗り込んだ。電車の時間は多少前後することはあるが、始業のチャイムがなる三十分前には必ず教室に到着して、早めに席につき、授業の予習をする、というのが俺の習慣であった。

 今日もいつも通り、始業の三十分前には教室に辿り着く時間の電車に乗り、座席が空いていないか見渡したが、優先座席しか空いていなかったため、座るのは遠慮した。電車に乗っているのは二十分程度のことなので、別に座らないことは問題ない。

 座席横のもたれかかれるスペースに立った後、かばんを開き、定位置にある英単語帳を取り出した。電車に乗っている時間は英単語帳を眺めるというのもルーティンワークの一つである。

 高校生は大体、通学の電車のなかで、Bluetoothイヤホンを携帯に接続して音楽を聴きながら時間を潰す。

 音楽を流しながら、スマホをいじり、①友達にラインを返す、②ゲームをする、③漫画を読む、この三つのどれかの行為を行なっている人がほとんどだ……と思う。

 そのため、差をつけるには、通学中の勉強は必須、というのが俺の持論だ。ということで、早速英単語帳を開き、しおりを挟んでいた場所を開く。

 「different」は異なる……これは覚えている。

 「library」は図書館……これも覚えている。

 「urban」は都会的な…これは覚えていない。

 こんな調子で知らない英単語と出会う、もしくは顔見知りの英単語と再会することとを繰り返し、英単語帳のなかでどんどん友達作りをしていく。

 難関大学を受験するのに必要な単語数は六千語程度と言われている。そのた、め六千語と友達にならなければいけない。

 ……しかし、今日はいつもと違って、気分がソワソワして、あまり集中できていなかった。

 なぜかというと、今日は高校二年生の初日だからだ。

 正直、友達は多い方ではないのだが、数少ない友人が同じクラスであれば良いな、

とか、可愛い女の子が多いクラスだと良いなと、という考えが頭の中を巡っていた。

 あまり集中できないまま英単語帳を眺めていると、電車が学校の最寄駅に到着した。駅から俺の通う向山高校までは、徒歩で十分程度なので、駅から学校まで友達と話しながら、歩く生徒が多い。

「おい、孝夫〜」

 後ろから聞き覚えのある声が聞こえたため、振り返る。声の正体は木田洋平。高校一年生の時のクラスメイトであり、俺の数少ない友人の一人であった。

「おはよう。今日、朝練は?」

「今日は新学期の初日だからな。さすがにサボった」

「おいおい、大丈夫なのかよ」

「まあ、今日くらいは大丈夫だよ」

 木田はサッカー部に所属している。サッカー部は、平日はテスト期間を除いた毎日、土日も休みはあまりなく、練習をしている。更に木田は毎日、始業前の朝練にも勤しんでいた。

 サッカーに対して、真摯に向き合う姿勢については彼の尊敬する部分だ。ただ、朝練で疲れて、授業中の居眠りが多いのは彼の尊敬しがたい部分である。

「孝夫、誰と一緒のクラスになりたい、とかある?」

「まあ、特に無いけど、友達が多ければいいな」

「お前、友達少ないじゃねえかよ〜、まあ、もしクラスが別になっても、たまに顔だしてやるって〜」

「うるせえな!」

 俺の友達少ないいじりを木田はたまにしてくる。そして、それに対して、ツッコミを入れるのもいつものことだ。

 しかし、友達が少ないのは事実なので、「そんなことないわ」でなく、「うるせえわ」という事実を容認するツッコミしかできないのは悲しいことだ。

「ていうか、女の子で一緒のクラスになりたい、とかねえの?」

「女の子か……いや、ないな」

「うそつけよ、ムッツリスケベが!」

「むっつりじゃねえよ!」

 正直、可愛い女の子が多いクラスだと良いな、なんてことも考えていたので、ムッツリスケベというのも否めないな……だが、ここは俺の名誉のために否定させてもらった。

「じゃあ、去年同じクラスだった高花さんはどうだ? ちょっと気性は荒いけど、クラスのマドンナだっただろ」

「あの子は遅刻が頻繁に続いた時に、俺が学級委員として注意したら、睨まれるだけ睨まれて、無視されたから苦手だ。ていうか、お前知ってるだろ!」

「ははは、そうだな」

 高花さんは容姿端麗で、モデルみたいなスタイルの良さで、他のクラスどころか、他の学校の生徒にも名が知れ渡っているくらい有名な生徒である。

 入学して、二ヶ月くらい経った時に、学級委員だった俺が彼女の遅刻を注意すると、あからさまに嫌そうな顔をした後に無視された。そこから、彼女との絡みは、ほぼ0だったと言って良い。

