第36話 ノワールからの誘いとラウルの勝負
あれ?
ラウルがいない……。
束の間の穏やかな時間を過ごしていたが、問題はまだある。
まず、さくらはラウルを止めるべく、夕食の前に話をしようとしていた。
けれど食堂の中を覗いても、肝心の彼もいなければ、リオンの姿もない。
ラウルの事はイザベルにと思えば、彼女の姿もなかった。
少し待ちたいとアリアに言い、彼女には先に入ってもらう。
すると遅れてきたノワールがこちらを見て、微笑みを浮かべた。そして優しい眼差しのままさくらの近くまで来ると、耳元に顔を寄せてきた。
「さくら、早く食事を済ませてしまおう。君をね、連れて行きたいところがあるんだ」
「え? でも、私さ、リオンとラウル――」
「うん。わかっているよ。だからね、案内してあげる。詳しい事はまたあとで」
いたずらでもしに行くように、ノワールの琥珀色の瞳が笑っている。彼が何かを知っているのは明白だが、簡単に教えてくれる雰囲気でもない。
だからさくらは、ノワールの提案に頷いた。
***
満月がよく見える運動場。
けれどここは、人間用ではない。他種族、特に身体能力の高い種族が思う存分動けるような、殺風景な場所だ。
急な事ではあったが、アデレード学園長の許可は取れた。なので、使用する事は問題ない。
夜間用の明かりに照らされるのは、運動着に身を包む、ラウル・リオン・イザベルのみ。
「腹ごしらえは済んだのかよ」
「まぁ、それなりに」
「まったく。ただの喧嘩に巻き込まないでほしいわね。でも私がいないとやりすぎてしまうでしょう? だからね、大人しく見ているわ」
プールの更衣室から出てきたリオンを捕まえ、さくらをどれだけ傷付ければ済むのか、問いただした。しかしだんまりを決め込まれ、ラウルの怒りが爆発しそうになる。
けれどここでイザベルが仲裁に入り、感情を抑え込めた。
だから当初の予定通り、勝てばさくらが自分との事を考えてくれると嘘をつき、勝負に誘う。
するとあっさり頷かれた。
その後、それぞれが早めに食事を済ませ、今に至る。
「忘れなんよ。負けたらさくらを諦める。いいな?」
「えぇ。ラウルも、ですからね」
満月の夜は力がみなぎる。だからなるべく戦いは避けるよう、言い聞かされてきた。そうでなければ、歯止めが効かなくなるから。
けれど悔しい事に、それぐらいでなければリオンには勝てないと、ラウルは感じていた。
あの余裕ぶった顔、イラつくな。
イザベルが赤毛をなびかせながらも、音を立てずに離れた。
それを合図に、お互いに何も言わずとも間合いを取り、機会を待つ。
すると、リオンが口を開いた。
「ラウルには腕が2本しかありませんから、私も影を使うのはやめておきます。ですから安心して、来て下さい」
「……てめぇっ!!」
明らかな挑発。けれど、見下すような笑みを浮かべたリオンに我慢ならず、ラウルは弾かれたように跳ぶ。
なんで避けねぇんだ!?
捕らえたと息巻くも、簡単にリオンの左頬を殴りつけた自身の手が信じられず、動きを止めた。
「……おい、やる気あるのか?」
「やる気は、ありますよ。だからこうして、殴らせたのですから」
思ったよりも吹き飛ばなかったリオンが、土を払いながら立ち上がる。
「殴らせたって、なんだ?」
「ラウルなら、本気で殴ってくれるだろうと思いまして」
「はぁ?」
意味わかんねー。
リオンはたまにこういうところがある。完全に言葉足らずだ。それを察したのか、血が滲むリオンの口が笑った。
「さくらを傷付けた罰は甘んじて受ける、という事です」
「なんだそれ」
「私はさくらが傷付くとわかっていて、突き放しました。けれど――」
瞬間、温度が下がった。
「さくらを諦める気はありません」
やっぱな、そういうところが気に食わねぇんだよ!!
