4『お姉さんへのお願い』
俺は夕日に照らされ、カラスの鳴き声が鼓膜に響く。空はオレンジ色に染まり、すれ違う子供たちは「また明日遊ぼ〜」と言って手を振る。
「ただいまー」
「おかえり」
家に帰ると、桜が先に帰宅していた。制服姿のまま玄関まで出迎えてくれる。
「わざわざ出迎えなくても良いのに」
「私がしたくてやってるだけだから気にしなくて良いんだよ。それよりお風呂入る? ご飯は楓帰ってきてないからまだ先になりそうだけど」
なるほど。本題はこっちか。さっさと入ってくれということらしい。
「んー、じゃあ入るわ」
「もうお湯はってるよ」
「りょーかい」
流れるように風呂に浸かった。
すぐに風呂からあがり、髪の毛を軽くタオルで拭いて、リビングへと向かう。ソファーでお淑やかに座す桜の姿があった。その姿はさながらお人形さんであり、思わず見蕩れてしまう。特にスマートフォンを触る訳でもないし、テレビに視線を向けているわけでもない。大体テレビ真っ暗だし。
何か深く考え込んでいるようで、こちらに気付くこともない。微動だにしないのがまたお人形さんらしさを大きくする。
「出たよ」
声をかけることさえ憚られるのだが、声をかけないと何も始まらないので声をかける。
桜はサラッとした前髪を流しながら、少しだけ口を開けてこちらに目線を送る。
「それはそれはご丁寧にどうも」
彼女は立ち上がり、うーんと背を伸ばす。
「風呂入る?」
「やー、まだ良いかな。楓と柊そろそろ帰ってくるだろうし」
「オッケー」
俺は保温を押して、リビングへと戻る。
ダイニングテーブルの椅子に腰掛け、机上をポンポンと叩く。桜は首を捻る。
「座って」
「え、なんかした?」
「してないしてない」
俺は手を横に振る。桜はなにか訝しむような目線を送りながら、おずおずとやって来て、若干顔を顰めつつ椅子に座る。
「さて、なんでしょう」
座って、俺の方に体を向けると、コホンと可愛らしく、わざとらしさもある咳払いをする。
「桜はさ、彼氏欲しいとか思ったことある?」
遠回りして訊ねるのは良くないなと思いつつ、でもストレートに訊ねる勇気もない。その結果、こういうあやふやな質問になってしまう。自分の不甲斐なさに苦笑してしまう。
「彼氏……?」
桜は若干驚くような反応を見せつつ、唇に指を当て、うーんと唸る。
「そう、彼氏」
居心地の悪さを覚えた俺は適当に言葉を紡ぐ。とりあえず何か適当に喋っていないと恥ずかしさで発狂しそうだった。仕方ない。
「欲しいけど……」
桜はそこまで口にしてから、黙る。しばらく俺も黙って言葉の続きを待つが、言葉の続きがやってくる様子はない。
「けど?」
催促すべきなのか、聞かなかった振りをするべきなのか、しばらく悩み、好奇心が勝って促す。
「あ……うぅん」
桜は怖気付いたのか、俯き、また言葉を詰まらせる。
なんだよ、なんだよ。そうやって先延ばしにすればするほどこっちは気になるんだよ。すまんな、焦らしプレイはあまり好きじゃないんだ。
とはいえ、こちらから焦らせるようなことをしても逆効果だろう。彼女の中に何かが引っ掛かった結果、言葉を詰まらせている。俺を傷付けるような言葉だと判断したのかもしれないし、俺に聞かれたら一生弄られると思っているのかもしれない、場合によっては俺に聞かせるくらいなら死んだ方がマシって可能性も。ちょっと待って、俺ったらもしかして嫌われている? 自己評価改めないと。
一人であれこれ考えていると、桜はチロチロと目線をこちらへ送り、覚悟でも出来たのか小さく息を吐く。
「私、好きな人居るから」
なんとなくそんなこったろうとは思っていました。はい。とりあえず嫌われてなさそうで安堵する。いやはや、本当に良かった。俺コイツに嫌われているんだよなぁって思いながら一緒に暮らすとか地獄過ぎる。マゾだったら天国なのかもね。
「そうか……」
ただ、不思議と胸が締め付けられるような感覚も走る。別に桜に好きな人が居るくらい、そらそうよって感じだった。おーん、最高ちゃう。くらいの勢いだ。
でも、現実として胸が締め付けられている。恋愛感情を抱いたのかと問われればまた違う気がする。近くに居ると思っていたのに、遠くに行ってしまったような感覚に近い。
「ちなみに誰?」
締め付けられた胸の痛みをごまかすようにおちゃらける。
「言わないよ。絶対に言わない」
カーッと頬をピンク色に染め、拒絶される。
「なんでよ、俺にくらい教えてくれたって良いだろ。ほら、桜と俺の仲じゃん。ね?」
ケラケラと笑いながら、執拗に訊ねる。
「奏斗だから教えないんだよ」
むくぅと頬を丸めて、ギロリと睨む。どうやら俺は両親だけでなく、桜からも信用されていないらしい。俺だから教えないって……相当傷付く言葉だなぁ。
「なるほどね」
溶けたアイスのように思いっきり心を抉られ、意味の分からない返答をしてしまう。なんだよ、なるほどねって。何がなるほどなんだよ。
「ちなみに付き合えそうなの?」
「えー、どうだろ」
桜は唇に指を当て、うーんと天井を見つめる。
「わかんない」
ニカッと笑う。
「分かんないのかよ。ほら、連絡取ったりするとさ、あー、感触良いなぁとかあー、これ興味ないんだろうなぁとか色々あるじゃん? そういうのもないの? デートとかは?」
「なーんにもないよ。良いのか悪いのかすら分からない」
桜に言い寄られて、あやふやな態度を取っているのか。そいつ本当に男なのか? 男なら桜に言い寄られたらイチコロなはず。
「あー、でもデートはしたことあるのかな? 相手がデートだと思ってるのかは分からないけどね。随分前の話だし」
どうやら結構前からの付き合いらしい。うーむ、桜に男の影があるだなんて知らなかったな。愛娘に彼氏出来たって報告されるお父さんの気持ちってこんななんだろうな。このモヤモヤの正体が分かってスッキリしたわ。
俺が気付かぬうちにってことは、楓や柊も知らない間に男作っていたり、良い感じになっていたりしているのだろうか。柊は大人しめで、可愛いところあるし、所々あざとさもあるから男のこと上手く活用していてもおかしくないが楓はないな。だって、アイドル扱いされているところか恐怖の対象として見られているし。あの慎ですら、怖気付いて積極的になれないのだ。そんな奴に彼氏が出来るわけない。
というか、どうしようかな。桜に好きな人が居るのなら慎を紹介する必要ないんだよなぁ。でも、啖呵切っちゃったし、ごめんやっぱり無理だったとも言い難いんだよな。まぁ、会うだけ会ってもらうか。
「好きな人居るのは分かったんだけどさ、その上で頼まれ事してくれる?」
「頼まれ事?」
桜は首を捻る。
「奏斗のお願いならお姉ちゃんが引き受けてあげる」
ポンっと胸を叩く。そりゃ心強いことで。
「俺の友達に桜を紹介してくれって言われたからさ。会ってくれる? もちろん俺も同席するから」
ダメ元でお願いしてみる。こういうのって案外受け入れてくれたりするもんだ。
「別に良いけど、付き合うかどうかは分からないよ?」
良し、言質取ったよ。取ったからね。
「じゃあ決まったらまた連絡するよ」
無事に勝利した。