「だったら、同じクラスだった女バレの羽谷さんは?あの子には、人の目を自分の身体の一点に視線を集中させるという特殊能力があるぞ……、特に体操服の時にその能力は倍増する……」

「巨乳なだけだろ……その能力は恐ろしいが…… あの子は授業中にうるさかったのを注意したら、『なんで、あんたに注意されなきゃいけないの? 成績もあんまり良くないくせに』と、言われて以来、とても苦手だ。ていうか、それもお前知ってるだろ! 俺のトラウマを思い出させるなよ!」

 羽谷さんは抜群に美人というわけでは無いのだが、木田の言う特殊能力によって、男子からの人気が高い生徒だ。

 高校一年生の夏の暑い時期、後ろの席に座る彼女のお喋りがうるさくて、注意したところ、俺のトラウマとなる言葉が吐かれた。ていうか、なぜ彼女はあまり俺の成績が良くないことを知っていたんだ……

 ちなみに彼女とのやり取りは、俺が「せ、成績は関係ないだろ」というカウンターの言葉を吐き、「はいはい」という人が百パーセント納得していない時に吐く、はい二連発によって、幕を閉じた。

 その後、彼女のお喋りの量は相変わらずだったが、テレビのリモコンで音量を一下げたくらいにはボリュームダウンをしてくれた気がする。

「ははは、まあ、お前はクラスのほとんどの人に注意とかしてんじゃね?だから、女の子との出会いを期待するなら、一年生の時、別クラスの子だな」

「そうだな……」

「いや、しかしお前の『意識タカオ』という異名は学年中に広まっていると見ていい……だから、学校外の人を狙うしか無いかもしれん……」

「ハードル高えよ……」

「意識タカオ」俺の異名というかあだ名の一つである。

 昨年秋頃のとある放課後、ほとんどの生徒が教室を離れている時間、忘れ物をしたので教室に戻ろうとすると、クラスメイトの女子が教室に残って話をしているのが聞こえてきた。

 その時、彼女達は周りに誰もいないだろうと考えたのか、大きな声で喋っていたので、クラスの男子の誰ががかっこいい、誰と付き合いたい、といういかにも女子高生らしい会話の内容が教室の外からでも、鮮明に聞こえてきた。

 そして、問題となる会話が俺の耳に入ってきた。

「意識タカオは〜?」

「あいつはないでしょ〜。基本うざめだし、真面目なのに成績も良くないし、マジで意識タカオって感じじゃ〜ん」

「あははは」

 これはもしかして、俺のことを言っているのでは、という疑問は湧きながら、そのまま教室に入ると、俺の方を見て、女子達は「やばっ、聞かれた?」という表情をしていたので「意識タカオ」とは、確実に俺のことを指している、と理解した。

 木田や他の友人もどうやら同じような会話を聞いたことがあるようで、気を使ったのかわからないが、木田を中心に、クラスの皆の前でもそのあだ名で呼んで、いじったりしてきた。

 おかげで「意識タカオ」という言葉は蔑称というよりは、あだ名という扱いである雰囲気がクラスの中でも作られた。だが、そのせいでクラス中、いや他のクラスにもこのあだ名が広まったとも言える。

 俺の下の名前が「孝夫」であることと意識が高い、という意味をかけて、命名されたであろう、そのあだ名は正直、センスは悪くないな、と感じる。

 よく考えると、俺、一年生の時のクラスメイトから結構嫌われてね?という事実に気づいたが、俺の生き方は変わらない。

 意識が高くて、何が悪い。

 今日も、いや高校二年生の一年間も「意識タカオ」というあだ名にふさわしい日常を送ってやろうじゃないか。

 ……そんな謎の決意表明を心のなかで行なって、谷崎孝夫の高校二年生は幕を開けるのだった。


 第一章 


 木田とともに正門から学校に入り、二年生の教室に向かう。一年生の教室は校舎の一階、二年生の教室は二階、と基本的には各階で学年が別れていて、移動教室の時くらいしか上がらなかった二階へ上がるのは少し新鮮であった。

