22『柊パート4』
五日目。土曜日。土日月と三連休。恋人ごっこも終盤を迎えている。迎えているからこそ、俺もそろそろ本題に踏み込もうと思う。
昨日はよく分からないが、柊の良いように話を進められてしまった。やられたらやり返す。倍返しだ。ってことで、こちらも好き勝手やらせてもらおう。
「奏斗くん起きてください」
予想通り彼女は起こしにやってきた。
「起きてるよ」
「起きてるんですか」
なんか少し残念そうだ。悪かったな。俺はやろうと思えば出来る男なんだよ。
「まぁ、そこの座布団にでも座ってくれ」
「なんですか急に」
怪訝そうに俺の事を見つめる。クイッと顎を座布団に向けて動かすと、困惑しつつも座る。
「……」
「え、なんで黙り込むんですか。怖いんですけど」
なんて言葉から始めようか考えていたら、柊に怖がられてしまった。カッコつけるのは俺に似合ってないか。
「単刀直入に聞くわ。柊さ、お前無理してるだろ」
恋人ごっこをやる前から抱いていた疑念だ。直接聞いてもはぐらかされたり、軽く否定されたりして本心を覗くことが出来なかった。だから、恋人ごっこ中、改めて意識していた。意識すればするほど、コイツ無理しているよなという結論に達した。
「無理……? どういうことですか?」
柊なあくまでもとぼけるつもりらしい。
ギュッと小さな手で座布団の端っこを掴む。下唇を噛んで、睨んだり、視線を右往左往させたりと落ち着きがない。
「そのままの意味だよ」
昨日柊が言っていたことをそっくりそのままお借りする。
「っ……」
彼女もそれは理解しているようで悔しそうな反応を見せた。
「無理して元気に明るく振舞ってるだろ」
俺は改めて言葉にする。より詳しく鮮明な言葉だ。
そして、柊が口を開く前に俺はさらに詳しい言葉を並べる。
「おばさんとおじさんが死んでから。違うか。俺が『ここでは敬語じゃなくて良いんだぞ』って言った辺りからか。無理して明るく振舞ってるよな」
「それは……」
柊は言葉を詰まらせる。その反応は図星だと言っているに等しい。
「そうだろ?」
自分でも性格悪いなと思う。でも、ここで一歩でも引いたらごまかされてしまうから。心を鬼にする。
「だって」
柊は瞳を潤ませる。尻に敷いていた座布団をギュッと抱え、目だけを出してこちらを睨む。
「明るくしないとダメですから」
義務感のようなものがあった。そんな苦しそうに言われてもと思う。
「無理して明るくしても柊が辛いだけだろ」
「辛いですけど。皆に迷惑かけちゃいますし、気遣わせちゃいます。そんなの私は望んでないので」
「良いだろ。別に。柊には……ってか、桜とか楓にも同じことが言えるけどさ。周りに迷惑かけるだけの不幸が降り掛かってるんだよ。少しくらい素直になったって良いんじゃねぇーかって俺は思うぞ」
両親が死んだ。これが何十年って先の話であれば仕方ないよね。歳だし、そういうもんだよってさっさと諦められるかもしれない。場合によっては介護疲れで解放された気分にすらなるかもしれない。
でも、まだ両親は五十歳にもなっていない。平均寿命的に考えてみればまだまだ生きる。それに余命を宣告されるような病気にもなっていない。健康体だ。それなのに、突然両親が姿を消す。最期に言葉をかけることも、綺麗な素の顔を見ることすらできない。それがどれだけ辛いことか。絶望感に溢れるものか。考えただけでゾッとする。
「私のせいで迷惑をかけるのは本望ではないです。周りの人は関係ないじゃないですか。私だって、友達の親が死んだって言われても『ふーん。可哀想だな。大変そうだな』くらいにしか思いません」
確かに関係が濃い相手でなければその程度の反応が普通だ。だから、柊は隠したい。辛い想いも苦しい想いも、誰かに甘えたい気持ちも。全て塞ぎ込む。その気持ちは理解出来る。だが、それが正しいかと問われればとてもじゃないが首を縦に振れない。