ラウルの怒りに火がつけば、自分の身体が反応する。けれど、リオンの攻撃を避けたはずの頬が急激に熱を持った。
「ラウルには感謝しているのです」
目の前で笑うリオンの頭部を、今の姿勢を活かし、回し蹴りを見舞う。けれど空を切る。だが動きを止めずに後方へ飛べば、リオンが姿を消した。
「ここからは正当防衛という事で、やり返す理由も手に入れましたからね」
ぞわりと背後に気配を感じれば、リオンの声に耳を撫でられる。
気付けば、後頭部に衝撃を受け、地に落ちる。
「はっきり気持ちが決まってんなら、なに、迷ってんだよ」
ぐらつく頭を軽く振り、立ち上がる。するとラウルは頬から血が出ていた事に気付く。
「いつ、自分の目を潰すかを……」
「まだそんな事言ってんのか……」
遠くから「目を……?」と、イザベルの呟きも聞こえる。けれど構わず、ラウルは話を続けた。
「あのな、ノワールが菊花からの伝言ってやつを伝えてきたのには、他に意味があんだろ」
これが狙いだったんだろ。リオンは考え過ぎるからな。
このままじゃさくらとの仲がだめになる。
友の性格は嫌でもわかる。
だから、相談された日を思い出した。
『ラウルはもし、人間でないからこそ、人間と結ばれる障害がはっきりとわかれば、どうしますか?』
あの夜も言っいてる意味がわからなかったが、リオンの焦燥し切った様子に、何があったのか無理やり聞き出した。
その時の答えを、もう1度伝える。
「俺なら牙を折る。力が半減したとしても、俺は強いから問題ない。でもな、リオンは目だろ? 力も弱くなるが、問題は、そんな事をしてもさくらが喜ぶか、だ。だからさくらにもちゃんと聞けって、言ってんだろーが」
もう戦う気も失せ始めれば、リオンが目を伏せた。
「そんな事を尋ねれば、さくらは平気で受け入れてくれるでしょう。けれどそれでは、今のさくらの苦しみが増えます。それが何より、怖いのです」
今のさくら、苦しそうか?
病気を完治させるのに遺伝子を入れ替える。それが理由で普通の人間ではなくなると、知らない奴からの言葉に苦しんでいたのは事実だ。
けれどラウルは、現在のさくらに影を感じる事はなかった。
「それで本音が話せねぇなら、それまでだ。今のお前と話してる方がよっぽど、さくらは苦しそうだ」
何が怖いって、勝手な想像でさくらを決め付けてる自分の妄想が怖いだけじゃねーか。
ふつふつと、怒りが込み上げる。
それに満月の高揚が反応し、全身が熱くなる。
「ぐだぐだ言ってんのは、血を飲んでねぇからか? 好きな女の血が飲めなくて、悩んでるフリして、恵んでもらえる時を待ってんだろ?」
自分でもわかる程、ラウルの口角は上がっている。
けれど、リオンの眼光は鋭くなった。
「ただの臆病なヴァンパイアじゃなくて、卑怯者だったか。そんな奴に、さくらを任せる事はできねぇな」
そんな顔できるなら、腹くくれんだろ。
だから、ラウルはきっかけを作ってやる。
「今ここで、さくらを諦めろ」
言い切ると同時に、後方へ大きく飛ぶ。
先程までラウルがいた場所は、原型を留めていない。
「あなたに、何がわかる」
「わかんねーよ!」
くっそ!!
地面を殴りつけたはずのリオンがもう距離を詰めてくる。だが、僅かな動きを察し、かわす。
お前の本音を1度も聞いてねーからな!!
今の動きは罠だった。ラウルのがら空きになった脇腹へリオンの蹴りが入る。重い一撃だったが素早くリオンの足を挟み、捕らえた。
「わかってほしいならな、ちゃんと言葉にしろ!!」
そう吼えながら、リオンの心臓めがけて拳を打ち込んだ。