 各教室のドアに貼り付けられた出席番号順に並んだリストを木田と一緒にA組から順番に眺めていく。

 D組のリストを眺めていると、俺の名前を発見する。

「あ、あった」

「あ、俺もあったわ」

 どうやら、木田と俺はまた一緒のクラスらしい。

「また同じクラスだなー」

「ああ、よろしく」

 早速、教室に入り、俺は席に着いて、教科書を広げながら、時折木田と談笑をしていた。

 続々とこれから新しく、クラスメイトとなるメンバーが入ってくる。去年同じクラスメイトだったやつもいるが、仲の良い生徒は木田くらいだ。逆に俺が苦手と感じる生徒もいなかったので、少しほっとした。

 女子生徒の一人が入る前に「うわ、意識タカオもいるじゃん」みたいなセリフが聞こえたのはきっと空耳だろう……

 始業前ぎりぎりの時間になると、一席を除いて、座席が埋まっていた。あの空席の生徒は新学期初日から休んでいるのだろうか?

 キーンコーンカーンコーン

 始業を告げるチャイムと同時に新しい担任の先生が入ってくる。担任の先生は昨年、別の一年のクラスの担任をしていた女性の先生だった。去年の俺のクラスでも、国語はこの先生の授業だったので、顔は知っていた。他にも先生のことを既に知る生徒は多いが、二年生初日なので、先生は簡単な自己紹介を済ませた。

「えー、それじゃあ今日の一時間目はホームルームです。色々と渡さなければいけないものであったり、説明をしなければいけないことがあるのですが、実は今日、もう一人、君たちのクラスメイトになる転校生がいるので紹介します」

 クラスの雰囲気が一気にざわついた。なるほど、空席は転校生のためのものか。

 転校生という響きにワクワクしない生徒はいない。もちろん、俺も皆と同じように、どんな人が入ってくるのか想像してワクワクする。

「それじゃあ、宮戸入ってきてくれ」

 教室中の誰もが、先生の目の向けたドアの方に視線を向ける。

 ゆっくりと開いたドアから入ってきたのは女性だった。ただ、女性というだけでクラスの男子全員の視線が強くなる。

 そして転校生の、金髪という人の目を引く髪色、端正な目鼻立ち、綺麗に伸びているまつ毛、それらの特徴がより一層、男子生徒からの強い視線を彼女に浴びさせた。……しかしこの瞬間、クラスの全男子のなかでも、俺が最も強い視線を彼女に浴びせていたと思う。

「初めまして、宮戸菜々です。よろしくお願いします」

「宮戸は小学校低学年の時、ご家庭の事情でアメリカのカリフォルニア州に引越して、向こうの学校に通っていた、いわゆる帰国子女というやつだな。まあ、皆仲良くしてやってくれ」

 担任からの彼女の紹介は非常に大雑把なものだったが、カリフォルニアからの帰国子女という情報だけで、クラスメイトを興奮させるのには十分であった。

 転校生に対して、全員からの強い視線が向けられている中、俺は一層強い視線を彼女に向け続ける。というのも、彼女の姿は俺の記憶のなかに残っている、一人の女性に面影が似ていたのだ。

 すると、俺の視線に気づいたのか、転校生は俺の方を向き、目が合う。

「あれ……孝夫?」

「お、お、おう」

 ……これで確定だ。

 彼女は俺の幼なじみだ。当時の名字は「河合」だったが、名字が変わって今は「宮戸」になっている。あと確か、小さい頃、彼女の髪の色は昔は薄い栗色だったが、今は周囲の注目を集める髪色になっている。

 顔つきは俺の記憶の中にある幼少時代時の雰囲気は残っているのだが、こんなにも美人だったか、と思ってしまうほどに、彼女は端正な顔立ちをしていた。

 そのため、緊張して、「おう」がスムーズに言えなかったことは言うまでもない。

「何、お前知り合いなの?」

「ああ、幼なじみだ」

 木田から話しかけられたので、答えると、クラス中の注目の対象が一瞬、俺になった。

 しまった、変に注目されたな。


     *


 一時間目のホームルームの後すぐ、宮戸菜々は席を立ち上がると、俺の席まで歩いてきて、話しかけてきた。

「まさか、孝夫がいるなんて」

「……こっちこそびっくりだ。まさか、転校生がお前だとは思わなかった。俺の親も何も言ってなかったぞ」

「そうだよね〜。実は引っ越してきたのも本当最近でさ。もともと住んでた家に結構近いところに引っ越してきたから、孝夫の家も割りと近いし、今度、親と一緒に挨拶にいくよ」