「じゃあさ、俺の両親が死んだ時にその反応できる? 『ふーん、可哀想だな。大変そうだな』ってサッパリとした反応」
「それは出来ないです。小さい頃からお世話になってますし。第二の両親みたいな感じでしたから」
柊は食い気味に否定する。我に返ったのか、顔を赤くして身体を捩る。チロリと見つめる表情が弱々しく庇護欲を掻き立てられる。
「今まで黙ってただけで俺も同じだ」
少なくとも『ふーん、可哀想だな。大変そうだな』っていう淡白な反応はできない。言い切れる。
「他のやつに辛いところとか苦しんでるところとか見せろとは言わない。まぁ、柊の言う通りの反応されるだろうしな。桜とか楓に配慮するのも分かる。アイツらはなんかもう立ち直ったみたいだし。柊以上に本心を上手く隠しているだけかもしれんが、それなら俺はもう知らん。何にしろ傷を掘り返すようなことはしたくないだろ」
「……」
「ならさ、俺に見せてよ。別に俺は柊の辛い気持ちも苦しい気持ちも受け止めてやれる。理解も出来る。でも、桜や楓みたいに傷を抉られたりもしない。満足行くまで泣いて、苦しんで、もがいて、甘えてほしい」
包み隠さずに言うのなら、俺のエゴだ。利己的だとか、自己中だとか色々言われるだろう。それでも構わない。彼女に対して出来る最大限のことをしているまでなのだから。
「泣いて良いんですか」
柊はさらに座布団を強く抱きしめる。儚げで今にも壊れてしまいそうな瞳をこちらに向ける。
「泣いて良いよ」
「甘えても良いんですか」
「甘えても良いよ」
「嫌いにならないですか」
「嫌いになんてならないよ。本心隠される方が見てて辛くなるし、嫌になるな」
「わかりました」
柊は座布団をゆっくりと置く。深呼吸を一度すると、立ち上がり、こちらをジーッと見つめる。
「受け止めてください。全部。全部を」
俺の胸に飛び込んでくる。比喩でもなんでもない。言葉そのままだ。勢い良く、胸に飛び込み、顔を埋める。
小刻みに震える。嗚咽の声が漏れ、じわりと胸元が湿るのが分かる。柄でもないと思いつつ、俺は柊の背中に手を回し、優しく撫でる。無言で、包み込むように。
誰にも吐露出来なかったのだろう。ずっと隠して、一人で抱え込めば済む話だと暗示して、笑顔と明るさを作り、偽りの自分を表に出し続ける。
安易に気持ちは分かるとか、辛かっただろうなと声をかけてはならない。というか、はばかられる。
だから、俺は黙る。黙って、黙ってただただ黙る。
しばらく柊は俺の胸元で泣き続けた。
十分ほど経過しただろうか。少し落ち着きを取り戻す。
恥ずかしそうに頬を赤らめ、俺から少し距離をとる。潤んだ目元を彼女は指で拭う。それを見つめていると、えへへと微笑む。
「スッキリしたか」
黙っているのが辛くて、当たり障りのない言葉を選ぶ。
「はい。やっぱり泣くって一番効果的ですね」
腫らした目元を若干気にする。
「恥ずかしいですけど……」
と、彼女は付け足す。
「ずっと辛い思いするよりはマシだと思うぞ」
泣いてスッキリするならそれで良いだろう。男なら誰も見てないところでこっそりと泣きたい気持ちがあってもおかしくないが、柊は女の子だ。泣いてる女の子なんて面倒か可愛いかの二択なんだから気にする必要ない。
「これからも甘えて良いですか?」
柊は俺の袖口をクイッと引っ張る。
「柊が望むなら甘えることくらい構わないけど」
「ありがとうございます。何があってもですよ」
「何があってもって……何があるんだよ」
「奏斗くん次第ですから。私には何も分からないですよ」
ケラケラと笑う。
「あ、あと恋人ごっこはもう良いです」
柊は突然そんなことを言い出した。脈絡のないその言葉に若干驚く。その様子を見て、柊はまた楽しそうにクスクスと笑う。
「やめたくないんですか?」
「や、べつに」
正直心地良さをどことなく感じていた。慣れって怖い。
「甘えたくてやってただけなので。好きな時に好きなだけ甘えさせてくれるのなら恋人ごっこ続ける意味もないですし」