「別に良いよ……。親にはとりあえず、俺から言っとく」

「あ、そう? つれないな〜」

「う、うるさいな」

 宮戸菜々は久しぶりの再会であることを感じさせず、冗談を混ぜながら話す。

 こいつってこんな陽気な感じだったっけ? 後、なんかすごい良い匂いがする気がする。しかも、改めて近くで顔見ると、美人だな……

 久しぶりの幼なじみとどのようにコミュニケーションをとるのが正解かもわからないまま、会話をしていると、ざわざわ、と教室の外が騒がしい気がしたので、廊下の方に目を向ける。

 すると、別のクラスの生徒がわらわらと、窓から顔を出して、まるでパンダを見る動物園の客のように宮戸菜々の方に視線を向けていた。

 超美人な帰国子女がD組に転校してきた、という話題は、その日の一時間目が終了してすぐ、他のクラスにも知れ渡ったらしい。

「あの子が転校生か、超美人だな……」

「てか、あの話している男誰だ?」

「あれだよ、意識タカオとかいう……」

 ヒソヒソ話が聞こえてきた。どうやら意識タカオというあだ名は思ったよりも浸透しているらしい……

 宮戸奈々は幼稚園から小学校三年生までの間、家族ぐるみで付き合っていた仲だ。当時、彼女に対して、美人だとか可愛いとか思ったことはなく、ただの仲良い幼なじみでしかなかったと思う。

 そのため、他のクラスから生徒が彼女を一目見るために押し寄せている現状には違和感を覚えざるを得なかった。まあ、実際すごい美人なんだが……

「宮戸さん、ライン交換しようよ〜」

「もちろん! じゃあ、またね。孝夫」

「ああ」

 クラスメイトの女子から声をかけられ、女子五人くらいの集団の方に彼女は向かった。それから、たまに彼女のことを眺めていたが、女子生徒も皆「宮戸菜々」という人物に対して、興味津々のようで、質問責めに合っていた。


     *


 新学期が始まり、一週間が過ぎようとしていたが、俺の幼なじみ、宮戸奈々はこの短い期間でクラスの中心人物となった。

 数学の授業中、たまたま難しい問題の時に先生から彼女が指名されたが、彼女は一瞬の迷いもなく、黒板にすらすらとチョークで正解の計算式を書き上げた。

 それだけでなく、体育でバレーボールの授業中、ミニゲームが始まった途端、アタックを決めたり、レシーブで難しい球を拾ったりと攻守で素晴らしい活躍を見せた。バレーボール経験はないらしいので、運動神経が非常に良いのだろう。

 極め付けは英語の授業、まあ帰国子女だから当然だが、先生から指名された際に読み上げた英文の発音は、英語のリスニング教材で流れるような、綺麗な発音であった。英語の担任の先生も、自分より綺麗な発音で話されたため、焦りの表情を見せていた。

 しかし、彼女がクラスの中心人物である所以は勉強や運動の面で優れているからではない。

 一週間も経つと、昼休みの時間を過ごすメンバーは固定されてくるが、彼女の周りには、容姿に優れ、明るい性格の女子生徒が集まっている。そのメンバーのなかで、ほとんど彼女が中心となって会話が繰り広げられていた。

 また、男子生徒ともよく話す様子を見かけた。男子生徒が彼女に話しかけると、冗談を交えて笑いながら、彼女は返答する。その後、男子生徒は満足そうな表情で自分の席に戻っていく。

 彼女と話さない生徒も、彼女がどんな言動をするのか注目していた。

 そんな状態がこの一週間で出来上がったので、このクラスの中心に最も近いのは宮戸菜々だと言って良いだろう。

 これだけ才能に溢れているならば、一部の生徒は彼女に対して、嫉妬しそうなものだが、彼女はどんな人にも明るい雰囲気で接し、人を乏しめるような発言は絶対にしない。また、人への気遣いまでできるようで、誰からもそういった負の感情を受けている様子は感じられなかった。

 だけど、幼なじみである俺は、彼女と自分を比較して劣等感を抱いていた。

 授業の予習、復習はちゃんとしている方だし、数学も苦手科目でも無いのだが、彼女がすらすらと正解の計算式を書き上げた問題を俺は解けなかった。

 英語なんて、俺はこの先こつこつ英単語を覚えるところから勉強しても、話せるようになるビジョンは湧かない。体育の授業でも活躍をした記憶はしばらくない。

 しかも、彼女は転校してきたばかりでも良好な人間関係を築いているのに関わらず、俺は新しいクラスになってから、木田以外に新たな友人もできていない。

 自分にできるのは、真面目に物事に取り組むことしかない、ということは分かっているんだが、たまに人と比べてしまい、理想と現実の距離を再認識してしまう。

 六時間目の授業を残した休憩時間、ボーッとしていると、木田が近くに寄ってきた。

「おい、孝夫ー、お前の幼なじみの宮戸さんってすごいな〜」

「ああ、そうだな」

 木田から話しかけられたが、素っ気ない反応を返す。

「昔からあんな感じだったのか?」

「もう昔のことだから覚えてないけど、あんななんでもできる子ではなかった気がするな」

 そう、今はなんでもできる人気者の彼女だが、幼少の頃のおぼろげな記憶のなかでは色んなことができる子ではなく、よく泣く子だった気がする。

 しかし、今の彼女の姿を見ていると、俺の記憶の方が間違いだったんじゃないか、と疑いを覚えてしまうほどだ。

「そういえば、話は急に変わるけどさ」

「うん?」

「今年は学級委員やるのか?」

 学級委員は昨年一年間務めていたが、残念ながら空回りしてしまった、と評価せざるを得ないだろう。

 やる気が先行して、というか、自分の性分がそのまま出たのだが、クラスメイトの言動に色々と注意をした。

 今考えると、他の生徒への注意など、学級委員の務めから逸脱した行為だったことは否めない。クラスメイトからは反発を食らう場面が多かった。

 それに残念ながら、クラスメイトをまとめるような、本来、学級委員が務めるべき役割は自分には向いていないことが一年間でよくわかった。

「……まあ、今年はいいかな」

「そうか……なんとなくお前らしく無い気はするけど、学級委員なんて面倒だしな」

「ああ、そうだな」

 人には向き不向きがある。それは幼なじみで転校生の彼女に改めて認識させられたところだ。


     *


 休憩時間が終わり、六時間目のホームルームの時間になった。このホームルームでいくつか決定されないといけないことがあり、そのうちの一つが学級委員を誰が務めるのか、ということだった。

 担任の先生は早速、まずは学級委員を決めようと言った後、やりたいやついるか?と、クラスの全員に向けて、確認をした。

 しかし、それに対して誰も反応は示さなかった。もちろん、俺も今年は学級委員はしないということを先程心に決めたため、何も反応は示さない。

 数秒、沈黙が続いた後、ある女子生徒が発言した。

「女子は宮戸さんがいいんじゃないかな?」

 それは宮戸菜々を学級委員に推薦する言葉であった。

「いいじゃん」

「うん、いいよね〜」

 彼女が学級委員になることに対して、肯定する発言がちらほら聞こえてきた。

 普通、学級委員などの役割は面倒な立場なので、どちらかといえば、こういった推薦の発言は、役割を押し付ける目的でされる場合が多い。

 だが、今回はそういった面倒ごとを押し付けるという雰囲気は感じず、純粋に彼女に学級委員になってほしい、と多くの生徒が思っているようだった。

 このクラスの生徒は皆、宮戸奈々とはまだ一週間程度しか同じ時間を過ごしていない。それににもかかわらず、純粋に学級委員に推薦されるというのは彼女の人間性が相当に評価されているのだろう。

「宮戸、どうだ? お前が嫌じゃなければ、クラスの皆もこう言っているわけだし、引き受けてくれると助かるんだが」

「う〜ん、わかりました」

「よし、ありがとう。早速、女子は宮戸で決まりだな」

 非常にスムーズに学級委員が決定したため、担任の先生は心なしか上機嫌そうだ。

「それじゃあ、男子側を誰にするか決めようか。やりたいやついるか?」

 男子が若干ざわめき始める。宮戸さんがやるなら、俺もやろうかな、といった浮ついた動機の発言も聞こえてきたが、実際に手をあげるものはいない。俺ももちろん、手を上げなかった。

「う〜ん、いないか。じゃあ、さっきの宮戸みたいに、こいつが良いんじゃないか、っていう考えがあるやつはいるか?」

 また沈黙が数秒続いた後、一人の女子生徒が挙手をした。

「先生、いいですか?」

 挙手をしながら発言したのは宮戸菜々だ。

「どうした?」

「私、谷崎孝夫君が良いと思います」

 ……はあ?