真っ当だ。
「少し億劫ですが、お姉ちゃんたちにも報告しましょうか。楓にはもう言ってるんですけどね。嘘だって」
「あ、そうだったんだ」
「クラス行くたびに『やりやがったな』っていう目で見られるの耐えられないので。関係ない人から好奇の目で見られるのは構わないんですけど、身内から見られるのはやっぱり辛いですから」
言われてみれば最初にクラスへ来た時の視線はとんでもないものだったのに、その次の日から柊が迎えに来ても、鋭い視線は飛んできていなかった。てっきり、そういうもんだと認識しだしたと思っていたが、そういう裏のやり取りがあったんだな。
「どうします? 今、行きます?」
柊は立ち上がって、クイッと首を捻る。
タイミングは正直いつでも良い。早かれ遅かれやらなきゃいけないことだ。先延ばしにするか、今辛い思いをするか。多分その違いだ。とりあえず糾弾される覚悟だけはしておかないといけない。
ただ、柊が目を腫らしている現状はここに留まっておくのが正解な気がする。なんかお姉様方に言いがかりをつけられそうだし。
「少しゆっくりしてから行こうか」
「……? わかりました」
彼女は若干不思議そうな表情を浮かべながら頷いた。
ゆっくり休憩してからリビングへと向かう。十分もだらーりとすれば目の腫れもだいぶ引いて、パッと見では分からない。いや、言われても分からないだろうな。
リビングにひょこっと顔を出すと、桜も楓も揃っていた。
「お姉ちゃんたち。聞いて」
柊は一歩前に出て桜と楓の注目を集める。
「私たち実は付き合ってないから」
「え?」
桜は食い気味に声を出し、ぽとんとスマートフォンを落とす。慌てて拾い上げ、画面を見て安堵する。と思えば、柊と俺に目線を向け、また焦燥感溢れる表情を浮べる。なんというか騒がしい。
「奏斗と柊は付き合ってないってこと?」
困惑しながら、首をこてんと捻り、状況確認のような言葉を投げる。
「そうだけど」
「本当に?」
「嘘吐く必要ないでしょ」
柊はほんな返事をする。いやー、前科あるからそれは納得して貰えないと思うな〜。
だって、付き合っているという訳分からん嘘吐いてるし。
「そっか」
桜は簡単に納得してしまう。そのうち変な詐欺に引っかかりそう。壺とか教材とかかわされないように気をつけるんだぞ。
「良かった。てっきり柊に好きな人奪われたのかと思ったよ。妹に好きな人奪われるとか頭おかしくなっちゃいそ――」
桜は途中で口元を押え、瞬間的に顔を赤くする。柊と楓は驚く様子もなくただ、微笑ましそうに桜を見つめるだけ。
俺は俺で脳の処理が追いつかない。固有名詞は一切出てこなかった。それでも誰のことを指しているのか理解出来てしまう。理解出来た上で意味が分からないの脳みそが叫ぶ。
言葉の意図を汲み取ろうと、桜の目を見つめる。だが、目が合うとすぐに逸らされる。意味が分からない。なんでよ。
このままだと勘違いしてしまう。
「もう手遅れなんだし言ったら?」
楓は呆れたように桜へ声をかける。
「だって……」
今にも消えそうな声で桜は答える。
「だっても何も。もう逃げられないよ」
柊はすぐに楓の援護射撃を行う。桜はその言葉に顔を顰め、ぐぐぐと二人を睨む。そして、俺の方へまた視線を向け、苦笑する。
「こんなタイミングで言うことになるとは思わなかったなぁ……」
桜は一歩近付く。
距離が縮まると、俺の心臓が飛び跳ねる。鼓動が全身に伝う。
何を言われるのか。身構え、桜のことを見つめる。
彼女から答えが返ってくることはない。ただ、静寂が流れるだけ。
この焦らしに耐えられず俺は口を開く。
「さっきのって……」
桜はハッとしたように微笑む。そして、そっと俺の唇に人差し指を当てる。
「二人で話したいからさ、少しだけ外でない? ほら、なんか暑くなってきたし外の風を浴びたいかも」
桜はパタパタと手を仰ぐ。
「行こうか」
俺はコクリと頷き、二人で外に出た。