 なんで、宮戸菜々が俺のことを学級委員に推薦するんだ。理由があるとすれば、幼なじみだから、という理由しか思いつかないが……

「俺もいいと思いますよー」

 便乗して発言したのは、木田だった。さっき俺はやるつもりはないって言っただろ……

「そう言われてるけど、谷崎はどうだ?」

 彼女が俺を学級委員に推薦した理由は何なのか、もし引き受けるとしたら昨年の俺の学級委員は不評だったけど、今年は大丈夫か、そういった考えが頭の中を巡り、やるのかどうか踏ん切りがつかなかった。

 ふと、宮戸奈々の方に視線を向けると、彼女は真剣な目つきで俺の方を見ている。目が合うと、彼女はコクリとうなずいた。そのうなずきはまるで、俺に大丈夫だ、と背中を押してくれているように感じ、気づいたら手を挙げ、発言していた。

「はい、やります」

「よし、これで学級委員は決まりだな、宮戸、谷崎、よろしく」

 こうして、俺と宮戸菜々は今年一年間、共に学級委員を務めることが決定した。


     *


「孝夫、一緒に帰らない?」

「お、おう」

 全ての授業が終わり、帰路に着こうとした瞬間、宮戸菜々から下校の誘いを受け、断る理由もなかったので、俺は彼女からの誘いを受け入れた。

 一緒に教室を出る時、女子生徒から、彼女は「菜々ちゃん、ばいばーい」と声をかけられていたのに対し、俺は男子生徒から睨むような視線を受けた気がする。

「こうやって一緒に学校から帰るのも久しぶりだね」

「そうだな」

「昔は毎日一緒に学校から帰ってたのに」

「ああ」

「そうだ。私、今は孝夫の家から歩いて十分くらいの所に住んでるんだ。だから、最寄り駅も一緒だよ」

「あー……そうなのか」

「ちょっと、なんか返事が素っ気なく無い?」

「え、あ、すまん」

 会話が上の空であった。正直、久々にあった幼なじみととどのようにコミュニケーションをとれば良いのかまだわかっていないというのも理由の一つだが、彼女が俺をなぜ、学級委員に推薦したのか、そんなことばかり考えていた。

「そうだ、孝夫、買い物につきあってくれない? 色々買いたいものがあってさ」  

「え、あ〜まあいいぞ」

 帰って勉強をしないと、そう考えていたので、少しだけこの誘いを断るか考えた。

 まあでも、買い物に付き合った後でも勉強はできるので、彼女の誘いを了承する。

 それに買い物に付き合っているうちに、なぜ俺のことを学級委員に推薦したのかの理由も聞けるかもしれないしな。

 学校の最寄り駅から、俺と宮戸菜々の自宅方面に向かう電車に乗って、自宅の最寄駅から三つ前の駅で降りる。

 彼女が色々なものを見れるところに行きたいと言うので、大きめのショッピングセンターに行くために、わざわざ最寄り駅より前の駅で降りたのだ。

 駅からショッピングセンターまでは、徒歩で五分程度だったため、歩いて向かっていると、俺達と同じ向山高校の制服を着ている三人組の女子生徒の集団を見かけた。

 このショッピングセンターは中に映画館やゲームセンター、お洒落なチェーン店のカフェなど、高校生が楽しむには十分な施設を揃えている。電車に乗る必要はあるが、距離もそう離れていないので、うちの高校の生徒が放課後、カップルや仲の良いメンバーでくるのは珍しいことではなかった。

 そのため、同じ高校の生徒を見かけたことも普通にスルーしようと思っていたのだが、よく考えると、今、俺は木田のような男友達と来ているのでなく、宮戸菜々という人物と来ていることに気づいた。

 ……この状況はまさしく、放課後デートに来ているようにしか見えない!

 しかも、学年中に既に顔が知れ渡っているこいつが相手となると、明日俺たちを目撃した男子生徒から喧嘩を売られるかもしれない……

「あれ、孝夫どうしたの? 顔色、悪いよ」

 宮戸菜々から心配の声がかけられる。そう、まさしく君のせいで顔色が悪くなっているんだ……

「や、やっぱ、ここで買い物するのやめないか……?」

「ええ? 孝夫がここに連れてきてくれたんじゃん!」

 くっ……おっしゃる通りだ、何も言い返せない……数十分前、色々揃っているあのショッピングセンターに行こうか、とドヤ顔で言っていた自分が恥ずかしい……

「ああ、ごめん、なんでもない……」

「変なの」

 おかしな会話をしていると、ショッピングセンターに到着する。

 最初に寄った店は本屋だった。教科書以外で自分の勉強をするために参考書を購入したいらしい。彼女も見かけによらず、真面目である。

 その後、文房具点や百円均一ショップなど、いくつかの店を回った後、休憩のためにカフェに入店した。

 メニューの種類はかなり豊富であり、さらにトッピングなんかもできるようなのだが、あまりこういうカフェに好んで来ることはなく、慣れていなかったため、俺はひねりなしでアイスカフェオレのトールサイズを注文した。

 一方、幼なじみの彼女はこういうカフェに来慣れているのか、なんとかフラペチーノにチョコチップをトッピングしていた。まあ、こういうカフェってアメリカが本場だもんな。多分。

「いやーありがとね、付き合ってくれて」

「全然良いよ。たまにはこういう買い物をするのも悪くない」

「孝夫、何も買ってないじゃん」

「ウィンドウショッピングってやつだ」

「まあ、服とかをみるときに使う言葉だけどね」

「俺の辞書の中で訂正しておくよ」

 他愛もない会話で彼女は笑った。

「……なんか、こういう買い物とかくると、私達付き合ってるみたいだね」

「ブフォ」

「うわー!」

 付き合っている、という単語を聞いて、相当動揺して、口の中からアイスカフェオレが溢れ出した。焦って、宮戸菜々がナプキンをとりにいくと、定員さんがダスターを渡してくれた。すみません……

「もう、何やってんのよ〜」

「すまん。ありがとう」

 なんか、幼なじみというよりは姉みたいだな、そんなことを考えながら、俺も床にこぼれてしまったアイスカフェオレの後始末を必死に行った。


     *


 帰る前にゲーセンでも寄ってこうよ、と宮戸菜々に言われて、俺たちはゲームセンターに来た。ゲームセンターのごちゃごちゃした外観と騒がしい雰囲気は正直、あまり好きではない。

 宮戸菜々はどうやら、どうしても欲しいぬいぐるみがあるらしい。彼女がうろちょろと目当てのぬいぐるみを探す中、俺は別の光景が目に入った。女子高生二人が一つのクレーンゲームに集中している後ろ姿だ。

 別にこの光景自体に何か違和感があるわけでは無いのだが、二人いる女子高生のうち、一人は黒髪で知らない高校の制服を着ていて、もう一人は茶髪でうちの制服を着ており、この後ろ姿には見覚えがあった。

 俺がどこで見覚えがあったか頭の記憶の中を模索していると、宮戸菜々から話しかけられた。

「あれ、あの茶髪の子の方、クラスメイトじゃ無いっけ?」

 彼女に言われて気づいた。クラスメイトの「丸井友子」だ。俺は彼女と話したことは無く、まだ一週間しか同じクラスで過ごしていないこともあり、彼女に対しての印象はほとんど無かった。

「確か、丸井友子って子だな」

「ああ、友子ちゃんか」

「なんだ、友達なのか?」

「いや、一言、二言話しただけ」

「まあ、あの子も別の学校の友達と遊んでるんだし、放っておこうぜ」

「……うん、そうだね。あっ、あのクレーンゲームやりたい」

 彼女はそう言って、クレーンゲームを指さした。中にはサイズが大きめの緑色の表皮にまとわれた怪獣のぬいぐるみが並んで入っていた。

 その怪獣は「ゴッシー君」というキャラクターらしい。

 正直、あまり可愛いくないなと思いながら、おう、と返事をする。

 しかし、クレーンゲームの場所に向かう途中、先ほど飲んだカフェオレのせいか尿意が湧いてきた。

「すまん、俺トイレにいくわ」

「はいはーい」

 彼女から陽気な返事が返ってきた後、俺はトイレに向かった。


 手を入念に洗い、ハンカチで手を拭いて、トイレを出ると、先ほどのクレーンゲームの場所に、見知らぬ高校の制服を着た男子生徒が二人、宮戸菜々を囲んでいるのが見えた。

 おそらく、彼女はナンパされているのだろう。普段ゲームセンターに来ないから分からないが、こういう光景は日常茶飯事なのか?それとも、宮戸菜々の整った容姿によって、こういう輩を引き寄せるのだろうか?

 トイレの出口からクレーンゲームの場所は離れていたので、どういう会話をしているのかはわからなかったが、彼女はクレーンゲームに集中して、ナンパされている状況を適当にあしらっているように見える。

 別に焦らなくても、俺が合流すれば、この輩達は去っていくだろうと特に焦らず、少しだけスピードを早めて歩いていると、男の一人が彼女の腕を掴むのが見えた。

 その瞬間、彼女が嫌そうな顔をしているのが見えて、自分の心臓がドクン、と脈打つのを感じた。

「菜々!」

 気づいた時には、彼女の名前を叫び、クレーンゲームの場所まで走っていた。男は俺の叫び声が聞こえて、こちらを振り向く。その時には彼女のもとへ到着し、彼女の腕を掴む男の腕を、俺も掴み返した。

 少し冷静さを取り戻し、もう少し穏便に済ませる方法がなかったかと後悔したが、もう遅い。今できることはこの状況から何事もなく、済ませることだ。

「すみません、腕離してあげてくれませんか?」

 微塵も尊敬の念を抱かない相手に対して敬語は使いたくなかったが、こちらは争うつもりはないという姿勢を少しでもアピールするために、できる限り相手を刺激しない言葉を選んだつもりだ。

「なんだ、男連れかよ」

 腕を掴んでない方の男が言った。

「孝夫……」

 彼女が心配するように俺の名前を呼んだ。その様子を見て、腕を掴んでる方の男が俺の顔を睨んでくる。

 改めて、男の顔を見ると、人間というよりはゴリラに近い印象を受ける。しかも、掴んでる腕は俺の腕の太さの倍近くあった。

 女性に対して、未遂だが、暴力を振るおうをする野蛮性を持ち合わせているだけあって、腕っ節には自信があるのだろう。確実に喧嘩になんかなったら負けるな。

「お前、この子のなんなの?」

 ゴリラ男が、俺と彼女との関係性を質問してきた。俺は間髪入れずに返答する。

「幼なじみだ」

「なんだ、彼氏じゃねえのかよ。じゃあ、ほっとけや」

 ゴリラ男がセリフを放つと同時に彼女を掴んでいない方の腕を、俺に伸ばしてきた。俺も空いている方の腕で防御をしようとした瞬間だった。

「孝夫、危ない!」

 彼女から俺の身を案じる発言とともに俺の身体は彼女の手の平で押された。

 その後、すぐ、彼女はゴリラ男が掴んでいる腕を自分の身体の方向に引っ張ると同時にゴリラ男に足をかけた。すると、ゴリラ男は「うほっ」という鳴き声とともに、派手に転倒した。

 菜々以外のその場にいた全員がこの状況に驚く。ゴリラ男ですら、ゲームセンターの天井を見上げながら、何が起きているのかわからない表情をしていた。

 こいつ……強すぎるだろ……

 勉強や運動だけでなく、喧嘩まで強いらしい。

 連れ添いの男が、転倒したゴリラ男のもとに駆け寄り、立ち上がるサポートをした。ゴリラ男は非常に悔しそうな顔をしている。

 さすがに騒ぎが大きくなってきたので、店員が「大丈夫ですか?」と言いながら、駆け寄ってきた。すると、近づいてくる店員をみて、ゴリラ男達は「覚えとけよ」という雑魚キャラ特有のセリフを吐き、この場を立ち去っていったのだった。

 店員に対しては、この件の概要を簡単に説明して、不快なことに巻き込んでしまいすみませんでした、と謝罪を受けた。別にあなたたちが悪いわけでは無いと思うが……

 お詫びの印として、宮戸菜々が何度挑戦してもとれなかった怪獣のぬいぐるみを店員からもらった。彼女は先ほどの男達に絡まれたことなんてなかったかのように、喜んでいた。


     *


 日が沈もうとする中、宮戸菜々が少し前を歩き、俺はその後をついていくように、ショッピングセンターの最寄駅に向かって歩いていた。

「孝夫、怪我はなかった?」

 振り返りながら、彼女は言う。それ、俺のセリフだろと思いながら、大丈夫だよと返答した。

「なら、よかった」

 それも本来、俺のセリフだ。

「ごめんね。買い物に付き合ってくれたせいでこんなことに巻き込んじゃって」

「別にいいよ」

「後さ……」

 沈みかけの太陽が彼女を朱色に照らしていた。そして、彼女はこう言った。

「久々に名前呼んでくれたね」

 彼女の顔は、夕焼けのせいか、少し赤くなっているように見えた。

 先程「菜々!」とゲームセンターに響き渡る声で叫んでしまったことを思い出し、少し恥ずかしくなる。

 再会して以来、彼女のことをなんて呼べばいいかわからずに、これまで名前を呼ぶないままだったが、そういえば、昔は彼女のことを菜々と呼んでたな。

「そういえば、そうだな……」

 照れながら返答すると、彼女は二カッと笑い、これからも菜々で良いからね、と言って、すぐ進行方向に体の向きを戻して歩き始めた。

「待てよ、菜々」

 正直、恥ずかしいんだけど、昔はお互い下の名前で呼び合っていた関係だから、段々恥ずかしさはも消えていくだろう。そんな希望的観測を頭のなかで考えた。

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